第七十六話 将の器
リャンペインを手始めに、この大陸を支配しようとしていた魔族ホギとその手先のフェリスは、リーシェとコロンの働きによって討たれた。
その大人リーシェとコロンが転移して去ると、間もなく、幌馬車で待機していたイルダが目覚めたようで、リゼルとナーシャを連れて、馬車から降りて来た。
イルダは少し頬を染めていた。
「アルス殿、終わったのですか?」
「ああ、魔法士のリーシェがホギとフェリスを退治してくれたぜ」
「そうですか。それに引き替え、私ときたら……」
イルダが泣きそうな顔でうつむき加減になった。
「どうした、イルダ?」
「あ、あの、私、また居眠りをしてしまって」
「吸血鬼にされていたことで体に負担が掛かっていて、その疲れがたまっていたんだろう」
「でも、夕べはぐっすり眠れることができたのです。私、何か病気なんでしょうか?」
「眠れるということは健康の証だと思うけどな」
「しかし、我々がどれだけ声を掛けても起きられなかったぞ。何か後遺症が残っておられるのではないだろうか?」
リゼルも心配でたまらないという表情をしていた。
「イルダはフェアリー・ブレードの力で元に戻っているはずだ。だから、フェアリー・ブレードが、無理矢理、イルダを眠らせているのかもしれないな。自らが保管されているイルダの体を元気にしておくためにさ」
想定はしていたとはいえ、我ながら口から出任せの言い訳がポンポンと出るものだと感心する。
「そうだと良いのですが」
リーシェの封印を一時的に解くためには、これからも「おやすみ薬」を使う必要があり、その都度、イルダに自己嫌悪をさせることになる。イルダには申し訳ないが、これもイルダ自身のためだと我慢をしてもらうしかないだろう。
俺達とリンカの軍勢は、リュウカ村の壁の中に入った。
しかし、家々は静まりかえっていて、人の気配がしなかった。
家の中を覗くと、村人はみんな死んでいた。もともと死者だったのをホギが蘇らせていたのか? それとも村長のホギが討たれて殉死をしたのか? おそらく前者のような気がする。
リュウカ村には年寄りしかいないと、ホギが言っていた。きっと、兵士に向かない年取ってから死んだが腐敗する前の「新鮮な」死体を蘇らせて、偽りの村人を演じさせていたのだろう。
「さて、どうする? このまま、リャンペインに向かうか?」
俺はリンカに訊いた。
「そうだな。今、リャンペインでは、憲兵隊隊長も行方不明になって大騒ぎになっているだろう。早く真実を市民に伝えたいし、アタシは、この機を逃さず、リュギルを絶対に討ちたいんだ!」
「そうだな。フェリスを憲兵隊隊長に任命していたのはリュギル伯爵だ。ホギやフェリスが魔族だったことを知らなかった訳がない。何も証拠はないが、とりあえず追及してみるか? 上手くいけば、自ら吐いてくれるかもしれないしな」
「よし! 日が暮れる前に攻め込もう!」
太陽は西に傾いてきているが、この地方は日の入りも遅い。暗くなるには、まだ時間はあるはずだ。その時間を無駄にせず、相手が体勢を立て直す前に叩いておくべきだろう。
俺達はそのまま馬を駆ってリャンペインに向かった。リュウカ村から歩いて半刻というリャンペインも馬でならあっという間だ。
リャンペインの城門までやって来ると、「生きた」兵士の門番も多勢に無勢で、抵抗することなく降伏をして、大人しく門を開けた。
「お前ら、良いかい! 住民達には手を出すんじゃないよ!」
そのリンカの命令を守って、リンカの配下達は寄り道することなく、リンカとともに宮殿に向けて駆けて行った。
街のあちこちでは重装備の兵士達が道に倒れていた。どうやら、その体の中に残っていた魔力がなくなったのだろう。
街中には、人っ子一人、見当たらなかった。
突然、兵士が倒れるなんて不気味なことがあった後に馬賊の襲来。住民達は家に閉じ籠もり、息を呑んで、成り行きを見守っているのだろう。
途中、数人の憲兵に会ったが、八十騎からの軍勢に刃向かうこともできずに、呆然と見送っていた。そもそも、連中に命令を下すべき憲兵隊隊長がいなくなっているのだ。動こうにも動けないのが本当のところだろう。
宮殿前にも警備に立っていたと思われる重装備の兵士達が何十人となく倒れていた。
何人かは普通の「生きた」兵士もいたが、その数は圧倒的に少なく、俺達の降伏勧告に従って次々と投降してきた。おそらく、リュギル伯爵は、裏切るかもしれない「生きた」兵士を信用できなかったのだろう。圧倒的に「生きた」兵士は少なかった。
馬を降り、開けっ放しだった宮殿の正面玄関から中に入ると、廊下のあちこちに、やはり大勢の兵士が倒れていた。
俺達は、次々にドアを開けながら、部屋の中を一つ一つ確認しながら、奥へ奥へと進んでいった。
かなり、奥まで進んだはずだと思った頃、ある部屋のドアを開くと、そこはちょっとした広間のようになっており、大勢の文官や召使いらしき者が、体を寄せ合うようにして立っていた。そして、その者達に守られるように、豪華な衣装を着た小さな男の子がいた。
「寄るな!」
女性の中では一番豪華な衣装を着ている、女官長とおぼしき妙齢の女性が短剣を構えて、その幼児を守るように立ち塞がった。他の何人かの召使いも短剣を構えていた。
「女子供には危害を加えるつもりはない。安心しろ」
俺は、カレドヴルフを背中の鞘に戻して、両手を挙げながら、そいつらに近づいて行った。
「その子は?」
俺が女官長らしき女性に訊いたが、怒りの眼差しで睨まれただけで返事はなかった。
「きっと、リュギルの嗣子だろう。まだ、幼い男の子だと聞いたことがある」
俺の隣にいたリンカが言った。
「その嗣子もお前の恨みの対象か?」
「いや、アタシが憎いのはリュギルだけだ」
「じゃあ、どうする?」
「その子には、リュギルに替わって、伯爵家を継いでもらえれば良い」
「お前の弟だしな」
「……関係ないよ」
リンカは照れたそうに俺から視線を外した。
「伯爵はどこだ?」
俺が文官達に訊いたが返事はなかった。
「今さら隠したって無駄だぜ。伯爵を守るべき兵士はほとんど動かなくなってしまった。しらみつぶしに部屋を探していけば見つかるだろう。それとも、あんたらを置いて、一人で逃げたか?」
「我々も閣下とは久しくお会いしていない。玉座の間には、我々であっても入れてくれなかった」
今度は文官の中でも上位と思われる者が一歩前に出て、言った。
「そんなんで、どうやって政務をとっていたんだ?」
「近衛の兵士や憲兵隊隊長を通じて、お下知があったのだ」
「リュギル伯爵ってのは、そんなに人見知りなのか?」
俺が呆れて、リンカに尋ねた。
「いや、それは知らないが、最近、姿を見せていないのは事実だ」
嫌な予感がする。
「とりあえず、玉座の間に行こう!」
リンカが特に信頼していると思われる配下二人を見張りに残して、跡取りの部屋を出た俺達は、そこからまっすぐ伸びる廊下を突き進んだ。他の場所より荘厳な造りの廊下を見れば、玉座の間に向かっていることは確実だ。
正面に豪華で大きな扉が見えてきた。近づいて、押してみると、扉には鍵は掛かっておらず、両側に大きく開いた。
扉の向こう側は広い部屋で、入口から奥に一筋の赤い絨毯が敷かれ、部屋の奥は一段高くなって、真ん中に立派な椅子が置かれていた。
玉座の間で間違いないだろう。玉座に伸びる紅絨毯の左右には、やはり多くの死者の兵士が倒れていた。
正面の玉座には誰かが座っていたが、身動き一つしなかった。
罠を警戒しながら、ゆっくりと近づいて行くと、腐敗臭が鼻を突くようになった。玉座に座っている人物は、身なりは綺麗だったが、ほぼ白骨化していた。
「これは……」
イルダが俺の顔を見ながら訊いてきた。
「リュギル伯爵だろう。ホギがリュギル伯爵も自分の駒でしかないと豪語していたが、本当にそうだったんだな」
「つまり、伯爵も既に死んでいて蘇らされていたと?」
「そうだろうな」
俺はリンカの顔を見た。
「リンカ、どうする、恨みを晴らすか?」
「そうだね」
リンカは、一歩前に出て、玉座に剣を突きつけた。
しばらく、そのままの体勢でいたが、ため息を吐くと、剣を鞘に仕舞った。
「哀れすぎるよ。自らの野心で魔族を呼び寄せたは良いけど、結局、魔族に良いように利用されたってことなんだろ?」
「ああ、そうだろう」
「もう馬鹿らしくなったよ。それに、アタシも動かない屍を傷付けるほど、人でなしじゃないよ」
リンカがリュギル伯爵に恨みを抱いていることは間違いないだろう。そして、既に息絶えている屍を傷付けることはできないという気持ちも分かる。しかし、本当は、その屍が実の父親だからなのかもしれない。
大量にいた死者の兵士がただの死体に戻り、伯爵も死んで、跡取りは幼い男子のみというこの状態は、伯爵家がもはや壊滅寸前だということだ。
そして、人々の口に戸は立てられないだろうし、他の貴族から派遣された斥候により、この街の異変は時間を置かずして知られることになるだろう。すると、リャンペインという金の成る木を求めて、近隣の貴族達による奪い合いが始まる可能性が高い。それはとりもなおさず、この街が戦場になるということで、イルダがもっとも避けたいことだった。
そう言った事態を避けるためには、この街の執政や軍備を早急に立て直す必要がある。
そのうち、執政については文官達が担うことで継続させることはできるだろうが、軍備については伯爵直属ということもあり、これを担う人材はいないのではないだろうか?
「この街は、どうなってしまうのでしょう?」
イルダも俺と同じことを考えていたようで、玉座に座る遺骸を見ながら、イルダがぽつりと呟いた。
「他の勢力から攻められることがなかっても、領主が年少であることを良いことに、内部から好き勝手やる輩が出て来るかもしれないな」
イルダは少しの間、無言で考えていたが、「先ほどの部屋に戻りましょう」と言い、自らが先頭に立って、跡取りの部屋に戻った。
部屋には、まだ文官達がたむろしていた。
「リュギル伯爵はお亡くなりになっていました」
イルダが冷静に事実を告げた。文官達がそれほど驚いていないのは、ずっと姿を見せなかったから、ある程度、予想していたからかもしれない。
「この子が、伯爵家の当主ということになりますね?」
イルダの言葉遣いや態度が皇女様のそれになっている。持って生まれた資質は隠しようがないということか?
文官や召使い達がうなずいたのを見たイルダが「母親は?」と訊くと、女官長が「三か月前に病気でお亡くなりになられております」と、見ず知らずのイルダに丁寧な言葉遣いで答えた。
「その子は本当に独りぼっちなのですね」
イルダの悲しい顔とは対照的に、当の幼児は人が大勢集まっているのが嬉しいからか、無邪気な笑顔を見せていた。
「リンカさん」
イルダが唐突にリンカを呼んだ。
「は、はい」
イルダの態度に呑まれているのか、リンカが素直に返事をした。
「リュギル伯爵の娘であるあなたは、この子の姉です。あなたの他に、この子には血が繋がった者はいません」
イルダが言いたいことが分かったのだろう。リンカが大きく首を振った。
「ア、アタシは馬賊の頭目だよ! 無理だよ!」
「いや、俺もリンカが適任だと思うな」
もちろん、イルダの言うことだから、その味方をしたという訳ではない。
「あの、アジトの街でもリンカは子供達から慕われていた。それだけじゃない。配下の連中の信任も厚い。将の器だ。あの子の補佐をしながら、軍備の立て直しもできるだろう」
「ア、アタシが良くても、街の連中は許さないさ。馬賊の頭目していた女に大事な跡取りの世話を任せる訳にいかないって、反対されるに決まってる!」
「本当にそんな声が上がったら辞めれば良いのです。しかし、あのアジトの雰囲気からすれば、きっと、住民達も納得してくれるでしょう。そして、この街は、あなたや、あなたの母上や義父上が生まれ、育った街です。リンカさんは、その街が戦禍に巻き込まれるのを座して見ていられますか?」
イルダが慈悲を込めて言った。
「……分かったよ。やってみるよ」
イルダが嬉しそうに大きくうなずいた。
「リンカさんなら必ずやり遂げることができるでしょう!」
リンカは、そんなイルダを不思議そうな顔で見つめた。
「イルダさん。あんた、やっぱり、商人の娘じゃないよね?」
「どうでしょうか。ふふふ」
その微笑みも商人の娘なんかじゃない。天使、いや、正義を司る女神だ!




