第九十三話 魔王様の要求
「ルシャーヌとは、小さな頃、一緒に首都に出されて、私達は皇室の宮殿で育ちました。その頃から将来は一緒になろうと誓った仲でした」
エリアンが、自分とルシャーヌのことを、俺達に説明するように話した。
「私もお姉様とお二人が楽しそうに遊んでいるところを見て、いつも羨ましかったです」
イルダが懐かしげな笑顔をエリアンに向けた。
「あの頃に戻ることができたら、どれだけ良いだろうと、いつも思います」
「そうですね。エリアン殿のお話だと、ルシャーヌさんとの縁談は?」
「ええ、破談になりました。まあ、当然といえば当然です。今の帝国に楯突いた我が伯爵家は取り潰しになってもおかしくはなかったのですからね。しかし、ホランド公爵家の取りなしでその監視下に置かれるという条件で存続を認められました」
「それは、もしかして、ルシャーヌさんのご意向でそうなったのでしょうか?」
「分かりません。でも、そんな気はします」
「お会いすることもできていないのですか?」
「ええ。私は、この街から外に出ることを許されていません。女性のルシャーヌは、なおさら、キリューの街から出ることはできないでしょう」
しばらく、考え込んでいたイルダが、何かを決意したかのように顔を上げると、真っ直ぐにエリアンを見た。
「エリアン殿! ホランド公爵家に、ルシャーヌさんのお輿入れを申し入れてみてはいかがですか? ホランド公爵家との関係を更に密にし、公爵家と袂を分かつことはしないという証にもなりますから、ルシャーヌさんのお気持ちが変わっていないのなら、ホランド公爵も許してくれるのではないでしょうか?」
「それは……、ルシャーヌを不幸にしてしまう気がします」
その言葉は、エリアンがこれからも親アルタス帝国の姿勢を崩さないということの現れだろう。
「本当にそうでしょうか? エリアン殿と一緒になれない方が不幸かもしれませんよ」
「それは何とも。ルシャーヌとは、大戦以降、まったく会っていませんから」
「では、もし、ルシャーヌさんが今もエリアン殿との婚姻を望まれているのなら、エリアン殿はルシャーヌさんを迎え入れるお気持ちはありますか?」
「あります! 私個人としての気持ちは、ずっと変わっていません」
「その言葉を聞いて、私も安心しました。では、私がルシャーヌさんのお気持ちを確認してまいります」
「はあ? イ、イルダ様、どうなさるおつもりですか?」
「このアルス殿にできないことはないのです。アルス殿と一緒に、私がキリューの街に行き、ルシャーヌさんと会ってまいります」
キラキラと輝く瞳で俺を見つめるのは良いが、無茶なことは言わないでくれよ。
イルダの身の安全のため、俺達一行は、そのまま、ジュール伯爵家で世話になることになり、明日、俺とリゼル、そしてダンガのおっさんが宿屋に戻り、自分達の荷物を取ってくることにした。
エマは、ご馳走をたらふく食べて満足したようだ。とりあえず、この良き領主であるジュール伯爵家からは金を盗むなと言い含めると、別の獲物を探してくると言って、伯爵家から出て行った。もちろん、こっそりとだ。
明日には、また一人人数が減っていることになり、伯爵家の執事カノーが混乱することだろう。
そして、イルダの寝室に当てられた部屋の控えの間に、俺とリゼルが呼ばれていた。
「アルス殿! 私は、どうしても、キリューの街に行きたいのです」
「おいおい! 行ける当てもないのに、エリアンに大見得を切ったのかよ?」
「でも、どうしても行きたかったんです。何とかなりませんか?」
くそ! イルダに上目遣いでねだられて、落ちない男なんているはずがない!
俺も一発で撃沈された。
「そうだなあ。街に入ることはできても、公爵家に忍び込むのは難しいかもな」
「エマさんにお頼みするのはいかがでしょう?」
「そりゃあ、エマ一人だと何てことはないだろうが、泥棒とは無縁のイルダや俺が一緒だと難しいんじゃないのか?」
「やっぱり、そうでしょうか?」
イルダが肩を落として、目線を下げた。
しかし、手段はある!
リーシェやコロンの転移魔法だと、一瞬のうちに公爵家に入ることができる。しかし、問題は、リーシェやコロンの封印を解くためには、イルダが眠っている必要があるということだ。せっかく、公爵家に忍び込めても、肝心のイルダが眠っていたら意味がない。
だが、それも小一時間の間だけだ。
だから、転移魔法でホランド公爵家に入る時に、イルダに眠ってもらって、イルダが目覚めてから用事が終われば、また、イルダに眠ってもらうということにすれば良い。
手間と時間が掛かるが、一番、安全といえば安全な方法だ。
俺は、イルダの隣で大人しく絵本を読んでいる子供リーシェに向けて、「コホン」とわざとらしく咳をして、用事があることを伝えた。
その日の夜。
領主としてエリアンが一人で住んでいるジュール伯爵家の宮殿は、部屋が有り余っているようで、一人一人にあてがわれた部屋のベッドは高級な宿屋のベッドよりもふかふかで、俺も横になると一瞬のうちに寝入っていた。
そして、横向きに寝ている俺の背中に感じたお約束の感触で目が覚めた。
「何じゃ、アルス? わらわを呼び出すとは、偉くなったものじゃのう」
「お前は、俺の都合も考えずに、いつも勝手に来てるじゃねえかよ」
「魔王様に何て口をきいてるんだぁー!」
「ぐはっ!」
突然、犬耳幼女姿のコロンが俺の上の空間に現れて、そのまま俺の横腹に落下した。
「お、お前……、死ぬかと思ったぞ!」
一瞬、呼吸が止まった俺が、コロンをつまんで放り投げたが、コロンは空中で綺麗に三回転半して、音もなく床に着地した。
「魔王様に無礼を働いた罰だぉ!」
「うい奴じゃのう。コロンよ、参れ!」
コロンは尻尾を思い切り振りながら、ベッドの上であぐらをかいて座ったリーシェの胸に飛び込んで行った。
「魔王様~」
頭、顎、尻尾を撫でられて、うっとりとしているコロンを抱いているリーシェに向き合うように、俺もベッドの上であぐらをかいた。
「ところで、リーシェに頼みがある。いや、頼み自体は簡単なので、コロンでも良い」
「何じゃ? 申してみよ」
俺は、キリューの街の領主ホランド公爵家に転移魔法で忍び込んで、また、帰りも転移魔法でここに戻るという計画を話した。
「何じゃ、それは! わらわ達を馬車馬のようにこき使うつもりか?」
「こき使ってはないだろ! ただ、転移魔法で運んでくれるだけの仕事だ」
「しかし、イルダを一旦、目覚めさせて、また、眠らせるのじゃろう?」
「ああ、おやすみ薬の連続使用は控えた方が良いのか?」
「いや、特に問題はないはずじゃ」
「だったら、このとおりだ! イルダの願いを叶えてやりたいんだ」
俺は座ったままで、リーシェに頭を下げた。
「わらわも聞いておったが、エリアンとかいう、ここの当主の願いをきいてあげているようではあるが、結局、イルダ自身が自己満足をしたいだけのように思えたぞ」
「それはそうかもしれない。しかし、イルダ自身のためにするんじゃない。イルダは、いつも他人の幸せを願っているんだ。それは、いつも一緒にいるリーシェだって、分かっているだろう?」
「そうじゃの。人族にすれば、珍しいほど、欲というものを持たぬの、イルダは」
「そうだろう? それに、いつもイルダの世話になっているのは、リーシェじゃねえか。その恩返しにもなるだろ?」
「相変わらず、口が上手いのう」
「承知してくれるのか?」
リーシェの顔がほころんだので、願いを叶えてくれるかと思ったが、リーシェはすぐに醒めた顔になった。
「嫌じゃ」
「な、なんでだよ?」
「わらわには何の得にならぬではないか」
「魔王様がそんなみみっちいことを言うなよ」
「嫌じゃったら嫌じゃ! アルスが、また、イルダから好かれるだけではないか!」
「はあ? 妬いてんのか?」
「違うわい! 人族と一緒にするな!」
いや、どう考えても妬いてるんだろ、それ?
「分かったよ、じゃあ、お前の頼みを何でも一つきいてやる。それでどうだ?」
「何でもか?」
「何でもだ」
「その言葉に二言はないの?」
「……ない」
次の日の朝。
エリアンは領内の雑務があるとかで、俺達が食堂に行った時には、既に外出していた。
貴族というのは、面倒くさいことは家来に任せて、自分は昼間から酒や女にうつつを抜かしていたら務まると思っていたが、イルダやエリアンにはその考えは通じないようだ。
朝食を食い終わって、各自が部屋に戻ると、俺は、すぐにイルダの部屋まで行き、ドアをノックした。
「アルス殿。どうされたのですか?」
「ちょっと、入れてもらっても良いか?」
「えっ、あ、あの、はい」
イルダが少し照れながら、ドアを引いて、俺を部屋に入れてくれた。
エリアンの将来の伴侶たる伯爵夫人の部屋に使う予定の部屋だろうか? かなり豪華な部屋だった。
部屋の中では、きちんとソファに座り、伯爵家所蔵の絵本を借りて読んでいる子供リーシェと、朝飯を食って満足したかのように丸くなって寝ている子犬のコロンがいた。
イルダが子供リーシェの隣に座ると、俺はその対面のソファに座った。
「早速だが、昨日の夜、魔法士のリーシェに会ったんだ」
「そうなのですか。アルス殿は、本当に、魔法士のリーシェさんと親しいのですね」
心なしか、イルダが怒っているような気がした。
「い、いや、親しいというか、お互い、ビジネス上の有能なパートナーという間柄さ」
今度は、子供リーシェが絵本から顔を上げて、無表情ながら、何となく怒りに燃えているような瞳で俺を見つめた。
何て居心地が悪い空間なんだ。俺は早く話を進めようとした。
「と、とにかく、リーシェにキリューの街に行って、ホランド公爵家に忍び込むことはできないかと相談をしたら、協力してくれることになったんだ」
「本当ですか?」
イルダが途端に笑顔になった。やっぱり、イルダには笑顔が一番似合っている。
「ああ、転移魔法といって、一瞬のうちに別の場所に行くことができる魔法があるだが、それで俺とイルダを公爵家まで飛ばしてくれることになったんだ」
「さすが、リーシェさんです! 早く行きたいです!」
「今からでも良いか?」
「今からですか? でも、魔法士のリーシェさんは?」
「呼べば、すぐに来る。しかし、一つ問題があるんだ」
「どんなことでしょう?」
「転移魔法は、その魔法を掛ける魔法士以外の者も一緒に飛ばすことはできるんだが、当然のことながら、魔法の修行をしていない者には、けっこうな負担が体に掛かるらしい」
「それはそうでしょうね」
今まで転移魔法で飛ばされたことのないイルダが、俺の適当な説明に納得してくれた。
「ああ、だから、その負担を極力減らすために、転移魔法で飛ぶ間、眠っていてほしいと言われているんだ」
「眠っている間に飛ばしていただけるんですね?」
「そういうことだ」
「でも、眠ると言われても、すぐには」
「いや、リーシェから眠り薬を渡されている。それはすぐに効いて、小一時間、眠ってしまうが、その間にリーシェが転移して飛ばしてくれる手はずになっている。そして、イルダが目的を達した後も同じように眠ってもらい、ここに戻る。少し時間が掛かるが、どうだ?」
「ルシャーヌさんと会えるのであれば、仕方がありません。それで、魔法士のリーシェさんにお願いしてください」
「よし、じゃあ、早速、イルダには眠ってもらうから、目を閉じてくれ」
「はい」
イルダは、素直に目を閉じた。
「イルダ」
俺に呼ばれて、イルダは片目を開けた。
「何ですか?」
「そんなに俺を信頼していて良いのか?」
「アルス殿は、私が目を閉じている間に、私の信頼を壊すようなことをするつもりだったのですか?」
「する訳ないだろ!」
「そうですよね。でも、ちょっと期待してました」
「えっ?」
「ふふふ、冗談です」
「……じゃあ、眠らせるぞ」
「はい」
イルダは姿勢を正してソファに座り直すと、再び目を閉じた。
俺はベルトのポーチから「おやすみ薬」を取り出すと、蓋を開け、イルダの鼻先で数回揺らした。
効果はてきめんで、イルダはすぐにソファに倒れ込んだ。それと同時に、子供リーシェが立ち上がると、体が光り始めて、その光が収まると、そこには大人リーシェが立っていた。
大人リーシェが、床で丸まって暢気に眠っている子犬のコロンのお腹をくすぐると、犬耳幼女の姿に変わった。
「いつまで寝ておる! これから、わらわとアルスとの大切なことが始まるのじゃぞ!」
イルダをお姫様抱っこした俺の背中に、大人リーシェが抱きつくようにして転移をすると、そこは豪華な装飾品で埋め尽くされた部屋の中だった。
「ここは?」
「分からぬが、応接室のようじゃの。いつもは使われていない部屋のようじゃ」
リーシェの読みどおりだろう。
部屋は、カーテンが締められて薄暗かった。しかし、部屋の調度品に刻まれた、獅子に月の紋章が、ここがホランド公爵家の宮殿であることを明らかにしてくれていた。
「ここで良かろう。コロンよ、そなたは、ここでイルダとともに、わらわ達が戻ってくるまで留守番をするのじゃ」
「え~、おいらは留守番ですかぁ?」
「そうじゃ。誰か人が来れば、イルダとともにどこかに隠れるのじゃぞ」
「魔王様~、留守番なんて寂しいですよぉ~」
「何か土産を買ってきてやる」
「本当ですかあ?」
土産で釣られるとは単純な奴だ。
「うむ。では、アルスと出掛けてくるからの」
リーシェはそう言うと、俺の手を握った。
次の瞬間、俺はまた転移をした。




