第七十五話 無敵の力
大人リーシェの後には、犬耳幼女姿のコロンもいた。
「コロン! そなたはフェリスの相手をしてやれ! 同じ犬相手に手を抜くな!」
「りょーかいだぁ!」
コロンは、元気よく返事をすると、リンカが剣を交えているフェリスに向かって行った。
一方、リーシェは俺の隣に立ち、腰に手を当て、首を傾げる、お得意のポーズで、冷たい視線をホギに向けた。
「ホギ、そなたの相手はわらわじゃ」
「貴様か? 魔王だとうそぶいておるのは?」
「わらわが自らを魔王と呼ぶのは戯れ言と申すか?」
「当たり前だ! 魔王は五百年前に討たれておるわ!」
「ほう、わらわのことを知っておったか。誉めてつかわそう」
「馬鹿にしおって!」
リーシェの傲慢な態度に、仙人然としたホギもさすがにキレたようだ。
ホギが杖を振り下ろすと、その杖から飛び出たように、白い大蛇が突然現れた。
とぐろを巻いた胴体の太さだけで俺の身長くらいあるその大蛇が、リーシェにぶつかるように鎌首を伸ばすと、あっという間に、リーシェを一口で飲み込んだ。
しかし、俺はまったく心配してなかった。大蛇に飲み込まれる直前、リーシェが笑顔だったからだ。
俺の予想どおり、大蛇の胴体がぷう~と膨れて破裂すると、何事もなかったように、大蛇の中からリーシェが出て来た。
「なるほど。魔獣をこの世に召喚して操る魔法か。その関連で死者を蘇らせる魔法を習得できたわけじゃな?」
ホギの苦虫を噛み潰したような顔からは、どうやら図星のようだ。
そのホギの横にフェリスが走り寄って来た。その憲兵隊隊長としての制服はあちこちで切り刻まれ、血がにじんでいた。
一方、俺の横にはリンカとコロンが来た。
「アルス! この子は?」
いきなり現れて自分の助太刀をしてくれた犬耳幼女が誰なのか、気にならない方がおかしいだろう。
「そいつは、このリーシェの子分だ。心配するな」
リンカは俺の説明で納得したようだが、リーシェは納得していないような険しい顔をコロンに見せた。
「コロン! まだ始末できてなかったのか? 何をしておる!」
「め、面目ねえっす! でも、このまま、おいらに任せておくれよぉ」
「よかろう。このリーシェの子分としての実力を見せてやるが良い」
コロンは、封印された後のリーシェがその実力を認めて初めて子分にした悪魔だ。それだけに、リーシェはコロンに期待をしているのだろう。
「ホギよ。まずは、フェリスとこのコロンの戦いを見てやろうではないか。それとも、お主にはそれだけの余裕はないか?」
「ほざけ! 良いだろう! フェリス、遠慮することはない。その駄犬を葬り去れ!」
「なんだとー! おいらは駄犬じゃねえやい!」
一応、怒りを表明したコロンは転移をして、フェリスのすぐ隣に現れた。
コロンが跳び上がりながら自分の身長ほどもある剣を打ち込んだが、フェリスもその細身の剣で受け止めた。その大きさでは振り回しにくいだろうと思ったが、コロンは大きな剣を自在に振り回して、フェリスを防戦一方にしていた。コロンの剣の腕がかなり上がっている。いつの間に練習をしたのだろう?
終始、押し気味に攻めていたコロンがついにフェリスの剣を弾き飛ばした。フェリスはそのまま素早く後に下がって、間合いを取った。
「良いぞ、コロン!」
魔王様に誉められて、コロンは嬉しそうに尻尾を振った。
一方、明らかに苛ついているホギはフェリスに険しい顔で怒鳴った。
「何をしておる! こうなれば、そなたも力を解き放て!」
ホギに命じられると、フェリスは巨大な狼の姿に変わった。威嚇して吠える口からは巨大な牙が見え隠れしていた。
「どうやら、フェリスは、召喚魔獣の中で出来が良い奴に容姿変更を教え込んだもののようじゃの。じゃが、所詮は雑魚じゃ! コロン! フェリスの息の根を止めてやれ!」
「おいら、頑張るからね!」
コロンがまた剣を打ち込んだが、フェリスだった狼は大きく後に飛んで距離を取った。
そして、コロンに対して威嚇するように姿勢を低くしたと思うと、その背中の毛が逆立った。そして次の瞬間には、その毛が針のようにコロンに向かって放たれた。
しかし、その針毛はコロンの前に突然できた氷の壁に突き刺さっただけだった。
「同じ手は食わないぞぉ! おいらは駄犬じゃねえからなぁ!」
氷の壁の後でコロンが剣を振り下ろすと、氷の壁が壊れて、その大きな破片の一つ一つがツララのように変形して、狼に襲い掛かったが、狼が素早く後に飛び退いたため、狼がいた所にたくさんのツララが突き刺さった。
「おいらは駄犬じゃねえぞぉ! 頭だって良いんだからなぁ!」
ツララの群れは狼に向かって真っ直ぐに、一つの軌跡を描いて飛んで行ったのではなかった。
フェリスだった狼は、目の前から向かって来るツララにのみ注意力を割かれて、大きく円を描くように左右から向かって来ていたツララには気づかなかったようだ。
二本のツララが見事に狼の背中に突き刺さると、狼は背中から大量の血を流しながら悶え苦しむような咆哮を上げた。
「よくやったぞ、コロン! 教えたとおりにできたの」
魔王様からお褒めの言葉を賜り、喜び勇んで魔王様の近くに寄って来たコロンは、リーシェに喉を撫でられて、うっとりとした顔になっていた。
「まだ、終わりではないぞ!」
目の前でいちゃつくリーシェとコロンに苛ついたようにホギが叫んだ。しかし、リーシェは冷たく言い放った。
「いいや、フェリスはもう死んでおる」
「何だと?」
「そのツララにはの、猛毒が含まれておる。刺さった箇所から溶け出た毒が既に全身に回っておるわ」
リーシェの言葉を裏付けるように、狼のフェリスは口から泡を吹きながら、腹ばいになり息も絶え絶えになっていた。
「さて、次は、わらわの番じゃ。覚悟は良いか、ホギよ?」
「覚悟をするのは貴様の方だ!」
ホギがまた杖を振ると、今度は、どこからか、巨大なムカデが出て来て、その図体の大きさからは想像できない速さでリーシェに襲い掛かった。リーシェが巨大ムカデに向かって突き出した手の先から青白い炎が出てムカデを青い火だるまにしたが、炎はすぐに消えてしまった。
「ほ~う、召還した魔獣の対魔法強化もできるのか」
暢気に構えていたリーシェは巨大ムカデにグルグル巻きにされてしまった。ギリギリとムカデがリーシェの体を締め付けているのが分かった。このままでは、リーシェの体はバラバラに分断されてしまう。
しかし、そんな心配をする暇もなく、ムカデの体のあちこちに切れ目が入ったと思うと、輪切りにされたムカデの体がコロコロと落ちていき、その後には、涼しい顔のリーシェが立っていた。
「この程度の強化では痛くも痒くもないぞ。もっと強い魔獣を召喚できぬのか?」
リーシェに馬鹿にされて、さすがのホギも頭から湯気が出ているのではないかと思えるほど怒り心頭に発していた。
「ホギよ、そなたの召還魔法もなかなかのものじゃ。しかし、その力をリュギル伯爵とやらのため使うことに何の価値があるのじゃ?」
「ふんっ、リュギルなど儂の駒にすぎぬ! 儂がリャンペインの真の支配者だ!」
「では、そなたの願いは何じゃ? リャンペインのみならず、人族に代わって、この大陸を支配することか?」
「そのとおりよ! 五百年前まで支配していた魔王の後継者として、儂が新たな魔王となるのじゃ!」
「ふふふふふ、これは傑作じゃ!」
リーシェは腹の底から大笑いしていた。
「何がおかしい?」
仙人然とした雰囲気をかなぐり捨てて、ホギが青筋を立てて怒った。
「わらわは、お主を後継者に指名した覚えはないぞ」
「何?」
「それに後継者を指名するということは、引退をすることが前提じゃが、わらわにはそのつもりもない」
「まさか……」
「何度も言っておろう。その、まさかじゃ。お主もそこそこは強い魔法を使えるようじゃが、魔王を名乗るには力不足じゃ。そんなお主が魔王を望むこと自体おこがましいと、わらわ自身が思い知らせてくれようぞ! まだ見せていない召還魔法があるのなら見せてみよ!」
ホギは、リーシェのリクエストに応えて、爪と牙が通常の三倍はある巨大熊とか、人を捕らえる糸を吐く巨大蜘蛛とか、口から火を吐くハゲワシとかを召還したが、いとも簡単にリーシェに撃退されてしまった。
人族であれば、撃退することに苦労するか、下手をすれば殺されてしまうほど強い召還魔獣だが、魔王様にしてみれば、ゴキブリ程度のものでしかないようだ。
「どうした? もう終わりか?」
「ぐぬぬ」
もはやホギは唸ることしかできなかった。
「ホギよ。わらわはもう飽きたぞ。少なくとも、お主を後継者などには指名せぬから、安心して地獄に墜ちるが良い」
リーシェは背中の剣を抜くと、その場で振り下ろした。
その風で体をぶった切る風切剣という魔法だ。しかし、その見えない風の剣は、ホギが突き出した右手に持った、やはり見えない盾で防がれたようだ。ホギの体は何事もなかった。
「偉そうな口をきいておきながら、この程度の実力か! どうやら、その容姿を利用して、籠絡と運だけで魔王様になっただけか?」
「お主は見た目と違って本当に馬鹿じゃな。今、コロンが使った技をもう忘れたか?」
「……!」
ホギがリーシェの言葉の意味を理解した時には、ホギの手足は切り取られて、頭と胴体はそのまま地面に叩きつけられてしまった。
コロンが三方向にツララを飛ばしたように、リーシェも真正面から風切剣を飛ばすとともに、左右からも風切剣を飛ばしたのだ。
リーシェは、ゆっくりと地面に横たわるホギに近づいて行った。
「最後に訂正を申し入れておこう。わらわがその昔、この大陸を支配したのは、全ての魔族を屈服させて成し遂げたものじゃ。籠絡などという姑息な手など使ったこともないわ。そして、わらわに刃向かった者には、必ず死をもって報いてもらっておった。それは今も変わらぬ」
仰向けに横たわって身動きできないホギは、目だけをリーシェに向けることしかできなかった。
「お主の死体は生き返らないように燃やし尽くしてやる。永遠の眠りにつくが良い」
リーシェが軽く剣を振ると、ホギの首が弾けるようにして切断された。そして、リーシェがその頭に剣を突き刺すと、粉々になると同時に青い炎に包まれ、あっという間に跡形もなく燃え尽きてしまった。残された胴体と手足にもリーシェが剣を突きつけると、その先端から青い炎が放たれ、ホギの遺体を跡形もなく燃やし尽くしてしまった。
ホギの体が消滅したのを見届け、剣を背中の鞘に仕舞うと、リーシェは、印を結ぶように手を動かした後、両腕を天に向かって突き上げた。
リュウカ村をすっぽりと覆うほどの巨大な魔法陣が青空に浮かび上がると、それがそのまま、ゆっくりと地上に降りてきて、俺達や死者の兵士などを通り過ぎて、そのまま地面に消えて行った。
すると、今までリンカの配下どもと追いかけっこをしていた死者の兵士達は、操り人形の糸が切れたように一斉にその場に倒れ込んだ。人形使いの時と同じように、兵士達の中に残っていた魔力を散らしたのだろう。
俺とリンカも剣を収めつつ、リーシェの隣に立った。
「終わったのか?」
「終わった。こいつらはただの死体に戻ったはずじゃ」
「ここに来ていない兵士は?」
「ホギが死んだ今、魔力の補給は途絶えたままじゃ。すべての死者の兵士は、一日もしないうちに、ただの死体に戻るじゃろう」
リンカは、何が何やら分からないような顔をして、リーシェを見つめていた。
それにしても、ホギとフェリスを相手に、はっきり言って、今回、俺はほとんど何もすることがなかった。圧倒的な力を見せつけたリーシェが、一人で死者を蘇らせるという高級魔法を使うホギをいとも簡単に打ち負かせた。コロンもいたが、コロンはリーシェの子分だから、併せてリーシェの力と言って良いだろう。
俺は、カルダ姫一行と話していた時に、イルダが話したことを思い出した。
誰もが逆らうことを諦めるほどの圧倒的戦力を見せつけて、戦争をすることなく、この大陸を再び統一することがイルダの理想だ。
その圧倒的戦力を持つ者、それは、今この大陸には、きっと、リーシェしかいない。
もし、リーシェがイルダに協力することになれば、イルダの夢物語が実現できるかもしれない。
リーシェは魔族だが、ちゃんと人族とコミュニケーションが取れる。人族と同じような価値判断もできる。リーシェの封印を解いた上で、リーシェを味方にすることはできないだろうか?
リーシェの封印が解ける時は、イルダの命が無くなっている時だ。しかし、フェアリー・ブレードは、吸血鬼になったイルダの体を元に戻すために、自らの意思で出て来た。あらゆる魔法を封じるというフェアリー・ブレードには、魔王リーシェでさえも手も足も出なかった。
つまり、フェアリー・ブレードをリーシェよりも先に手にすれば、リーシェを「支配」することもできるのではないだろうか?




