第七十七話 スリの少年
リャンペインでリュギル伯爵家の当主襲名式が執り行われた。
幼い男の子である新当主の傍らには、近衛将官の制服を着たリンカが立っていた。
新当主の姉であるリンカが執政兼近衛将官として就任した当初は、フェリスなどによって広められた「極悪非道な馬賊の頭目」というイメージを持っていた市民達から不安がる声も上がったが、大部分の市民達は、街に攻め入っても統率が取れて、略奪など一切行わなかった馬賊を率いていたリンカの司令官としての力量を見抜いたようで、また、キルバルドとその妻のこと、その妻が宮殿に召し出され、娘を産んだ後に宮殿から出された事実も年配の市民達の記憶に残っていたようで、リンカがリュギルの落胤であることもすんなりと信じられ、リンカの執政就任には、リンカが心配したほど多くの反対はなかった。
そして、リンカが信頼している配下の連中のうち、腕が立つ者は軍の正式な部隊長として抜擢されていった。
「アルス、もう行ってしまうのかい?」
式の後、宮殿に招かれた俺達は、執政の間でお茶をご馳走になっていた。
「ああ、本当はもうちょっと早く出る予定だったんだけどな」
カルダ姫と五日の間を開けてから、リャンペインを出る予定だったが、今日の襲名式をぜひ見ていってほしいというリンカの頼みをきいたことから、結局、リャンペインには半月ほど滞在することになった。
もちろん、その間、何もせずに、じっとしていた訳ではない。
商人の娘だというイルダの公式プロフィールに疑問を持ったリンカに問い質されたこともあるが、これから大都市リャンペインを実質的に支配することになるリンカを味方に引き入れておく必要もあるとの判断の元、自分達の方からイルダの本当の身分をリンカに明かした。
リンカは、リュギル伯爵が健在だった時と同じように、今の帝国には臣従しないとの態度を示して、その裏で、アルタス帝国復興に協力をしてくれることを約束してくれた。
このリャンペインという街は、内陸部にある商都カンディボーギルから海路で香辛料を運ぶ際の港街として発展した街で、その輸送船の運行税で実入りが多い。今のボロボロになっている軍備の整備もすぐにできるだろう。首都からは遠いが、砂漠地帯のバルジェ王国とエラビア王国に続き、このリャンペインを地盤とする新しいリュギル伯爵家もイルダの味方となった。地道にではあるが、アルタス帝国を再興させたいというイルダの夢は着実に実を結びつつある。
「イルダ様からいただいたご恩は一生忘れません。そして、アタシ達の力が必要だという時がくれば、ぜひ、お声をお掛けください」
「ありがとうございます。リンカさんもこれからご苦労が多いでしょうが頑張ってください」
イルダの優しい言葉に、「もったいないお言葉」と感激した様子のリンカだった。
イルダが大々的な見送りを遠慮したことから、リンカと元馬賊の配下数人の見送りを受けて、俺達一行はリャンペインを跡にした。
カルダ姫は、大陸の東海岸をそのまま北上している。遅ればせながら、俺達もそのコースをたどることにした。
「ここから北に向けて、海岸沿いには中小の街が続いてあります。しばらくは野営をしなくても良さそうですな」
名馬フェアードの手綱を引きながら、器用に広げた地図を見ていたダンガのおっさんが馬上のイルダに告げた。
元皇女様のイルダにできるだけ野営をさせたくないのが、従者たるダンガのおっさんの本音だろう。
俺もそうだ。
人はある環境に慣れてしまうとそれを求めたくなる。イルダと出会う前は、ナーシャとともに野営も当たり前にしていたが、イルダと、そして魔王様と出会ってから、それなりに危険なこともあったが、困難な討伐依頼をこなして、今、俺達の懐は暖かい。だから、宿屋に泊まれるのなら泊まろうと思うのが普通だ。
かと言って、体がなまるようなことがないように、暇を見つけては鍛錬もしている。酒を飲んで騒いでいるだけじゃねえからな。美味い物を食って、しっかりと休息も取って、そして鍛錬も欠かさずにする。それでベストな状態に保つという、今のやり方が最高だ。
この大陸はほぼ円形をしている。中央部にそびえる高い山脈から、真北、真西、そして南東に大河が延びていて、北に延びる大河沿いに大都市が集中してある。首都もだ。そして、今、俺達は、大陸を南北に分ける中心線から少し北に登った東海岸沿いにいた。
俺達が向かっている先は、サリウムという帝国直轄領の街だ。
俺は初めての街だが、ダンガのおっさんの話によると、街中から温泉が湧き出ている保養地で、大陸中の金持ちは、この街に別荘を持つことが一つのステータスになっているようだ。
当然、皇室の離宮もあり、アルタス帝国健在の頃には、厳しい冬の間は、イルダも静養に来ていたようだ。つまり、そのための帝国直轄領で、首都から派遣された総督が皇帝に代わり、街を支配している。
遠くにサリウムの城壁が見えてきた。街自体はそれほど大きくはないが、帝国直轄領だけあって、立派な城壁だ。
「今の帝国からも総督が派遣されているんだろ?」
俺は、後ろを振り返りながら、誰にともなく訊いた。
俺の頭上にはナーシャ、俺の後には、名馬フェアードの手綱を握ったダンガのおっさん、馬上にはイルダと子供リーシェ、しんがりにはリゼルがいたが、イルダ自らが答えてくれた。
「そのようです。私も聞いたことがない人でしたが」
きっと、アルタス帝国を倒した先の大戦での論功行賞で抜擢された役人か軍人だろう。
「しかし、イルダも思いきったな。直轄領に入るなんてよ」
総督もそうだが、帝国直轄領だけに、他にも首都から派遣されている者が多くいるはずで、今まで訪れた街以上に警戒をしなければならない。
「確かに、私の顔を知っている人もいるでしょうが、今の帝国の現状を知るという意味からも、首都から一番遠い位置にある直轄領の様子を探ることは有益だと思いました」
大陸の南東部にある商都カンディボーギルには、今の帝国からは、三十人ほどの騎兵しか使者として派遣されなかった。軍事的威圧を行う必要もなかったという事情もあったのだろうが、それにしてもお粗末だ。帝国直轄領は、総督を通じてではあるが、今の帝国が直接支配している街だ。また、イルダが言ったとおり、このサリウムは首都から一番遠い場所にある直轄領だ。その街における軍備や治安の状況を確認することで、首都の様子をうかがい知ることができるかもしれないのだ。
街が近づいて来ると、イルダは目だけが出ているベールをかぶった。
間もなく城門に着いた。
商都カンディボーギルやリャンペインは、商人の出入りが頻繁にある街で、その城門では荷馬車が渋滞しているほどだったが、ここサリウムは落ち着いた保養地ということで、城門も閑散としていた。
ここは、帝国直轄領だから、そこを守る兵士は帝国直属の兵士で、今の帝国の紋章である蛇と獅子の紋章が染め抜かれた外套を鎧の上に羽織っていた。アルタス帝国の紋章は、鷹と獅子の紋章だったので、支配者が変わっていることを、こんなところでも住民達は思い知らされることになる。
それにしても、五人の門番の兵士達は、よっぽど暇なのか、詳しく俺達を調べた。
これまで、どの街でも子供リーシェの存在が審査を甘くしてくれていたが、今日は、そういう訳にいかないようだ。
「首都にいた商人の娘だと? 何という店をしていたのだ?」
貴族領の街では、そんなことを聞いても確認のしようもないから訊かれもしなかったが、ここが首都と直結している街だと思い知らされる。
「花風屋という屋号の服屋でした。ご存じですか?」
イルダが自信たっぷりに答えた。本当はそんな店なんて無いんだが、兵士達だって、巨大な首都にある店の全部を憶えきれている訳がない。
「では、ベールを取れ! それでは顔が分からん!」
横柄さは首都の護衛兵に負けていないな。
「先の大戦で顔に火傷を負ってしまいました。できれば、お見せしたくないのですが……」
悲しげに顔を伏せるイルダは舞台女優としても大成できたんじゃないだろうか。
「そういう訳にいかん! これは規則だ!」
やれやれ、融通が利かないのも首都並みだ。
俺は、あらかじめ打合せをしていたとおり、剣の柄を掴んで、すごんだ。
「おい! 俺のご主人様に恥をかかせようというのか? それじゃあ、てめえら、自分のズボンを脱げと言われて、脱げるのかよ?」
「な、何を言っているのだ? これとそれとは話が違うだろうが!」
「確かにそうだったな。うちのご主人様と、てめえらの粗末な物を比べること自体がおかしかったな」
「貴様! 愚弄するにもほどがあるぞ!」
門番らが一斉に剣を抜いた。
「おいおいおい! 五対一かよ。それはあんまりだ」
俺はそう言いながら剣の柄から手を離し、愛想笑いを浮かべ、揉み手をしながら、五人の門番に近づいた。
「ちょっと、話がある」
剣を抜いている相手の懐に何も待たずに近寄るのは、斬ってくれと言うようなものだが、こいつらが俺に剣を打ち込むよりも速くカレドヴルフを抜き、逆に相手を斬ることは容易いことだ。
それに門番達も、それまでいきがっていた俺が、剣を抜かれた途端に情けなく下手に出たことで侮ったはずだ。門番達も剣を収めて、とりあえず、俺の話を聞いてくれるようだ。
「なあ、ご主人様はまだ花も恥じらう乙女なんだよ。そんな人が顔の傷を見られたくないって気持ちも分かるだろ?」
俺は小さな声で、俺を取り囲む門番らに言った。
「あんたには娘はいないのか?」
俺は一番年長らしい風貌の門番に訊いた。
「い、いや、い、いるが」
既に俺の余裕に飲み込まれている。
「だったらさあ、ベールだけは勘弁してくれよ。その代わりに、ほれ」
俺は、懐から金貨袋を取りだして、その口を縛っている紐を解き、中から五枚のギルダー金貨を取りだして、見せびらかした。
「商人の娘だけに金だけはまだ余るほどあるんだ。これで美味いもんでも食って、家族に何か土産を買ってやりなよ」
五人の門番は無言でお互いの顔を見渡した。
「そもそも、あんな小さな体でしかないうちのご主人様に、どんな危険なことができるっていうんだよ?」
門番にすれば、街にとって危険な奴を入れなければ任務達成で、お尋ね者の摘発などおまけみたいなものだ。だから、街に入る者の人相を確認する必要性はそれほどないはずだ。
「なっ、誰にも言わないからよ」
我ながらゲスの台詞だ。しかし、これも、余裕がある資金を有効に使う手段の一つだ。
門番の連中は、周りを見渡しながら、素早く金貨を一枚ずつ取り、懐に入れた。
「特に危険なことはないようだ! 通ってよい!」
年長の門番がそう宣言すると、他の四名も素知らぬ顔で道を開けた。
「しかし、アルスが門番と交渉している後ろ姿をじっと見ていたが、自然な言い振る舞いであったの」
自分でもゲスな行動が似合いすぎると思っていただけに、ダンガのおっさんに反論はできなかった俺は、馬上のイルダを仰ぎ見た。
「それより、どの宿屋にするんだ?」
「お勧めの宿があるぞ」
イルダの代わりに、しんがりを歩くリゼルが答えた。
「リゼルもこの街に来たことがあるのか?」
「いや、私も初めてだが、同じ魔法士仲間から、サリウムで泊まるのなら、『光月亭』がお勧めだと聞いていたんだ」
「どのへんがお勧めなんだ?」
「料理も美味しいらしいし、温泉の湯も湯治客が絶え間なく訪れるほどの評判の湯らしい」
アルタス帝国がこの大陸を五百年もの間、平和に統治してくれたお陰で、商人は大陸中に商圏を広げて行き来していたし、お金に余裕がある市民達も物見遊山で旅をすることもあった。リゼルは皇室付きの魔法士だったから金には困ってなかったはずだし、魔法の修行で旅をしていたとも言っていた。同じく魔法修行か何かでこの街に来た魔法士仲間から評判を聞いていたのだろう。
「イルダ、そこで良いか?」
「はい。リゼルの推薦ならば間違いないでしょう」
イルダの言葉に、リゼルがはにかんだような笑顔を見せた。
俺達は、その宿屋に向けて歩き出した。
湯治に効く保養地ということで、街もそれなりに賑わっているが、どことなく優雅に時が流れている気がする。湯治客用の飲食店も客引きをすることなく、俺達もゆっくりと通りを歩くことができた。
突然、通りの端から小さな人影が飛び出てくると、俺にぶつかってきた。
殺気を感じれば、俺も咄嗟に避けたところだが、そいつが小さな子供だと分かった俺は、よろけてしまったのかと思い、子供を受け止めるようにして立ち止まった。
その子供の安い仕立てのチュニックとズボンは、しばらく洗濯をしていないように薄汚れていたし、履き古した靴のあちこちには小さな穴が開いていた。
貧しい家庭の子供にしか見えない、その子供は、俺を仰ぎ見るようにして見た。子供リーシェと同じくらいの身長で、白い肌に黒い髪の愛嬌のある顔をした少年だった。
「大丈夫か、坊主?」
「石にけつまずいちまった。ごめんよ」
「気にするな」
少年は、ニコっと笑うと、走って去ろうとしたが、俺は少年の腕を掴んで引き留めた。
「な、何だよ?」
驚いた顔の少年に、俺はできるだけ優しい言葉遣いと笑顔で話した。
「とりあえず、俺のベルトのポーチから抜き取った物を返せ」
少年の顔色が変わったが、少年は俺から視線を外して「何のことか分からないよ」と言った。
「なかなか良い腕をしているな。常習犯だろう、お前?」
「アルス殿、どうしたのですか?」
俺が少年を虐めているようにでも思ったのか、イルダがフェアードから降りて、険しい顔をして、俺の近くに来た。
「いや、こいつが、俺にぶつかった一瞬の隙に、俺のベルトのポーチに入れていた金貨をくすめやがった」
「僕、本当なんですか?」
イルダが少年の正面にしゃがみ、視線を合わせて、問い質した。
「し、知らねえ!」
俺は、飽くまでシラをきりとおす少年の胸ぐらを掴んで引き寄せると、少年のチュニックの胸ポケットに手を入れて、その中にあったギルダー金貨一枚を取り出した。
「じゃあ、これは何だ?」
「お、おいらのだ!」
「嘘吐け! 子供が持てるようなもんじゃねえだろ!」
俺の大声に、少年は怯えたような顔を見せたが、ここで情けを掛けると、結局、こいつは同じことを繰り返すだけだ。盗みはすべての悪行の始まりだと言われるしな。
「これもお前のためだ。憲兵隊でお灸を据えてもらえ」
俺は、少年の手を引いて、憲兵隊詰め所に連れて行こうとした。
「待って、アルス! 許してやってよ!」
久しぶりに聞く声だ。
振り向くと、そこには、エマが立っていた。




