第五十八話 新しい帝国からの使者
魔龍退治と、ヘキトとランファの結婚というダブルのめでたさがあり、いつにも増してどんちゃん騒ぎをした、その夜。
さすがの俺もベッドに潜り込んだ時の記憶がなかったが、もう馴染んでいる感触を背中に感じて目が覚めた。
「アルス! 今日はごくろうじゃったの!」
背中に押し付けられる豊満な胸と絡めてくる絹のような素足の感触で目が覚めない奴は男じゃねえ。
もっとも、それ以上のことはしてくれないということは、経験則上、分かっている。
「ああ、お前もな。しかし、ひょっとして物足りなかったか?」
魔王様の力を持ってすれば、いかに相手が魔龍であっても一人で仕留めることもできたのではないだろうか?
「そうじゃのう。しかし、リゼルとナーシャがいたから、魔王としての本性を見せる訳にいかなかったからの。ちょっと力を押さえて戦ったのは事実じゃ」
「あれで、ずっと猫をかぶっていたのか?」
その割にはすごい攻撃だったのだが。
「そうじゃ。だから、ちょっと疲れたぞ」
夕食の直前まで、子供リーシェは眠っていた。疲れたと言うのは本当のことだろう。
「しかし、今日の魔龍は、それほど凶暴という感じはしなかったな。やはり、卵を持っていたから、巣に近づいて来る連中を必死になって襲っていたんだろうな」
「何じゃ? 今頃になって罪悪感に苛まれておるのか?」
「いや、魔獣は魔獣の生活があるだろうが、人には人の生活がある。今日の街の人達の喜びようを見れば、やはり、あの魔龍は、この街の人々にすごく不安を与えていたんだ。それに、目の前で賞金稼ぎが五人死んだ。自業自得と言えばそれまでだが、奴らにだって大切な人がいただろう。だから、あの魔龍には悪いが、お互い様だ」
「ふふふ、いつまでもイジイジとしないところもアルスらしくて好きじゃぞ」
「ありがとうよ。それより、あの魔龍の卵はどうしたんだ?」
「とある所に隠しておる。あれを使って、今日これから薬を作る。今度は悪魔専用の薬じゃ」
「どんな薬なんだ?」
「バルジェ王国の宰相がコロンをしばりつけていた薬があったじゃろう?」
「お前が宰相から奪い取った小瓶のことか?」
「そうじゃ。あれはの、人族が契約を結んだ悪魔に契約を強制させる薬じゃ。あの薬を使われると、契約を結んだ魔族はその破棄もできぬし、その実行を強制されるのじゃ」
「だから、あの時、お前が契約を上書きするまで、コロンは宰相の命令に逆らえなかったんだな?」
「そう言うことじゃ。魔龍の卵を使って作る薬は、その解毒剤じゃ」
つまり、人族が悪魔の上に立つことができる薬を無効化する薬と言うことだ。それって、人族にとっては損失になる。俺は人族として、してはいけないことをしてしまったのではないかと不安になった。
「リーシェ」
「何じゃ?」
「お前は完全復活を遂げたいんだよな?」
「そうじゃ。子供の姿で魔法も使えんのは不便じゃし、何と言っても不安じゃ」
「完全復活した後、どうするんだ? 名実ともに魔王として返り咲いて、また自らの帝国を作り上げるのか?」
「そうじゃのう。アルスと出会う前は、ずっと、それを思い描いておったが、そなたとこうやって旅をしていると、けっこう面白くての。それに、そなたを弄るのも楽しいわ」
「そ、そうか。ま、まあ、俺も今の状態は嫌いじゃないぜ」
「とりあえず、フェアリー・ブレードはイルダの体の中に隠されていることは間違いないじゃろう。捜し物は我が手中にある。焦る必要もあるまい」
「そうだな」
「アルスよ。こっちを向いてたもれ」
俺はゆっくりと寝返りを打って、リーシェと向かい合わせになった。
いつ見ても、リーシェの美しい顔には目を奪われる。
「イルダの近くに、そなたがいたことも何かの運命なのかのう?」
「うん? どういうことだ?」
「わらわを虜にしてやまないそなたの匂いとか、『眠れる砂漠の美女』の前で一緒に聞いた声とか、そなたとは何らかの因縁があるような気がするのじゃ」
「俺もそう思う」
「うむ。それが何か分からぬが、これからもよろしくの、アルス!」
くそっ! 魔王様によろしくと言われた上に抱きつかれて嬉しくなる俺も俺だが、前世からの因縁だと思えば、仕方がないと自分で納得するしかねえな。
次の日の朝。
宿屋の食堂に集まったみんなは、昨晩のどんちゃん騒ぎの後だったが、すっきりとした顔をしていた。
食事を始める前に、イルダから話があると言われて、何事かと、みんながイルダに注目した。
「アルス殿。お願いしたいことがあります」
イルダがかしこまった顔をして俺を見た。
「何だよ、あらたまって?」
「昨日、手にした賞金二千ギルダーのうち、千ギルダーをお姉様に分けて差し上げたいんです」
まあ、イルダの気持ちは分かる。大好きな姉がひもじい思いをしていないか心配なのだろう。
もっとも、カルダ姫に同行している爆乳幼女体型の魔法士ファルと、ホモ剣士バドウィルも腕は確かなようだから、討伐依頼をこなして、ある程度の収入は得ているはずだ。
しかし、前皇帝の名代も務めたこともある第一皇女のカルダ姫には、いくら流浪の身であっても、それ相応の生活はしてもらいたいと思うイルダの優しさなのだろう。
「俺は反対しないぜ。ナーシャはどうだ?」
「千ギルダー渡したって、まだ、千ギルダーもあるんだから、ボクだって反対する意味がないし」
まあ、それが正直な気持ちだろう。
どこかに家でも買うのなら、あっという間だが、流浪の身で千ギルダーを持っていても、なかなか使い切れないくらいの額だ。明日をも知れない賞金稼ぎとしては、当面、食うのに困らない金があれば、それで良い。
「リゼルもダンガもよろしいですか?」
「御意!」
「ありがとうございます、アルス殿! ナーシャさん!」
元皇女様なのに、俺とナーシャに律儀に頭を下げるのも、イルダならではだ。
「それでは、いただきましょうか?」
イルダのお許しが出たので、朝食を食べ始めると、すぐに、エマが「おはようございまーす!」と食堂に入って来て、さも当然のようにテーブルの端っこに座り、子供リーシェの皿からパンをくすねて食べ始めた。
「エマ! ちゃんと朝飯代を払えよな」
「ちっちっちっ! 昨日、大金を手にした人が言う台詞じゃないね」
勝手に子供のパンをくすねて食べる奴に言われたくねえ!
まあ、もともと少食な子供リーシェが気にしてないから良いが。
「ああ、そうそう、イルダさん」
「はい、何でしょう?」
「帝国の使者は、明後日、来るようですよ」
「本当ですか?」
「七人委員会の委員会室で七人が揃って打合せをしている時に、ちょうど、その部屋にいたんですよ。今日、市民に知らせるみたいですよ」
もちろん七人委員会には、ずっと前から使者来訪の知らせは来ていただろう。
しかし、あまり早い時期に公にすると、これを邪魔しようとする奴らに十分な準備期間を与えることになってしまう。一方、あまりに遅いと、市民生活に支障をきたすこともある。だから、二日前というタイミングで公表することにしたのだろう。
「使者の名前については何か言ってなかったですか?」
「それは言ってなかったですね」
「そうですか。……ありがとうございました、エマさん」
「いえいえ~、やっぱり、イルダさんに誉められると気分が良いねえ。お姉様の次に気持ちが良いや。アルスに誉められても嬉しくも何ともないけど」
最後の一言は言う必要があるのか?
そして、二日後。
朝から、街のいたる所で護衛兵が清掃をしていて、通りの両端の建物から色とりどりの綺麗な布が渡されるなどして、通りという通りが綺麗に飾られた。
俺達はその様子を遠くで見ながら、ヘキトの店が、今日、開店だと伝えて来たので、みんなで開店祝いを述べるために宿屋を出て、ヘキトの店に向かった。
今の帝国の使者が来るこの街に、既に今の帝国の間諜が潜り込んでいるのかもしれず、もしかしたら、イルダの顔を知っている奴がいるかもしれないということで、イルダはベールを被って顔を隠していた。
ヘキトの店の前には、既に大勢の行商人が荷車とともにたむろしていた。
「すごいですね。みんな、新しいお店を見に来ているのでしょうか?」
「そういう連中もいると思うが、きっと、みんな、香辛料を仕入れに来ているんだろう」
俺は、ヘキトの店に掲げられている木の看板を指差した。
そこには「開店記念! 香辛料全品半額!」と書かれていた。
商人であれば、誰しも仕入れ価格を安く抑えたいと思うはずだ。新規開店の噂を聞きつけて、ちょっと見てやろうと思って来た行商人も間違いなくヘキトの店で香辛料を仕入れるだろう。
もちろん、そんなことをいつまでも続けていたら、まったく儲けられないばかりか、下手をすれば潰れてしまう。だから、しばらくすると通常の値段に戻すだろうが、そうやって、一旦着いた客は、どうせ同じ値段なら、また利用しようとやって来てくれるだろう。
店頭では、使用人らしき男女に混じって、ヘキトとランファの姿が見えた。二人とも忙しそうだったが、笑顔だった。
「忙しそうですね」
イルダも嬉しそうに笑った。
「ああ。だが、投資した身としては、ちょっと安心かな」
「そうですね」
俺達は、二人に声を掛けることなく、その場を立ち去った。
今の帝国からの使者が来ると予告されていたお昼頃。
俺達はカンディボーギルの正門である西門から、七人委員会の議事堂まで伸びる、街で一番の大通りの沿道に立って、使者がやって来るのを待っていた。
俺達だけではなく、今の帝国の使者を一目見ようと、多くの野次馬が通りの両脇を埋め尽くしていた。そして、その野次馬達の前には、槍を持った護衛兵が、びっしりとした間隔で並んで立っていた。
間もなく、西門が大きく開かれた。
そして、そこから、煌びやかな鎧をまとった騎士達が馬に乗って入って来た。
行列がどれだけ続くか見ていたが、すぐに最後尾の騎士が入って来て、城門が閉められた。
全部で三十騎ほどだ。
その騎士の少なさからは、儀礼を尽くして、七人委員会のご機嫌を取ろうとしているとしか考えられない。威圧を与えるほどの軍勢の派遣など、まだ、できないのだろう。伝聞ではなく、自分達の目でそれを確認できたことで、イルダとリゼル、ダンガのおっさんは少しホッとした顔をしていた。
騎士の行列の先頭には、若い男が颯爽と馬に乗っていた。煌びやかな兜の下から長い金髪が見えており、顔もなかなかのイケメンだった。
その男の馬が俺達の前を通りすぎた時、俺の隣でイルダが息を呑んだのが分かった。
俺がイルダを見ると、イルダは先頭の男をじっと見入っていた。しかし、目の焦点が合っていなくて、その騎士のイケメンぶりに見とれているとは思えない。
リゼルとダンガのおっさんがイルダの側に寄り、リゼルはイルダの肩を持って、まるでイルダが倒れないように支えているように見えた。
その行列が行き過ぎてから、俺はイルダに声を掛けた。
「知ってる奴だったのか?」
「……はい」
イルダは、かなりショックを受けているようで、その後の言葉を繋げることができなかったようだ。
「あれは、イルダ様の従兄弟のザルツェール様だ」
イルダに代わって、リゼルが言葉を続けた。
「従兄弟? ってことは皇族じゃあねえか! 全員処刑されたんじゃねえのか?」
「陛下の直系男子は全員処刑されたのだが、陛下の甥達のうち、降伏を受け入れた者は許されたという噂があった。本当だったのだな」
自分の兄を全員殺されたイルダにとって、同じ皇族でありながら生き長らえているだけでも腹立たしいだろうが、しかも敵の軍門に降り、その走狗となっていることは裏切り行為としか思えないだろう。
ベールの隙間から見えるイルダの瞳がいつになく険しく、俺も声を掛けることが躊躇われるほどだった。




