第六十八話 バンパイアの狼
俺達一行のメンバーの間では「魔法士のリーシェ」でお馴染みの大人リーシェが、突然、現れたことで、ダンガのおっさんやナーシャも驚いていたが、俺も大人リーシェが子供リーシェの手をつないでいることに驚いた。
が、よく見ると、……おいおい! 犬耳がそのまま残っているぞ!
ダンガのおっさんとナーシャが気づいていないのが幸いだ。
いや、それより、大人リーシェが言ったことだ。
――イルダが危険だと?
リーシェは、俺達には何も言わずに、ツカツカと俺の前に進み出ると、勢いよく右手をドアに向けて突き出した。
何かが爆発したかのように、ドアは外に向けて吹き飛んだ。
「さあ、どこにいるかのう?」
明らかに手をつないでいる子供リーシェに向けて言うと、子供リーシェは鼻をくんくんとさせてから、廊下の右の方を指差した。
「よし、行くぞ!」
リーシェの跡について、俺達も廊下を小走りに走った。
廊下が分岐している場所では立ち止まり、子供リーシェに化けているコロンの指示する方向に向かった。
そうしているうちに、廊下の真ん中にリゼルが倒れていた。
「リゼル!」
俺が駆け寄り上半身を抱きかかえたが、リゼルは目を覚まさなかった。
しかし、リゼルの豊満な胸が上下していた。どうやら、気絶をしているだけのようだ。
「ダンガのおっさん、リゼルを頼む! ナーシャも治癒魔法を施してやってくれ!」
「分かった!」
ダンガのおっさんとナーシャを残して、俺と大人リーシェは、子供リーシェの鼻の導きに従って、更に奥に進んだ。
そして、あるドアの前で子供リーシェは立ち止まった。
「ここにいるのか?」
俺の問いに子供リーシェがうなずいたの見て、大人リーシェが片手を突き出すと、木の扉が部屋の中に向けて吹き飛んだ。
俺は、すぐに部屋の中に飛び込んだ。
薄暗い部屋には、大きなベッドがあり、イルダが横たわっていた。そのイルダの顔をのぞき込むようにひざまづいていた人物がゆっくりと立ち上がり振り向いた。
異様に青い顔をしたそいつは、先ほどまでとは印象が違っていたが、紛れもなくフェリスだった。
「フェリス! これはどういうことだ?」
「どうやって、あの部屋から出たのだ? 魔法でロックしていたはずなのに」
「ふんっ、あの程度でロックしておったとは馬鹿にしておるのか?」
俺の隣にリーシェが立った。その後には犬耳幼女の姿に戻っているコロンも控えていた。
「感じる。強い魔力だ。それも半端ないほどに。貴様はいったい何者だ?」
「魔王じゃ」
「何?」
「聞こえなかったのか? 魔王じゃ! 貴様も魔族のようじゃが、わらわと話ができるだけでも幸せだと思うが良い」
「ふんっ、自分で魔王などと言い張るとは笑止千万!」
フェリスは細剣を抜くと、その先端を小刻みに動かした。途端に、リーシェの服が切られ、露わになったリーシェの乳房から大量の血が吹き出した。距離は離れているのに、その剣で切られたようだった。
しかし、リーシェは涼しい顔のまま、左手を胸に当てると、あっという間に血は止まり、服も元どおりになっていた。
「治癒魔法か?」
「貴様が使った魔法は風切剣の一種のようじゃの。そこそこ魔法も使えるようじゃが、わらわが相手をするまでもなかろう。コロン、そなたに任せる」
「はいな!」
俺達の前に、犬耳とモフモフの尻尾がある幼女のコロンが飛び出た。
「アルス、隙を見て、イルダを」
「分かった」
コロンが相手をしている間に、イルダを救出しろというリーシェの指示だろう。
フェリスに相対したコロンは、どこからか取り出した氷の槍をフェリスに打ち込んだ。しかし、フェリスが細剣を一振りすると、氷の槍は粉々に壊れてしまった。
「やるなぁ~。で~も、おいらの魔法はこれからだぞぉ~」
コロンが、またまたどこからか取り出した、自分の身長ほどの剣をフェリスに向けて突きつけると、その先端から青い光が出て、フェリスに襲い掛かった。
フェリスを包み込んだ青い光は、青い炎に変わり、フェリスの体を焼き尽くそうとした。その隙に、俺はベッドに駆け寄り、イルダを両手で抱え上げた。
「イルダ! イルダ!」
イルダは息をしていたが、俺がいくら揺さぶっても意識は戻らなかった。
一方、青い炎に包まれていたフェリスは、次第に人の姿から四つ足の獣の姿へと溶けるように変わっていった。
「正体を現しおったか」
リーシェがそう言い終わると同時に青い炎が消えた。フェリスの姿は、巨大な犬、いや、狼の姿に変わっていた。
フェリスだった狼は、大きく牙を剥いて吠えて、俺達を威嚇した。
そして、身震いすると、背中の毛が針のようになって部屋中に放たれ、俺やイルダ、リーシェやコロンにも大きな針が襲って来た。
思わず目を閉じていた俺が目を開けると、大きな針がいくつも空中に浮かんだままになっていた。コロンも頭を抱えたまま、首をすくめて、目を閉じていた。
「いつまで、そんなみっともない格好をしておるのじゃ、コロン?」
リーシェの声で目を開けたコロンは、驚いて周りを見渡した。
「これは魔王様が?」
「そうじゃ。そなたもまだまだ修行が足りぬの」
「面目ねえっす」
もっとも、リーシェはコロンが可愛くてたまらないようで、真剣に怒っているようではなかった。
「あ、あの狼は?」
「わらわが針を止めている隙に走り逃げおったわ。さすが、狼だけあってすばしっこい奴じゃわ」
部屋の入口のドアはリーシェが吹き飛ばしたままだったから、狼でもドアノブを回す必要はなかったようだ。
「ところで、イルダはどうじゃ?」
リーシェが俺に近づいて来て、俺が抱っこしているイルダの顔をのぞき込んだ。
「息はしているが起きない。どうなっているんだ? 魔法で眠らされているのか?」
リーシェは、俺がお姫様抱っこしているイルダの顔や体に指を這わせていたが、首筋で指を止めた。
「アルス。これを見てみろ」
リーシェがイルダの首を優しく捻るようにして、イルダの首筋を指差した。そこには、二つの丸く赤い斑点がくっきりと付いていた。
「これは?」
「噛まれた跡じゃな」
「噛まれた?」
そういえば、この部屋に飛び込んだ時、フェリスがベッドに横になっているイルダの首筋に頭を伏せているように見えた。
「フェリスにか?」
「そうじゃろう。そして」
リーシェはその赤い斑点を優しく撫でた。
「血を吸われておるな」
「何だと! じゃあ、フェリスが血を吸っていたということなのか?」
「そうじゃろうな。あやつは吸血鬼じゃな」
――吸血鬼。
人族の血を吸う悪魔として恐れられている。
悪魔は基本的に雑食だ。リーシェのように人族と同じ物を食べる悪魔がいれば、自分が調合した薬草しか口にしない健康志向の悪魔もいる。そして中には人族の肉を食らう悪魔もいて、吸血鬼はその一種で、人肉は食わずに人の血だけを吸う。
「イルダは大丈夫なのか?」
「それは何とも言えぬの」
「おいおい! そんな無責任な! お前だってイルダがいなくなると困るんだろ?」
「もちろんじゃ。しかし、今のところ、ただ、眠っているだけじゃ」
そこに、ちょうど、リゼルとダンガのおっさん、そしてナーシャが部屋に駆け込んできた。
「ここにおったか!」
ダンガのおっさんは、すぐに俺の近くに寄り、イルダを心配そうに見つめた。
「イルダ様は?」
「心配いらない。眠っているだけだ」
みんなに余計な心配を掛けることは避けたいので、ここはリーシェの言葉を信じて、吸血鬼に噛まれたことは黙っていた。
「リゼル、大丈夫か?」
イルダをダンガのおっさんに抱っこしてもらうと、俺は頭に手をやっているリゼルに訊いた。
「すまない。不覚をとった。それより、フェリスは?」
「あいつは魔族だった。魔法士のリーシェが攻撃してくれて、狼のような姿になって逃げて行った」
そこで、みんなは初めて、大人リーシェがいることに気づいたようだ。リーシェの影が薄いというわけではなく、イルダのことがそれだけ心配だったのだ。
「リーシェ殿! いつも我々の危機を救っていただき感謝します」
リゼルが律儀に礼を述べた。
「礼には及ばぬ。それより早く、ここを去った方が良いじゃろうな」
と言いながら、大人リーシェは、いつの間にか子供リーシェの姿に変わっているコロンの頭から飛び出ている犬耳を、みんなに気づかれないように、髪の中に押し込んでいた。
コロンもそれで犬耳が飛び出していたことに気づいたようで、次の瞬間には犬耳がなくなり、どこからどう見ても子供リーシェの姿になっていた。
「とにかく、この屋敷から出よう!」
俺が先頭に立って、部屋から出て、屋敷の玄関に向かって廊下を走った。その後を大人リーシェ、イルダを抱っこしたダンガのおっさん、子供リーシェの手を引いたナーシャと続き、リゼルがしんがりを務めた。
誰にも会わずに玄関まで来ると、勢いよく玄関の大きなドアを開け放した。
しかし、外に飛び出そうとした俺は、急ブレーキを掛けるしかなかった。フェリスの屋敷の前の道路は、兜と鎧で完全武装した重装備の兵士達に埋め尽くされていたのだ。
俺がこいつらをぶった切って道を切り開いたとしても、その後にイルダを抱っこしたダンガのおっさんや子供リーシェを連れたナーシャが続くことは難しそうだ。
「アルス、中央突破と行くか?」
そういえば、頼りになる奴が一緒だったぜ。
大人リーシェが俺の前に歩み出ると、背中の剣を抜いた。
が、すぐに顔をしかめて俺を見た。
「アルス、こやつらも臭いの」
昨晩、リーシェが俺の部屋に来て「この街は屍臭い」と言ったことを思い出した。
「どういうことだ?」
「おそらく……」
そう言うと、リーシェは俺の腕を掴んだ。
次の瞬間、俺とリーシェは兵士達のど真ん中にいた。よりによって、こんな所に転移しなくても良いだろうに!
「好きに切り刻んでみよ!」
リーシェに言われるまでもなく、襲い掛かって来る兵士達を斬らないとこっちが斬られる。俺とリーシェは背中を併せて、それぞれ前から向かってくる兵士達に立ち向かった。
相手は最新鋭の鎧と兜を身にまとっているが、カレドヴルフにかかると紙のように切れてしまう。俺が兵士の胸を横になぎ払うと、その部分の鎧が砕けるようにして切れ、中の肉も切り裂いた。
はずだったが、血が出ない?
胸に致命傷と思われるほどの傷を付けた兵士は何事もなかったように、俺に剣を打ちこんで来た。その剣をカレドヴルフで払い、その兵士の右肘にカレドヴルフを打ち込むと、剣を持ったままの右腕が地面に落ちたが、やはり血が出ていない。それに腕を切られても苦痛に悶えることもなく、その兵士は俺にしがみつこうとした。
俺は、顔面を覆う兜を縦にかち割った。ピスタチオの殻のように、真ん中から割れた兜の下から顔が出てきたが、その顔には両目とも眼球はなく黒い眼窩しかなかった。皮膚も腐りかけのような土色だ。
「な、何だ、こいつら?」
さすがの俺も声がうわずってしまった。
リーシェの方を少しだけ首を曲げて見ると、リーシェが相手をしていた兵士も同じように兜を割られていたが、やはり同じような連中だった。
リーシェが「屍臭い」と言ったのは本当だったんだ。
間違いない! まるで生きているように動いているが、腐りかけの死体だ!
次の瞬間には、俺とリーシェは、フェリス宅の玄関前に飛んで、みんなの元に戻った。どうやら、また転移をしたようだ。
「リーシェ殿! あいつらは、どこからどう見ても死体のようにしか見えませんが?」
リゼルが当然の疑問を口にした。
「そのとおりじゃ。こやつらは全員、屍の兵士じゃ!」




