第七話 契約はイルダの血をもって
「いかがじゃ? アルス」
リーシェが上目遣いで俺を見ながら、甘い声で尋ねた。
「いかがじゃって?」
「わらわの体は?」
「……文句なしに最高だ」
「わらわとまぐわってみたいかえ?」
「えっ?」
「どうじゃ?」
リーシェが俺の首に回している腕に力を込めて、その体を一段と密着させた。
「……魔王様と言ったな? 俺も魔族はもちろん、魔王様とベッドを共にしたことはないが、只じゃねえだろ?」
「わらわがそんな計算高い女に見えるかえ?」
「とてつもなくな」
「ふふふふふ、アルス! そなたは面白いの!」
本当に楽しそうに笑ったリーシェは、俺の首に回した腕を離して、数歩後ろに下がった。
それによって、顔だけではなく、リーシェの全身が視界に入るようになった俺が、その魅惑的な裸体から視線を外すことができなかったことを誰が責められよう。
「只だと、そなたの気が引けるというのであれば、交換条件を出そうかの?」
「どんな?」
「わらわと契約を結ばぬか?」
「契約?」
「そうじゃ。契約実行の報酬として、わらわの体を提供しようぞ」
「そいつは魅力的だ。それで契約とは?」
「その前に、少し昔話をせねばならぬの」
リーシェは、視線を俺から外すと、俺に横顔を見せるように立った。
横から見ると、胸と腰の張りがよく分かる。こんな時であっても、俺の目は正直者だ。
「今のわらわには配下は一匹もおらず、先ほどの牛と同じ『自称魔王様』じゃ。しかし、その昔、わらわは、この大陸のすべての魔族を支配しておった」
自称魔王様を倒した力からすれば嘘だとは思えなかった。
「そんなわらわも一人の剣士に不覚を取った。その剣士は魔法を完全に封じ込める剣を持っておった」
「魔法を封じ込める剣? フェアリー・ブレードか?」
「そうじゃ。フェアリー・ブレードを持つその剣士には、わらわの魔法はまったく歯が立たなかった。わらわの帝国は、それで滅んでしまったのじゃ」
「待ってくれ! フェアリー・ブレードを振るって、それまでこの大陸を支配していた魔王を倒し、新しい支配者になったのは、アルタス帝国の初代皇帝のはずだが?」
「そうじゃ。名前は、……カリオンとか言うたかのう?」
「おいおい! カリオンがアルタス帝国を建国したのは五百年前だぞ!」
「ついこの前じゃ」
「……お前は、いつから生きているんだ?」
「魔王として、五百年ほどは君臨した気がするわい」
「お、お前は千年生きているのかよ?」
近くで見ても、顔には皺一つも無く、肌もみずみずしいが、こいつは千年生きている婆ちゃんなのか?
「しかし、その退治されたはずの魔王様が何でこんなところに出て来てるんだ? しかも少年の格好をして」
「フェアリー・ブレードをもってしても、わらわの息の根を止めることはできなかったのじゃ。すごいじゃろう?」
「すごい、すごい。それで」
「もう少し心を込めて褒めろ」
リーシェは少し頬を膨らませて、俺を睨んだ。
――何だ? 萌え攻撃までできるのか、この魔王様は?
「フェアリー・ブレードもわらわの美しさに嫉妬したのかもしれぬが、わらわは、フェアリー・ブレードの魔力によって封印され、少年の姿に変えさせられてしまったのじゃ」
フェアリー・ブレードにそんな性別変更機能が付いていたとは驚きだ。
「では、今の姿は?」
「これが、わらわの本来の姿じゃ。理由はよく分からぬが、フェアリー・ブレードによる封印が極端に弱まる時がある。今がその時なのじゃ」
「今、本来の姿に戻っているのであれば、その力でフェアリー・ブレードの封印を解くこともできるんじゃないのか?」
「確かに、この姿の時には、元々の力を出すことはできるが、フェアリー・ブレードの封印だけは解けないのじゃ」
「どうすれば解けるんだ?」
「そこじゃ!」
「ど、どこだ?」
リーシェがいきなり俺を指差したので、俺は狼狽えてしまった。
「そなた、と言うより、イルダはフェアリー・ブレードを探しておるのじゃな?」
「ああ、そうだ。よく知っているな?」
「昨日の夜、イルダが話していたではないか」
「お前、子供の姿の時の記憶もあるのか?」
「ある。しかし、少年にされている時のわらわは、思い通りにしゃべることができぬのじゃ」
なるほど。だから、あんなに無口なのか。
「確かに、イルダはフェアリー・ブレードを探しているが、それがどうかしたのか?」
「わらわもフェアリー・ブレードを探しておるのじゃ!」
「何のために?」
「封印を解くためじゃ」
「どうやって?」
「フェアリー・ブレードの魔力を消し去る方法が一つだけある。それは、カリオンの血をフェアリー・ブレードに吸わせることじゃ」
「そいつは残念だったな。アルタス帝国初代皇帝は、長生きのお前と違って、五百年前には死んでいるぞ。もう不可能だな」
「カリオンの血が駄目なら、その末裔の血で代用できるはずじゃ」
「ま、末裔の血?」
「そうじゃ。それもカリオン直系の子孫の血じゃ」
「‥‥」
「今、カリオン直系の子孫で生きているのは、イルダと姉のカルダだけじゃの」
「……まさか、イルダの血を?」
「その、まさかじゃ。他に方法はない」
「そんなこと、俺が許すか!」
イルダとは、昨日、出会ったばかりだが、その命を奪おうとするリーシェを許すわけにはいかない。
「イルダが可愛いか? 確かに良い女じゃからの」
リーシェは、また、正面から俺に体を密着させた。
「じゃが、わらわも負けておらぬと思わぬか?」
くそ! 悔しいが、リーシェもイルダに負けず劣らず魅力的だ。
「だ、だがな、お前は、以前に、この大陸を支配していた魔王様なんだろう? そんなお前を復活させる馬鹿がどこにいるんだ?」
「目の前におるではないか」
「おい! 確かに俺は馬鹿だが、自分の首を絞めるような真似はしねえよ!」
「ふふふふ」
リーシェは、目も眩むような微笑みを見せると、両手で俺の頬を挟んで、俺の顔を少し下向けた。同時に、リーシェが背伸びをするようにして、自分の唇を俺の唇に合わせた。
「うっ!」
体がとろけそうになる。
快感が脳天から突き抜けて行った。
「アルスよ」
顔を離し、俺の首にぶら下がるようにしているリーシェが言った。
「フェアリー・ブレードもすぐには見つかるまい? イルダも具体的な情報を持っておらぬようだし、わらわも在処は知らぬからの」
「まあ、そうだろうな」
「だから、こうしようではないか。とりあえず、フェアリー・ブレードを探し出すまで、協力をするということでいかがじゃ?」
「協力?」
「そうじゃ。今、この大陸はアルタス帝国が滅んで混乱しておるし、その隙を狙って、多くの魔族が勢力を伸ばそうとしておる。このわらわを差し置いてじゃ! だから、フェアリー・ブレードを探す旅には危険がてんこ盛りじゃぞ」
「確かに」
「それに、わらわもイルダに死なれると困る。イルダには生きていてもらわなければならぬからの」
「なるほど、そこまでは利害が一致していると言うことか?」
「そういうことじゃ」
「しかし、お前がその姿に戻れるのは、フェアリー・ブレードの力が弱まった時だけなんだろう?」
「そうじゃ」
「その理由は分からないって言ってなかったか? と言うことは、いつその姿に戻れるか分からないと言うことじゃねえか!」
「そんな些細な点は聞き流しておれば良いものを」
「そんな訳にいくか! 子供の姿の時は魔法を使えないんだろうが?」
「……まあ、そうじゃが」
何、口を尖らして拗ねてるんだよ! 萌えるだろうが!
「今回みたいに、都合良く、その姿になれる訳ではないってことだよな?」
「しかし、良い保険にはなると思うが?」
――確かにそれはそうだ。
自称魔王様を簡単に倒したリーシェの魔力は、俺も初めて見たくらい強力だった。今のリーシェがいてくれたら百人力、いや、百万人力だ。
「分かったよ。それに、お前がいなくなるとイルダも寂しがるだろう。あくまでフェアリー・ブレードを探し出すまでの協力を約束しよう」
「アルス! 嬉しいぞよ」
両腕を背中に回し、俺をぎゅっと抱きしめるリーシェの嬉しそうな顔を見ていると、自称魔王様を倒した場面を見ていても、リーシェが魔王様だとは信じられなかった。
「う~ん」
気絶して倒れていたイルダのうめき声が聞こえた。
「アルス!」
イルダの元に向かおうとした俺の背中からリーシェが呼んだ。
俺は足を止めて、リーシェを見ると、リーシェの裸身が淡く光っているように見えた。
「また、フェアリー・ブレードの魔力が強くなってきたようじゃ」
「……」
「先ほどの約束、違えることのないようにの」
「ああ、約束する」
次第に光が強くなり、眩しくて直視できなくなったが、すぐにその光は収まった。
大人リーシェが立っていた場所には、子供リーシェが裸のまま倒れていた。
俺はすぐに駆け寄り、上半身を起こして、口元に耳を近づけたが、寝息のような音が微かにしていた。
俺は何気なく、子供リーシェの下半身に目をやった。
――確かに付いている。
「こいつはフェアリー・ブレードの魔力でできているのか。どこからどう見ても本物にしか見えないが」
「アルス殿!」
イルダの声に振り向くと、ナーシャ、リゼル、ダンガのおっさんが揃って立っていた。
――みんなの視線が冷たい気がするが?
「みんな、気がついたか? 怪我は無いか?」
「はい。かすり傷程度です。それはそれとして、アルス殿!」
イルダの声は明らかに怒っていた。
「リーシェの服を脱がして何をしていたのですか?」
「へっ?」
「下半身をガン見しておったではないか!」とリゼル。
「ボクが言ったとおりでしょ。ボクと一緒に旅をしても、ボクに手を出さなかったのは、だからなんだよ」とナーシャ。
「同じ男として恥ずかしいぞ!」とダンガのおっさん。
「待て! 誤解だ!」
「どこが誤解なのですか? では、リーシェの服は誰が脱がしたのですか?」
「リーシェが自分で脱いだんだ!」
「アルス! そんな、すぐに分かる嘘を吐くなど、情けないぞ!」
ダンガのおっさん! そこで男泣きされると、更に痛くなっちまうだろ!
……どうして、首だけになった自称魔王様を少年愛を趣味とする変態にしておかなかったんだ、俺?
自分の馬鹿正直さ加減に、俺はため息を吐くしかなかった。