第九十話 剣士の本懐
「お父様! シャーリエね、ここが大好きなの」
「えっ?」
総督に抱きしめられながら、シャーリエは、早速、俺が頼んだことを総督に言ってくれるようだ。
「だって、ここだと、いっぱい駆けっこができるし、泥んこ遊びだってできるし、お友達もいっぱいいるもん」
「……」
「さっきね、アルシュから、お父様がここを壊そうとしているって聞いたの。本当なの?」
「そ、それは……」
俺は、心の中で「シャーリエ、頑張れ!」と声援を送った。
「タズリやお友達がいなくなるのは嫌だ! そんなことをするお父様は大嫌い!」
俺は、困り果てた顔の総督を見て、勝利を確信した。
「シャーリエが嫌だと言うことを私がする訳がないだろ! 心配しなくて良いよ。ここは壊さない」
「絶対に?」
「絶対にだ」
心の中でガッツポーズをした俺は、オルカと目が合った。その呆れたような顔で言いたいことは分かった。
「まったく! さすが知性派だ。悪知恵を発揮させることもかなり鍛えたようだな」
「人聞きが悪いぜ。子供の健全な育成を図るためという考えに素直に従えば、こうなるに決まってるだろ?」
「その上、口も上手いときてやがる」
俺は苦笑してオルカを見るしかなかった。
そして、シャーリエに視線を戻すと、今まで思い切り走り回っていて疲れたのか、また、父親がここを壊さないと約束してくれて安心したのか、総督の腕の中でうとうととしていた。
「シャーリエよ。そろそろ、お家に帰るか?」
既に船を漕いでいるのか、うなずいたのかも分からないほどに力が抜けたシャーリエを、総督はカリアに委ねた。
「そなたらは先に総督府に帰っておれ」
配下の兵士達に守られながら、シャーリエとカリアが見えなくなると、総督は俺の前に立った。その目は先ほどまでシャーリエを見ていた目とは変わり、憎しみに燃える目をしていた。
「先ほど、シャーリエをさらって行ったのは、そなただな?」
「ああ、そうだ」
「なぜ、このようなことをした?」
「シャーリエが望んだことだ」
「たとえそうだとしても、シャーリエをこのような所に連れて来るなど許されるものではない!」
「どうしてだよ? あんただって見ただろ? シャーリエの楽しそうな笑顔を。子供が喜ぶことをするなという方がおかしいだろ?」
「シャーリエは、まだ何も分からない小さな子供だ。ことの善し悪しもだ。そして、それを教えるのが我々大人の役目だ。シャーリエは貴族の娘だ。このような所に来ることなどあり得ないし、許されないことだ」
俺は、総督を正面から睨んだ。
「じゃあ、問おう! あんたはこの街の総督だよな?」
「そうだ」
「総督というのは、皇帝に代わって、帝国直轄領を治めることが仕事のはずじゃなかったのか?」
「そのとおりだ」
「だったら! その街の住民を等しく幸せにすることが、あんたの仕事じゃねえのか?」
「ふんっ! 政治のことを何も知らぬ剣士風情が抜かすな! 住民全員を幸せにするようなことをしてみろ! たちまち破綻するぞ! 与える幸せは住民によって様々にならざるを得ないのだ。多くの幸せを手にする者がいる一方で幸せを手にできない者もいる。それはやむを得ないことだ」
「もっともらしいことを言ってるが、あんたは、今、人としての尊厳すら奪おうとしているんだぞ。ここにいる連中は、好きでこんな状態になったんじゃねえ。働きたいのに仕事がないとか、病気で動けないとか、何かしらの理由があって、仕方なくここで暮らしているんだ。そんな弱い住民はそのまま死ねば良いという訳か?」
「何も死ねとは言っておらん! この街で面倒を見ることはできないというだけだ」
「それは、あんたが怠慢なだけだ!」
「何だと!」
総督が剣を抜いたのを見て、俺もカレドヴルフを抜き、総督の剣を叩き落とそうとした。しかし、カレドヴルフは別の剣で止められていた。
いつの間にか、オルカが俺と総督の間に立っていて、カレドヴルフを自分の剣で受け止めていた。
「アルス! 俺は総督府の護衛隊長だぞ。その俺の前で総督閣下に斬りつけるとは、良い度胸をしているな」
オルカが剣を払うと、俺はそれを流して、少し間合いを取った。
「オルカ! 邪魔をするな!」
「邪魔をさせてもらう。俺は政治のことは分からないが」
オルカはそのまま体を回転させて、総督に剣を向けた。
「嘘吐きは許すことはできない」
「な、何をする、オルカ?」
総督に剣を突きつけているオルカには、まったく隙がなかった。さすが、オルカだ。総督の配下の兵士達もまったく動くことができないようだった。
「あなたは、今、お嬢様に約束されたはずだ。ここは壊さないと」
「ああ言わないと、シャーリエが帰るとは言わないと考えたからだ」
「では、あの言葉は嘘だと?」
「方便というやつだ」
「あなたは、この街で一番偉い人だ。あなたの言葉はすべて命令になる人だ。ご自身の言葉の持つ重みということを考えたことがお有りか?」
「……」
「相手が子供であろうと、あなたが一度でも口にした言葉はご自身も守るべき重みがあるのですぞ」
「……」
「それに、お嬢様は、ここが壊されたと聞けば悲しまれるでしょうな。いや、それだけではない。きっと、あなたをお恨みになるでしょう」
「そ、そんなことが」
「ないとお思いか?」
オルカが総督に突きつけていた剣を下ろした。
取り囲んでいた配下の兵士がオルカに切り込もうと、少し間合いを縮めたが、「下がれ! 閣下との話はまだ終わっておらぬ!」とオルカが一喝すると、兵士達は体を動かすことができなくなったようだった。
それを確かめてから、オルカは、また、総督に顔を向けた。その顔はひどく穏やかな顔をしていた。
「私には子供がいません。強いて上げれば、ここにいるアルスが息子だったようなものだ。しかし、このアルスは、同年代の子供達と遊ばせたことがなく、戦いの中でずっと育てたからか、少しひん曲がった性格になってしまいました」
そのとおりだから、何も言い返せないじゃねえかよ!
「しかし、先ほど、お嬢様がここの子供達と遊んでいる時の眩しい笑顔を見て、私は、お嬢様が素直で純真な心を持ったまま、お育ちになられているのが分かりました。そんな素晴らしいお嬢様に悲しい思いをさせないでください」
総督は、オルカの視線を直視することができなかったのか、うなだれて「そうだな」と呟くことしかできなかった。
我が娘を取り戻すと、娘をこんな目に遭わせた俺に対する怒りが噴き出てきたのだろうが、シャーリエを抱きしめて話している時の表情や言葉が、この総督の本性なんだろう。
「では、先ほど、お嬢様と約束されたこと、しかと守っていただけますな?」
「……約束しよう」
総督のその言葉を聞くと、オルカは俺の顔を見てニヤリと笑った。そして、総督の方に向き直ると、ひざまずいて、剣を地面に置いた。
「総督閣下に剣を向けるなど、閣下を守るべき護衛隊長として、してはならないことをしてしまいました。重罪に値します。どうぞ、この剣で我が首、お刎ねください」
オルカは本気だ!
今の総督の態度から、絶対に自分を斬ることなどしないという、姑息な考えなど持ってはいない。それだけの覚悟が見える。
俺は、総督がオルカを斬る仕草を見せたら、その邪魔をするべく、カレドヴルフに手をやった。
しかし、総督は剣を構えなかった。
「首を刎ねるまでもないことだ」
総督は踵を返すと、項垂れたまま、配下の連中とともに去って行った。
俺が、ひざまずいているままのオルカの近くに行くと、オルカは苦笑いをしながら立ち上がった。
「しかし、悪いくせだ。腹が立つと相手が誰であろうと剣を突きつけてしまう」
俺は地面に置いたままのオルカの剣を拾って、オルカに渡した。
「そのくせは、ちゃんと俺に引き継がれているぜ」
「変なところだけ似やがって」
俺に剣術を叩き込んでくれた、無骨だが真っ直ぐな剣士の顔がそこにあった。
五日ほど滞在したこのサリウムの街を去る日がやって来た。
この街だけを見れば、治安は良いようだし、軍備も整っているように見える。しかし、それは首都からの距離が遠いからこそなのかもしれない。
俺達は、更に北に向けて行き、もう少しだけ首都に近づくことにした。
旅支度を調えて、宿屋を出ると、すぐにエマがやって来た。
「アルス、貧民街を救ってくれて、ありがとう」
「俺は何もしてねえよ。最大の功労者はシャーリエだ」
「それもそうだね」
「お前はこれからどうするんだ?」
「もう少し、あの貧民街で金をばらまくよ。総督やお役人達には悪いけどね」
「そうか」
「すぐに追いつくよ。お姉様の近くにもいたいしね」
エマの視線の先には、名馬フェアードにイルダと一緒に乗っている子供リーシェがいた。その子供リーシェが付けている抱っこ紐から子犬のコロンが顔を出して、「ふーっ!」と威嚇するような顔をした。
コロンに「あっかんべー」としてから、エマは、俺達一行に手を振った。
「じゃあね! また、旅先で顔を見せるから!」
そう言うと、エマは高くジャンプして、石造りの二階建屋の屋根に飛び移ったと思うと、あっという間に姿を消した。
エマの能力も人間離れしてやがる。犬耳幼女のコロンといつも喧嘩しているところからいうと、前世は猫だったんじゃねえだろうか?
そういえば、エマも過去の泉の水を飲んだが、どんな夢を見たのか、聞きそびれてしまった。今度、会った時に問いただしてみるか。
サリウムの城門が見えてきた。
そこにオルカが立っていた。オルカは自ら辞職を申し出て許可されたそうだ。主人を諫めることができる家来を引き留めないところが、あの総督の限界なのだろう。
「オルカ、これからどうするんだ?」
「俺は首都に戻ろうと思っている。首都なら食い扶持には困らないだろうしな」
「結局、今の帝国に雇われるということか?」
「どうなるかな。行ってみないと分からないがな」
「そうだな」
俺は無言で右手を差し出した。
オルカは、少しの間を置いてから、俺の手を握った。
「できれば、今度、会う時は、敵味方に分かれないでほしいがな」
俺がそう言うと、オルカは、名馬フェアードに乗っている、ベールをかぶったイルダを見た。
「アルスは自分の進むべき道をもう見つけているらしいな」
「ああ」
「遠い道のりだろうが、お前なら、きっと成し遂げることもできるだろう」
やはり、バレバレだったか。
「では、また、いつか、どこかで」
オルカはそう言うと、馬に跨がり、城門から出て行った。
その後ろ姿が見えなくなってから、俺はイルダを仰ぎ見た。
「じゃあ、俺達も行くか?」
「はい」
早く城門の外に出て、イルダの麗しい顔を早く見たいものだ。
「アルシュー!」
シャーリエの声が頭上から響いた。
振り返り見上げると、城門の上にある楼閣からシャーリエが元気良く手を振っていた。その隣には、シャーリエが落ちないように必死になってシャーリエの体を抱きかかえているカリアもいた。
しかし、そのまた隣に、タズリや貧民街で暮らす子供達がいたことに驚いた。城門は厳重な警備が敷かれている施設で、おいそれと中に入れるような所じゃない。
「そんな所で何をしてるんだ?」
俺も両手を口に添えて、大声で訊いた。
「アルス達の見送りに行きたいって、シャーリエに言ったら、ここに入れてくれたんだ!」
タズリが大きな声で答えてくれた。
どうやら、総督はシャーリエとの約束を守ってくれそうだ。娘に嫌われることが一番辛そうだからな。
「あの子達は、身分の垣根を越えて、友達になれたんですね」
イルダがしみじみと言った。
身分制度の頂点にいたイルダだが、今は、こんな俺なんかと一緒に旅をしている。そして、いろんな身分の人達ともつきあってきている。シャーリエどころではない経験をイルダは積んできているんだ。そのイルダが帝国を再興することができれば、以前のアルタス帝国よりももっと人々の笑顔が絶えない国になるはずだ。
そしてそれは、フェアリー・ブレードがイルダの手に収まった時、きっと実現できるはずだ。何と言っても、無敵の魔王様を味方にできるはずだからな。
――くしゅん!
振り向くと子供リーシェが鼻をこすっていた。




