第八十五話 過去の泉
「我が里を守っていただき感謝します」
小妖精の一団の中から、老婆が一人出てきて、俺に頭を下げた。身長は他の小妖精と同じくらいの小さな婆ちゃんだ。
「あんたは?」
「この里の長をしております、マリベルと申します」
「おばば様だよ」
マリベルの隣に立っているマインが言った。先ほどの話の中に出てきた、この里で一番偉い小妖精らしい。
マリベルとマインの後ろには、小妖精が二十人ほどいた。みんな、女性だ。
そうなのだ。小妖精は女性しか生まれない種族なのだ。
では、子供を授かるための精はどうしているかというと、森の精霊から授かっていると言われている。「言われている」というのは、この森の小妖精のように、人族と離れて暮らしてる者がほとんどだから、よく分かってないからだ。
ちなみに、大人のはずのナーシャだが子供の作り方は知らないらしい。というのも、ナーシャも一人で卵から孵化して、そういった小妖精としての常識を教わることなく育ってきたからだ。
ということで、仮に俺がナーシャとまぐわったとしても、俺とナーシャの間に子供は生まれない。もっとも、幼女体型のナーシャにそんな気が起きたこともないがな。
ちなみに、リゼルのような魔法士とは、人族の中で魔法を使える一族の血統に生まれ、修練で魔法が使えるようになった者のことを言うので、俺とリゼルとの間には子孫を残すことができる。もっとも、魔法士は、魔法が使える血統を薄くしたくないということで、魔法士同士で結婚することが多いと聞く。
同じように魔法を使うリーシェともまぐわることはできるだろうが、二人の間の子孫は残すことはできないはずだ。リーシェは、見た目は人族とまったく変わらないが、その並外れた魔力は魔法士としては規格外だし、何よりも千年も生きていることが、リーシェが魔族以外の何者でもないことを表している。
って、こんな時に何を考えているんだ、俺は?
俺は気を取り直して、俺の後ろにいたイルダを呼んだ。
「俺達のご主人様はこちらだ」
俺は、イルダの背中を優しく押して、マリベルの前に進ませた。
「イルダと申します。あの木は大丈夫ですか?」
イルダは、黒く焦げた大樹のことを心配した。
「はい。精霊達も無事だと教えてくれています」
「そ、そうですか」
さすがに「精霊」と言われても、人族には理解しがたいところだが、話の腰を折る必要もないだろう。
「何か、お礼をさせていただきたいのですが、見てのとおり、人族の皆さんに差し上げるものは何もありません」
「おばば様! この人達は、泉の水を飲みたいと思って、ここまで来たそうです」
マインが口添えをしてくれた。今までの態度とは打って変わって、俺達に協力的になっていた。
「それは何のために?」
マリベルの問いに、マインが、イルダがアルタス帝国の皇女であること、アルタス帝国再興のために、イルダが過去の記憶を確かめてみたいことなどを丁寧に説明してくれた。
マリベルはマインの話を熱心に聞いていたが、イルダがアルタス帝国の皇女だったとのくだりで明らかに興味を示した。
マインの説明が終わると、マリベルはイルダの前に進み出た。
「あなたが勇者カリオンの末裔ですか?」
「は、はい」
マリベルは、見上げるように、じっと、イルダの顔を見つめた。
あまりに長く、じっと見つめられて、イルダも少し気恥ずかしくなったようで、もじもじとしながら、時折、マリベルから目線をそらせた。
「間違いありませんな」
「えっ?」
マリベルの言葉に、イルダも驚いた。
「どういうことでしょうか? 私の顔を見るだけで、私がアルタス帝国の皇女であることが分かるのですか?」
「ええ、勇者カリオンの父親と母親のことをご存じですか?」
「皇室に伝わる伝承では、カリオンの父は天を統べる神であり、母は大妖精だと言われています」
「そうです。大妖精は、われわれ小妖精と似た種族で、私ほどの年寄りになると、自然と同属を見分けられる力が付いてくるのです」
「私の中に大妖精の血が流れていると?」
「間違いありません。感じます。しかし、勇者カリオンが亡くなられたのは、確か、あなた方の暦で五百年ほど前だったはず。そんなに長い時間が経っているにもかかわらず、あなたの中に流れている大妖精の血はかなり濃くなっていますね」
「……それも分かるのですか?」
「ええ」
待て待て待て! さっき、俺が頭の中で説明したことと矛盾するだろうが!
今までの俺なら神話のことに目くじらを立てることなどなかったが、その神話に登場する魔王様が目の前にいるんだ。そして、砂漠の中で、カリオンの母親とおぼしき大妖精も見た。
じゃあ、カリオンの父親という「神」とはいったい何者なんだ。そして、神と大妖精の子であるカリオンの子孫が、どうして人族になってるんだ?
そもそも、そんなことを考えること自体がタブーなのか?
などと、一人で悶々としていた俺を余所に、マリベルがマインに言った。
「マイン、この方々を泉に案内してやりなさい。そうすれば、先ほどのお礼もできるというものじゃ」
この森の小妖精の長の承諾を得て、俺達はマインの案内で、過去の泉に行くことになった。
しかし、その前に、リーシェが打ちのめしているサリウムの兵士五人をどうするか、考えないといけない。
とりあえず、気を失っている兵士の一人の胸倉を掴んで、強引に立てさせると、目を覚ますまでビンタをした。
「ぐはっ!」
ビンタの痛みで目を覚ました兵士の胸倉をさらに締め上げた。
「お前達はサリウムの総督府の護衛兵だな?」
「そ、そうだ」
弱々しく兵士が答えた。まだ、リーシェの腹パンが効いているようだ。
「誰に命令されて、過去の泉の水を取りに来たんだ?」
「隊長命令だ」
「……オルカか?」
「そうだ。過去の泉の水を欲しがっている者がいるから、取って来いと言われた」
「じゃあ、小妖精の里に火を着けたのもオルカの命令か?」
「いや、過去の泉に案内を求めたが、断られたから脅すつもりだった」
「お前達の独断でしたということだな?」
「そ、そうだ」
俺は、兵士を放り投げるようにして、まだ倒れている仲間の所に倒した。
「オルカが言っている、過去の泉の水を欲しがっているというのは俺達のことだ。小妖精の里でアルスに会ったと言えば、お前達が過去の泉の水を持って帰らなくても怒られることはないから安心しろ。だから、お前達は、とっととサリウムに帰れ!」
兵士達はうめき声を上げながら起き上がると、全員が足を引きずりながら、とぼとぼと里から出て行った。
「大丈夫でしょうか?」
イルダの心配は、兵士達が復讐に燃えて、新たな兵士を率いて戻って来ないだろうか、ということだろう。
「心配いらねえよ。オルカはそんなことを許す男じゃない」
オルカもよかれと思ってやってくれたのだろうが、命じた兵士が馬鹿だっただけだ。
「それに、あと二刻ほどすれば、また、霧が森に充満するから、この里にたどり着くことはできないはずだよ」
マインの言葉を聞いて、イルダも安心をしたようだ。
深い霧と小妖精が見せる幻覚で、位置感覚を狂わされて、二度と同じ所には行けないはずだ。実際に俺達もそれで迷っていたのだ。
あの兵士達が小妖精の里にたどり着けたのは、リーシェが霧を晴らしてしまったから、たまたま、行き着くことができたのだろう。
そんな話をイルダとしていて、ふと、リーシェを見ると、俺から目をそらして、吹けもしない口笛を吹いていた。
一応、リーシェなりに反省はしているようだ。
「じゃあ、泉まで案内するよ」
「お願いします、マインさん」
「ゆっくり飛ぶから、跡をついてきて」
マインが背中の透明な四枚羽を羽ばたかせて、森の中をゆっくりと飛んで行った。その後をナーシャが飛んでついて行き、俺達は先導する二人を追いかけるようにして歩いて行った。
森の中に霧が漂ってきているのが分かった。
マインが言ったように、あと二刻もすれば、リーシェが吹き飛ばす以前のように濃い霧が充満するだろう。
前を飛ぶ、マインとナーシャが地表に降り立つのが見えた。生い茂る樹木の間に立った、その二人の背中越しに、キラキラと輝く水面が見えた。
小走りに近寄ると、そこは対岸もすぐ近くに見えるほどの小さな泉だった。周囲は樹木に覆われている中で、そこだけ、ぽっかりと穴が開いているみたいになっていた。
水際まで近づくと、水面の一角から湯気が出ているのが見えた。
「ここから出ている湯気が森に広まって霧になるんだよ」
微かに吹く風で湯気が森の中に流れて行っていた。
「マインさん、それでは、この水を飲ませていただいきます」
「うん。おばば様のお許しももらってるから大丈夫だよ」
俺達は、水際にしゃがみ込んで、両手で泉の水をすくってみた。
水は少し温かかった。サリウムの街には温泉が湧き出ている。そのサリウムと近いこの森にも温泉の水脈が伸びてきていてもおかしくはない。
過去を思い出すとの噂の水。
しかし、見た目は何の変哲もない水で、匂いもなかった。
少し口に含んでみる。本当に少し暖かいだけのただの水だ。
喉を通してみる。味もなく、他にも変わったところはない。
右隣のイルダを見るが、イルダも何も起こらないことで、少し怪訝な顔をしていた。
左隣には大人リーシェが、同じように、手ですくった水を飲んでいた。
「どうだ、リーシェ?」
「……ただの水じゃの」
「そうだよな」
コロンが化けている子供リーシェも、リゼルも、ダンガのおっさんも、ナーシャも、エマも、みんな、「苦労してたどり着いた末がこれかよ!」という顔をしていた。
「なあ、マイン、この水は本当に過去のことを思い出すのか?」
水を飲んでいる俺達の後ろに控えていたマインに尋ねた。
「私らもこの泉の水は、たまにしか飲まないけど、飲んだ時には、必ずそんな夢を見るよ」
「夢?」
「そうだよ。過去を見るという経験は、夢の中で起きるんだ。だから、今晩、見る夢を楽しみにしていると良いよ」
「そうなのか? それじゃあ、夜まで待つしかないな」
この水を飲めば、即時に効果が現れるものと誤解をしていた俺達は少し拍子抜けをしたが、実際にこの過去の泉を管理している小妖精のマインも保証してくれたことから、今晩、間違いなく過去の記憶を呼び覚ますような夢を見ることができるだろう。
また、マインの案内で、小妖精の里まで戻った俺達一行は、マリベルと小妖精達に別れを告げて、サリウムの街への帰路に着いた。
マリベルが、森の出口までマインに案内させようと言ってくれたが、まだ、霧は充満しておらず、森の中も樹木に遮られている以外には、視界は良好なので、マインの手をわずらわせることもないと思い、せっかくの申し出だったが辞退をした。
俺達は、マインに教えてもらった方向に向かって、木々の間を歩いた。
「ナーシャ! 寂しくはないか?」
俺は、俺のすぐ斜め上を飛んでいるナーシャに尋ねた。
「どうして?」
ナーシャは、俺の質問の意味が分からなかったようだ。
「だって、同じ小妖精の仲間がいっぱいいたじゃねえか? お前は、あの里に残っても良いんだぜ」
「ああ、そういうことね」
ナーシャは、俺の目の前に飛んで来るると、俺と向かい合うように立っている体勢で浮かびながら、腕組みをすると、しばらく「う~ん」と唸っていたが、おもむろに目を開けた。
「正直に言うとね、マインとかマリベルとか、同じ小妖精と話してて、そんなに楽しいって思わなかった」
「おいおい、お前、自分が小妖精だと忘れちまってるんじゃねえか?」
「そうかもしれない」
ナーシャの普段の姿を見ていると、マジでそうかもしれない。
「少なくても、ボクは小妖精の中では育ってないし、小妖精の友達もいない」
「マインになってもらえば良かったじゃねえか」
「マインは、この森から出るつもりはないみたいだけど、ボクは、みんなと一緒に旅を続けたい。だから、マインと仲良くなったら、ずっと会えなくて、逆に寂しいと思う」
「それもそうか。まあ、ナーシャの気持ちがそうなのなら、そうすれば良いさ」
「うん! そうするよ! だって、アルスといると楽しいし」
「そ、そうか?」
「うん! いろいろと騒がしいけどね」
「いつも、やかましくて、すまねえな」
「あはは、本当だよ」
「てか、俺よりお前の方がやかましいだろ!」
「そうだっけ?」
「そうだよ!」
「あははは、でも、アルス」
「うん?」
「これからもよろしくね!」
無邪気な笑顔を見せたナーシャが初めて可愛いと思った。




