第九十一話 赤い目の魔法士
ほぼ円形をしているこの大陸を南北に分ける中心線を北に少し上った所にある帝国直轄領サリウムの街を出て、更に北に向かうと、次第に見慣れた風景になってきた。
見慣れた風景というのは、首都がある大陸の北部周辺の風景に似ているという意味だ。
こうやって、歩いていても、それほど汗をかかない程度に涼しい気候で、俺達が歩いている街道の周辺の森や林に生い茂る樹木にも針葉樹が混じってきていた。
先頭に俺、俺の頭上にナーシャ、俺の後ろには名馬フェアードの手綱を握ったダンガのおっさん、馬上にはイルダと子供リーシェ、リーシェが抱えている抱っこ紐の中には子犬のコロン、しんがりにはリゼルといういつもの順番で歩く街道では、今までよりも多くの人や馬車とすれ違った。こんなことからも、俺達が首都に近づいてきていることが分かる。
もっとも、大陸の北に向けて流れる大河沿いにある首都は、まだまだ遠く、今、俺達がいる場所からだと、馬で終日駆けても十五日は掛かる。夜は街の宿屋に泊まり、日が明るい時だけに今と同じペースで歩いていると、三十日以上は掛かるだろう。
今、俺達が向かっているのは、ジュール伯爵家が支配しているマゾルドという街だ。
ダンガのおっさんの説明によると、そのジュール伯爵家は、三代前に皇室から別れた貴族で、先の大戦でもアルタス帝国側に立って、今の帝国側の勢力と争ったらしい。
「しかし、よく取り潰しにならなかったな?」
俺は、ダンガのおっさんに素朴な疑問を投げ掛けた。
アルタス皇室も、皇帝と皇后、そして帝位継承権を持つ三人の皇子が全員処刑されているし、アルタス帝国側についていた多くの貴族がその領地を奪われている。
「もちろん、ジュール伯爵家もそうなる可能性が高かったが、当時の当主が自らの首を差し出し、その夫人も進んで人質になり、何とか存亡の危機から抜け出したようだ」
「マゾルドの近くにキリューという街もあるのですが、そこの領主であるホランド公爵家が嘆願をして受け入れられたのです」
イルダが馬上から補足をした。
「ジュール伯爵家とホランド公爵家ってのは、深いつきあいがあったのか?」
「ええ、どちらも皇室から別れた貴族ですし、ジュール伯爵家の次期当主とホランド公爵家の令嬢は許嫁という仲でした」
「詳しいんだな?」
「二人とも私の幼馴染みでしたから」
「そうなのか?」
「はい。ジュール伯爵家嫡男のエリアン殿と、ホランド公爵家の令嬢ルシャーヌさんは、ともに幼少期に首都の宮殿に招かれて、お姉様の遊び相手になってくれていたのです」
イルダは「遊び相手」とか「幼馴染み」とか言っているが、きっと、二人は体の良い人質だったんだろう。
「お二人とも私より少し年長で、ちょうど、お姉様と同じくらいでしたが、お二人には私もよく遊んでいただきました」
イルダの脳裏には、その頃の懐かしい記憶が蘇っているのだろう。自然と表情がほころんでいた。
「しかし、助命嘆願ができたということは、ホランド公爵家は今の帝国側に着いていたんだな?」
「はい。エリアン殿とルシャーヌさんは敵味方になってしまったのです」
「それでも許嫁のことが忘れられない、ホランド公爵家の令嬢が、自分の許嫁の助命を父親を通じて行ったってことか?」
「きっと、そうだと思います。戦後、ジュール伯爵家は、エリアン殿が当主に就いたのですが、軍備にも厳しい制限が掛けられ、ホランド公爵家の監視下に置かれていると聞いてます」
「監視下に置かれているということは、ジュール伯爵家は、まだ、完全に今の帝国に臣従している訳じゃないということだな?」
「表面上は、臣従をしているはずです。そうしないと、すぐに伯爵家は取り潰しになるはずですから」
「でも、陰でいろいろとしていると疑われているんだろう?」
「おそらく、そうだと思います」
「なるほどな。それで、そのイルダの幼馴染みの二人は想いを遂げることができたのか?」
「そこまでは、私も聞いていません。エリアン殿に会って、直に訊いてみようと思います」
ジュール伯爵家の現在の当主であるエリアンが路線変更をしていないとすれば、今も親アルタス帝国派のはずだ。つまり、アルタス帝国復興を目指すイルダの味方ということだ。そのエリアンと会って、今後の方針について打ち合わせをしておくことは重要なことだ。もっとも、今のイルダの話からすると、懐かしい話も併せてしたいのだろう。
マゾルドの街の城壁が見えてきた。
さすがに元皇族が治めている街だ。一般的な貴族領の街よりはひと回り大きい。
城門が見えてきた。
門番の兵士が十人ほど見えた。門番とすれば多い人数だ。しかし、よく見ると、その門番が来ている外套には二種類あった。
「あの、獅子に百合の花の紋章はジュール伯爵家のものじゃが、獅子に月の紋章はホランド公爵家のものじゃな」
「ホランド公爵家も、この街に出入りしている者をチェックしているということか?」
「そうじゃろうの」
「そうすると、俺達をすんなりと入れてくれるかな?」
ホランド公爵家は今の帝国側の貴族だ。イルダがアルタス帝国第二皇女だと分かると捕らえようとするだろう。イルダは目だけが出ているベールをかぶった。
「イルダ。そのベールを取れと言われると、また、『顔に火傷が』と言うつもりか?」
「はい」
「ベールをかぶっている方がむしろ怪しまれる。ここは一つ、ベールをかぶらずに行ってみないか?」
実際に、前回訪れたサリウムではベールをかぶっていて、かえって怪しまれた。
「いや、危険だ。あのホランド公爵家の兵士達は、ジュール伯爵家にアルタス帝国の関係者が接触しないようにと見張っているのだ。イルダ様の顔を知っている者がいる可能性がある」
慎重派のリゼルが反論をした。
しかし、イルダはすぐにベールを取った。
「リゼルの言うことももっともですけど、今回はベールをかぶらないことにします。でも、それはアルス殿の意見に従ったというよりも、今も親アルタス帝国の姿勢を貫いてくれているはずのエリアン殿への感謝の気持ちからです」
「御意!」
イルダの心意気にリゼルも感服したのだろう。それ以上の反論はしなかった。
間もなく、城門に着いた。
イルダは、首都で両親と離ればなれになった商人の娘イリスという公式プロフィールを述べた。
イルダの顔を知っている門番はいなかったようだが、まあ、俺とか俺とか俺とかは怪しいと思われても仕方がないと自覚している。
しかも、オッドアイのリゼルは見るからに魔法士だし、鎧をまとい、槍を持ったダンガのおっさんも見るからに騎士だ。その上、あまりお目にかかれない旅をする小妖精もいるという、門番の連中が一生で一度、見ることができるかどうかという珍しい取り合わせの一行だ。
いろいろと質問をされたが、全員、裕福な商人の娘であるイリスことイルダに雇われた用心棒ということを説明した。
そして、子供リーシェ。
「私の親戚の娘で、妹のように可愛がっています」
馬上で、イルダがリーシェを抱きしめながら、門番に告げた。
子供リーシェは、見た目、女の子にしか見えないんだから、正直に男の子ですとしゃべる必要はないだろう。
ジュール伯爵家の門番達は、特に怪しいところはないと判断したのか、俺達から離れていったが、ホランド公爵家の門番二人が俺達の近くに残り、イルダに対して、両親の名前や首都にあったという店の名前、先の大戦が終わってから半年の間、どこを旅してきたのかを、しつこいくらいに訊いた。
「おい! 俺のご主人様のどこが怪しいってんだよ? こんな小さな女の子に何ができるってんだ?」
「アルタス帝国の二人の皇女の行方が未だ知れておらぬ! この娘がそうではないとは言い切れないのでな」
旅をし始めて、初めて皇女ではないかとの疑いを持たれた。
イルダやみんなもできるだけ冷静を装っていたが、お互いに視線を小刻みに交わし合っていて、少し動揺しているのが分かった。
「俺はよく分からないが、皇女様ってのは皇帝にはなれないんだろ? そんな人を必死になって探す必要があるのか?」
「首都からの達しがあったのだ。皇女が生きていることが明らかになったとのことで、必ず生きて捕らえろとな」
俺の頭にザルツェールの顔が浮かんだ。
前アルタス皇帝の実弟であるマインズ公爵家の嫡男。イルダの従兄弟で、しかも、かつての許嫁だった奴だが、商都カンディボーギルで、イルダはザルツェールと会っている。
アルタス帝国の皇女が生きているとの情報を流せるのは、ザルツェールしかいない。
「ここでは何だ。街の憲兵隊舎まで来てもらおう」
ここはジュール伯爵家の領地である街なのだが、ホランド公爵家の監視下に置かれている。しかし、このホランド公爵家の兵士らの態度を見る限り、ホランド公爵家の支配下に置かれていると言っても良いのではないだろうか。
「待て!」
俺もどう言い逃れをしようかと思っていると、凛々しい感じの女性の声がした。
声の主を見ると、スタイルが良い女性が姿勢良く立っていた。
少しウェーブが掛かった黒く長い髪、白い肌にリゼルと同じ黒ローブをまとっているが、その下には簡単な鎧を着込んでいる。
なかなかに美しいその女性の目は赤く、彼女が魔法士であることを示していた。
俺の背後で、リゼルが息を飲むのが聞こえた。兵士達にまでは届いていないようだが、イルダには聞こえたようで、心配そうな顔をしてリゼルを見ていた。
「これは、ネルフィ殿。このような所で何を?」
ホランド公爵家の兵士も姿勢を正して、「ネルフィ」と呼んだ、その魔法士に敬礼をした。
「入城を待っている者で城門が混雑しているぞ。早く通してやれ」
「ははっ! こやつめらの審査に少し時間が掛かってしまいましたが、これから憲兵隊舎に連行して取り調べを行うことにしておりますので、入城審査の滞りはまもなく解消するはずでございます」
兵士の言葉を受けて、ネルフィは俺達をジロジロと見渡した。リゼルの所で、一瞬、目の動きが止まった気がしたが、結局、何事もないかのように門番の兵士に話をした。
「逃げ回っている皇女が、足手まといになるそんな小さな子供を連れているはずがないではないか。即刻、解放してやれ」
「いや、しかし」
「ジュール伯爵家の監視の責任者は私だ! その私が良いと言っているのが聞こえなかったのか?」
「も、申し訳ありません! おい! 行け!」
ホランド公爵家の兵士二人は、ネルフィに頭を下げると、態度をクルッと変えて、俺達を入城審査から解放してくれた。
俺達は、ホッと安堵の息を吐いて、城門をくぐり、マゾルドの街に入って行った。
城門から少し離れた所まで来ると、俺はリゼルに尋ねた。
「さっきのネルフィとかいう魔法士は知り合いなのか?」
「同じ師匠に教わっていた兄弟弟子だ」
「じゃあ、リゼルの顔を知っていたはずだな?」
「ああ。そして、私がイルダ様とともに宮殿を落ち延びたことも」
「それでも、知らないフリをしてくれたってことは、俺達を見逃してくれたということか?」
「きっと、そうだろう」
何か釈然としない表情のリゼルに、さらに俺は訊いた。
「どうした? 何か気になることでもあるのか?」
「実は……」
リゼルが珍しく言い淀んだ。
「何だ? 言いづらいのなら別に良いが」
「い、いや、私の杞憂だと思うのだが」
リゼルは気まずい顔をしていた。
「私の兄弟弟子はその多くが皇室に仕官した。ファル姉さんもそうだし、私も。ネルフィも皇室への仕官を希望していたのだが、結果は不採用だったんだ。その時、けっこう、本人は荒れて、私やファル姉さんにも愚痴をこぼしたほどだった」
「しかし、それは魔法の実力とか、本人の資質とかを判断された上なんだろう?」
「そうだとは思うが、ネルフィは兄弟弟子の中でもトップクラスの実力だったから、私らも絶対に仕官できると思っていたし、本人もそのつもりだったはずだ。結局、最後まで本人は納得できずに、すぐに首都を出て行ったから、その後の消息は分からなくなっていた」
「ホランド公爵家もアルタス皇室とは血縁関係がある名家だ。そこに仕官できたんだから、よしとしないとな」
「そうだな。もう五年以上前のことだから、本人ももう気にしていないとは思うのだが」
「少なくとも、ネルフィは俺達を見逃してくれた。今の様子だと、重要な役職を任されているようだし、今はホランド公爵家に忠誠を誓っているのだろう」
ネルフィが仕官をしようとしてできなかったアルタス帝国は滅び、一方で、ホランド公爵家は、今の帝国に臣従して、かつてと変わらぬ栄華を誇っている。リゼルとネルフィの立場は先の大戦で逆転してしまったということだ。
俺はネルフィがどういう性格なのかは知らないが、流浪の身のリゼルを見て、心の中で溜飲を下げたのかもしれない。
「それで、これからどうするよ? エリアンという、ここの領主と連絡を取るのか?」
「先ほどの城門のやりとりから言って、尾行がついていないとは限りません。今日は大人しく宿屋に泊まりましょう」
「そうだな。それが賢明だろう」
一介の商人の娘が、いきなり、ジュール伯爵家の当主と会うこと自体が怪しい。頃合いを見計らってから接触を試みる方が良いだろう。
無事、宿屋にチェックインした後、俺とリゼルが街に出て、俺達が見張られていないかどうか、そして、街の様子を偵察することにした。
リゼルと二人で歩くのは久しぶりだ。リゼルも褐色の肌が滑らかに感じられる美女だし、何と言っても、イルダにはない肉体美を持っている。比肩できるのは、大人リーシェくらいだが、大人リーシェにはたまにしか会うことができないから、俺もよく、リゼルで目の保養をさせてもらっている。
もっとも、隣を歩くリゼルをジロジロと見つめるようなことはできないから、今は我慢だ。
俺達が進む先に人垣ができていた。
何かを取り囲んでいるように輪になっている連中は、口々に「やっちまえ!」とか「早くしろ!」とか囃し立てていた。
近くに行くと、そこは酒場の前の道路で、取り囲まれているのは、貧相な装備の戦士らしき男が二人だった。一人は剣を抜き、もう一人の筋骨隆々の男は素手で立ち向かっていた。その男達の赤い顔と、もつれている足元からすると、二人ともかなり酔っ払っているようだ。
「酔っ払いどもの喧嘩か。くだらん。行こう、アルス」
リゼルが興味なさそうに言った。
まあ、俺もそれほど興味はないが、一方は剣を抜いている。素手の男は格闘家のようだが、あれだけ酔っ払っていたら、剣を避け損ねることもあり得るだろう。
リゼルの言ったように、こんな「くだらん」ことで命を落とすこともあるまい。
俺は仲裁に入ろうと、人垣の中に入ろうとしたが、先に喧嘩をしている二人に近づいた奴がいた。
その男は、「私の街でむやみに血を流すことは許さないぞ!」と言って、二人の間に割って入った。
茶色の髪に白い肌、背も高く、この俺の次くらいにイケメンなその男は、なかなかに仕立ての良い服を着ていて、腰に帯びている剣も「鍛冶屋が良い仕事」をしている逸品のようだ。




