第7話 『自己犠牲精神』
気がつけば、オルフェリスは天井を見上げていた。
目を覚ますと言う動作があったという事は、気を失っていたのだろう。
意識を手放す前、覚えているのはエルシアから必ず死に収束する運命にあると告げられ、泣きながら彼女に抱きつく――
「……、」
思い出すだけで顔が熱くなるのが分かった。
自分よりも遥かに小さな幼い少女――もっともそれは見た目の話で、中身は魔を極めた神であるが――に頭を撫でられる。
そんな事を思い出して恥ずかしくなるくらいには、オルフェリスの精神状態は回復していた。
「フェリス、起きたか」
頭上から聞こえた声と同時、再び後頭部に柔らかいものを感じ取った。
これはやはりきっとアレなのだろう。
「……デジャブ。ごめんエルシア、また借りてたみたいだ」
「膝枕くらい何時でもしてあげると言っただろう?」
クスリと笑うその仕草だけでも異常に可愛くて妙な気分になったが、何とか苦笑を返して身体を持ち上げた。
窓の外を見れば夕暮れの空が広がっている。
壁に掛けている魔石で作られた『時刻盤』は午後の六時を示していた。
「一時間……」
小さく溜め息を付いたオルフェリスは、隣にちょこんと座って微笑むエルシアに向き直る。
彼の表情を見たエルシアは、不安げに尋ねた。
「フェリス……もう、大丈夫なのか?」
「ありがとう。大丈夫だよ、エルシア。さっきはその……取り乱して泣いちゃったけど、もう大丈夫だと思うから」
「怖くないのか?」
「そりゃあ怖いよ」
問いかけに即答したオルフェリスは、夕暮れに染まる空を眺めながら言う。
「俺さ、ぶっちゃけ運命って言うものがよく分からないんだ。さっき、エルシアが言ってたろ。お前は本来あの場所にいなかったって。だからもしかすれば、エルシアがあそこに現れた事も含めて運命だったのかもしれないし、エルシアがあそこに現れた事が逆にイレギュラーな事態だったのかもしれない」
彼女がオルフェリスを助ける事も、運命と言う名のレールの内ならば、彼はこのまま殺されてしまう運命の終点に向かう事になる。
なら、その逆は?
エルシアがオルフェリスを助けた事がレールから外れた事態だったとすれば?
未来が変わっている――オルフェリスが誰かに殺されると言うレールから脱線したのかもしれない。
「……でも、もうそんな事はどうでもいいんだ」
それでも彼は、そんな可能性は切り捨てる。
「あの時俺は、もうダメだ、死んだって思った。俺の精神はあの時一度生きる事を諦めて死んだんだ」
「……、」
「死に収束する? それなら俺はこの拾い上げた命を人の為に捧げよう。誰かを守る為にこの命を賭けよう」
ただ殺されるのではなく。
誰かを守ることで殺される方がいい。
あの時もそうだった。
オルフェリスは双子の少女を助けるため、自ら二人を背に庇い、生身の人間が武器も防具も持たずに相手をすることが出来る訳のない魔獣に立ち向かった。
「どうせ殺されるなら、誰かを助けて殺される方がいいだろ?」
「……どうしてそこまで開き直れるのか、疑問しか生まれないよ」
オルフェリスは上目遣いでこちらを見やるエルシアの頭を撫でながら、
「だからエルシア、ありがとう。お前が俺にこの事を教えてくれなかったら、何も知らずにただ死を待つだけの日々を過ごしてた」
「フェリス……」
「ごめんな。そういう事だから俺、自分から命賭けるような真似をする事になる。折角何処かから俺を助けるために来てくれたのに、悪いな」
笑ってそう言うオルフェリスを見て、遂にエルシアも笑った。
「ふ、何を言うかと思えば。命を賭ける? 上等だよ。それなら我は、君が賭けた命を守ろう。元々そのために君の前に来たんだ。いかなる『傷』からも君を守ってみせるよ」
「……そっか」
エルシアの言葉に苦笑したオルフェリスは、その手を差し出しながら言う。
「命を賭ける奴を守ろうとするなんて、物好きな神様がいてくれて助かるよ。エルシアの力があれば百人力だ。それで、俺はエルシアに一体何をしてあげればいいんだ?」
「決まっている。我を側に置いておいてくれれば、それでいいよ」
「そ、側に置いておく……?」
「うん。見ての通り、我は何処から来たのかも分からない宿無し。フェリスと一緒に住まわせてくれれば嬉しいな」
純真無垢と言う言葉が合っているだろうか。
銀髪美少女は満面の笑みを浮かべて、オルフェリスに頼んだ。
基本的な口調は、威厳や尊厳と言うものを強く感じさせるモノだが、時折見せる歳相応な態度。神様だから、と勝手に決め付けていたが、もしかすればエルシアの精神はまだ幼いのかもしれない。
そんな彼女は、差し出されたオルフェリスの手を取って言った。
「これからよろしくな、フェリス」
「ああ。こちらこそ」
6
「それでエルシア、もう一つの権能……『命刻』について、教えてくれないか?」
彼女が扱える権能は二つ。
そのうち一つは、オルフェリスがその身を以て体験している。
いかなる攻撃を受けてもその身に傷を作らない『不傷』。もっとも、その権能も万能というわけではない様で、傷相応の痛みは感じるし、常駐的・持続的な攻撃による傷は防げないらしい。
例えば、剣を刺されたままの状態が続けば『不傷』の力は発揮されない。剣が抜ければ即座に『傷』が消え去るが、刺されている間は血も出るし損傷も受ける。
とは言え、この力はかなり有効に扱える。どれだけ攻撃を受けても傷が付かないならば、外傷的な原因による『死』は確実に回避できる。条件下で損傷は受けるが、そうならない様に動ける力を身に付ければいい。
オルフェリスは肩が触れ合うほどの距離に座るエルシアを見て、
「命刻……命を刻むって言うのは、どういう力なんだ?」
「――文字通りの意味だよ」
一瞬、逡巡を見せたエルシアだったが、やがて諦めたのか、小さく告げた。
その様子を見るに、あまり言いやすい内容ではないのだろう。それを何となく感じ取ったオルフェリスは、無言のまま息を呑んだ。
「――命刻。さっきフェリスが言った通り、これは命を刻み込む力だ」
「……つまり?」
「己の命を削り、対象に刻み込む事で如何なる悪害を払う、治癒の力だ」
ある意味で人間として超越した会話を繰り広げていた二人だったが、時計の針が指す時刻盤を見て顔を見合わせる。
「そう言えば、エルシアは俺の中に入ってこの部屋まで来たけど……リンディさんにはどうやって説明する?」
「………………最悪、使い魔という事にしておけばいい」
「食事とかするんだろ?」
「当たり前だよ。神様だってお腹は空くものさ。食べなくても生きていけるがな」
「じゃあリンディさんには適当に、俺の命の恩人って伝えて誤魔化そうか。いや、事実な訳だけど」
ベッドから降りたオルフェリスはエルシアに手を差し出す。
「最初は俺の中に入ってて。飯を食うときは……どうする?」
「姿を見られた所でどうにかなるわけでもなしに……おかしな設定が存在するから、無口で行くが、表に出よう」
「分かった。じゃあ行こうか」
伸ばされたオルフェリスの手を取ったエルシアは、そのままオルフェリスの中へと消えていく。
身体の内側から心強い感覚を覚えながら、オルフェリスは階段を下りていった。
食堂には、『炎姫』ことラウラ=ヴィリアンに説教を貰った冒険者パーティの四人と、『炎姫』本人が既に集まっていた。
オルフェリスが食堂に入った途端に立ち上がったパーティメンバー四人は、彼の元に集まって声を揃えて謝罪する。
「い、いや、大丈夫だって。現にこうやって生きて戻って来れたんだから。それに、皆も連日魔物退治に疲れてると思うし」
「本当に済まなかった。いつ現れるか分からない魔獣の事も視野に入れておくべきだったんだ。本当に、申し訳ない」
冒険者パーティのリーダーで最年長らしい戦士の男が頭を下げる。
そこまでされて逆に困ってしまったオルフェリスだったが、そこに件の『炎姫』が介入する。
「困るくらいに謝るのもどうかと思うわよ」
「……済まなかった。ラウラ殿にも、迷惑を掛けた」
「人として当たり前の事をしたまでよ」
やはり冒険者の世界は実力主義らしい。
雇われの冒険者パーティをザッと見ても、ラウラと同年代の人は一人しかいない。他は全員、彼女よりも年上の様だ。
俺が冒険者になっても最底辺を彷徨くんだろうな、と考えながらカウンターのリンディの元に向かった。
「リンディさん、ちょっと話があるんだけど」
「ん、どうしたんだい?」
「実はさ、俺が今日ヤバかった時に助けてくれた子がいてさ、今は俺の使い魔になってくれてるのね」
「ふむ」
「で、俺と一緒にいたいって言うから取り敢えず同じ部屋に置いて、飯とかも上げたいんだけど、いいかな?」
手を合わせて頼むオルフェリスを見たリンディは、何も気にした様子も見せずに、
「フェリスの命の恩人なら断る理由がないからね。いいよ」
「っ! ありがとう!」
リンディの寛大さに本気で感謝しながらカウンターを出たオルフェリスは、適当に空いている席を選んで座る。
そこにラウラがやって来た。
彼女はオルフェリスの向かいの席に座ると、
「ねえフェリス。アンタの使い魔、やっぱり見てみたいんだけど。無理なの?」
「き、急にどうして?」
「いやね、さっきも見てきたんだけど……あの草原に流れた血の量、尋常じゃなかったわよ? あそこまで出血するような傷を完治させる使い魔って、相当だと思うの」
「あー、確かにそうだな」
だって治癒神様だし、と内心で呟くオルフェリスだが、それを口に出すわけには行かない。
今のエルシアは、無口でシャイな使い魔と言う設定になっているのだ。
とは言え、どうせこの後にはエルシアはその姿を晒すことになる。ここでエルシアの頼みを断るより、こちらから紹介したほうがいい。
そう考えたオルフェリスは、中にいるエルシアに囁いた。
「(エルシア、どうせ後々姿を晒すなら俺の方から紹介しようと思うんだけど)」
《……分かったよ。我は何も話さないからな》
エルシアはそう言うと、オルフェリスの中から出てその姿を実体化させる。
金色の光を振りまいて現れた銀髪金瞳の美少女は、オルフェリスのTシャツ一枚だけを身につけて食堂に降り立った。
(やっべー、結局俺のTシャツ一枚しか着てないんだった)
内心で焦りながらも、オルフェリスの後ろに少し隠れる形の立ち位置に移動し、服の裾をチョコンと摘んでくるエルシアを見て「演技うまいな」と笑いながら、紹介する。
「えーと、この子が俺の使い魔のエルシア。シャイって言うか、恥ずかしがり屋だから会話は諦めたほうがいい」
「あ、アンタ……」
ラウラはエルシアの姿を見た途端に俯き、その身体をプルプルと震わせ始める。顔を赤くして、まるで『怒り』に堪えるように拳を強く握りしめ。
(ヤバい、ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!!! ラウラヤバい!)
小さな女の子、それも無口で恥ずかしがり屋の少女に自分のTシャツ一枚しか着せないと言うのはやはりマズい事だったかと冷や汗を流し、でも俺は女物の服なんて持ってない! と虚空に訴えつつ、飛んでくる拳を回避するため身構える。
エルシアも不穏な空気を感じ取ったのか、その表情に緊張の色を浮かべていた。
「あ、アンタ……アンタって奴は……」
直後、ラウラの拳がオルフェリスに向かって突き進み――なんて事は起き
ず。
オルフェリスを押しのけた『炎姫』は、銀髪美少女エルシアに抱きついた。
「何て可愛い使い魔ちゃんを従えてるのよぉーっっっ!!!」
「……ッ!」
ラウラの言葉を聞いてオルフェリスは戦慄した。
どうやら彼女の中で、エルシアの可愛さの前には、オルフェリスのTシャツ一枚と言う姿への怒りは発生しなかったらしい。
一方、ラウラに抱きつかれて頬ずりまでされているエルシアは、本気で嫌そうな表情を浮かべ、
「むぅぅ、やー!」
弱々しい声で反抗の意を示すも、一向に離れようとしないラウラの身体を押し返す。
存外ラウラの力は強いらしい。エルシアの小さな身体では力負けする様だ。離れたいけど離れられない、段々と涙目になっていく彼女を見て溜め息を付いたオルフェリスは、後ろからラウラを剥がす。
「おい、嫌がってるだろ」
「だって、凄く可愛いんだもん……っ」
目尻に涙を浮かべてオルフェリスの後ろに回ったエルシア。彼は小声で尋ねる。
「(それ、まさか演技だったりしないよな?)」
「(当たり前だ! あんなにくっつかれると、我も困るというか……)」
目尻に涙を浮かべて訴えたエルシアの頭にポンと手を乗せて撫でると、オルフェリスはラウラに告げる。
「まあ、割と本気で人見知りなところあるから、いきなりベタベタくっつくのはやめてやってくれ」
「ち、ちょっとずつだったらいいのね!? 言ったわね!?」
「おい、鼻息荒いぞ」
そう言えば、と以前にラウラがこの村に帰ってきた時の事を思い出す。
ロエルとノエルを初めて見た時も、確か彼女はこのような反応を見せていた。可愛い女の子に目がないのだ。ほとぼりが冷めれば、今日のロエルとノエルの相手の様に落ち着いて会話が出来るのだが――
(確かに、エルシアは群を抜く可愛さだからなあ)
「(ありがとう、嬉しいよ)」
「…………は? 俺いま口に出してたか?」
何故か心の中で呟いたはずの発言に、エルシアの返答が帰ってきた。
気がつかない内に言葉にしている、何て事はよくある話だが、今のは確実に言葉にしていないはずだ。
疑問符を浮かべて後ろに立つエルシアを見た。
「(長い間神懸っていると、何となくフェリスの思考が詠める様になったんだよ。我を見てエッチな気分になってもすぐ分かるぞ)」
「うわー……」
思わず溜め息を付いたオルフェリス。今の所そんな気はなかったが、彼も一応年頃のオトコノコである。これから先、エルシアと共に暮らす事になれば、そういう感情の一つや二つ――、
(ッッッ!!!???)
そして改めて思い出す。
様々な情報や思考が頭の中を駆け巡っていたお陰で、自動的に頭の隅に追いやられていた事実を。
(俺、エルシアと同棲――ッ!?)
「(何を今更。……あ、それと、神懸りを絶好のコンディションで行うには、なるべく我とフェリスが長い間一緒にいなければいけないから、そのつもりでお願いするね)」
「逃げ道がないっ!? いや、これは寧ろご褒美と捉える方が良いのか……?」
「アンタ何一人で喚いてるの?」
ラウラにはエルシアの小声が聞こえていないだろう、一人で頭を抑えているオルフェリスを見て一歩後ずさる。
「あ、いや違」
「まあいいわ。……エルシアちゃん。よければ私とも仲良くしてね」
エルシアと同格の美少女であるラウラは、満面の笑みで中腰になってそう言った。
しかし思うようにはいかず、エルシアにぷいっと顔を逸らされたラウラは頬を掻きながら、
「うーん、先は長そうね」
「そう言えば、ラウラはこっちにどれくらいいるつもりなんだ? ボランティアって言っても、そんなに長く活動休止する訳にもいかないだろ?」
いくら故郷でのボランティアといえど、長い間冒険者として活動しなければ、クランやパーティのメンバーに迷惑を掛ける。
パーティと言うのは、迷宮に潜ったり、依頼を遂行したりする際に共に行動する仲間を指す。推奨人数は三人から六人。冒険者二人組の場合はコンビとも言う。
クランはパーティよりも大人数の集団の事を指し、中でも規模が大きい所では構成員が一〇〇人を超えたりしていた。
対して、ラウラはそんなオルフェリスの懸念を一蹴した。
「大丈夫、私は正式に加入しているクランも無いし、パーティもないから。基本的にソロ活動中よ。まあ、友達に誘われて手伝ったりする事もあるけどね」
「へえ……流石だな、ラウラは。実力がなければソロで迷宮潜ったり出来ないだろ?」
「……まあね。あまり自分の力を自慢する様な真似はしたくないけど。でも最近はずっと友達のクランの構成員と活動していたわ。そんな感じで、色々ふらーっとしてるから大丈夫よ」
「そっか。……で、事は相談なんだがラウラ、明日の魔物退治、俺も連れてってくれないか?」
「なによ、いきなりどうしたの?」
「……言わなきゃダメか?」
「言っておくけど」
ラウラはこれ以上エルシアを抱きしめるのは無理だと諦め、オルフェリスとエルシアの二人が座ろうとしていた席の向かいに再び腰を下ろす。
「安全地帯を一歩外に出れば、もうそこは戦場よ。生半可な気持ちで挑めばすぐに死んでしまうわ。……それに、あまり言いたくはないけど、アンタの治癒術式はあまり使い物にならないじゃない」
「分かってるよ。でも、ラウラなら知ってるだろ? 俺は一応剣の技術ならそれなりの実力があると自負してる。それに何かあったらエルシアが助けてくれる。な」
ポンと頭に手を乗せると、エルシアはコクリと頷いた。しっかりと無口キャラを演技しているようだ。
「だから頼む。最初はラウラの戦いぶりを見るだけでもいい。自衛はする。だから連れてってくれ」
「……、」
ラウラは口を閉じ、真っ直ぐにオルフェリスの瞳を覗き込んだ。一瞬でも逡巡を見せれば断られるのだろう、そう思った彼は強くラウラを見返す。
オルフェリスの真剣な表情を見たラウラは、嘆息しつつ言った。
「――仕方がないわね。でも、最初は私の戦ってるところを見せてあげるだけ。アンタの事は、私が守ってあげる」
「……分かった」
この、自分を守ってくれるという大切な幼馴染を、いつか守れるようになろうと誓ったオルフェリスは、拳を強く握り締めた。
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