第六十七話 夕食会に仕掛けられた罠
迫り来る危険を感じられなかったのか、リーシェも「屍」のことに、それ以上こだわることもなく、その後は他愛もない話をしてから、リーシェは消えた。
リーシェがいなくなると、すぐに眠りに着いた俺は、朝、すっきりと目が覚めた。
食堂に行くと、カルダ姫一行との最後の朝食が始まった。
「最後の」なんて言うと縁起が悪いが、この危険な旅では本当に「最後」になるかもしれない。再び、このメンバーで会える保証はどこにもないのだ。
「アルス殿、昨日、部屋の中から女性の声がしていた気がしたのですが?」
バドウィルが俺に顔を近づけながら言った。
「俺の部屋の中を盗み聞きしてたのか?」
「いえいえ、また久しく懇親を深めることができないですから、一献酌み交わそうと思って極上の葡萄酒を持参してドアをノックしたのですが、返事がなく、しかも鍵も掛かっていたものですから、部屋の中で危険な事態に陥っているのではないかと心配になって、ずっとドアに耳を着けていたのですよ。何事もなくて良かったです」
「何事もねえよ」
「しかし、あの女性の声は? 今、ここにいる女性は皆さん部屋にいたことを確認しておりますから、外から連れ込んできた女性とか思えませんが、いつの間に?」
「だから、お前の幻聴だよ。昨日の昼間は、ずっとお前と一緒にいたし、その後、外には出ていないぞ。どうやって女を連れ込むことができるんだよ」
しかし、鍵を掛けておいて正解だった。鍵を掛けてなかったら、今頃、俺の貞操は奪われていたかも知れない。
朝食が終わると、カルダ姫一行がこの街を出る時間となった。
宿屋の前でカルダ姫に抱きついたイルダの目に光るものがあった。
ファルとリゼルも別れを惜しむように握手をしたまま話し込んでいた。
バドウィルも悲しそうな顔をしていたが、それはたぶん別の意味でだろう。
「わらわは、これから大陸の東海岸沿いを北に向けて行くつもりじゃ。時間を掛けて、首都周辺の情勢を探りつつ、少しずつ首都に近づこうかと思っておる」
「分かりました。では、私達も五日遅れで、同じようなルートをたどります。また、会いたくなれば、すぐに会える距離で旅をいたします」
イルダの台詞を聞いて、さすがのカルダ姫も思わずイルダを抱きしめた。
「必ず、無事でいるのじゃぞ。イルダ」
「はい。お姉様も」
カルダ姫は、イルダから離れると、俺の方に向いた。
「アルス。イルダの命、そなたに預けるぞ」
「分かった。俺の命に替えても」
「頼むぞ」
最初に会った時は、どこの馬の骨かという顔で俺を見ていたカルダ姫も、少しは俺のことを見直してくれたようだ。ひょっとしたら、バドウィルが口添えをしてくれているのかもしれないが、バドウィルに礼を言うつもりはない。
俺達の見送りを受けて、カルダ姫一行は去って行った。
その後ろ姿を見送ると、イルダが俺の側にやって来た。
「アルス殿。フェリス殿との夕食会の話ですけど」
昨日の夕食の際に、イルダに耳打ちしていたことだ。
「ああ、どうする?」
「出席させていただきたいと思います」
まあ、予想された返事だ。憲兵隊隊長のフェリスに対して、イルダなりに行方不明者のことをいろいろと訊きたいのだろう。
「分かった。明日にでもするか?」
「できれば早い方が良いです。宿屋の方の夕食がキャンセルできるのであれば、今夜、お邪魔いたしましょう」
「じゃあ、それが確認できたら、俺が憲兵隊の詰め所に行って伝えてくる」
宿屋の夕食もキャンセルできたことから、憲兵隊の詰め所に行くと、フェリスがいた。今夜の夕食でよければ、全員でお邪魔するということを伝えると、フェリスは満面の笑みとなった。
「ええ、ぜひ! できる限りのおもてなしをさせていただきます」
「じゃあ、その好意に甘えることにするよ」
「では、今夜七の刻、宿屋にお迎えの馬車を向かわせます」
そして、時は流れて、七の刻。
宿屋のロビーで待っていると、宿屋の玄関に豪華な作りの馬車が二台、横付けされた。
一台にイルダと子供リーシェ、リゼルが、俺とナーシャとダンガのおっさんがもう一台に別れて乗り込むと、馬車は街中を軽快に走り出したが、すぐに目的地に到着した。
降りると、リャンペインの中心部に近い高級住宅街の中でも威容を誇る御殿のような屋敷の前だった。この街の憲兵隊のトップの家なんだから当然といえば当然だ。
大きな玄関の前には、フェリスが立って待っていた。憲兵隊隊長の制服のままだ。
イルダがフェリスの前に進み出ると、優雅に膝を折って立礼した。
「フェリス様、今宵はお招きいただきありがとうございます。失礼かと思いましたが、全員で押し掛けてしまい、申し訳ございません」
「いえいえ、賑やかな方が楽しいですし、私も、ちゃんとお礼ができたと考えることができます。さあ、どうぞ」
フェリスのエスコートで、イルダを先頭に俺達は屋敷の中に入って行った。
案内されて入った食堂は広く、大きなシャンデリアが頭上で輝いていた。真っ白いテーブルクロスが掛けられた横に長いテーブルには銀の燭台が立てられていて、その蝋燭の火が揺らめき、優雅な雰囲気を醸し出していた。また、各自の座席の間にはブーケが置かれていて、花瓶にも溢れるばかりの花が飾られていた。ここの女主人であるフェリスの趣味なのだろう。
フェリスとイルダがテーブルの真ん中に向かい合って座ると、イルダの両脇に子供リーシェ、リゼル、そしてダンガのおっさんが座り、フェリスの両脇に俺とナーシャが座った。
そのタイミングを見計らっていたかのように、奥のドアが開くと、高級そうな葡萄酒と前菜を持ったメイド達がぞろぞろと出て来て、あっという間に夕食会の準備ができた。
子供リーシェ以外のみんなのグラスに葡萄酒が注がれたのを確認したフェリスがグラスを持って立ち上がった。
「では、リュウカ村を救っていただいたお礼の意味を込めて、そして、イリス殿との素敵な出会いを祝して、乾杯をいたしましょう」
イルダを見つめるフェリスの表情からすると、後半の方が本来の目的のようだ。
お互いに腕を伸ばして、イリスことイルダとフェリスがグラスを重ねて、宴は始まった。
飯も酒も美味かった。金に糸目を付けていないようだ。
「イリス殿は、首都から落ち延びて来られたとか?」
「はい」
「私もまだ首都には行ったことがございませんが、やはり、このリャンペインよりもはるかに大きな街なのでしょうね?」
「はい。街の外壁を一周するだけで一日掛かるほどです」
これは本当のことだ。なんといっても、五百年間、この大陸の全部を支配していたアルタス帝国の中枢だった街だ。大陸内で断トツに大きな街なのは間違いない。
しかし、先の大戦で宮殿を始め、街のほとんどは焼け落ちてしまった。今の帝国が再興しているだろうが、どこまで復活しているのかは分からない。
イルダは少し複雑な表情をしていた。自分が生まれ育った街のことだ。本当は、もっと明るい顔で答えたいだろうが、都から追われたイルダの気持ちとしては、笑顔で話すことはできないだろう。
まあ、フェリスに話している「公式プロフィール」でも、首都で親と生き別れになった商人の娘なのだから、悲しげな顔をしていても不思議ではない。
続きの言葉を発することができなかったイルダに代わって、俺がフェリスに鎌を掛けるようなことを言ってみた。
「リュギル伯爵は、その首都に攻め入ることでも考えているのか?」
「どうして、そのようなことを訊かれるのでしょうか?」
フェリスは顔色も表情もまったく変えなかった。
「いや、街で見掛ける兵士達が最新鋭の装備をしているなと思ったんだよ。俺も昔は軍隊にいたことがあるから、少しは分かる」
「私は、この街の治安を守ることを仰せつかっています。伯爵閣下の軍のことについては、何も知りません」
「へえ~、そうかい。昨日の夜、宿屋の窓から見えたんだが、軍隊が街を警戒していたぞ。街の警備は憲兵隊の役目じゃないのか?」
「もちろん、そうですが、伯爵閣下には敵が多く、街に敵勢力の斥候や工作員が紛れ込んでいる恐れもあり、そういう観点から軍は警戒をしているのでしょう」
「なるほど。憲兵隊は市民の安全を守り、軍は忍び込んでいるネズミを捕らえるために、それぞれ警戒をしているということか?」
「そうです」
「今、街で話題になっている神隠しのことは関係ないのですか?」
いつの間にか、顔を突き出して、フェリスを半ば睨むように見ていたイルダが口を挟んできた。この夕食会にイルダが参加したのは、神隠しのことを、フェリスに詳しく訊きたかったからだ。
「もちろん、副次的にその対策になると考えております。もっとも、行方不明になられている時間帯は主に昼間が多いのです。だから、夜の警戒でどれだけの効果があるのかは分かりませんが」
「昨日、実際に娘さんが行方不明になっているという方が情報を得ようと、街で、一生懸命、訴えていらっしゃいました。憲兵隊もぜひお力になってあげてください」
「申すまでもないことです。お約束いたします」
「ありがとうございます、フェリス殿」
「いえ」
俺が口を開いてから難しい顔付きになっていたフェリスが、その表情をやわらげた。
「ところで、イリス殿。私は、こういう仕事をしておりますので、せっかく仕立てたドレスもほとんど着ることがありません。裾を縫い上げれば、イリス殿にもぴったりのドレスがいくつかございます。ご覧になりませんか?」
「それはぜひ」
イルダも服に困っているわけではなかったが、お招きいただいたホステス役のフェリスの好意を無碍にするわけにもいかないだろう。
「どうぞ、こちらです。皆様は、少しの間、ここでお待ちください」
そう言って、フェリスはイルダ一人を連れて行こうとしたが、リゼルがそれを許すはずがない。
「私もご一緒させてください」
「もちろんです。どうぞ」
試着をするかもしれないから、ダンガのおっさんは、ついて行くことを遠慮したようだ。
まあ、リゼルがついていたら心配ないだろう。
イルダとリゼルを連れたフェリスが食堂を出ると、重々しく食堂のドアが閉まった。
――ガチッ!
不自然な金属音を聞いた俺は、すぐに立ち上がり、ドアノブを回した。
ドアは開かなかった。ロックされている。
「どうした、アルス?」
脳天気な声で、ダンガのおっさんが訊いた。
「閉じ込められた! 鍵を閉められている!」
「何じゃと!」
ダンガのおっさんも飛び寄って来ると、ドアノブを乱暴に回したが、ドアは開かなかった。
「どうしてじゃ?」
考えられることは、イルダと俺達を引き離そうとしたことしか考えられない。
しかし、何のために?
「てか、ナーシャ! こういう状況でよくデザートが食えるな?」
その前では、子供リーシェも子犬のコロンとケーキを分け合って食べていた。
「アルスが覗きに来ないようにって、用心のために鍵を閉めたんじゃないの?」
「俺のせいかよ? って、ダンガのおっさん! そこで、うなずいてんじゃねえよ!」
緊迫感のない奴らだ。
フェリスは、イリスことイルダがお気に入りだったようだし、何か下心を持っているのかもしれない。今、イルダの側にはリゼルがいるから、ちゃんとイルダを守ってくれるだろうが、俺は何かしら不安に駆られた。
とりあえず、この食堂から出ないといけない。
俺は「開けろ!」と叫びながら、ドアを思い切り叩いた。
しかし、誰も来なかった。
やはり、おかしい。もし、俺が覗きに行かないようにしたのであれば、その説明があってしかるべきだ。だから、違う。俺はそもそも女性の着替えを覗くようなせこい趣味は持っていない。
カレドヴルフでドアをぶち破ろうと、少し後に下がった時、俺の後で爆音がした。
振り返ると、白い煙幕のような煙が充満していたが、すぐに晴れた。
そこには、大人リーシェが立っていた。
「アルス! イルダが危険じゃ!」




