第六十二話 馬賊の女頭目
「敵襲だ!」
俺は、すぐに焚き火を消し、大声を上げた。
本当に敵なのかどうか分からなかったが、異常事態であることは間違いない。
俺の大声で、リゼルとダンガのおっさんはすぐに飛び起きた。さすが、皇女様の従者だ。
その一方で、ナーシャと子供リーシェは身動き一つしなかった。子犬のコロンもだ。こいつは番犬にもなれやしないな。
イルダは子供リーシェに、俺はナーシャの近くに駆け寄り、体を揺さぶって起こした。「眠い~」などと目を擦りながら、しかめっ面で起きる二人に「子供か!」と突っ込みたくなった。
今のリーシェは、確かに子供だが、もともとは大人の魔王様だし、ナーシャにいたっては幼児体型だが立派な大人だ。
とりあえず、まだ寝ぼけ眼の二人を置いて、俺は、蹄の音が聞こえてくる方向を眺めた。小さい明かりが幾つか見えた。炎の揺らめき具合からして松明だろう。ほぼ全力疾走でこちらに向けて草原を駈けて来ていた。こちらにあるのはリュウカの村だけだ。この小さな村を狙っているのか、それとも単に通り道に過ぎないのか?
近づいて来た騎馬が持った松明は、俺達に真っ直ぐ進んで来ているようではなく、リュウカの村に向かっているようだった。
「あんな村を襲ってどうするつもりだ?」
そう言った俺の視線の先にはリゼルがいた。リゼルは、そんなことは許さないという俺の言葉の意味を理解してくれたようだ。
「分からないが、あっという間に蹂躙されることは目に見えている」
「ああ、そうだな。ちょっくら行って来る」
「私も行こう」
「いや、相手はただの無法者だ。俺一人で良い。リゼルはイルダを守っていてくれ」
「分かった。しかし、何かあれば、すぐに呼んでくれ」
俺がリゼルを見つめると、リゼルは少し照れたように目をそらした。
「ありがとうよ」
俺は、リゼルにそう言い残すと、小走りに村に向かった。
村は、この災厄をやり過ごそうとしているのか、灯りも点けずにひっそりとしている。
俺は、村の入口である木の扉の前に立ち塞がって、馬賊の連中がやって来るのを待った。連中が持っている松明で照らし出されているのは、三十騎ほど。全員がみすぼらしい格好をしていて、少なくとも貴族の騎士団ではないはずだ。
「何だ、てめえは?」
先頭にいた髭モジャの男が馬上から訊いた。
「通りすがりの者だが、こんな小さな村にそんな大勢でどんな用件があるんだ? その用件次第で、お前らを叩っ切ることも考えてるんだがな」
「そんなことを、何で、てめえに教えなきゃいけねえんだ?」
「教えられないということは、やはり、この村を襲いに来たってことか?」
「ああ、そうだよ! ここは潰さなきゃいけねえんだよ!」
――潰さなきゃいけない? どういうことだ?
俺がその言葉を反芻している間に、馬賊の連中は馬を降り、剣を抜いて俺を取り囲んだ。
そして、一番内側に陣取っていた十人が、何も言わずに、一斉に俺に斬り掛かってきた。
剣の修行をちゃんとしていない連中なら、何十人が一斉に襲って来ようと問題はない。俺がカレドヴルフを一振りするだけで 十人が持っていた剣は弾け飛んでいた。
「体を切り刻んでも良かったんだぜ」
俺がすごむと、連中は一斉に腰が引けたみたいに半歩後退した。
「お前達、どいてな!」
包囲網の後から大きな声がした。声のトーンから女性だと分かった。
俺とその声の主との間の人垣があっという間になくなると、その間を通って、その女がゆっくりと俺に近づいて来た。
黒い髪は戦いの邪魔にならないようにか、肩に届かない程度に短かったが、その白い肌に黒い瞳が魅力的な、なかなかに美形な女だった。
大きめのチュニックにベルトを締めて、その下はズボンとショートブーツという男のような格好をしているが、ゆったりとした服の上からでも胸の膨らみが隠しようもなく見えていた。
女は俺の前に立つと、腰の剣を抜いた。
「あんたの相手はアタシだよ」
「俺は女を虐める趣味は持っていないんだが」
「ふんっ、弱い奴はそうやって言い訳をして逃げやがるんだよ」
女がいきなり俺に斬り掛かってきたが、俺は素早くその剣を弾き返した。
「良い振りをしているな。確かに、女だと思って油断をしていると、今頃、俺の首が飛んでいたぜ」
確かに、他の野郎どもとは全然違う。ちゃんと剣の修行をしている太刀筋だ。
「余裕をこいているのも今のうちだ!」
女がもの凄い勢いで俺に剣を打ちこんで来た。気を抜くと斬られる。それだけの腕前を持っている。俺が防御一方だったため、いつの間にか俺達の周りに集まっていた賊達がはやし立て始めた。
「姉御! 早く斬っちまいなよ!」
「いや、もっと踊らせてやりなよ!」
「命が惜しけりゃ土下座して謝りな! ひょっとしたら命拾いするかもな!」
「お前達、うるさいよ! 静かにしな!」
女の一喝で、賊達は一斉に口をつぐんだ。
どうやら、この女がこの賊達のボスのようだ。
女が俺に剣を突きつけた。
「どうする? 逃げるか? それとも斬られるかい?」
「どっちも嫌だね」
「じゃあ、どうするってんだい?」
女が一歩進み出て、剣を更に俺に近づけた。
「俺がお前を斬るって選択肢がねえじゃねえか」
俺は、その言葉が終わらないうちに、剣を打ち込みながら女の背後に回った。そして、女の剣が地面に落ちると同時に、女のうなじにカレドヴルフを突き立てた。
周りの賊達も一瞬何が起きたのか分からなかったようだが、ボスが絶体絶命の危機だと分かると、一斉に剣を抜いた。
「動くな! てめえらが動くと、この姉ちゃんの綺麗なうなじに傷が付いてしまうぜ。誰か責任を取れる奴はいるのか?」
ボスを人質に取られた形の賊達は動きを止めた。
それを横目で確認した俺が少しだけカレドヴルフの剣先を動かすと、女のチュニックの背中が大きく切り取られ、白い背中が露わになった。
「これ以上、恥をさらしたくなければ、こいつらを引き連れて戻りやがれ!」
女が少しだけ首を回して、俺を見た。
馬賊の頭領だとは思えない、恥じらいに頬を赤らめた顔が悔しさでいっぱいになっていた。
「引き上げるぞ!」
女が唇を噛みしめながら言うと、賊達は一斉に剣を収め、自分達の馬に跨った。
チュニックがズレ落ちないように胸を抱きしめるようにして服を持っている女が俺を睨んだ。
「あんた、名前は?」
「アルスだ。旅の賞金稼ぎさ。お前は教えてくれるのか?」
「アタシはリンカだよ」
「良い名前だ。それだけ綺麗なら、剣を振り回さなくてもモテるだろうに」
「そんなことには興味はないよ」
「じゃあ、どんなことに興味があるんだ?」
「あんたには関係ないだろ!」
リンカは、ずっと俺を睨んでいた首を馬に向けると、右手で胸を押さえたまま、左手一本で鮮やかに馬に跨がった。
「あんた、旅をしているってことは、リャンペインに向かっているのかい?」
「ああ、そうだ。仕返しに来るつもりか?」
「ちがう。きっと、あんたは知ることになるのさ。自分が何をしたのかをさ」
「どういうことだ?」
リンカは、俺の問いに答えることなく、配下の野郎どもを引き連れて去って行った。
「アルス殿」
蹄の音が小さくなってから、イルダ達が俺に近づいて来た。
「お怪我は、……ありませんよね?」
「当然だ!」
「それにしても、あっさりと引き上げたものだな」
リゼルも拍子抜けという顔をしていた。
「ああ、奴らの女頭目との差しの勝負に勝ったからな」
「頭目は女性だったのですか?」
「ああ、リンカと言って、馬賊の頭目には見えない若い女だったぜ。もっとも、剣の腕前は相当なもので、頭目を張ってても不思議ではないくらいだ」
「それにしても」
ダンガのおっさんがリュウカ村を見渡した。
「あれだけ騒がしかったのに、灯りの一つも点かぬとは」
「怯えて家に籠もってるんだろう。俺達だってどこの誰かは分からないんだからな」
「やっぱり、アルスの人相が悪いからかのう」
「……まあ、それは否定できないかもな」
「おや、アルス。今日は素直ではないか?」
ダンガのおっさんが茶化すように言ったが、女性と子供と老人と犬しかいない一行で若い男は俺しかいないんだから、賊に間違われるとしたら、俺しかいないじゃないか。
「灯りが」
イルダが見つめていたリュウカ村に灯りがぽつぽつと灯りだした。そして、その家の中から数人の村人が外に出て来て、村の入口の扉を開けて、俺達の近くに近寄って来た。
その先頭には、長い白髪と白い髭をたくわえた小柄な老人がいた。杖を突いて、まるで仙人のような風貌だった。
「疾風のリンカは?」
老人が周りを見渡しながら、俺に訊いた。
「さっきの馬賊の女頭目のことか?」
「へい。奴に襲われた街や村は、竜巻の被害を受けたかのように、跡形もなく略奪されることから、我々はそう呼んでおります」
賊の中にも「痛いあだ名」を付けられている連中もいるが、あの剣の腕前なら、それほど痛くはないだろう。
「逃げたぜ。この村は、そうならなくて良かったな」
「あなた様が追い払っていただいたので?」
「ああ、まあな」
「おお! ありがとうございます!」
老人は俺に対して深く腰を折ると、頭を上げて、俺を見つめた。
「この村には我々のような老人しかいません。皆殺しにされた上、略奪の限りを尽くされるところでした。あなたは我々の命の恩人でございます」
「まあ、気にするな。俺が勝手にしたことだ。ところで、あんたは?」
「これは失礼いたしました。リュウカ村村長のホギと申します」
「あんたが村長さんか。それより、さっき言った『疾風のリンカ』は、そんなに悪い奴なのか?」
「はい。疾風のリンカに殺された者は、この辺りの街や村だけでも数えきれないほどいます!」
美人だったから、俺の人を見る目が曇ったのだろうか?
俺には、リンカがそんなに酷い奴だとは思えなかった。特に理由はない。ということは、やっぱり見た目に誤魔化されているのか?
「ホギ、この村には何人住んでる?」
「三十人ほどでございます」
今、灯りが点いている家が十二軒。他には民家はないようだから、一つの家に二人から三人が暮らしている勘定だ。村長のホギは、村には老人ばかりだと言っていたが、集まっている人達を見ると嘘のようではなかった。
村の規模からも住民の数からも、この小さな村に略奪できる「おいしい物」があるとは思えない。食料の備蓄だって、三十人からの馬賊の胃袋を満たすことができるほどの量はないはずだ。
それに俺は、リンカが去り際に言ったことが気になっていた。
リャンペインに行くと、俺達が何か悪いことをしたことが分かるかのような言い草だった。
俺がそんなことを考えていると、また、遠くから多くの蹄の音が聞こえてきた。
「アルス殿! ひょっとして、さっきの馬賊が引き返して来たのでしょうか?」
イルダが心配そうな顔をして、俺に訊いた。
「いや、……さっき、奴らが去って行った方向ではない。別の連中だな」
それに、よく聞くと分かることだが、蹄の音が揃っている。みっちりと訓練を受けた騎馬達だ。無法者達ではなく、正規の騎士達ではないかと思われた。
実際、目の前の村民達も、蹄の音に恐れているような顔はしていなかった。
「あれは?」
こちらに来ているのが誰か分かっているのだろう。まったく心配そうな顔をしていない村長に俺が訊いた。
「リャンペインの憲兵でございます。リャンペインに至急の伝令を走らせていましたので、助けに来てくれたのでしょう」
駆けつけてくる憲兵隊の蹄の音が聞き分けられるほど、頻繁に憲兵はこの村に来ているということなのか?
間もなく、揃いの外套をまとった十騎ほどの騎士がやって来た。そして、その先頭にいたのは、一人だけ豪華な装飾がされた鎧を着込んだ女だった。
長い銀髪をなびかせて颯爽とやって来たその女は、俺達の前で馬を停めると、軽やかに馬から降り、俺の前に進んできた。
こいつもなかなかの美女だ。




