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フェアリー・ブレード  作者: 粟吹一夢
第八章 血塗られた永久の誓い
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第九十七話 イルダの覚悟

 ギルドとは、この大陸内に連絡網を張り巡らせている商工業者の組合のことだ。

 アルタス帝国が、この大陸全体を五百年もの間、平和裏に治めてくれたお陰で、商人達はその商売の範囲を大陸中に広めることができた。同時に、代金の支払い、資金の融資といった金の流れも大陸規模となり、多額の現金を持ち歩くことをせずとも決済ができる為替の制度が整備されている。

 商都カンディボーギルで大金を手に入れた俺達は、その街の香辛料商人ヘキトの協力でギルドに口座を持つことができて、その大金をそこに預けている。ヘキトに貸し付けた金の返済金と利息も着実に払い込まれていて、百ギルダーという大金を引き出すことも何ということもない。

 もっとも、金貨百枚はけっこうな重さになる。そこで、額面百ギルダーの小切手をギルドで切ってもらい、それを持って、俺とイルダは薬屋「満月堂」に戻った。

 その店頭には、まだ、多くの人がたむろしていたが、おそらく、さっき、店に乱入してきた男性のように、店が提示する売値の金は持っていないが、諦めきれずに、何とかマンドンゴラを入手したいと願っている人々だろう。

 イルダは、満月堂に入ると、額面百ギルダーの小切手を見せびらかしながら、店主を呼んだ。

 店の奥から醜く太った嫌らしい顔つきの男が手もみをしながら出て来た。

「これは、これは。マンドンゴラをお買い上げいただき、ありがとうございます。店員からも説明があったと思いますが、マンドンゴラは、砂漠地帯でしか採れない貴重な薬草である上に、現在、大変品薄になっておりまして、この値段でもまったく儲けが出ないんでございますよ。はい」

「以前、私は、砂漠の国で実際にマンドンゴラを買ったことがございます。その時は、それよりも多い量で四ギルダーほどでした。それが二十五倍以上の値段になるとは納得いきません」

 愛想笑いを続ける店主に向けて、イルダが険しい顔をして言った。

「お客様、そもそもの採集量が減少している上に、現在の治安のよろしくない中を、遠く砂漠の国から運んだのでございます。それくらいの値上がりは当然でございますよ」

「そうですね。自分達が仕入れた商品をどれだけの値段で売るのかは、その商人の自由ですね」

「そうでございますとも」

「でも、その商品を欲している人がこんなにたくさんいて、しかも、それがないと命を落とすかもしれないというのに、平気な顔をしてお客様を追い払うなんて、商人というより人としてどうなのですか?」

 店主の顔が今までのエビス顔から真顔になった。

「お客様、マンドンゴラは私どもが独占している訳ではございませんよ。うちの値段で買えないのなら他の店に行っていただければ良いだけの話でございます」

「店先にいる方々の様子から言って、この街の薬屋は、みんな同じ値段で売っているのでしょう?」

「さあ? 他の店のことまでは分かりませんねえ」

 イルダがぎゅっと拳を握ったのが見えた。

「満月堂さん、ここにある百ギルダーの小切手で、この店にあるマンドンゴラを全部売っていただけませんか? 十分な対価だと思います」

「何、冗談を言われているんですか? それに十分な対価かどうかは、私どもが決めることです」

 突然、イルダが膝を折った。そして、床に正座すると、「このとおり、お願いいたします」と言い、手と頭を床に付けた。

「イ、 イルダ!」

 俺が、イルダの肩を持って、顔を上げさせようとしたが、イルダは頑として頭を上げなかった。

「そんなことをされても迷惑です。買われないのなら、お引き取りください」

 店主は、イルダが土下座しても、何とも思っていないようだった。

 今は流浪の身ではあるが、イルダはアルタス帝国の皇女様だ。身分を明かしていないのだから、その頭を下げさせることにどれだけ大きな意味があるのか、この店主が分からないのは仕方がないが、それにしても、若い娘がこれだけ必死に頭を下げているのに、その気持ちが分からない店主に、さすがの俺もぶち切れた。

「てめえ! それでも人間か?」

「あんたに、てめえ呼ばわりされる憶えはない」

 店主がパンパンと手を叩くと、店の奥から、先ほど薬を分けてほしいという男性を店からつまみ出した人相が悪い大男が出て来た。

「このお客様がお帰りいただくのを手伝ってあげなさい」

 大男が指をボキボキと鳴らしながら俺に近づいて来た。

「お客様のお帰り~」

 考えることが苦手のような大男が俺の胸ぐらを掴んだ。

「まだ、俺達は帰らねえよ!」

 俺の右ストレートパンチが大男の顔面を直撃した。大男は俺を掴んでいた手を離して、数歩、後ろによろけた。

「痛いじゃねえかよ~」

 大男の顔面は赤くなっていたが、それほどダメージは受けていないようだった。

「大人しく外に出ろよ~」

 大男が再び、俺の胸ぐらを掴もうと迫って来た。

 さすがに、この大男相手に格闘技では敵わないと判断して、俺は咄嗟に背中のカレドヴルフを抜いた。

 店員どもが「きゃー」という悲鳴を上げて、店の奥に引っ込んで行った。大男も素手で剣には対抗できないことは分かっているようで、足を止めた。

「アルス殿! 騒ぐと話がややこしくなります!」

 いつの間にか立ち上がっていたイルダが、俺の腕を取った。

「イルダの方がもっと腹を立てているんじゃないのか?」

「それはそうですけど、マンドンゴラを分けていただけなければ意味がありません!」

 俺は怒りに任せて抜いた剣を振り回すことも鞘に収めることもできず、怒りに打ち震えるしかなかった。

「何事だ?」

 緊迫した店内に、冷静な女性の声が響いた。

 振り向くと、昨日、マゾルドの街の城門にいた魔法士ウィザードのネルフィが立っていた。

 この街の護衛兵らしき兵士を二名引き連れたネルフィは、ゆっくりと店内に入って来た。

「これはネルフィ様! 良いところに! この二人が店内で乱暴を働いて、商品のマンドンゴラを強奪しようとしたのでございます!」

 店主の話を聞きながら、ネルフィの目は俺とイルダを見つめた。

「昨日、マゾルドの街に入った旅の者だな?」

 ネルフィは俺達のことを憶えていたようだ。

 いや、リゼルの話では、むしろ、俺達のことを知っている可能性が高い。

「はい。実は、一緒に旅をしている子供が黒熱病になってしまったのですが、マゾルドの街にはマンドンゴラはないと言われて、このキリューの街まで来ているところでございます」

 イルダが丁寧に事情を説明した。

「それで、その価格の高さに驚き、暴れていたということか?」

「ネルフィ殿、あなたは、この店の前にたむろしている方々を見て、何も感じませんか?」

「……どういう意味ですかな?」

「ホランド公爵家は、領主としての、いえ、人としての誇りすら忘れてしまったのでしょうか? ということです!」

 ……それ、皇女様の物言いだぞ。

 ネルフィは、じっとイルダを見つめていたが、ふいに「ふふっ」と思わず微笑んだ。

「帝国のまこと、未だ死なずか」

 独り言のように呟いたネルフィは、満月堂の店主に顔を向けた。

「百ギルダーで、今、ここにいる者みんなにマンドンゴラを売れ」

 味方と思っていたネルフィの突然の寝返りに、店主も一瞬、呆然としていたが、すぐに真顔に戻った。

「いくら、ネルフィ様とはいえ、商いのことには、口出しは止めていただきたいですな!」

「これは商いの話ではない。住民の幸福を追求するのが領主の務め。その領主の務めを邪魔立てするつもりか?」

「め、滅相もない!」

 ネルフィが腰に帯びている剣の柄に手を掛けながらすごむと、店主も顔を青ざめた。

「何も只で差し出せと言っている訳ではない。このお嬢さんが出すという百ギルダーで売れと言っている。それで、この店に損失が出るというのなら、それを証明するものを持って、公爵家に来い。公爵家が補填してやる」

 店主は黙り込んでしまった。そんな証明書が出せるはずがない。



 イルダが差し出した小切手を受け取った店主は、イルダの他、店の前にたむろしていた者全員にマンドンゴラを一束ずつ渡した。

「ネルフィ様! このお礼は必ずお返しします!」

 先ほど、店からつまみ出された男性が涙を流しながら、ネルフィに頭を下げた。

「誤解をするな。私は、公爵閣下に代わり、満月堂が正しい商いをするための助言をしただけだ。お金を出していただいたのは、このお嬢さんだ」

 ネルフィのその言葉で、イルダの周りに感謝の気持ちを伝える人々が溢れた。

「このお返しはどうすれば?」

「お返しは不要です」

「そういう訳にはいきません!」

 マンドンゴラを受け取ることができた人々も引き下がらなかった。

 満月堂の付けた値段は法外だが、マンドンゴラは砂漠地方でしか採れない貴重な薬草であることは違いない。それを只でもらうのは、さすがに気が引けたのだろう。

 しかし、マンドンゴラを手に入れたイルダの関心事は、今すぐ、これを持って、マゾルドの街に戻ることだ。

「みんな、その方も黒熱病で苦しんでいる人の元に、マンドンゴラを一刻も早く届けたいのだ。みんなもそうだろう? とりあえず、その方を解放してあげなさい」

 ネルフィの言葉で、マンドンゴラを待っている家族の顔が浮かんだのだろう。イルダを取り囲んでいた者達は、あっという間に霧散した。

 それを見て、イルダがネルフィの前に立ち、丁寧にお辞儀をした。

「確か、マゾルドの街の城門にいらっしゃった方かと存じますが?」

「これは失礼。正式に名乗ってなかったですな。ホランド公爵家に仕えております、ネルフィと申します」

 ネルフィも胸に手をやり、頭を下げた。

「この度は助けていただき、ありがとうございました」

「いえ、マンドンゴラの価格を薬屋同士が談合をして不当につり上げているという苦情も上がって来たものですから、その調査がてら満月堂に来たら、あなた方がいらっしゃったのです。失礼ながら、外から話を聞かせていただいていました。満月堂の不正を確認できたことから、領主になりかわり命令をしただけのこと」

「でも、本当に助かりました。もっとお礼の言葉を述べたいところですが、マゾルドの街でこれを待っている者がおります。申し訳ないですが、これにて失礼させていただきます」

「もう夜になりますよ。これから帰られるのですか?」

「はい! のんびりとしておれませんので」

「そうですか。まあ、そちらの護衛さんが付いていれば、夜の道中も心配いりますまい」

「はい。では、失礼いたします」

 最後にまた、ネルフィに頭を下げたイルダとともに、満月堂の前につないでいる馬に向かって踵を返した。

「ああ、そうそう。リゼルによろしくお伝えください」

 俺達の背中に、ネルフィが投げ掛けてきた。

 こいつ! やはり、イルダの正体も知っている!

 だったら、なぜ、イルダを捕らえようとしない?

 ホランド公爵家は、今の帝国に臣従している。そして、ザルツェールにより、イルダを生きて捕らえよという命令もされている。

 それなのになぜ?

「分かりました。お伝えしておきます」

 立ち止まり、ネルフィの方に向き直ったイルダが冷静に答えた。

 それに笑顔で答えたネルフィに軽く会釈をして、再び、イルダは踵を返した。

「アルス殿、急ぎましょう」

 いろいろと考えていて、歩く速度が遅くなっていた俺をイルダが急かした。



 その後、何事もなく、城門を出ることができた俺達は、マゾルドの街に向けて、夜通し、馬で駆けた。

 もしかすると、ネルフィから命令された兵士が追って来るかもと考えたが、杞憂だった。

 途中、馬賊らしき集団が襲って来たが、ジュール伯爵家の軍馬にムチを入れると、あっという間に馬賊の連中を置き去りにして駆け抜けた。

 マゾルドの街に着いた時には、空が白んでいた。

 昨日、マンドンゴラをキリューの街に買いに出て行くと言って城門をくぐった俺達のことは、昨日の門番から引き継ぎを受けていたようで、すぐに入城することができた。

 そして、まだ、夜が明けきってなく、人通りもほとんどないマゾルドの街を、一目散にジュール伯爵家まで駆けた。



 朝には、執事のカノーが呼んでくれた医者が駆けつけてくれて、マンドンゴラの葉をすり潰したものを白湯に溶かした薬を調合してくれた。

 それを、子供リーシェが横になっているベッドに座ったイルダが、リーシェの頭を自分のふとももの上に載せて、薬を子供リーシェにスプーンで飲ませた。

 さすがの俺も、一睡もせずに、ずっと馬を走らせていて、腰はもちろん、体中のあちこちが痛かった。イルダだって、相当、体が辛いはずだが、まったく、そんな様子は見せなかった。

 子供リーシェを見つめるイルダの眼差しは慈愛に溢れ、まるで我が子の面倒を見る母親のようだ。

 そして、土下座までしてマンドンゴラを分けてくれと頼んだイルダの姿が脳裏に蘇る。

 しかし、リーシェはイルダの命を狙っている魔王様だ。この先、イルダがリーシェに命を奪われようと、逆に、リーシェがイルダに討ち取られたとしても、いずれにしても、二人にとって残酷な運命が待ち受けていることは間違いない。

 弱々しくであるが、目を開けた子供リーシェに、イルダが久しぶりの笑顔を見せた。俺は、今の状態がこのまましばらく続いてほしいと切実に願った。


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