第五十三話 売られた歌姫
もう真夜中のはずなのに、窓の外がいつもより明るい。しかも、街がざわめいている。
目が覚めた俺は、宿屋のベッドから身を起こして、カーテンを少しめくり、窓の外を見た。
二階にある自分の部屋から表の通りがよく見える。宿屋の前の通りを松明を掲げた護衛兵の集団が駈け抜けて行った。
――そう言えば、今夜、エマが盗みを実行するんだったな。その警戒のためか?
それとも、もう、エマが盗みを成功させていて、護衛兵達がその行方を必死になって捜しているところか?
まあ、明日になれば分かるだろう。
俺は、もうひと寝入りしようと、ベッドに潜り込んだが、ドアをノックする音でそれが妨げられた。
誰だ、こんな時間に?
リーシェやエマならノック無しで勝手に入り込んでくるはずだが?
――ひょっとして、イルダか?
外に出られなくて、俺と一緒にいる時間も少なくなって、我慢できなくなったとか?
そうか、そうか。きっと、そうだろう。
俺は、思わず鼻歌を口ずさみながら、ドアを開けた。
「やっほー!」
エマだった。高まっていた期待が一気にしぼんだ。
俺は無言でドアを閉めた。しかし、エマが咄嗟にドアの隙間に足を挟んで、ドアを閉めさせなかった。
「何だよ! いきなり閉めるなんて失礼な奴だな!」
「お前こそ、こんな真夜中にいきなりやって来るなんて失礼どころじゃねえだろ!」
「連れができてさ、仕方なく」
エマが体をずらすと、その後ろに女性が立っていた。
「ランファか?」
思いも寄らなかった人物の登場に、俺の思考が一時停止した。
「ど、どうしたんだ?」
「とりあえず部屋に入れておくれよ」
確かに宿屋の廊下に女性二人を立たせて話をするのも変だ。
俺はドアを開けて、二人を部屋に入れると、小さな丸テーブルの上に置かれている燭台の蝋燭に火を灯した。
「アルスさ、とりあえず気持ち悪いから、上に何か着てくれない?」
この街の蒸し暑い夜に上半身裸で寝ていたことに気づいた。
って、何だよ、気持ち悪いって!
ランファみたいに顔を赤らめてうつむいているのが女性としての普通の反応だろうが!
しかし、エマに普通の女性としての反応を期待することが間違いだったことを思い出した俺は、上着のチュニックを着ると、エマとランファをテーブルに二つセットされている椅子に座らせ、俺はテーブルの近くに立った。
「それで、どうしてランファがいるんだ?」
「それがさ、さっき、予告どおり、ブルガ委員長の屋敷に忍び込んだら、彼女が手枷を付けられて鎖でつながれているのを見つけたんだ。助けてくれって言われたから、委員長とこからお金をいただくついでに助けて、話を聞くとアルスのことを知っているって言ったから連れて来たってこと」
エマの言い方を聞くと、「街でちょっと会ったから一緒に来ちゃった」程度にしか聞こえないが、犯行予告をしていて、厳重に警戒されている中、ランファを連れて、どうやって逃げることができたのか不思議でならない。
だが、問題はそこじゃない。問題は、どうしてランファがブルガ委員長の屋敷に監禁されていたのかと言うことだ。
「ヘキトの店で別れた後、何があったんだ?」
ランファ自身もまだ気持ちと事実の整理ができていないようで、俺の問いに目を泳がせながら語り始めた。
「あの後、一刻ほどヘキトさんといろいろと話をさせていただいてから店に戻りました。舞台の準備をしていると、委員会から戻られた女将さんから『おめでとう』と言われたんです」
ランファの言葉が震えていた。
「何のことかと思えば、私はブルガ委員長に身請けされたそうなのです。女将さんがなかなか委員会から帰って来なかったのは、その話をしていたからのようで、私の借金三千ギルダーに併せて、更に三千ギルダーを加えた六千ギルダーが店に支払われたそうです」
人気歌手のランファを手放すために、女将がブルガ委員長に吹っかけていたんだろう。その結果が合計六千ギルダーというとんでもない金額なんだろうが、それだけの金額を一人の女性のためにポンと支払えるのが、この街の実質的な支配者であるブルガ委員長だ。
「私は女将さんに断っていただくようにお願いをしたのですが、もう約束をしたとかで聞き入れてくれませんでした。私は、何とか約束を白紙に戻してほしいと女将さんに何度もお願いをしていたのですが、たぶん、約束の時間になっても私がブルガ委員長の屋敷に行かなかったからだと思いますけど、委員会の護衛兵が店にやって来て、無理矢理、ブルガ委員長の屋敷に連れて行かれました」
「それで監禁されたってことか?」
「はい。もう、諦めかけていたところに、この方に助けていただいたのです。でも、お店に戻る訳にいきませんし、ヘキトさんがどこの宿屋に泊まっているのかも聞いてなかったので、どうしようかと思っていたら、こちらの方からアルス殿の名前が出たものですから。……突然、申し訳ありません」
「ランファが謝ることは何もないさ。問題は、これからどうするかだ」
「その委員長とかいう奴を痛めつけてやれば良いではないか?」
「お姉様~!」
突然、現れた大人リーシェに驚いたランファだったが、そのリーシェに抱きつき頬をすりすりしているエマにも目を点にしていた。
「せっかくだから、こいつらを紹介するよ。今、現れたのは魔法士のリーシェ、ランファを助けたこいつはエマという盗賊だ」
「盗賊……」
委員長の家に忍び込んでいるんだから、真っ当な人間ではないと分かっていたはずだが、命の恩人が盗賊と紹介されて、ランファも戸惑っていた。
「盗賊って言っても人の命を奪ったり、庶民から金を巻き上げたりしないから安心しろ」
と一応、フォローしておいて、リーシェに顔を向けた。
「あのなあ、何の理由もなしに委員長を痛めつける訳にはいかないんだよ」
「このランファが嫌がっておるのに無理矢理連れて来たのじゃろう? 痛めつけるのに十分な理由ではないか?」
魔王様のくせに正義の味方みたいなこと言ってやがる。
「俺も気持ち的にはお前と同じだが、委員長は、ちゃんと金を払って、ランファを身請けしたんだ。俺が委員長を痛めつけると、俺が悪者になるんだよ」
「アルスのくせに正義の味方みたいなことを言うでないぞ」
何でだよ! それじゃ、俺がいつも悪いことしてるみたいじゃねえかよ!
「とにかく! 六千ギルダーを委員長に返さないと文句は言えないんだ」
「魔龍退治で金は手に入るのではないか?」
「その賞金は四千ギルダーだ。二千ギルダーも足りない」
「では、賞金をつり上げに行くか?」
「はあ? どうやって?」
「なあに、委員長の目の前で、わらわが少し本気を出せば、すぐじゃ」
完璧に悪役の台詞じゃねえかよ!
しかし、それしかないか。
ランファをエマと一緒に俺の部屋で待たせることにして、俺はリーシェの転移魔法でブルガ委員長の屋敷に飛んだ。
着いた所は、薄暗い廊下であった。あちこちでざわめきが聞こえる。
エマによって、若干のお金とランファが盗まれたんだ。屋敷の中が、まだ騒然としていても不思議ではない。
「委員長はどこにいるんだ?」
「わらわに訊かれても知らぬわ。自分で探せ」
「何だよ、その自分の仕事はもう終わったみたいな態度はよ?」
「転移魔法と言うのはの、発動するとけっこう疲れるのじゃぞ。か弱き乙女をどこまでこき使うつもりじゃ」
「……分かったよ。委員長の部屋を探そう」
辺りをうかがっていると、廊下の端から足音が聞こえてきた。そこは階段になっているようで、誰かが下の階から上がって来ているようだ。
俺とリーシェは、廊下に出っ張って並んでいる柱の影に隠れて、そいつが廊下を歩いてやって来るのを待った。
俺達に気づかず通り過ぎようとしたのは、メイドのような格好をした女性だった。おそらく、この屋敷の召使いだろう。俺は、素早く召使いの後ろに回り込み、口を手で塞いだ。
女性を襲っているみたいで嫌だったが、ちょっと楽しんでいる自分にほんの少し自己嫌悪した。
「騒ぐな。大人しくしていたら危害は加えない」
口を塞がれている召使いは、うんうんと無言でうなづいた。
物分かりが良い女は好きだぜ。
て、俺も完璧に悪役じゃねえか!
「委員長はどこにいる?」
俺は口を塞いでいた手を少しだけ緩めた。
「お部屋にいらっしゃいます」
体を震わせながらも、召使いは小さな声でしっかりと答えた。
「委員長の部屋はどこだ?」
「この上、三階の一番東側のお部屋です」
「そうか。ありがとうよ」
一応、礼を述べて、召使いの鳩尾に一発食らわすと、召使いは気絶した。
「罪もない女性に暴力を振るうとは鬼のような奴じゃな」
「お前が自分で調べろと言ったんだろうが! 他にどんな方法があると言うんだ?」
「ニコニコと笑いながら『自分はアルスという不審者じゃが委員長はどこにおるのじゃ?』と訊けば良いではないか」
「それで教えてくれたら、こんな苦労はしねえよ!」
「人望がないのう」
「そういう話じゃねえから!」
リーシェのボケにいちいち突っ込んでいたら時間がなくなる。
俺は、気絶をした召使いを柱の影に横にさせると、抜き足差し足で廊下を端まで歩き階段を上がった。
三階も同じような廊下があり、その行き当たりに綺麗に装飾されている大きなドアがあった。
「ドアを開けて入るより、転移した方が衝撃が強くないか?」
「そうじゃの。あそこまで歩くのも疲れるからの」
いちいち可愛くねえ。
しかし、リーシェは俺に抱きつくと、すぐに転移をした。
次の瞬間には、俺とリーシェは、豪華な装飾品で埋め尽くされた部屋の中にいた。部屋の奥に大きくて豪華な執務机があり、俺達に背を向けて座っていた男がゆっくりと振り向き、立ち上がった。
「誰だ?」
「ブルガ委員長か?」
「そうだ」
「話がある」
豪華なトーガを身にまとったブルガ委員長は、頭が禿げ上がった初老の男性だったが、顔の艶も良く若々しく見えた。
ランファを我が物にしようとしただけあって、絶倫爺さんなのかもしれない。
爺さんは、突然の闖入者に怯えることもなく落ち着き払っている。さすがは委員長を務めているだけの人物だ。
委員長は俺達から視線をはずさずに、天井からぶら下がっていた先端に房が付いている紐をつかんだ。
護衛兵を招集させる呼び鈴だったのだろうが、委員長が紐を引くと、紐は途中でぷつんと切れてしまった。
信じられないという表情をして、その紐の切り口を見ていた委員長に俺が一歩近づいた。
「俺は、あんたが出している魔龍退治の依頼を受けた賞金稼ぎだ」
「その賞金稼ぎが何の用だ?」
「賞金の引き上げを直談判しに来たのさ」
「何?」
強盗か何かかと思っていたはずの委員長が拍子抜けた表情を見せた。
「俺達は明後日、いや、もう明日かな、必ず魔龍を倒す! しかし、四千ギルダーぼっちのはした金には不満を抱いている。もう二百人以上が挑んで死んでいるんだろ? それに、あんたらの香辛料取引にも大きな影響が出ているらしいじゃねえか。だったら、もう少し賞金額を上げてもらっても良いんじゃねえか?」
「四千ギルダーでも十分だと思うが? いくらに上げてもらいたいのだ?」
「八千だ!」
ランファの身請け金六千に少し色を付けてみた。
「いきなり倍の額を要求か?」
「そうじゃ」
ここで俺の後ろに控えていたリーシェが俺の前にしゃしゃり出てきた。
リーシェの美貌に目を輝かせない奴は男じゃねえ。委員長もしっかりと男だった。
「そなたは?」
「わらわは魔法士で、この変態剣士を含めた四人のメンバーでチームを組んでおる」
「ほ~う、そなたのように美しい魔法士など初めて見たわい」
委員長は既に釣り針に掛かっているようだ。
「しかし、わらわはの、ちょっと事情があってお金が欲しいのじゃ。それも二千ギルダーほど」
委員長は、リーシェの美しい顔から目を離さず相槌を打った。
「じゃから、この街で魔龍退治の依頼を受けたのじゃが、わらわの他の連中は、相手が魔龍だと、一人二千ギルダーはないと割に合わないと言うのじゃ。だけど、わらわも先ほど言うたとおり、一人で二千ギルダーは欲しいのじゃ」
「四人全員が二千ギルダー欲しいということで、合計八千ギルダーということか?」
「そうじゃ。さすが委員長さんは頭も良いのう」
リーシェがヨヨヨとしなを作って委員長にもたれ掛かった。
「わらわ達が魔龍退治に失敗すれば無かった話になるだけじゃ。退治が成功したら、委員長さんも嬉しいじゃろう?」
「それはそうだが」
「ならば」
リーシェが委員長の首筋に顔を埋めて囁いた。
「良いじゃろう? それに成功した暁には、もっと良いことがあるかもしれんぞ」
委員長の耳たぶを甘噛みしたリーシェの籠絡に、委員長が撃沈したことは言うまでもない。




