第五話 自称魔王様退治
俺達は、宿屋をチェックアウトして、酒場に向かった。
まだ午前だというのに、酒場には多くの男達がいた。
商談をしているように、顔をつき合わせながら話している商人らしき男の二人組。
どうやら一仕事終えた後のようで、大きな杯に入った酒をがぶ飲みしている剣士らしき体格の良い男三人のグループ。
窓際の席で、一人でちびちびと酒を飲んでいる隠居老人と思われる男。
そんな男達の視線が一斉に俺達に向いた。
より正確に言うと、イルダに見とれていた。
俺だって、酒場にイルダのような美少女がいきなり入って来たら、間違い無く声を掛けているはずだ。
俺達は、六人掛けのテーブルに座り、それぞれが飲み物を頼んだ。
飲み物がテーブルに運ばれて来る前に、俺は一人立ち上がり、赤い顔をして、カウンター席に座っている男に近づいた。
昼間から酒を飲んでいても仕事ができる、依頼仲介人と呼ばれるお気楽な職業の男だ。
どの街の領主様も戦争の準備に忙しくて、貴重な戦力である手持ちの兵士を領土拡張とは関係の無い魔族退治などには使いたくないのは誰も同じで、多少の賞金を出して、いつも懐が寒い賞金稼ぎの戦士に請け負わせた方がずっと安上がりなのだ。
また、領主軍が当てにならないことから、商人達も商品の輸送経路の安全を確保するため、街の外に跋扈する魔族や山賊の退治といった依頼を出していた。
街に一人または複数人いる依頼仲介人は、そう言った依頼交渉を依頼主に代わって行う連中で、特に資格が必要な訳ではなく、単に口が上手いだけの連中だ。
「悪魔を一ギルダーで退治する依頼はあるかい?」
もちろん、これは冗談を込めた恒例の挨拶だ。
ちなみに、一ギルダーあれば、宿屋に一泊して豪勢な宴会を催すことができる。
魔族の中でも最強と言われる悪魔の退治だと五十ギルダーが相場で、一ギルダーなどという一晩の愉悦だけの報酬で依頼を請け負う奴は、自殺志願者か自己犠牲陶酔者だろう。
「一ギルダーでは無いが、二百ギルダーならあるぜ」
「マジか?」
「ああ、ここの街役人からの依頼だが、郊外の古城に棲み着いている悪魔を討ち取ってほしいってやつだ」
「悪魔か。しかし、二百ギルダーとは破格だな」
「相手は魔王を名乗っていてな」
「魔王だあ? 配下に何人も悪魔がいるのなら、二百ギルダーでも割りに合わねえな」
「配下にいるのは豚獣人くらいで悪魔はいないようだ」
「なんだよ、自称魔王様かよ」
「しかし、既に二十人以上死んでいる」
「……どんな魔法を使いやがるんだ?」
「生きて帰った者がいないから分からねえよ」
こいつは一つの賭だ。
二百ギルダーという報酬は魅力的だ。向こう半年は豪遊できる大金だ。贅沢しなければ、一年間は普通に生活できる。今いる六人のパーティで均等に割ったとしても一人三十三ギルダーで一か月は遊んで暮らせる。
しかし、討伐を請け負った戦士二十人以上が返り討ちになっていることからすると、魔王を自称していても恥ずかしくないほどには、強力な魔法を使う奴なんだろう。
もっとも俺の中ではすぐに結論は出た。しかし、今、俺は一人で行動しているわけじゃない。
俺は、自分達のテーブルに戻り、依頼の内容をみんなに話した。
「まだ、リゼルも本調子ではない状態では危険じゃ!」
ダンガのおっさんがすぐに反対した。
「しかし、サポートくらいであれば、十分できると思う」
当のリゼルは、前向きのようだ。
「アルス殿は受けようと思われているのではないのですか?」
「どうして、そう思った?」
「アルス殿が嬉しそうなので」
「もう、イルダと俺の間では隠し事はできないようだな」
「それはそれとして、私はアルス殿のご判断に従います」
俺のデレは軽くスルーされたが、俺の剣士としての判断は尊重してくれるようだ。
「じゃあ、受けるぞ」
「はい」
「報酬の分け前は昨日申し合わせたとおりで良いな?」
「はい。アルス殿が七、我々が三で結構です。でも、報酬の話は討ち取ってからでも遅くないと思います」
報酬を受け取れない時は、俺が死ぬ時だ。
依頼を受け、街の壁を出ると、この街に来た方向とは反対側に広がる森に入って行った。
そして三十分も歩くと森が開けて、目の前に湖が現れた。
「あれだな」
湖に浮かんでいるように建っている古城を見つめながら、俺が呟いた。
どうやら、その昔、この辺りを支配していた貴族の出城として築かれたようだが、貴族が滅んで以来、自称魔王様が勝手に住みついているようだ。
湖畔をたどりながら、古城の正面に回ると、古城と湖畔を繋ぐ跳ね橋が跳ね上げられており、他に古城に渡る手段は無いようだった。
「アルスよ、どうする? これでは城に入れないぞ」
ダンガのおっさんが跳ね橋を見つめながら言った。
「そうだな。でも、まあ、あっちから出て来てくれれば良いんだ。リゼル、炙り出せるか?」
「やって見よう」
リゼルが黒ローブをはだけて、手のひらを上にして両腕を前に伸ばすと、手のひらの上に火の玉が現れた。
リゼルがその火の玉を古城に向かって投げつけると、古城はあっという間に炎に包まれたが、古城から黒い霧が染み出るように出てくると、たちまち、炎は下火になった。
しかし、それを見たリゼルが、二、三回続けて火の玉を投げつけると、火を消そうとする力をねじ伏せてしまったようで、古城は勢いよく燃えだした。
すると、跳ね橋が下ろされ、正門が開くと、暑さに耐え切れなかったように、豚獣人の群れが飛び出してきた。
「出て来やがったな! みんなはここにいろ!」
森を背にして立っているイルダ達を残して、俺は、剣を抜いて、跳ね橋に向かって走ると、後ろからどんどんと押されて、引き返すことができずに橋を渡って来た豚獣人どもの棍棒を弾きながら、一方的に切り身にしていった。
橋の下の水面が豚獣人の死骸で見えなくなると、古城から出てくる奴はいなくなった。無断で古城の主としてふんぞり返っている奴は、なかなか暑さに強いようだ。
「リゼル! まだイケるか?」
「大丈夫だ」
イルダ達と一緒に、俺の後方にいたリゼルが、また火の玉を投げつけると、更に古城は燃え上がり、大きな焚き火のようになった。
古城の正門に、水牛のような巨大な角が生えている坊主頭の大きな男が立った。後ろで燃え盛る炎に照らされ、顔は影になって、よく見えなかったが、 目が赤く邪悪な光を放っていた。
褐色の肌に胸当てのあるチュニックを着て、足には獣の皮でできているブーツを履き、黒いマントを纏った大男が、のしのしと橋を渡って来た。
リゼルが、その男に向かって火の玉を投げつけたが、男が手にした杖を一振りすると、火の玉は風で吹き散らされるようにして消えてしまった。
「その程度の炎で儂を焼くことができると思うてか?」
橋を渡りきって、俺の目の前に立った男が腹の底から響くような低い声で言った。
「自称魔王様らしいもんな? もちろん、それだけで終わりじゃねえ!」
俺は、ゆっくりと自称魔王様に近づいて行った。
どんな魔法を使ってくるか分からない相手だ。まずは、相手の出方を見なければならない。
「それだけいて、儂の相手はお前一人か?」
「ああ、そうだ! 俺一人で十分だろうが?」
「馬鹿め!」
自称魔王様が右手に持った杖を一振りすると、暴風が吹きすさび、俺は、すごい勢いで後ろに飛ばされてしまった。
森に生い茂っている樹木の幹に体を打ち付けられて地面に落ちた俺は、背中に激痛を感じながらも、周りを見渡した。
俺の近くには、イルダ以下全員が倒れていた。
俺は、真っ先にイルダに駆け寄り、上半身を起こした。
「イルダ! イルダ!」
目を閉じて、体に力が入ってなかったが、少し顔をしかめる反応があった。
激しく体を樹木に打ち付けられて、気絶をしているだけのようだ。
見る限り、ナーシャもリゼルもダンガのおっさんも、そしてリーシェにも大きな外傷は見当たらず、同じように気絶をしているだけのようだ。
俺は、イルダの上半身を優しく地面に下ろすと、立ち上がり、自称魔王様に近づいて行った。
「せっかくの住み家をよくも台無しにしてくれたな」
「へっ! 魔王様なら自分で建てろってんだよ! コソ泥みたいに空き家に潜り込んでるじゃねえよ!」
「おのれ! 儂を侮辱するなど許せん! ぶち殺してくれる!」
「魔王様にしちゃ口が悪いな。成り上がりの魔王様か?」
「ほざけ!」
自称魔王様が杖を一振りすると、また暴風が吹き荒れ、俺はまた後ろに吹き飛ばされてしまった。
すぐに立ち上がり、また、自称魔王様に突進しようとしたが、自称魔王様が吹かせた暴風にまた飛ばされてしまった。
これでは、自称魔王様に近づくことすらできない。
俺は、立ち上がると、自称魔王様に向かって、思いっきり悪態を吐いた。
「この禿げ野郎! 風で吹き飛ばすしか能がねえのかよ?」
「こしゃくな!」
自称魔王様が、また杖を一振りしようと構えた、その一瞬を突いて、俺は立ち上がる時に拾っていた小石を投げつけた。
自称魔王様は、自分の顔をめがけて飛んできた小石を、首を傾げるようにして避けた。
その隙に、俺は、自称魔王様に突進しながら、今度は懐からナイフを出して、自称魔王様に投げつけた。
強風を吹かせて、近くに寄れない相手の懐に飛び込むためには、強風を吹かせる隙を与えないことが唯一の方法だ。
俺の狙いは的中した。
自称魔王様が飛んで来たナイフを上半身をのけぞらしながら、避けている間に、自称魔王様の懐に飛び込んだ俺は、その胸を真横一文字に切り払った。
「ぐおおおおー!」
自称魔王様は胸から血を滴らせながら、二、三歩、後ずさった。
俺は、間髪入れずに袈裟懸けに切り付けたが、自称魔王様に杖で受け止められてしまった。
しばらく、剣と杖で鍔競り合ったが、自称魔王様は俺よりも背が高く体格も良かっただけに力も強く、俺は次第に押し込められてきた。
いつ、力を抜いて相手の体勢を崩すかのせめぎ合いが続いた。
俺から勝負を掛けた。
急に力を抜き、剣を引いて、後ろに下がると、自称魔王様は前のめりになった。
「もらった!」
俺は、自称魔王様の首めがけて剣を振り下ろした!
――カキーン!
金属的な音が響いたと思うと、俺の剣は、跪いた自称魔王様の角に当たっていて、その首には届かなかった。
自分の不運さを嘆く隙など無かった。
自称魔王様は、杖を低く振り回し、俺の足を払おうとした。
俺も咄嗟に後ろに向けて宙返りをして、自称魔王様から距離を取った。
自称魔王様も立ち上がり、俺を睨みつけた。
どうやら胸の傷は、それほど深くは無く、血も止まりかけていた。
「人族のくせに、ここまでやるとは褒めてやるぞ。だが、もう終わりだ」
自称魔王様は反動を付けて杖を振った。
今までよりも強い暴風が吹き荒れ、俺は枯れ葉のようにクルクルと回転しながら後ろに飛ばされ、樹木に嫌と言うほど腹を打ち付けた。
たまらず、腹を抱えて、座り込んだ俺は、目だけを自称魔王様に向けた。
「手間を取らせおって。覚悟をしろ!」
自称魔王様が空中に何かを放り投げるような動きをすると、自称魔王様の頭の上に、六本のナイフが刃先を俺に向けて浮かんでいた。
俺は力を振り絞って、やっと立ち上がったが、腹の痛みで手足が思ったとおりに動いてくれなかった。
「この六本のナイフで貴様を磔にしてくれようぞ!」
駄目だ。こいつは強い。幸運を寄せ付けることも実力のうちだ。
自称じゃなかったかもしれない。
自称魔王様が杖を一振りすると、六本のナイフが、俺の首、両手、両足、そして腹に向かって一直線に飛んで来た。
人間、死ぬ時は、走馬燈のように過去の景色が頭の中を巡るというけど、俺には、飛んで来るナイフがゆっくりと近づいて来ているように見えた。
思えば、あっけない人生だったな。
思わず目を閉じていたみたいで、いつまで経っても体に痛みを感じなかった俺は、ゆっくりと目を開けた。
目の前に小さな人影。
後ろで三つ編みが結ばれた紫色の長い髪が見えた。
リーシェだった。
そして、リーシェの足元には、自称魔王様が投げつけてきたナイフがすべて落ちていた。
リーシェの後ろ姿越しに見ると、自称魔王様も信じられない物を見たように、赤い目を見開いて、リーシェから視線をそらせずにいた。
「リーシェ!」
俺の声で、リーシェがゆっくりと振り向いた。
首を傾げるようにして俺を見たリーシェの紫色の瞳には、得体の知れない光が輝いており、俺は背筋に氷を入れられたように、思わず身震いをした。