第七十三話 呪われた出自
次の日の朝。
固い床の上で寝たにもかかわらず、逃避行の疲れが出たのか、ぐっすりと眠ることができた。
俺達が目覚めると間もなく、リンカの配下だと思われる無骨な男どもが、焼いたバナナにミルクだけという簡単な朝食を持って来てくれた。
テーブルもない部屋だったから、俺達は車座になって朝食を食べ始めると、リンカがやって来た。
「眠れたかい?」
俺達の車座の中、ちょうど、イルダの真ん前、俺の隣にリンカが胡座をかいて座った。
「はい、お陰様で。ありがとうございます」
イルダが律儀にリンカにお辞儀をした。
「それは良かった。それで……」
リンカはキョロキョロと俺達を見渡して、最後に俺を見た。
「アルス。昨日の夜、一緒だったリーシェ殿は?」
俺は、リンカに説明する前に、イルダに説明をすることにした。
「昨日の夜、魔法士のリーシェがやって来たんだ。みんなを起こさないように外で話をしていると、ちょうど、リンカがやって来て、そこで少し話をさせてもらった」
みんなが寝静まった頃、大人リーシェと逢い引きしているのではないかと、イルダに誤解されることは避けたいからな。
「リーシェ殿はどういうご用件だったのだ?」
リーシェのシンパになっていると言っても過言ではないリゼルが俺に訊いた。
「リーシェもリャンペインでフェリスに逃げられたから、目に物を見せてやりたいと意気込んでいるんだ。リンカがフェリスやホギを攻めるのなら協力すると言ってくれたぜ。なっ、リンカ?」
「あ、ああ」
リンカの顔が赤い。リーシェの奴、女にもこんなにモテたら、俺の出番が無くなるじゃねえかよ!
「魔法士のリーシェは、あれからすぐにいなくなったぜ。転移魔法と言って、自由自在にどこにでも行ける魔法が使えるから、リーシェは神出鬼没なんだよ」と、俺はリンカの質問に答えた。本当は、目の前で子犬のコロンと焼きバナナを分け合って食べてるんだけどな。
「アタシも腹を決めたよ。今まで、チマチマと奴らの邪魔をして満足してたけど、アルスやリーシェさんの協力が得られるんなら、潰しに掛かるからね!」
「お前が腹を決めたのなら、リーシェも喜んで協力するだろう。俺達もやるよな?」
イルダは、俺の顔を見て、しっかりとうなずいた。
「もちろんです! 魔族に支配される街があって良いはずがありません!」
理想に燃えるイルダならではのコメントだが、戦略的なことから言っても、今、リュギル伯爵を叩いておく必要がある。
死者の軍団などという、そもそも飯も食わず、家族を養う必要もない低コストで、ある意味、不死身という反則的な兵士により、リュギル伯爵がこの大陸の勢力図を変えてしまうことを避けるべきなのだ。
リュギル伯爵の軍勢が今の帝国軍の勢力と拮抗して、お互いを消耗しあうということをしてくれれば、俺達が漁夫の利を得ることができるが、リュギル伯爵の勢力が今の帝国の勢力を凌いで、それに取って代わるようなことになってしまうと、最終的に倒すべき相手としてやっかいだ。
「リンカ、俺のご主人様もこういう意見だ。一緒にリュギルの野郎を倒そうじゃないか!」
「分かった」
「それで、お前がリュギル伯爵に刃向かう理由、お前は『恨み』と言ったが、それがどんなものかは、まだ、教えてくれないか?」
リンカは、背筋を伸ばして顔を上向けて、しばらく天井を見ていたが、ふう~と大きく息を吐いて姿勢を戻すと、俺を真剣な表情で見つめた。
「分かったよ。アタシも昔話は嫌いだけど、アタシに協力してくれるというあんたらの言葉を信じて、特別に話すことにするよ」
リンカの悲壮な表情に、俺もイルダも無言のまま、リンカの言葉を待った。
「リュギルはアタシの母親の命を奪った。そして、アタシの体の中には、その憎むべき男の血が流れているのさ」
リンカのリュギル伯爵に対する憎しみは、自分の中に流れる汚らわしい血を忌み嫌っているからだった。つまり、リンカはリュギル伯爵の落胤だったのだ。
リンカの母親の夫キルバルドは、フェリスの前の前の代の憲兵隊隊長で、二人の間に子はなかったが、仲睦まじく暮らしていた。しかし、リンカの母親を見初めたリュギル伯爵が、二人を強制的に離別させ、母親を宮殿に軟禁状態にした。そして、母親は伯爵の子を身籠もった。それがリンカだ。
しかし、爵位の継承権を持たない女の子であるリンカを生んでからの母親にリュギル伯爵はまったく感心を示さなくなり、母親は暇を出されて宮殿から追い出された。
一方で、自らの血を引くリンカは、政略結婚の具として利用できるからか、伯爵の手元に残された。娘と引き離され、絶望した母親は自ら命を絶った。
それまでの幸せをすべて奪われたキルバルドは、自分の子ではないが、妻の忘れ形見でもあるリンカを取り戻そうと、何人かの協力者とともに宮殿に忍び込んで、リンカを連れ去り、そのまま、リャンペインを出奔した。その逃避行の最中、キルバルドは、襲って来た馬賊の頭目を退治して、その後釜に収まった。
キルバルドは、馬賊の頭目となった後も、伯爵への恨みを晴らすべく、伯爵に物品を収める商人、いわゆる御用達の商人だけを襲い、その略奪品を生活の糧とした。
一方で、元憲兵隊隊長のキルバルドの指導により、配下の剣の腕前もメキメキと上がり、統率も取れるようになり、集団内の秩序や治安が改善されると、このアジトも、子供達が歓声を上げる普通の街へと変貌していった。
リンカは、本当の父親ではないが、キルバルドを父と慕い、そのキルバルドから剣術を徹底的に教え込まれた。リンカが自らの身の安全を図れるためと、キルバルド自身がいなくなった後、リンカがこの馬賊の連中を率いることができるようにだ。キルバルドは一年前に病気で死んだようだが、最後まで配下達から尊敬されていて、その跡を「義理の娘」のリンカが継いだのも、ごく自然にそうなったらしい。
「そんな悲しいことが……」
イルダが大粒の涙を落とした。
「イルダさんは、どうして、人のことでそんなに泣けるんだい?」
「リンカさんは悲しくなかったのですか?」
「キルバルドは、死ぬ直前に本当のことを話してくれたんだ。確かに悲しかったよ。アタシの体には、尊敬するキルバルドではなくて、汚らわしいリュギルの血が流れていることがね」
「リンカさんの話を聞いて、ますます、リュギル伯爵を討たなくてはとの思いが強まりました。そんな領主の元では悲劇が繰り返されるはずです。そんなことを許しておける訳がありません!」
「……イルダさんって本当に商人の娘なの? 行動原理が損か得かじゃなくて、正義か悪かって感じなんだけど?」
「えっと、あの、行方不明の父親の教えです」
いや、そんな商人はいないって。
イルダの行動原理は、領民が幸せか不幸せかという、天に代わってこの世を治める皇帝のものだ。
「念のために訊くが、お前は、リュギル伯爵のことは父親だなんて思ってもないんだろ?」
俺はリンカに念を押した。
「もちろんだよ! アタシの父親はキルバルドだよ!」
「そうか。じゃあ、リュギル伯爵を討伐しても良いんだな?」
「当たり前だ! アタシの究極の目的はそれなんだ。母親の仇を討ちたいんだ!」
「お前がリュギル伯爵を恨む理由は分かった。それで、ホギとフェリスのことは、どうして知ったんだ? 現場を見たと言っていたが?」
「アタシが実際に見たのではなく、リャンペインに忍び込ませていた間諜からの報告で知ったのさ」
「馬賊が間諜を?」
「ああ! 馬賊のアタシらが宮殿に籠もっているリュギルを討てる訳がないけど、街の外に出る機会があればチャンスがあるだろ? だから、その情報を集めていたのさ」
「なるほど。そいつらがフェリスの情報も集めたということだな?」
「ああ、最近、リュギルはずっと宮殿に閉じ籠もったままで、リュギルに関する情報はまったく把握できなかったけど、約半年前にフェリスが憲兵隊隊長に就任した頃から、リャンペインで不気味な出来事が起きるようになったって報告があったんだ」
「神隠しのことか?」
「ああ、そうだよ。憲兵隊がまったく動いているようでもなかったから、うちの間諜を憲兵隊長のフェリスの屋敷に忍び込ませたんだ。そうしたら、屋敷の中で女性の血を吸っているフェリスを見つけてね」
「それをお前が知っているということは、その間諜は無事帰って来ることができたってことだな?」
「ああ、深傷を負いながらも知らせてくれたよ。もっとも、その後すぐ亡くなったけどね」
「ちなみに訊くが、その間諜は男か?」
「ああ、そうだよ。フェリスは若い女性の血しか吸わないようだからね」
フェリスは、初めて会った時から、イルダ自身ではなく、イルダの血を欲していたのだろう。救世主カリオンから脈絡と流れるイルダの血は何か特別な匂いでもしたのかもしれない。
「それから、アタシらはフェリスの行動をずっと見張るようにしたんだ。そしたら、フェリスは定期的にリュウカ村に出向いて、村長のホギと会っていることも分かったんだ」
「それからは、ホギも見張るようにしたってことか?」
「ああ、アタシらが見張っていることに気づかずに、ホギとフェリスは、リュウカ村の隣にある墓地に行って、若くして死んだ者を次々と蘇らせていたんだ」
「その事実をどうしてリャンペインの住民に知らせない?」
「アタシらがリャンペインでどう思われているのか、アルスだって聞いていたじゃないか?」
「襲われた後には竜巻が通り過ぎた後のように何も残らないほどの酷い略奪をする極悪非道の馬賊の頭目『疾風のリンカ』か?」
「ああ、そんなアタシらの言うことをリャンペインの住民が信じてくれる訳がないじゃないか。実際に街でビラを撒いたりしたけど、すぐに憲兵隊がやって来て捕らえようとするし、ビラもすぐに回収されてしまったよ」
相手はリャンペインの治安維持を担う憲兵隊の隊長だ。街を不安に貶めるビラを撒き散らす輩を取り締まってもおかしくも何ともない。街の住民だって、憲兵隊と馬賊とでは憲兵隊が言うことの方を信じるだろう。
「だから、実力行使しかなかったんだけど、アタシらの力じゃ、チマチマと嫌がらせをする程度しかできなかったんだ」
リンカの顔には悔しさがにじみ出ていた。
「リンカの事情は分かった。その恨み、俺も一緒に晴らしてやるぜ」
「とりあえず、感謝をするよ。でも、どうやって攻める?」
俺は昨日の大人リーシェの話を思い出した。狼の魔族であるフェリスよりホギの方が強力な魔法を使うらしい。
「魔法士のリーシェが言うには、ホギはかなり強力な魔法使いのようだ。ホギをターゲットにするのであれば、相当な準備と覚悟が必要だろう」
「では、リャンペインのフェリスを攻めるか?」
胡座をかいて俺の隣に座っているリンカが俺の方に身を乗り出すようにした。
「いや、リャンペインに攻め入るには、まず城壁を越えなければならないし、中に入れたとしても死者の兵士達が大量にいる。それに、こちらの軍勢をリャンペインに入れると、間違いなく大きな戦いになり、住民に被害が及ぶことも避けられない」
「だとすると、やはり、リュウカ村か?」
「どちらかというとそうだな。そこにフェリスを呼び出す。これも魔法士のリーシェの見立てだが、ホギがフェリスの親玉なのではないかと思えるんだ。だとすれば、リュウカ村に攻め入れば、フェリスも馳せ参じて来るだろう。前回、リンカがリュウカ村を襲った時にもフェリスが駆けつけて来た。今回も大々的に目立つように進軍を開始すれば、必ず、フェリスはリュウカ村に来るはずだ。そこで一網打尽にする!」
「分かった。では、目標はリュウカ村にしよう。日時は?」
「いつでも良いぜ。魔法士のリーシェもそう言っていた」
「では、明朝、全軍で攻め入る!」
リンカが帰った後、俺達もあてがわれた家で作戦会議を開いた。
「アルス殿、明日は私も行きますから!」
イルダが反対は許さないという意気込みで言った。
命知らずというか、怖い物知らずというか。まあ、予想どおりではある。
「分かったよ。しかし、今回は、リンカの配下と死者の兵士との戦いは避けられず、混戦模様となるだろう。そうなると、俺もずっとイルダの側にいることはできないかもしれない」
「私とダンガが常にイルダ様の近くにいよう。反面、アルスの助勢はできないかもしれないが」
リゼルが申し訳ない表情をした。
「いや、今回も魔法士のリーシェが来てくれることになっている。心配するな」
「そうだな。リーシェ殿がいてくれれば安心だ」
「私達のリーシェは、ここにいてもらいましょう。同じくらいの子供も多くいますし」
イルダが子供リーシェの頭を撫でながら言った。いつもは子供リーシェを一人残すことはできないから連れて行っているが、ここには遊び相手もいっぱいいるから大丈夫だろうと思ったのだろう。
もっとも、封印が解けたリーシェは転移魔法が使えるから、一緒に行ってなくても大丈夫だ。
問題は、イルダを眠らせる手段だ。
事情を知っているエマなら、こっそりとイルダを眠らせることができるだろうが、今回はエマの助けは得られない。戦いの直前まで、俺がイルダの近くにいて、ここぞという時にイルダを眠らせるという手が一番確実だが、イルダを無駄に前線に立たせておく必要がある。
混戦に巻き込まないように、イルダには少し引いた場所で待機していてもらいたい。そうすると、イルダの護衛の任に当たるリゼルかダンガのおっさんを騙して「おやすみ薬」をイルダに嗅がせてもらうしかないが、二人が大切なイルダに訳の分からない匂いを嗅がせるとは思えない。
リゼルとダンガのおっさん以外には、……いるじゃねえか!
深く考えずに、俺の頼みをきいてくれる奴が!




