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フェアリー・ブレード  作者: 粟吹一夢
第七章 過去の泉と未来の友人
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第七十九話 古の記憶

「あなたのお家は、……分からないよね」

 イルダがシャーリエに尋ねたが、こんな小さな女の子が自分の家がどこかなど説明できるはずもなく、また、今、自分がいる場所すらどこか分かっていないだろうと気づいたイルダが、質問を自己完結させた。

 シャーリエもイルダの言葉にうなずいた。

「じゃあ、シャーリエちゃんのお父さんのお名前は何と言うの?」

「グレイドウル」

 シャーリエの答えに、全員が固まった。

 もしかして、シャーリエは、今までさんざん悪口を言っていた、この街の総督の娘なのか?

 たまたま同名の別人なのかもしれないが、シャーリエが着ている服装や馬車の豪華さからいって、十分あり得る話だ。

「どうしましょう?」

 イルダが困った顔を見せた。

 一人で帰れるはずもない小さな女の子だから、家まで送り届けなければならない。そうすると、総督府の関係者と話をしない訳にはいかないだろう。帝国直轄領であるこの街で、ベールをかぶってまで、その正体を知られまいとしている努力が水の泡となるおそれもある。

 シャーリエがめそめそと泣き出した。イルダが自分のことを「どうしようか」と困っていると思ったのだろうか?

「ああ、ごめんなさい。あなたのことじゃないの」

 自分のせいでシャーリエを泣かせてしまったと思ったのだろう。イルダも少し焦って、シャーリエを慰めた。

「シャーリエ、お家に帰りたい」

「大丈夫よ。一緒にお家に帰りましょう」

「お姉ちゃんが連れてってくれるの?」

「ええ! だから泣き止んで。ねっ」

「うん」

 と言ったものの、シャーリエは、まだ、泣きべそをかいたままだった。

 そんなシャーリエの目の前に、小さな丸いパンが差し出された。パンを差し出していたのは、タズリだった。

「食うか?」

 タズリなりに女の子を慰めようとしたのだろう。知らない大人に囲まれていて緊張していただろうシャーリエの表情に、少しだけ微笑みが戻った。

「食べて良いの?」

「全部は駄目だ。おいらも腹ぺこなんだ。だから半分な」

 そう言って、タズリはパンを二つにちぎり、一つをシャーリエに差し出した。

「ありがとう」と言って、パンの半分を受け取ったシャーリエは、それを更に自分の手で一口大にちぎり、上品に口に入れた。

 しばらく、もぐもぐと口を動かしていたシャーリエは、「固い」とタズリに文句を言った。

 総督家のお嬢様なら、いつも焼きたてのパンを食べていて、庶民が口にするような固いパンなど食べたことなかったのだろう。

「それが良いんだって! 何回も噛んでると、それだけでお腹が膨れるんだぜ」

「そうなの? シャーリエがいつも食べてるパンは、お口に入れると、すぐに無くなってしまうの」

「そんなパンがあるのか? でも、それだと、あっという間に無くなって、お腹が一杯にならないだろ?」

「お父様は、お腹一杯になるまで食べちゃ駄目って言うの」

 淑女レディがガツガツと貪るように食べるのは、確かにいただけない。

 タズリもシャーリエのような金持ちの娘と話をするのは初めてなのか、まるで未知の生き物の相手をしているかのように楽しげな顔をしていた。

「ねえ、あなたは何と言うお名前なの?」

「おいらはタズリってんだ」

「タズリ? 変な名前」

 シャーリエはケラケラと笑ったが、タズリは「そうか? 教会の司祭様が付けてくれた名前で、おいらは気に入ってるんだけどなあ」と、やはり笑顔で答えた。

「司祭様が名前を付けたの? お父様じゃなくて?」

 シャーリエは、今度は目をまん丸に大きく開けて、タズリを見た。コロコロと表情が変わるのは好奇心旺盛な証拠だろう。

「おいら、教会の玄関に捨てられていたんだ。だからだよ」

 やはり、タズリは捨て子だったんだ。教会だって子供を育てることなどできないはずだから、どこかに預けられたんだろうが、タズリのスリの腕前からすれば、まともな家庭ではなかったんだろう。

「タズリのお父様やお母様は、どこにいるの?」

「知らねえ。今さら、会いたいって思わないし」

「お父様やお母様がいなくて寂しくないの?」

「全然! 気楽で良いぜ」

「ふ~ん。タズリって偉いんだね」

「そ、そんなことないって」

 照れていたタズリをじっと見ていたシャーリエが、今度はタズリの服を見ながら言った。

「ねえ、タズリのお洋服は、どうしてそんなに汚いの?」

 世間知らずのお嬢様ならではの口の利き方だが、タズリはまったく気にしているようではなかった。

「これしかないから仕方ねえだろ」

「お着替えは持ってないの?」

「着替えの洋服が買えるんなら、もっとパンを買うさ」

「パンを? タズリはパンを着るの?」

「ちげーよ!」

 とんちんかんなシャーリエの受け答えに、俺達も思わず失笑しちまった。

 それにしても、子供というのは、あっという間に仲良くなれるもんだ。大人になると、相手の態度に何か裏があるんじゃないかとか、いきなり馴れ馴れしくすると返って警戒されるんじゃないかとか、しなくても良い心配をするようになり、素直に相手と接することができなくなってしまう。俺なんかがその最たるものだ。

 タズリの他愛もない話で、シャーリエも笑顔を取り戻しつつあった。そして、その様子を見ている俺達まで穏やかな気持ちにさせてくれた。



 タズリとシャーリエがにこやかに話しているところを見ていた俺は、こんな光景を以前に見たような気がしてきた。

 小さな女の子と話している自分。映像としては、頭の中にまったく浮かばなかったが、懐かしいと思う気持ちが溢れてきた。

 捨て子だった俺は、まだ、赤ん坊の頃、旅芸人の一座に拾われたと聞いている。そして、その旅芸人の一座には、小さな子供は俺しかいなかったはずだ。俺の遊び相手は、商売道具として徹底的にたたき込まれた剣舞用の剣だけだった。そして、その後に入った傭兵団にも、俺以外に子供なんていなかった。

 それなのに、この感覚はいったい何だ?

 考えられるとすれば、前世の記憶かもしれないが、そうだとすれば、俺の何代か前のご先祖様が、小さな女の子と遊んでいる楽しい記憶を体に染みこませていたのだろうか? しかし、捨て子だった俺はまだしも、そんな記憶なんて、普通の家庭で生まれた子供なら当たり前に持っているはずの記憶で、脳裏に焼き付かせるほどの強烈な記憶になるものなのだろうか?



「アルス殿!」

 イルダの声で我に返った。

「どうされたのですか? 何かボ~とされてましたけど」

「アルスがボ~としてるのは、そんなに珍しいことじゃないですよ、イルダさん」

 エマの前でボ~としてたことはないぞ! と心の中で悪態を吐きながら、笑顔をイルダに向けた。

「すまん、タズリとシャーリエを見ていると、何だかほんわかしてしまってさ」

「ああ、分かります! 私も幼い頃、お兄様に遊んでいただいたことを思い出しました」

 両親や男兄弟を皆殺しにされたことは、イルダにとって、この上もなく悲しい記憶だろうが、今のイルダは、タズリとシャーリエに癒やされているかのような、穏やかな顔をしていた。

「悲しくないのか?」

「もう半年も前の話です。いつまでもお父様やお母様、兄上様のことを想って泣いていることが、お父様達の望んでいたことではないと思います」

「強くなったな、イルダ」

「アルス殿と一緒に、いろんな経験をさせていただいたからだと思います」

「というより、俺の方がイルダをいろいろと巻き込んでるような気もするけどな」

「リゼルとダンガの三人で逃げ回っていれば会うこともなかった人とも出会うこともできました。アルス殿と一緒に旅をすることは、変な言い方ですけど、面白いです」

「そう言ってもらうと、俺もイルダについていて良かったと思うぜ」

 イルダと笑顔で見つめ合っていると、シャーリエの歓声が聞こえてきた。

 いつの間にか、タズリとシャーリエは鬼ごっこをしていて、素早く逃げ回るタズリをシャーリエがモタモタと追い回していた。長いドレスの裾を巻き上げたはしたない格好のシャーリエの姿をお付きの者が見ると、顔を真っ青にして気を失いそうだ。

 あれっ、そういえば、お付きの者って……。

「ここはどこじゃ?」

 突然の声に振り向くと、すっかりとその存在を忘れていた、馬車の中で気を失っていた老女が近くに来て、俺達を睨んでいた。

「気がついたか。額の怪我は大丈夫か?」

「私のことはどうでも良い! それよりお嬢様を知らぬか?」

 おそらく、老女はシャーリエのお付きの召使いか乳母というところだろう。総督家の家来だけあって、気位は高そうだ。

「あそこで走り回ってるぜ」

 俺が指差した先には、笑顔で走り回っているシャーリエがいた。

「お嬢様!」

 老女は慌ててシャーリエに駆け寄り、その体を抱きしめた。

「お怪我はございませんか? 痛いところはございませんか?」

「どこも痛くないぞ、カリア」

「ようございました」

 カリアと呼ばれた老女は、シャーリエの体をあちこちとさすっていたが、シャーリエの無事が確認できて平常心を取り戻したのか、ふと、顔を上げると、周りを見渡して、顔をしかめた。

「臭いの。いったい、ここはどこじゃ?」

「見たまんまさ。貧民街スラムだよ」

 俺がカリアに近づきながら告げた。

貧民街スラム! どうして、このような所に?」

「あんたらが乗った馬車が暴走して来たんだ」

「このアルスが御者席に飛び乗って、馬車を止めたんだよ」

 俺の隣に立っていたエマが、不機嫌そうな顔をして付け加えた。

「そなたが?」

「ああ。御者はどうした?」

「馬車の中におったから分からぬ。気がつけば、すごい勢いで馬車が走り出していたのだ」

 どうせ、居眠りでもしてて、落っこちたんだろう。

「とにかく、総督府まで帰しておくれ」

 立ち上がったカリアは頭も下げずに言った。

「馬車があるんだから、自分で帰ったら?」

 そんな態度に腹を立てたのか、エマがいつになく棘のある口の利き方をした。エマも金持ちは嫌いみたいだからな。

「私は馬車を操ることはできぬ。それに、ここからどうやって行けば良いのかも分からぬ」

 さっきまでの威勢の良い態度を引っ込めて、カリアは困ってしまっていた。

「しゃあねえな。じゃあ、俺が馬車を走らせてやるよ」

「そなたが?」

 俺がカリアに言うと、途端にカリアは不安げな顔をした。

「確かに、悪人づらしているけど、思うほど悪人じゃないから安心しなよ」

 お前はどっちの味方なんだよ、エマ!

「俺は、旅の者で、この街の住民ではない。だから、あんたらを総督府まで送る義理はない。良いんだぜ、健康のために歩いて帰ってもらっても」

「い、いや、そなたに頼む。私達を総督府まで送っておくれ」

 どうやら、俺以外には頼む者がいないと分かったのか、カリアも大人しく頭を下げた。

「でも、もう少し待っていただけませんか?」

 横から割り込んできたイルダがカリアに言った。

 そのイルダの視線の先には、水たまりの中で泥だらけになって、タズリと一緒に泥団子を作っている笑顔のシャーリエがいた。

「お嬢様! いつの間に! そんなことをしては」

「カリアさん」

 イルダが、シャーリエに駆け寄ろうとしたカリアの前に立ち塞がった。

「シャーリエちゃん、きっと、あんな遊びは今までしたことがないんでしょうけど、すごく楽しそうですよ」

 まるで、イルダは自分のことを思い出しながら話しているようだった。

「もう少し遊ばせてあげませんか?」

「し、しかし、泥水が口に入って病気にでもなられたら大変じゃ」

「あんたのお嬢様は、泥団子を口に入れるほど行儀が悪いのか?」

「何じゃと!」

 イルダの援護をしたつもりだったが、また、カリアのご機嫌を損ねたようだ。

「アルス殿! ここは私に任せてください」

「へいへい」

 イルダにも怖い顔をされて、俺は大人しく一歩後に下がった。

「カリアさんは、小さい頃、泥んこ遊びをしたことはありませんか?」

「ございません!」

「実は、私もないんです。でも、ずっと、やってみたかったんです。今も、あの二人の仲間に入りたいくらいです」

 カリアが怪訝そうな顔でイルダを見た。

「あなた様はどちら様ですか?」

「あっ、失礼しました。私もこのアルス殿と一緒に旅をしている商人の娘で、名乗るほどの者ではありません。先の大戦で離ればなれになった両親を探しております」

「そうですか」

 高貴な雰囲気をプンプンと醸し出しているイルダに、カリアも一目置いたようだったが、俺と一緒に旅をしていると聞いて、カリアのイルダに対する評価が暴落したことが、カリアの表情から分かった。

 

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