第七十話 封魔の剣の主
イルダの体から浮かぶように姿を現した虹色にも金色にも見える不思議な剣を、リーシェは「フェアリー・ブレード」だと呼んだ。
確かに、光の加減で見える迷彩模様は「眠れる砂漠の美女」の羽の模様に似ている!
すると、これが紛れもなきフェアリー・ブレードなのか?
だとすれば、どうして、今、姿を見せたんだ?
「フェアリー・ブレードじゃ!」
リーシェが、再び、そう叫び、腕を伸ばして、フェアリー・ブレードを奪い取ろうとした。
しかし、イルダの周りにできている見えない壁を魔王様ですら壊すことができなかったようで、フェアリー・ブレードの方に腕を伸ばしたまま、もがいていた。
その間にも、フェアリー・ブレードはゆっくりと上がっていき、刀身を下にしたまま、イルダの頭上に達した。そのまま落下したら、イルダの脳天に突き刺さるような形で宙に浮かんでいた。
しばらく、そのままの状態でいたが、突然、フェアリー・ブレードがイルダの脳天に突き刺さるように落ちた。その刹那、辺りは直視できないほどの眩しい光で包まれた。
光は一瞬で収まったが、その強い光で一時的に目が見えなくなってしまったようで、目を開けていても何も見えなかった。
俺は、もう一度、目を閉じて、瞼の裏にチラチラとちらついている光が収まってから、目を開けた。
リゼルとダンガのおっさん、そして、ナーシャも、目を押さえたり、頭を振りながら、ゆっくりと立ち上がっているのが見えた。
呆然と立ち尽くしている子供リーシェと目が合った。側には子犬のコロンもいた。
リーシェが封印されている?
フェアリー・ブレードは?
さっきまで宙に浮かんでいた剣はどこには見えず、そこには、イルダが倒れていた。
俺は、すぐに倒れているイルダの元に駆け寄った。今までイルダに近づけさせなかった見えない壁はもう無かった。
俺はひざまづいて、倒れているイルダの上半身を抱え起こした。
「イルダ! イルダ!」
イルダはゆっくりと目を開けた。先ほどまでと違い、穏やかで優しい目。いつものイルダの目だった。
「アルス殿?」
「ああ。大丈夫か?」
「え、ええ。……ここは? 確か、フェリス殿の家で食事会をしていて……」
その後の記憶が飛んでいるようだ。もう、終わったことだ。今すぐに、全部をイルダに話す必要はないだろう。
「フェリスは魔族だったんだ。しかし、ちょうど来た魔法士のリーシェに助けてもらったんだよ」
「そうだったのですか? 魔法士のリーシェさんは?」
「いつの間にか姿を消していたよ」
「みんなは?」
「みんな、無事だ」
自分よりも仲間の心配をする。イルダに間違いない。
「立てるか?」
「はい」
イルダは俺の手を取りながらも、自分で立ち上がった。
俺がイルダと普通に話しているのを見て、リゼルとダンガのおっさん、そして、子供リーシェの手を引いたナーシャが近寄ってきた。
「イルダ様! お加減は?」
「ええ、悪くありません。大丈夫ですよ、そんなに心配しなくても」
リゼルがいつになく心配そうな顔をしていることにイルダも気づいたようだ。イルダのあんな姿を見せられては、心配するなと言う方が酷だ。
「俺だって心配していたんだぜ。なかなか目を覚まさなかったから、リゼルもすごく心配していたんだ」
「そうなのですか。リゼル、心配を掛けてごめんなさい」
「い、いえ」
リゼルが顔を伏せた。泣いているように見えた。
「とにかく、もう少し街から離れよう。イルダ、フェアードに乗れるか?」
「はい。大丈夫です」
イルダは、俺の助けを借りて、フェアードの鞍に横向きに座った。
「リーシェ、いらっしゃい」
イルダが馬上から子供リーシェを呼んだ。
俺は、子供リーシェを馬の上に乗せようと、その体を抱っこした。そして、その耳元で囁いた。
「お前には、フェアリー・ブレードを渡さないからな」
一瞬、俺を睨んだように見えたが、すぐに何を考えているのか分からない無表情キャラに戻った子供リーシェを馬上のイルダに渡した。
憲兵隊長が吸血鬼だったということで、領主のリュギル伯爵も途端に怪しくなった。魔族のフェリスと契約を結んでいるのかもしれない。
そして、死者の軍団。
カレドヴルフだからこそ、奴らの鎧を切ることができたが、普通の兵士が持っている剣では、あの最新鋭の鎧にダメージを与えることもままならないだろう。それに首や腕を斬っても、痛がることもなく戦いを挑んでくる、もう死んでいるから死ぬことのない兵士達は、ある意味、最強だ。
そして、街で起きていた神隠しは、吸血鬼のフェリスが自分の欲求を満たすために起こしていた可能性が高い。犯人が憲兵隊隊長なのだから事件が解決するはずがない。
いずれにしても、フェリスは、その正体を見られた俺達を徹底的に追ってくるはずだ。この事実が知れ渡ると、憲兵隊隊長としての自らの地位もそうだが、領主のリュギル伯爵の地位も危ないからだ。
魔族と結託して、不死身の軍団を組織するリュギル伯爵は、このままいくと今の帝国に取って代わる勢力となるはずだ。今の帝国はもちろんだが、この周辺の貴族達も、このリュギル伯爵の陰謀を知れば、これ以上、リュギル伯爵の勢力が大きくならないうちに叩こうとするだろう。一方で、リュギル伯爵とすれば、もっと圧倒的な軍備を整えてから事を起こしたいはずで、この陰謀が公にならないように俺達の口を塞ごうとするはずだ。
だから、リュギル伯爵領から早く出なくてはならない。まずは逃げるんだ!
目に見えない追っ手を恐れて、夜通し西に向けて小走りに駆けてきたが、さすがに昨日の夜から夜通しの行軍で、俺達の疲労はピークに達していた。
時間は昼頃。辺りは、ところどころに樹木が生い茂った箇所があるだけで、見渡す限りの草原だった。
しばらく行くと、俺達を隠してくれるくらいに、こんもりと樹木が生い茂った所があった。
先頭を歩いていた俺が、振り向いて「あそこで休憩しようぜ」と告げると、みんな、ほっとした顔を見せた。
名馬フェアードも一緒に、樹木の繁みの中に入って、隠れるようにして腰を下ろした。
「腹ごしらえをして、少し眠ろう」
辺りには川や池のような水がなかったことから、ダンガのおっさんがいつも担いでいるトランクの中に非常食として備え付けられているクッキーをみんなで分けた。塩気が効いていて、疲れた体にエネルギーを補給してくれた気がした。
クッキーを食い終わった後、いつまでも隠しおおせるものではないと考えて、俺は、イルダに昨日の夜からの出来事を洗いざらい話した。
「私がそんなことを?」
「ああ、なかなかに迫力があったぜ」
「そ、そんな……」
リーシェと違い、花も恥じらう乙女であるイルダは顔を真っ赤にしていた。自分が俺達に向かって牙を剥いて威嚇したと言われて恥ずかしくなったのだろう。
しかし、その後、フェアリー・ブレードが姿を見せたことを聞いて、恥ずかしさはすぐに吹き飛んでしまったようだ。
「私の体からフェアリー・ブレードが?」
「ああ、錬金術師のマタハが言ったように、やっぱり、イルダの体の中に隠されていたようだな」
「どんな剣だったのですか?」
「黄金でできているように見えたが、キラキラといろんな色で輝いている玉虫色のようにも見えたな。あんな剣は俺も初めて見たぜ」
「そうなのですか。でも、それがフェアリー・ブレードだと、どうして分かったのでしょう?」
五百年前に救世主カリオンが魔王リーシェを討ち取って以来、誰の目にも触れられていないフェアリー・ブレードがどんな剣を知っている者はいない。当の本人であるリーシェ以外はだ。
「イルダの体から出て来たとなると、フェアリー・ブレードしかないじゃないか、と魔法士のリーシェが言ったんだよ」
少し表現を曖昧にしたが、大まかに言って間違っていない。
「アルス殿」
「うん?」
少しの間、考え込んでいたイルダが俺を見つめる瞳は、何かを決意したかのような厳しさを秘めていた。
「そうすると、フェアリー・ブレードを取り出すには、私がおかしくなるとか、そうすれば良いのでしょうか?」
イルダは、吸血鬼のフェリスに噛まれて、自身も吸血鬼になった。その吸血鬼になったイルダを救ったのは、フェアリー・ブレードだった。
では、これまでその存在が伝説でしかなかったフェアリー・ブレードは、なぜ姿を見せたのだろう?
これは俺の想像でしかないが、フェアリー・ブレードは自らの「保管庫」であるイルダを守ったのではないだろうか? 吸血鬼になってしまったイルダの体には、そのまま収まっていることができなくて、フェアリー・ブレード自らがイルダの体を元どおりにしたということだ。
そう考えると、イルダの体を同じような状態に置くことで、フェアリー・ブレードを取り出すことができるということになる。イルダもそのことを言っているのだ。イルダなら自分の体を犠牲にしてでも、フェアリー・ブレードを取り出そうとするだろう。
「残念ながら、フェアリー・ブレードが姿を見せた時、俺達は誰もイルダに近づくことができなかった。見えない壁がイルダの周りにできていたみたいだった」
「だから、誰もフェアリー・ブレードを取れなかったのですね?」
「ああ、フェアリー・ブレードは誰かが取り出したんじゃなくて、自らの意思で出て来た感じだった。そんな時は、きっと、誰もフェアリー・ブレードを手にすることはできないのだろう」
そうだ。魔王様だって手にすることができなかったのだ。
「それに、イルダを、また、あんな危険な目に遭わせることなどできない。そうだろ、リゼル?」
「当たり前だ!」
「と言うことだ。これまで歴代の皇帝は、フェアリー・ブレードをその体に隠す者を五百年もの間、ずっと、変えてきている。つまり、自由に取り出す方法は必ずあるということだ。それを探すんだ」
そうだ。その方法をこの旅で見つけるんだ。それも魔王様よりも先にだ。
その後、少し仮眠を取ることにした。また、俺とリゼルとダンガのおっさんが交代で見張りをすることにした。
面倒なことは先に済ませておいて、後でゆっくりとする方が好きな俺が、まず見張りに立った。
みんなは毛布にくるまって、木の根元などの地面にそのまま横になった。相当、疲れていたようで、すぐにダンガのおっさんの大きなイビキが聞こえてきた。イルダやリゼル、ナーシャもそのイビキを気にすることなく寝入ったようだ。
俺達が休憩している所は、街道からかなり離れているようで、街道を通っているであろう人や馬の音も聞こえず、風が生い茂った樹木の葉を揺らす音に、時折、鳥が飛び立つ音が混じるくらいで、静かだった。
俺の隣に大人リーシェが現れた。
無言で俺の隣に座り、珍しく気落ちしているようにシュンとした表情で俺を見ていた。
「アルス、怒っておるのか?」
「いや」
「本当か?」
いつもの冷笑も潜めて、上目遣いで俺を見る魔王様は新鮮だった。
「本当だよ。だって、お前は、自分の封印を解くためにフェアリー・ブレードを探していると正直に話していて、そのとおりに行動したんだから、俺が責める理由はねえだろ?」
「……」
「でもな」
俺は、体をリーシェに向けて、真正面からリーシェを見すえた。
「フェアリー・ブレードはイルダのものだ! フェアリー・ブレードがイルダを元に戻したのを見ただろう? そして、お前は身動きできなかったはずだ。つまり、フェアリー・ブレードは、イルダを守るために現れて、お前に掴まれることを拒んだんだよ」
「……」
「もし、お前がフェアリー・ブレードを無理矢理にでも奪おうとしたら、俺はお前を斬るからな」
「分かった。最初から、わらわとそなたはそういう間柄じゃったな。長く一緒に旅をしてきて馴れ合ってしまったが、アルスがイルダの味方をするということは、わらわとは敵同士ということじゃな」
「そうだ。しかし、その時にはだ」
「……」
「フェアリー・ブレードは、また、姿を隠してしまった。あの時、お前だけじゃなくて俺も身動きできなかったし、他のみんなも動けなかった。つまり、フェアリー・ブレードはおいそれと自由に取り出せるもんじゃないってことだ。フェアリー・ブレードを自由に取り出せるようになる時までは、お前はイルダを守ってくれるんだろ?」
「それは約束をしようぞ。わらわ自身のためじゃが」
「なら、その時までは、イルダを守るという同じ目的を持った味方だ」
「……分かった。それでは、今までどおりでいてくれるということじゃな?」
「ああ、そうだ」
リーシェは膝を進めて、俺の隣に密着して座ると、腕を絡めて、首を俺の肩に乗せた。そういえば、イルダにも同じことをされた記憶があるが……。
「アルス、そなたは本当に良い男じゃな」
「気づくのが遅いってんだよ」
「ふふふ」
その後しばらく、俺はリーシェの体温を感じていた。しかし、最初に出会った頃のように、淫らな思いはわき上がらなかった。イルダと同じような感覚だろうか?
「アルス、聞こえるか?」
ふと、頭を上げて、遠くを見つめながら、リーシェが言った。
「いや。何の音だ?」
「蹄の音じゃ。まだ遠いが……、そうじゃな、三十騎ほどかのう。南から聞こえる」




