第八十一話 呼び覚まされる想い出
「俺が幽霊に見えるか?」
そこにいたのは、俺に剣を教え込んでくれた剣の師匠で、俺が唯一尊敬する剣士オルカだった。
俺は、物心付いた時には旅芸人の一座にいた。捨て子だった俺は、そこで剣舞を教え込まれ、一座の者とともに街を回っては、アクロバティックな剣舞を披露して日銭を稼いでいた。
しかし、型にはまった動きしかしない剣舞が退屈になりかけていた頃、その一座は、次の街への移動中に、森の中で山賊に襲われて皆殺しにされてしまった。まだ小さかった俺に山賊どもの凶刃が迫って来た時、たまたま通り掛かった傭兵団がその山賊を討ち取ってくれた。そして、俺はその傭兵団に引き取られた。剣舞をしていたから、剣の基礎は知らず知らずのうちに修得していたようで、その傭兵団に加入して一年後には、いっぱしの傭兵として活躍できるようになっていた。その傭兵団の団長だったのが、今、目の前にいるオルカだ。
「幽霊には見えないな」
そう言いながら、俺は右手を差し出した。オルカもすぐに右手で握り返してくれて、何度も上下に振った。
「本当に久しぶりだ。五年ぶりぐらいか?」
「そうだな。しかし、一段とたくましくなっているな、アルス。今は何をしている?」
「しがない雇われ用心棒だ。そういうあんたは、総督府の軍人に収まっているのか?」
「ああ、そうだ。先の大戦で、俺の傭兵団の連中もみんな、死んだか行方不明になってしまって、これからどうしようかと、しばらく首都の周りをうろついていたが、縁あって、今の帝国に拾ってもらったのさ」
「そうか」
俺が少し戸惑った顔をしたことを、オルカは見逃さなかった。
「節操がないと言いたそうだな?」
「い、いや、俺のこだわりにすぎないことを他の者に押し付ける気はない。だから、別に非難するつもりもない。それに、そっちは傭兵だったんだからな」
「そうだ。首都が落ちた時に契約は終わったはずだ」
俺は、五年前にオルカの傭兵団から「独立」させてもらった。俺の剣の腕を認めてくれたオルカが、傭兵として大勢の駒の一つに収まることなく、その剣の腕を生かせることをしろと言ってくれたからだ。
その後、俺は、旅の賞金稼ぎとして、主に魔族退治をこなして経験を積んでいったが、一年前に反アルタス帝国の勢力が反乱の火の手を上げてからは、アルタス帝国軍に志願して入隊し、最後は宮殿を守る近衛部隊の一員として、アルタス帝国の滅亡を目の当たりにした。
一方、オルカも傭兵としてアルタス帝国軍に編入されていたと聞いている。傭兵は良い条件の契約を示した方に着く。先の大戦では、それがたまたまアルタス帝国側だったというだけで、オルカが滅亡したアルタス帝国にいつまでも義理立てる筋合いはない。
「しかし、アルスが今もアルタス帝国にこだわりを持っているということは、お前の今の雇い主は、アルタス帝国の関係者か?」
「そうだ、と言えば、あんたは俺達を捕らえようとするのか?」
「俺が果たすべき任務は、総督の安全とこの街の治安維持だ。お前がそれを脅かすようなことを企ててるのであれば、斬らなくてはいけないな」
「そんな大それたことは思ってないさ。今はな」
「ふははは、『今はな』か。相変わらず、減らず口だな」
「ああ、俺の口ももう少しお淑やかになれば、俺の余命も伸びるはずだけどな」
「はははは」と豪快に笑うオルカとは親子ほど歳が離れていて、オルカの傭兵団にいた頃は、実質的な父親として慕っていた。だから、今、剣士としては年を食っている年代のオルカだが、その体を見れば、剣の腕前はまったく衰えていないことが分かる。
「アルス、こんな所で立ち話も何だ。これから、酒でも酌み交わしながら、ゆっくりと話をしないか?」
「一応、雇い主の了承を得てくる。物分かりが良いお方なので大丈夫だと思うがな」
恩人との再会と言えば、イルダも二つ返事で別行動を許してくれた。
まあ、本来、俺はイルダの従者ではなく、もともとは契約で護衛を請け負っただけの間柄だ。しかし、既に半年近く、ずっと一緒に旅をしていると、当初の契約などどうでも良くなっていて、今は、イルダの夢を叶えさせてやりたいと願って、一緒に旅をしている。それは、イルダの夢が叶うか、あるいはイルダとともに命を落とすかまで続くはずだ。
俺は、宿屋のロビーで待ってくれていたオルカと連れだって街に出た。
昼下がりで、まだ陽は高かったが、オルカの跡に続いて、酒場に入った。
総督府の警備隊長だけあって、オルカの顔はかなり広いらしい。酒場の主人もそうだが、昼間から酒を飲んでいる連中からも気軽に声が掛けられていた。その声にいちいち手を振って応えながら、オルカは店の一番奥まで進み、テーブルに着いた。オルカの前に座った俺は店を見渡してみたが、客層を見ると、それほど高級な店だとは思われなかった。オルカも酒好きで、とりあえず酒が飲めれば良いという店なんだろう。
年季の入ったウェイトレスが、ビールがなみなみと注がれた木製ジョッキを二つ持って来た。俺とオルカは、ジョッキを軽くぶつけあってから、一気に飲み干した。
真っ昼間から酒を飲むのは久しぶりだったが、美味い酒だった。
すぐに来たお替わりのビールを傾けながら、俺はオルカと昔話に花を咲かせた。
「アルスの体付きを見れば分かるが、賞金稼ぎをしている間に、かなり修行を積んだようだな?」
「それもそうさ。修行を怠ると、すぐに命が無くなるんだからな」
「魔族を相手にしていたそうだが、かなりの強敵もいたんだろう?」
「そうだな。何度、命を落とし掛けたか数え切れないくらいだ」
「しかし、まだ、生きているということが、アルスの実力だ」
「そうだと良いがな」
五年前に別れてからのお互いの消息を尋ね合いながら杯を重ねているうちに、俺も恩人に対して苦言を呈するほどには酔いが回ってきた。
「それはそうと、オルカ。総督についての評判を聞いているか?」
オルカは口を歪めた。
「聞こえない訳がなかろう?」
「そうだよな。あんたは、それを聞いて何も感じないのか?」
「アルス、一つ言っておく。今は、まだ戦時中なんだぜ」
オルカが言っていることの意味は何となく分かった。
「今の帝国に対して、あちこちで反乱の火が上がってるんだろ?」
「ああ、今のディアドラス皇帝は、アルタス皇帝のような救世主カリオンの直系という皇位の正当性を持たない。いわば、同じ貴族の中の筆頭にすぎないという意識だ。忠誠を誓う義理など持たない貴族どもは山ほどいる」
「そうだろうな。俺も旅をしていて詳しい情勢は分からないが、首都の周辺もざわついているのか?」
「領地替えで首都の周辺の領主はディアドラス家の親族で固めているが、少し離れると、不穏な空気でピリピリしてるぜ」
「ここもか?」
「もちろん例外ではないさ。この街は首都から一番離れている帝国直轄領で、攻め込まれても、すぐに首都から援軍が来ることはない。つまり、自分達で守るしかないということだ」
「それで、この街も軍備を充実させる必要があると?」
「そうだ。そのためには金がいる。その金は住民からの税でしか手に入れられない」
「平穏な生活を壊されたくなかったら金を出せということか? そんなことをしていたら、住民に足をすくわれるぞ。それとも、そうさせないのが、オルカの役目なのか?」
「何度も言うが、この街の治安を守るのが、俺の役目だ。アルスは、俺の傭兵団でも、一、二を争う知性派だったから、いろいろと思うところがあるだろうが、軍人は政治的なことには口出しをしないというのが俺のポリシーだ。それに、もともと難しいことは苦手だしな」
俺は苦笑するしかなかった。
オルカは、自他共に認める武闘一辺倒の軍人だったからだ。
俺の剣の腕前を認めてくれて、傭兵団からの独立を勧めてくれたオルカだったが、その実は、俺が生意気にもいろいろと考えるようになって、契約によって、どっちにもついて何でもやる、傭兵という生き方に疑問を抱き始めていることに気づいたからだろう。
「確かに、この街でも貧民街が増えていることは確かだ。しかし一方で、ちゃんと税金を払っている市民も大勢いる。そして、総督府にいる人間として言わせてもらうと、総督グレイドウルが度を超して私腹を肥やしているとは思えない。それに、増えた税収は軍備の増強に使われていることも間違いない」
今も戦争が続いている状況では、市民生活に多少の犠牲が出てもやむを得ないという、オルカの言う理屈も有りだ。しかし、今の戦争自体は貴族同士の勢力争いでしかなく、その戦争に負けたくなければ高い税金を払えと言われても、市民達は納得できるものではないだろう。
「分かった。この話をこれ以上しても平行線だろう。とりあえず、五年ぶりに会ったんだ。今日は思い出話だけをしようぜ」
俺がジョッキを掲げると、オルカも「そうだな」と言い、ジョッキを合わせた。
俺がオルカの傭兵団に入ったのは、子供リーシェくらいの歳だった。それから二十年近く、オルカに育ててもらうとともに、剣の修行もしてくれて、今の俺があるのだ。
だから、オルカとその傭兵団は、俺の家族だったともいえ、思い出話は尽きることはなかった。
「俺達と会う以前にいた旅芸人の一座のことは憶えているのか?」
出会った頃の話をしていた俺にオルカが訊いた。
「かなり薄れてきているが、座長の顔はまだ憶えているぜ」
俺に剣舞を教えてくれた旅芸人の座長は、オルカの傭兵団の世話になるまで俺を育ててくれた、俺の「最初の」親だった。
座長は、オルカとは対照的に博学な人で、俺にも文字や算術を教えてくれた。オルカの傭兵団で文字が読めたのは俺だけで、今でも、オルカが俺のことを「知性派」などと言うのはそのためだ。しかし、その座長も山賊に襲われて、あえなく死んでしまった。この乱世は、知識だけでは生きていけないことも、最後に教えてくれたってことだ。
「俺も運が良いと思ってるよ。捨て子だったのに拾ってもらって、文字と剣舞を教えてもらった。剣舞を身につけていたお陰で、戦いのための剣術もすぐに習得できた。世の中、捨てたもんじゃねえよな」
その剣術のお陰で、今、イルダとリーシェという美女二人と旅をしているのも幸運といえば幸運なのかもしれない。もっとも、一方は元皇女様、もう一方は魔王様で、どっちも俺と釣り合う相手ではないけどな。
「もっと限定的に言えば、森の中で泣いていた俺が餓死しないうちに旅芸人の一座に拾われたこともそうだし、旅芸人の一座が山賊に襲われて、最後に俺が斬られる直前に、オルカの傭兵団がたまたま通り掛かってくれたことも、とんでもない幸運だよな」
「アルスは、強い運勢の星の元に生まれているのだろう」
「そうだと良いけどな」
しかし、俺は、そもそも、生みの親も生まれた場所も知らない。どんな星の元で生まれたのか、さっぱり分からない。
「オルカ」
「何だ?」
「オルカが俺を救ってくれた時、旅芸人の一座は、全員が事切れていたんだよな?」
「いちいち確かめた訳ではないが、あの傷では、まだ息があったとしても助からなかっただろう。しかし、今さら、どうした?」
「いや、最近、俺は、どこの誰なんだろうかって思うことがあってな」
「少なくとも高貴な生まれではないから心配するな」
「何で分かるんだよ? どこかの貴族の隠し子かもしれないだろ?」
「いや、きっと、どこかの詐欺師の子供だろうな。知性派だけにな」
「そこかよ」
俺とオルカは大声で笑ったが、オルカはすぐに真顔になった。
「あの時、俺達がもう少しでも早く現場を通り掛かれば、一座の何人かの命は救えたかもしれない。そいつがアルスの過去のことを知っていたかもしれなかったのにな」
「オルカが悪い訳ではない。悪いのは山賊の野郎どもだ」
「それもそうだが……。アルスは、座長以外の座員の記憶もあるのか?」
「断片的だが残っているぜ。確か、一座は十人くらいいたような気がする」
「そうだった。遺骸もそれくらいだった」
「遺骸は、やっぱり、ちゃんと埋葬したのか?」
「ああ、いつもどおりな」
俺が、オルカが好きなことの理由の一つに、戦いの相手方であろうと、死者には最大限の敬意を払っていたことだ。敵味方入り乱れる戦場ならそんな暇はないが、小規模な戦闘で討った敵は、戦いが終われば、その場に掘った穴に丁寧に埋葬するようにしていた。
また、略奪も最低限にしていた。オルカ率いる傭兵団は、略奪を行うことを主目的として戦いをしていたのではないが、死んだ者には道具は必要ない。だから戦いの相手の持っていた物を死後にもらい受けることは、それほど悪いことではない。
「一座の所持品でもらい受けた物はなかったのか?」
「はっきりとは憶えていないが、おそらく、公演に使うのだろう、見たことのない道具が一杯あって、実戦で使えるような道具がなかったように思う」
「見たことがない道具?」
「ああ、例えば、見た目は鋭利な刃のように見えるが、実は、まったく斬ることができない剣とかあったな」
「ははは、そいつは憶えているぜ。斬れる剣で大根等を切った後、その斬れない剣にこっそりと持ち替えて剣舞をするんだ。何だかんだ言って、怪我をすると公演ができなくなって、おまんまが食えなくなるからな」
「必要不可欠なイカサマということか?」
「まあ、そんなところだ。けっこう憶えているもんだな。他には、どんな道具があったか憶えているか?」
「そうだなあ。見た目は普通の縄なのに伸びる縄とかもあったな。どうせ、縄抜けに使うんだろう?」
また、思い出した。剣舞担当の俺は、縄抜けの担当が演じている間は、盛り上げ役を仰せつかっていて、縄抜けが成功した時には、たいそう驚いた顔をするように言われていたっけ。
人の記憶というのも、なかなかに大したもんだ。少しヒントをもらうだけでどんどんと忘れていた記憶が呼び覚まされる。
「ああ、そうそう。今、言った道具は、だいたい、何に使うんだろうなって予想が付いたんだが、結局、何に使うのか分からない道具もあったな」
「例えば?」
「そうだな、鍔と鞘が鎖で繋がっていて抜けない剣なんていうのもあったな」
「何だと!」
俺は思わず、椅子を後に押し倒しながら立ち上がった。
鍔と鞘が鎖で繋がっている剣!
リーシェが持っている剣とまったく同じじゃねえか!




