第六十四話 この世で二人だけの姉妹
お節介焼きな姫様の願いで、行方不明になっているという街娘の捜索をリャンペインの憲兵隊隊長フェリスに依頼することになった。フェリスの美しい顔をまた拝めるのだから、まあ、良しとしよう。
「しかし、これから憲兵隊の詰め所に行っても会えないかもしれないし、カルダ姫一行との昼食会が終わってからでも良いか?」
「そうですね。もう、そろそろ、お昼でしょうか?」
「ああ、俺の腹時計からすると近いぜ。さっきから腹の虫が鳴りっぱなしなんだ。そろそろ、行かないか?」
「アルス殿のお腹の虫が可哀想ですから参りましょうか」
イルダの魅力的な笑顔はいつも見ていたいが、残念ながら、それだけでは腹は膨らまない。
太陽は真上から強い日射しを照らしだした。そろそろお昼だ。
俺達は、カルダ姫一行と落ち合う約束の場所に向かった。そこは、街にいくつかある宿屋の中でも、もっとも大きな宿屋だった。
宿屋にチェックインすると、既にカルダ姫一行も到着しているようだった。
さっそく、貸し切りにしている宿屋の食堂に向かったが、カルダ姫一行は、まだ、いなかった。
まあ、カルダ姫のことだ。妹のイルダより先に食堂に入って待っていることをしたくなかったのだろう。長幼の序を重んじる御方のようだからな。
俺達一行六人がテーブルに着いて待っていると、カルダ姫がその従者である魔法士ファルと騎士バドウィルを従えて食堂に入って来た。
ほぼ三か月ぶりの再会だったが、みんな、変わりがないようだ。
「お姉様!」
イルダが我慢できなかったように席を立つと、テーブルを回り込んで、カルダ姫に駆け寄り、抱きついた。
「イルダ」
カルダ姫もイルダを抱きしめた。
二人は、この世の中で唯一残された姉妹で、しかも、いつ命を落としてもおかしくない旅を続けている。二人が無事を確かめあえただけでも嬉しくてたまらないだろう。イルダは少し背が高いカルダ姫の首筋に顔を埋めて体を震わせていた。
いつもは悲しい顔など見せずに凜としていて、皇女としての威厳を垣間見せるイルダも、こんなシーンを見ると、寂しがり屋の只の女の子だと思い知らされる。
ダンガのおっさんはもちろん、いつも冷静なリゼルももらい泣きをしていて、感動の再会の場面なのに、それを台無しにする無駄に渋い声が俺の耳元で聞こえた。
「アルス殿、お久しぶりです」
くそっ! イルダの涙に気を取られて油断していた!
「バドウィル! 人の耳に息を吹きかけるんじゃねえ!」
「カルダ様とイルダ様との感動の再会を邪魔する訳にいかないでしょう? そうすると耳元で囁かざるを得ないのですよ」
悔しいが、気配を消して、俺の近くまでやって来たことは明らかで、バドウィルがかなりの腕前だということを再認識させられた。
「ファル姉さん、お久しぶりです!」
リゼルも嬉しそうに姉弟子である魔法士のファルと握手をした。
「リゼルも息災でなにょ~りじゃ」
相変わらずカミカミだ。そして、幼児体型で低い身長に比して反則的な爆乳も健在だ。しかし、そんな容姿であるにもかかわらず、ファルが得意とする氷系の魔法はかなり強力だとリゼルが話していた。第一皇女の護衛を任されるのだから、リゼルの言葉どおりなのだろう。
久しぶりに海の幸をメインにした豪華な昼食を食べながら、まずは和やかに話が弾んだ。俺から視線を外さない隣の席のバドウィルを徹底的に無視しながら、俺も美味い飯を堪能した。
食事が一段落したところで、今日、落ち合った本題をイルダが話し始めた。今の帝国の使者として、皇族である従兄弟のザルツェールがカンディボーギルに来たことだ。
「わらわもザルツェールが使者に来たとの話を聞いて信じられなかったが、実際に話もしたということであれば間違いないようじゃの」
「はい。そして、それは自らの意思だとも言っていました」
「皇族からもそのような裏切り者が出るなど、つくづく残念じゃ」
「ザルツェール殿は、皇帝陛下の弟であるマインズ公爵家の嫡男。マインズ公爵家の兵力をそのまま受け継いでいるとすれば脅威ではありますな」
ダンガのおっさんが心配そうに言った。
「しかし、ザルツェール殿は三十騎ほどの騎士しか連れて来てなかったのでしょう?」
バドウィルもちゃんと話を聞いていたようで、やはり、俺の顔を見ながら言った。
「ああ、そうだ」
不本意だが、俺もその問いに答えてやった。
「そうすると、マインズ公爵家の兵力は、今の帝国軍に没収されているかもしれませんな。つまり、ザルツェール殿も所詮は今の帝国に養われているだけの存在なのかもしれません」
不本意だが、俺もバドウィルの説に賛成だ。
今の皇帝であるディアドラス家もその祖先をたどれば皇室に繋がるようだが、かなり昔に血統は別れている。そんな今の皇帝からすれば、救世主カリオン直系の血は自らの治世を正当化するためにぜひとも欲しいだろう。一代前に直系から別れたばかりのザルツェールはその点でうってつけで、自分の娘を前皇帝の甥であるザルツェールに嫁がせて、その子を次の次の皇帝とする予定なのかもしれない。
「ザルツェール以外の皇族も取り込まれている者はいるのじゃろうか?」
「そこまでは分かりません。でも、いると見ていた方が良いと思います」
「そうじゃな。何事も最悪な事態を想定しておいた方が良いじゃろうの」
もし、カルダ姫なりイルダがアルタス帝国再興の軍を起こすことができれば、骨肉の争いになる恐れもある。そんな時、皇族の旧私兵はどちらに付くのか分からないし、直系として残っている者が帝位継承権のない女性であるカルダ姫とイルダしかいないということも何らかの作用をするかもしれない。
アルタス帝国を再興したいと考えている勢力は、未だに圧倒的に不利な状況であることは明らかだ。今まで旅をしてきて、それを願っている勢力もそれなりに存在していることは確認できたが、形勢をひっくり返すにはほど遠い。
カルダ姫とイルダの想いは、まだ、夢物語にすぎない。
しかし、絶対に実現できないと諦めてもいない。俺もそう思っている。そのためには、カルダ姫とイルダが、今の帝国に関する最新情報を把握しておくことが有意義なのは間違いないはずだ。そのために、今日、落ち合ったのだ。
「そう言えば、ここのリュギル伯爵の動きも不穏のようじゃの」
「そうなのですか?」
「うむ。二日前にこの街に着いてから、バドウィルがいろいろと調べてくれての」
カルダ姫がバドウィルに視線を移すと、バドウィルが得意げに話し始めた。
「どうやら、軍備増強に邁進しているようです。ここの住民達も最近とみに兵士の数が増えていると感じているようです」
「俺もリュギル伯爵のことは、ここに来る前に聞いたが、先の大戦でも兵を動かさなかったそうじゃないか」
二人の姫様は軍事のことについては疎いはずだ。俺も傭兵としてではあるが、一応、アルタス帝国軍にいたから、それなりの知識は有していると自負している。ここは俺がバドウィルの相手をしてやる方が良いだろう。
俺が話の相手をしてくれると分かったからか、バドウィルが異様に嬉しそうな顔で話を続けた。
「そうなのですよ! リュギル伯爵は、この街から得られる潤沢な資金で、従来から大陸の中では大きな勢力を誇っていた貴族ですから、兵を動かさなかったからといって、今の帝国も懲罰することができなかったようですな。それだけ強大な軍事力を持っていながら、更にそれを増強しているのですから、これは一波乱ありそうですな」
「軍を動かす動きもあるのか?」
「私達は、この街に来る前に、ここから西に七日の距離にあるキンペールという街にいたのですが、その街では、リャンペインから、近々、攻め込まれるのではないかと噂になっていたのです。何でも、リャンペインの斥候が何度となく目撃されているそうなのですよ。ちなみに、キンペールの領主ホリシャルド男爵は今の帝国に従順しています」
今の帝国に従っている貴族を攻めるということは、今の帝国に牙を剥くこととと同じだ。
「しかし、リュギル伯爵が単独で今の帝国に取って代わろうとしても叶わないだろう?」
「もちろんです。リュギル伯爵に協力する貴族がこの周辺にいるのかと、いろいろと調べましたが、そこまでは分かりませんでした」
この大陸の富も人口も首都がある北部に集まっている。それ以外の地域にあって富を集めているのは、大陸の南東部にある商都カンディボーギルとそのおこぼれを受け取っているリャンペインのような街くらいだ。
そして、首都周辺は帝国直轄領として莫大な税収を皇帝にもたらしていたが、新しい皇帝となったディアドラス家が、その領地をそのまま受け継いだわけではない。自分に協力した貴族達に論功行賞として新たな領地を与えなければならなかったが、アルタス帝国に味方して没収された貴族領だけでは足りずに、帝国直轄領も分割して与える必要があったことから、新しい皇帝は、アルタス帝国皇帝のような絶対的優位な勢力を有してはおらず、新しい帝国は未だに反アルタス帝国の貴族連合という形のままのはずだ。
だからこそ、カンディボーギルに来たザルツェールもわずか三十騎ほどの兵士しか連れて来ることができなかった。戦争をするために来ていたわけではないから、大軍を引き連れて来る必要もなかっただろうが、今の帝国の力を見せつけることができる良い機会に貧相な軍勢しか連れて来ることができなかったというのが、今の帝国の実情なのだ。
それを見越して、リュギル伯爵は近隣の貴族達の領地をかすめ取ろうとしているのだ。もちろん、今の帝国がこの大陸に覇を唱えていることは間違いなく、帝国が本気で向かってきたら一地方領主が敵うわけはない。のらりくらりと言い訳をしては、力を蓄えて、今の帝国における自分の地位を上げようかと企んでいるのだろう。もちろん、将来的には帝位の簒奪を考えているのかもしれない。
「今の帝国もなめられたもんだな」
「しかし、これは我々にとっては喜ぶべき状況です」
「それはそうだな」
「むしろ、リュギル伯爵には頑張っていただいて、今の帝国と一騎打ちができるほどの勢力となってほしいですな。そうなった後、今の帝国軍とリュギル伯爵軍が衝突すれば、双方に大きな損害が出るでしょう。それまでに我々が軍備を整えることができていれば、まさに漁夫の利を得ることができましょうぞ」
バドウィルがドヤ顔で言ったが、イルダの性格を知っている俺は顔をしかめた。
「バドウィル殿! 戦争はアルタス帝国が復興するための一回だけで十分です! むしろ私は戦争なしにそんなことができたら良いなって思っています!」
イルダが毅然とバドウィルに言い放った。バドウィルは、そんなイルダを初めて見たのか、驚いた顔を見せて戸惑っていた。
「軽挙なる妄言、どうかお許しください」
椅子から立ち上がり、手を胸に置いて、バドウィルは深く頭を下げた。
「イルダ! バドウィルを叱るでない。単純に戦略的観点から意見を述べたまでじゃ」
カルダ姫も間に立って取りなした。姉に心配を掛けてしまったと思ったのか、イルダは申し訳ない顔をしてカルダ姫に頭を下げた。
「お姉様にご心配を掛けてしまい申し訳ありません」
「よい。イルダは昔から自分の意見をしっかりと述べる性格であったからのう。変わってなくて嬉しかったぞ」
「お姉様……」
バドウィルの奴、いい気味だ!
しかし、戦略的にはバドウィルの言うことが正論で、イルダが言っていることは絵空事でしかない。敵が無駄な戦争をやってくれて、その戦力を削いでくれることは、アルタス帝国の復興を願う勢力からすれば棚ぼたなのだ。
イルダが希望するように、戦わずに平和を成し遂げた帝国などありやしない。戦っても勝ち目がないと誰でも分かるほどの圧倒的戦力差があれば別だが、そんな戦力は、今、この大陸には存在しない。
――いや、待てよ。
一つある。圧倒的戦闘力を有する勢力が!
リーシェだ。
封印が解けたリーシェに敵う奴など誰もいないだろう。しかし、残念ながら、戦をせずにアルタス帝国を再興させるためにリーシェの力を使うことなどできない。何故なら、リーシェの封印が解ける時は、イルダの命が消える時だからだ。カルダ姫にすべてを託して、イルダはその命を差し出すかもしれないが、そもそも、封印が解けたリーシェは自分の帝国を再興させるはずだ。
「バドウィル殿、きつい言い方をしてしまって申し訳ございません」
イルダは家来でもあるバドウィルに丁寧に頭を下げた。
「とんでもございません! 私の方こそ、イルダ様のお気持ちを察することができずに失礼したしました」
バドウィルは更に深く頭を下げた。
バドウィルは、変態だが、皇室に対する忠誠心には迷いがない。だからこそ第一皇女の護衛に付いているのだ。これで変態でなければ、良い男なのだが……。
「アルス殿。私に見とれていませんでしたか?」
いつの間にか頭を上げていたバドウィルの顔が近くにあった。
「気のせいだ、盛大なる勘違いだ」
「そうですか。私を見つめるアルス殿の瞳に熱いものがあったのですが」
「てめえ、熱でもあるんじゃないのか? この辺りの蚊に刺されると高熱が出るらしいからな。そっちの姫様に迷惑を掛けないようにしなよ」
「アルス殿が私の体のお気遣いをしていただけるなど光栄です。アルス殿が看病をしていただけるのであれば、私も大人しく部屋で寝ております」
「看病ってのは、剣で刺して、お前の悪い血を抜き取ることか?」
「嫌ですなあ。怖い怖い。ところで怖いと言えば、最近、この街で囁かれている不気味な噂をご存じですかな?」
次々と話のネタを振って来やがる。そんなに俺と話がしたいのか?
いや、愚問だったな。そうに決まってる。カルダ姫やイルダの手前、無視する訳にもいかない。
「今日、この街に着いたばかりで、そんな噂なんて知っている訳がないだろ?」
「それもそうですね。リュギル伯爵の情報を入手していると、街の噂もいろいろと入ってきましてねえ」
「何なんだよ? もったいぶらないで、さっさと話せよ」
「実はですねえ」
だから、顔が近いってんだよ!
お前に肩を抱かれて、ヒソヒソと話さなきゃならないような話は何もねえぞ!
「この街では、十日おきくらいに女性が行方不明になっているそうなのです」
当然、イルダが食いついてきた。
「バドウィル殿! その話、詳しくお聞かせください!」




