第五十話 香りの逢瀬
「アルス殿、ご苦労様でした」
みんな揃っての夕食の席で、俺は正面に座っているイルダからねぎらいの言葉を掛けられた。
アルタス帝国の世が続いていたのなら、俺はひざまづき「もったいなきお言葉!」と叫んで感涙にむせぶフリをしなければならないが、今はイルダに笑顔を返すだけだ。
「リゼルとナーシャも頑張ってくれたからな。特にリゼルには毎回助けられる」
イルダの隣に座っているリゼルに視線を移すと、リゼルは照れたように顔を赤らめ、目をそらした。
「何だよ。そんなに謙遜するなよ、リゼル」
「そ、そう言う訳でないが」
珍しくリゼルが焦っているに見えた。
「明日はどうされますか? お疲れでしょうから休息をされるとよろしいかと?」
今日だけで五十ギルダーを手に入れることができた。今の一行でも贅沢をしなければ二十日くらいは宿屋に泊まれるほどの収入だ。イルダが勧めてくれたように、明日はゆっくりと休息して明後日以降にまた依頼を受けるということも可能だが、俺は、ヘキトから頼まれたことを、みんなに話した。
「魔龍の討伐ですか」
さすがにイルダも心配そうな顔をした。
「無理だ! 危険すぎる!」
リゼルは、前回同様、反対をした。
「リゼルは宿屋にいても良いぜ」
「何? アルス一人で行かせる訳にいかないだろう!」
そう言った後、リゼルは何かに気づいたようにハッして、また、顔を赤くした。今日のリゼルは少し変だ。
「俺一人じゃねえよ。みんなも知っている魔法士のリーシェにも手伝ってもらおうかと思っているんだ」
「リーシェ殿は、この街に来ているのか?」
リゼルが嬉しそうな顔をした。
「いや、まだだ。しかし、あいつは転移魔法が使えるから、呼べば、すぐに来られる」
本当は、イルダの隣でモタモタと飯を食っているんだけどな。
「私もその魔法士のリーシェさんにお会いしてみたいです」
「ま、まあ、そのうち会えるんじゃねえか?」
イルダの希望は叶わない。なぜなら、イルダが眠っていないと魔法士のリーシェこと魔王リーシェは出てこられないのだから。
「どうだろう? ヘキトの望みも叶えてやりてえじゃねえか」
「まあ、リーシェ殿が一緒であれば、魔龍退治も不可能ではないだろう」
大人リーシェが使う強力な魔法を知っているリゼルも納得するしかなかった。
「じゃあ、明日、俺が依頼を受けてくる。魔法士のリーシェも明日中には来るだろうから、明後日にでも退治に行く」
その日の夜。
みんなが寝静まった頃、大人リーシェが俺のベッドに潜り込んできた。
俺もうつらうつらとしかけていたが、すぐに目が覚めて、背中に張り付いているリーシェに寝返りも打たずに話し掛けた。
「希望どおり依頼を受けることになったぞ」
「うむ。上出来じゃ」
「それで実際、明後日はどうする?」
魔龍退治は、俺、リゼル、ナーシャ、そして、リーシェの四人で行うことになっていた。
「わらわを入れて四人か。転移魔法で一緒に飛ばせるのは三人が限界じゃぞ」
「二回に分けて運んでくれたら良いんじゃねえか?」
「そなた、わらわを馬のようにこき使うつもりか?」
さすがに魔王様のプライドが許さないようだ。
それに、よく考えてみれば、そこまでリーシェに頼り切るのは、さすがに甘えすぎだ。
「分かったよ。じゃあ、俺とリゼルとナーシャは先に行っておく。現地で集合しよう」
「うむ、それが良い。『おやすみ薬』でイルダを眠らせることができるのは小一時間じゃ。移動の時間はできるだけ短くしたいからの」
それもそうだ。移動に時間を取りすぎると、リーシェにとって、魔龍との戦いに費やせる時間がそれだけ短くなる。
「しかし、誰がイルダを眠らせる?」
「エマに頼んでおこうぞ」
「エマは今夜も来るのか?」
「そう言うておった」
――イルダが眠っている間に、エマはリーシェとの逢い引きを楽しんでいる訳か。
しかし、今、リーシェの側にはコロンがいる。封印後のリーシェに初めてできた子分の魔族だ。
「そういやコロンはどうしているんだ?」
リーシェの封印が解けているということは、コロンの封印も解けているはずだが?
「封印が解けていることも気づかず、犬の姿のまま爆睡しておるわ」
リーシェはコロンが可愛くてたまらないようだ。
コロンは、犬耳幼女なのに転移魔法が使えるほどの実力を持つ悪魔だ。そして、エマは人族だが、盗賊としてのスキルが高く、神出鬼没だ。
魔王様であるリーシェは、エマやコロンのその実力を認めているからこそ、自分の近くに置いておきたいのだろう。
「エマとコロンは上手くやっているのか?」
「わらわの前で喧嘩など許さんと、きつく申し渡しておるからの」
結局、喧嘩してるのかよ!
ひょっとしたら、リゼルもその争いに参戦しかねない感じだった。
しかし、それは、リーシェに人を惹きつける魅力があるからにほかならない。恐怖で他の魔族を支配するという「普通の」魔族とは違い、リーシェは、冷酷無比な魔王としての顔とは別に、人族のような感情を持っている。それは、封印された後五百年もの長き間、少年の姿になり人族の社会を彷徨っている間に身についたのかもしれないし、もともと、リーシェが持っていた性格なのかもしれない。
だから、リーシェのことを魔族だと知っている俺やエマも、リーシェと普通につき合っていける。とにかく、リーシェは普通の魔族ではない。だからこそ魔王様になれたとも言えるのだ。
「ところで、アルス」
「何だ?」
「今夜は、邪魔者はいないの」
「……だから?」
俺が寝返りを打つと、すぐ間近にリーシェの顔があった。その美しさに唾をごくりと飲み込む。
「アルス」
「リーシェ」
リーシェの顔が迫ってきた。
――今日こそは、ついに?
と思っていたら、リーシェの顔は俺の顔の横を通り過ぎて、俺の首筋に伏せられた。
「久しぶりにアルスの匂いを嗅ぎたくなったぞ」
「……そうかよ」
「良い匂いじゃ。このまま眠ってしまいそうじゃ」
極限にまで膨らんでいた期待が急速にしぼんでいったが、こうやって、リーシェが俺の匂いを嗅ぐために、俺に抱きついているだけでも、何となく心が癒やされる気がする。
女と抱き合うだけで満足するなんて、今までの俺からすれば考えられないことなのだが、実際そうなのだから仕方がない。
俺も「眠れる砂漠の美女」の前で、リーシェと同じ声を聞いた。他の者には聞こえない声で、耳からではなく頭に直接響いてきた声だった。そして、俺の匂いは、昔に嗅いだことのある懐かしい匂いだとリーシェは言った。やはり、俺とリーシェとの間にも何らかの因縁があるのかもしれない。
俺は、リーシェを軽く抱き締めて、リーシェが満足するまで匂いを嗅がせてやった。
しばらく俺の匂いを嗅いで満足したリーシェは、俺に軽いキスをプレゼントしてくれてから消えた。
次の日。
朝食を終えた俺は、一人で街に出た。
昨日の酒場で魔龍討伐の依頼を受けるためだ。
酒場の前まで行くと、ヘキトが入口の前に立っていて、俺を見つけると駈け寄って来た。
「アルス殿! 今日、ここに来られたということは?」
「ああ、魔龍討伐の依頼を受けるぜ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
「ヘキトは、俺を待っていたのか?」
「はい。頼れる人はアルス殿しかいませんから」
――簡単に言いやがる。こっちは命を懸けてんだぜ。
まあ、商人のヘキトにそんなことを言っても無駄だし、ヘキトだって悪意を持って言った訳じゃねえしな。
俺は、酒場に入り、依頼仲介人に魔龍討伐依頼を受けることを伝えると、依頼仲介人は俺を哀れ見る表情を見せた。
命知らずの賞金稼ぎがまたその命を落とすと思っている、こいつなりの精一杯の哀悼の気持ちの表れなんだろう。
しかし、こっちには勝機がある。魔王様が仲間だとは誰も思ってもいないだろう。
酒場を出ると、ヘキトが昼飯をご馳走してくれるとのことだったので、俺もホイホイとついて行った。これもヘキトなりのお礼の仕方なのだろう。断る方が失礼と言うものだ。
ヘキトと通りを歩いていると、前から、「蒼き月」の女将とランファが、図体がでかくて怖い顔をしているお兄さん二人を従えながら歩いて来ているのが見えた。
ヘキトがご執心の歌姫ランファだ。ヘキトが気づかないはずがなく、俺の隣で露骨に嬉しそうな顔をした。
ランファも俺達に気づいたようで、女将に一言何かを告げると、笑顔で近づいて来た。
もちろん、女将も怖そうなお兄さん二人も一緒だ。
ふと隣を見ると、まさか、ランファの方から近寄って来てくれるとまでは思ってなかったのか、ヘキトが顔を真っ赤にして汗までかいていた。
こいつも分かりやすい奴だぜ。
「こんにちは、ヘキトさん。それに、アルス殿」
「ほ~う、一昨日、少ししか話していないのに、俺の名前を憶えていてくれるとはな」
「職業柄、一度聞いたお名前は忘れることがありません。アルス殿はヘキトさんの命の恩人だとお聞きしましたので尚更です」
どうやらランファの中では、ヘキトは特別な人らしい。それは店の常連客としてなのか、それとも……。
「ラ、ランファさん、今日はどちらに?」
「七人委員会に行っています」
「委員会に?」
「はい。今日、七人の委員が全員集う昼食会があるそうで、そこで歌を披露させていただくのです」
「そ、そうですか。頑張ってください」
「ありがとうございます」
他に言うことがあるだろうが! じれったいぜ、まったく!
「ランファ」
「はい?」
ランファは首を傾げて俺を見た。
確かに綺麗だ。もし、俺の側にイルダやリーシェがいなければ、俺も虜にされていただろう。
「ヘキトが今、この街で開業をしようとしているのは聞いているか?」
「いえ、そうなのですか、ヘキトさん?」
「えっ、あ、あの、そうです」
「でも、委員会の許可が下りないらしいんだ。今日、ランファからも委員会の連中の耳元で囁いてくれないか?」
「はい、それはお安いご用です」
「そ、そんなことをランファさんにお願いすることなんてできませんよ!」
ヘキトが焦って、俺に迫ってきた。
「何で? ランファは約束してくれたじゃねえか」
「し、しかし、そ、そんな、裏から手を回すみたいな汚いことをランファさんにお願いすることなんて」
ヘキトのセリフを聞いて、俺は呆れてしまったが、ランファは口に手を当てて笑っていた。
「ヘキト! お前、そんなんじゃ、一生、行商人で終わってしまうぞ!」
「そ、そんな」
「商売は口八丁手八丁だぜ。それに口利きは汚いことじゃない。ランファが口利きをしてくれると言うことはヘキトを信頼しているからだろ?」
「はい」
ランファが即答した。
「信頼をしてくれる人の推薦を受けて、新たに信頼をしてくれる人を増やしていくことが、どうして汚いことなんだよ?」
「ヘキトさん」
俺の言葉にうなづいたランファは、ヘキトを優しい目をして見つめた。
「ここは商都と呼ばれる街です。私もいろんな商人の方とお話をさせていただくことがあります。私が七人委員会にも出入りしていると聞くと途端に、私の歓心を得ようと、私に贈り物を届けて来る方もいらっしゃいます。でも、私は、そんな贈り物を受け取ることは、すべてお断りをしています。私は一介の歌手です。何も力を持っていません。でも、自分が素晴らしいと思う人は誰かに紹介したくなりますよね? 私はヘキトさんが誠実で、謙虚で、そして一生懸命に頑張っていることを知っています。私は、そんな素晴らしい商人のヘキトさんのことを委員会の皆さんに知ってほしいから、アルス殿の申し出を承諾したのです」
ランファは、ヘキトと同じくらい若く見えるが、きっと小さな頃からこの世界にいて、いろんな客と話をして、人を見る目を養ってきたのだろう。
ヘキトにはもったいないくらいの良い女だ。




