第五十四話 戦いの舞台へ
委員長から「成功報酬八千ギルダー」という一筆を取り付けた俺とリーシェは、すぐに宿屋の俺の部屋に転移して戻った。
部屋に二人きりでいたエマとランファは、ずっと他愛のない話をしていて、エマの軽妙な語りにランファが笑いっぱなしだったようだ。しんみりしそうな、こういう時にこそ、エマの性格はありがたい。普段は少し鬱陶しいが……。
既に夜が明けかけていた。
「明日の昼間、魔龍退治に行く。上手くいけば、八千ギルダーを手にすることができる。昨日の約束どおり、店の借金分はヘキトへの貸付金ということにする。それは、俺のご主人様も了解したことだ」
「一生掛かっても返しきれないご恩を、私は、どうやってお返しすれば良いのでしょう?」
ランファは涙ぐみながら俺を見た。
「まあ、とりあえずは明日、無事、魔龍を退治できるように祈ってくれ」
「……はい」
「アルスよ。わらわは、そろそろ戻るぞ」
イルダが起きそうな気配を感じたのだろう。リーシェが消えた。
「今日の朝食の席で、ランファをみんなに紹介しよう。エマ、これから暇か?」
「アタイの辞書には、『暇』という言葉はないんだよ」
「その割にはリーシェの所に入り浸っているんじゃねえのか?」
「それは、アタイの一番大事な用事だから! 暇だからお姉様の所に行ってるんじゃないから!」
「義賊の仕事はどうしたんだよ?」
「もちろん、するさ」
エマは、床に置いていた袋を持ち上げた。
「委員長の所から頂いてきた金貨を、これから街にばらまいてくるから」
「じゃあ、その合間に、ヘキトという男を捜し出して、俺を訪ねてくるように伝えてくれ。俺は今日一日この宿屋にいる」
「見返りは?」
「ない」
「どうしよっかなあ~」
「じゃあ、コロンを一晩、俺が面倒を見ると約束してやる!」
「乗った! うひひひ、その夜はお姉様を独り占めだぜ」
――こいつ、やっぱり危ないぞ。
ヘキトの人相を聞いたエマは、すぐに宿屋を出て行った。
ちょうど、朝食の時間になったので、早めに食堂に行き、一人分の追加を頼んだ。
朝食の準備ができるまで宿屋のロビーで待っていると、ヘキトが慌ててやって来た。
「アルス殿! ランファさん! いったい何があったのですか?」
とりあえず、ヘキトを座らせ、昨日までの顛末を簡単に説明した。
「そんなことが……」
「まあ、結局、俺達が魔龍を退治すれば、すべて丸く収まることは変わりないんだ。すべては明日、決まる」
「しかし、六千ギルダーですか?」
倍増した金額に、さすがのヘキトも落ち込んでいた。
「心配するな、ヘキト! 昨日の約束どおり、お前に貸し付けるのは、三千ギルダーだけだ」
「し、しかし、ランファさんの身請けに必要な金額は六千なのですよね?」
「増えた三千は、委員長が人気歌手を失うことになる『蒼き月』に支払った代金だ。そこまでヘキトが責任を負う必要はねえよ。ランファが負っていた借金分だけを肩代わりすれば良いだけだ。それにその増えた分はブルガ委員長自らが出してくれることになったからさ」
そうなのだ。ブルガ委員長がランファの身請けのために「蒼き月」に支払った金を返す資金をブルガ委員長自身が賞金として支払ってくれるという、結局、ブルガ委員長の一人損になる構図なのだ。
しかし、それも明日、俺達が魔龍を倒すことができればの話だ。
食堂からスープの良い匂いがしてきた。香辛料がたっぷり入っているやつだ。
食堂に集まったイルダ一行に、俺はランファを「ヘキトのごく親しい友人」と紹介した。
二人は顔を真っ赤にしたが、否定はしなかった。
「昨日、アルス殿からお話はうかがっています。お金のことは気になさらないでください」
イルダの優しい言葉にランファもまた涙ぐんだ。
「しかし、その委員長さんにランファさんがここにいるということを伝えておかなくて良いのでしょうか?」
確かに、有効に成立している委員長と「蒼き月」の契約に基づくと、嫌な言い方だが、ランファは今、委員長の「持ち物」で、委員長の部屋から、エマが「黙って」連れて来ているのだ。俺とリーシェが委員長と面談した時もランファの話は一切していない。
「明日、俺達が魔龍退治に失敗すれば、すべてが終わる。そうなった時に、イルダなりヘキトなりがランファを委員長のもとに返してやれば良いさ」
「いえ、私はランファさんを委員長のもとには絶対に返しません! ランファさんが良ければ、そ、その、こ、この街から一緒に逃げる覚悟です!」
「ヘキトさん、……駄目です。ヘキトさんには、この街で店を持つという夢があるではないですか!」
「魔龍退治ができなければ、結局、出店の許可は出ません。この街に未練などありません。ランファさんがこの街から離れたくないというのであれば、私も無理は言いませんが……」
「いえ、私も連れて行ってください!」
何もしてなくても汗ばむ気候なのに、じっと見つめ合う二人の間だけ燃えるような暑さだ。
今度の魔龍退治は、もともとはリーシェの願いを叶えるためだったが、この二人の未来のために、どうしても遂行したくなった。赤の他人のために命を懸けて戦うのは初めてかもしれない。俺もお節介な男になっちまったもんだ。きっと、イルダのせいだ。
その日は、俺もずっと部屋に閉じ籠もりきりで十分に休息を取った。
ランファもこの宿に泊まることになった。
宿屋の主人にも金貨をはずんで、ランファのことの口止めを依頼したが、主人はお金を受け取らなかった。やはり金の力で好き勝手している委員会には腹に据えかねることがあるようで、街中で噂になっている委員長邸からランファが「盗まれた」ことに小気味よさを感じているようだ。そして、そんな市民感情を委員長も何となく感じているからか、大々的なランファ捜索網は敷かれていなかった。
そして、その日の夕食にはヘキトも駆けつけて来た。
たまたまだとは思うが、他に宿泊客はおらず、食堂は、俺達だけの貸し切り状態だった。
そして、ランファが、せめてもの感謝の気持ちを表したかったようで、歌を披露してくれることになった。
センチメンタルな歌詞をゆったりとしたメロディに乗せて、情感が溢れるほどに込められたランファの歌は、「蒼き月」の舞台のように伴奏付きではなかったが、その歌声に全員が聞き惚れていた。イルダなどは感動したのか、涙目になっていた。
「よおし! 明日の戦勝を祈念して、久しぶりにやるか!」
少し酒も入って、いつにも増して陽気になっているダンガのおっさんが、ランファの歌に触発されたのか、宿屋にあったリュートを借りて、アップテンポの曲を演奏しだした。
「へえ~、ダンガのおっさん、そんな特技を持ってたのか?」
「昔取った杵柄だ。それほど衰えていないようだわい」
「よし! じゃあ、みんなで歌うか!」
明日は、今までに経験したことのないほどの強敵、魔龍相手の戦いだ。
ランファの歌は感動的で良かったが、しんみりしてしまった場を盛り上げようというダンガのおっさんの意図に俺も乗った。
ランファが素晴らしい声でリードをしてくれて、イルダやナーシャ、それにヘキトも大きな声で歌った。どんちゃん騒ぎが嫌いなリゼルも小さな声で合わせていた。
そんな騒ぎをよそに、子供リーシェは抱いている子犬のコロンと一緒に椅子にもたれて眠り込んでいた。
次の日。
夜、大騒ぎしたせいか、ことのほか、すっきりと目覚めた。
枕元にエマが書いたメモがあった。
爆睡していたから、エマが俺の部屋に忍び込んで来たことに、まったく気づかなかった。
メモには、リーシェからイルダを眠らせる役目をしかと承ったと書いていて、ベルトのポーチをまさぐると、「おやすみ薬」がなくなっていた。
エマのことだ。ちゃんとその役目を果たしてくれるだろう。と言うことで、リーシェがこの戦いに参加できることも確定だ。
しかし、魔王様が一緒に戦ってくれると言って、気を抜いていたら駄目だ。相手は二百人以上の賞金稼ぎを返り討ちにしている、増額前でも賞金四千ギルダーの価値がある相手なのだ。
食堂に行くと、一緒に戦いに行くリゼルとナーシャも気負ったところはなく、普段どおりで安心をした。
イルダも努めて明るく振る舞ってくれているようだ。
食事が終わると、イルダ、ヘキト、ランファ、ダンガのおっさん、そして子供リーシェと子犬のコロンの見送りを受けて、俺、リゼル、そしてナーシャは宿屋を出た。
街は、一昨日の魔龍出現の余熱が残っているようで、昨日までは見られなかった多くの護衛兵が警備している景色が見られた。もちろん、ランファを捜しているのかもしれないが。
北の城門から外に出て、街の北東部にあるという香辛料農園に向かって延びている道を歩いた。
道は、農園で採れた香辛料を街に運び入れるために、馬車が余裕ですれ違いできるほどに幅があり、石畳で綺麗に舗装されていた。実際、荷台に満載の荷物を積んでいる荷馬車が何台かすれ違い、空の荷馬車が俺達を追い抜いて行った。
半刻ほど歩くと道の両側が高い塀で覆われた場所までやって来た。
どうやら塀の向こう側が農園のようだ。この高い塀は、香辛料泥棒の侵入を許さないためと、中で働かされている奴隷を逃がさないためだろう。
ちなみに、この大陸の奴隷は、アルタス帝国が大陸を統一する過程で生まれた。
アルタス帝国に臣従した国には帝国市民権が与えられたが、臣従勧告に従わず徹底抗戦して敗れた国の民が奴隷という身分に落とされた。そういう処遇を周囲の国に見せしめして、できるだけ血を流さない方法での統一を図ろうとした訳だが、一旦、できてしまった奴隷制度を無くすことは、歴代のアルタス皇帝もできなかった。奴隷がいないと成り立たない産業ができてしまっていたからだ。香辛料栽培もその一つだ。この暑く高湿度の環境で農作業をしなければならない仕事に誰が好き好んで就こうとするだろうか?
大陸が統一されてしまっている現在、新たな奴隷階級に落とされる者はいないはずだが、今の帝国は、自分達に刃向かった者を容赦なく奴隷にしているとの噂を聞く。誰も奴隷にはなりたくはないから抵抗勢力への抑止力にしようという訳だ。逆に考えると、そういうことをしないと反抗する勢力が出てくるのを押さえつけられないという見方もできる。
塀の途中に門があり、数人の警備の兵士が立っていた。
武装した俺達に最初は警戒をしていた兵士達も、俺達が魔龍退治に来たと知ると、途端に哀れむような顔付きになった。ここを通り過ぎて行ったが、帰って来なかった賞金稼ぎを何人も知っているからだろう。今朝も俺達の前に同じことを訊いた賞金稼ぎの一団がいたらしく、そいつらにも言ったそうだが、「ここまで魔龍を連れて逃げて来ないように」と釘を刺された。
まあ、魔龍退治はしてもらいたいが、巻き添えを食うのはまっぴらごめんだという兵士の気持ちも分からんでもない。
「そう言えば、一昨日、魔龍が街の上空まで飛んで来ていたが、あの魔龍がこの先に棲み着いている奴なんだな?」
「魔龍は一匹しかいない。そいつが、あんたらの標的に間違いないぜ」
あの魔龍は、下に街があることなど無視するように悠然と空を飛んでいた。どうせ、餌でも探しに行っていて、帰りのコースがたまたま街の上空を横切ることになっただけだろう。もっとも魔龍が何を食って生きているのかはよく分かっていない。少なくとも人は食わないはずだ。
俺達は、門番の兵士達から、魔龍が棲息しているという場所を詳しく教えてもらった。
話を聞くと本当に近くで、わずか十分ほど歩くと、その場所はあった。
先ほどの門から続く農園の高い塀が途切れると、広く開けている場所があった。その中心部付近に枝葉が付いたままの樹木が折られて積み重ねられているのが見えた。おそらく魔龍の巣だろう。しかし、魔龍の姿は見えなかった。
周辺はかなりの広範囲にわたって樹木が伐採されていた。生い茂る密林に囲まれた「広場」という感じだ。おそらく、ここも農園にするべく整地していたのだろうが、魔龍の巣が作られてしまって、開墾が放棄された場所なのだろう。
俺達三人は、広大な「広場」を見渡すことができる密林の中に潜んで、リーシェがやって来るのを待った。リゼルとナーシャもリーシェの力を借りないとこの戦いに勝ち目はないと分かっているから、リーシェがやって来るのを大人しく待った。
突然、不気味な鳴き声が響いた。
先日、カンディボーギルの上空に響いた鳴き声だ。
「アルス! あれ!」
ナーシャが指差した先から魔龍が悠然と空を飛んで来ていた。




