第四十七話 商都の闇
宿屋に戻ると、みんな、もう寝静まっているようで、俺は足音を忍ばせて、自分の部屋まで廊下を歩いた。
ドアを開けると同時に、部屋の蝋燭が灯った。
「遅いぞ、アルス」
大人リーシェがベッドに腰掛けていた。
「お前と待ち合わせの約束をしていた憶えはないぞ」
「魔王様に口答えするなんて良い根性してるじゃねえかあ!」
俺の背中に小さな子供がおんぶするように飛び乗った。
犬耳幼女の姿に戻っているコロンだ。
そうなのだ。コロンは、リーシェの封印が解けると自分の封印も解けるようになっていた。
あの「眠れる砂漠の美女」により時間を遡らされて、元の犬の姿に戻ったことは違いないが、先に成立したリーシェとコロンの契約が優先したようで、リーシェがその契約を実行できるようになった時、すなわち、リーシェの封印が解かれた時には、契約に基づき、コロンは魔王リーシェの子分の悪魔として復活できるのだ。
と言うのが、リーシェからの受け売りだ。
「俺に何か用か?」
コロンを背負ったまま、俺はリーシェの前に立った。
「酒臭い! ちょっと離れろ!」
リーシェが自分の鼻をつまみながら、露骨に嫌な顔をして、あっちへ行けとばかりに手を振った。
「分かったよ」
俺は、数歩、後ろに下がった。
いや、待て! ここは俺の部屋だろうが! 何で俺が下がる必要がある?
と、リーシェに文句を言ってもスルーされるだけだろう。
「それはそうと、アルス! 明日、魔族退治の依頼を受けるのか?」
リーシェは、足を組んでベッドに座ったまま、俺を見上げた。
「ああ」
「倒してほしい奴がいる」
「何だよ? 昔の敵でもいるのか?」
「そうではない。そいつを倒すと良い物が手に入るのじゃ」
「良い物って何だよ?」
「そなたには関係のない物じゃ」
「でも、お前には役に立つ物だということか?」
「まあ、そう言うことじゃ」
「相変わらず、人使いが荒いな」
「わらわのために汗水垂らして馬車馬のように働くと言っておったではないか」
「そんな約束した憶えはないからな!」
「そうだったかのう」
楽しそうに笑うリーシェの顔を見ると嬉しくなるのはどうしてだろう?
それに、リーシェとの呆け突っ込み会話は、何だかんだ言って、良いストレス発散になっている。
「それで、倒してほしいってのは?」
「魔龍じゃ」
「何ぃ!」
「アルスなら朝飯前じゃろう?」
「勝手なこと言ってんじゃねえよ! 魔龍だろ? 場合によっては悪魔よりしんどい相手だぞ!」
さすがの俺も魔龍退治はしたことがない。逆に、森を移動中に魔龍に襲われて、命からがら逃げた記憶はある。人族が一人で相手をして敵う相手ではない。
魔族の筆頭が悪魔だとすれば、魔獣の筆頭が魔龍だ。自由に空を飛び、口から火を吐き、その長く大きな図体で敵を絞め殺すこともできる恐ろしい奴だ。
ちなみに魔獣とは、四本以上の脚で歩く魔族のことで、その名前のとおり、獣並みの知能しかないが、ごく稀に、長い年月生き延びて、高い知能を持っている奴もいる。
「わらわも手伝うぞ」
相手は空を飛ぶ。上空から火を吐かれる攻撃を繰り返されると、さすがに俺では手には負えないが、魔王様が手伝ってくれたら勝ち目もあるというものだ。
俺の手元には、リーシェが「おやすみ薬」などとふざけた名前を付けた、イルダ専用の催眠薬がある。その匂いを嗅がせるだけで小一時間、イルダは眠ってくれる。その間、リーシェは後顧の憂いなく、封印を解いていることができるのだ。
「しかし、魔龍退治の依頼が出ているって、よく分かったな」
「アタイがお姉様にお知らせしたんだよ」
声がした方を見上げると、天井の隅に、エマがこっちを向いて貼り付いていた。
いつの間に忍び込みやがった?
エマは人族なのに転移魔法が使えるのではないかと錯覚してしまうほど神出鬼没だ。
エマは、天井から飛び降りると、一目散にベッドに座っているリーシェに近寄り、その右隣に座った。
リーシェと腕を絡めながら、リーシェの肩に頭を乗せているエマは完璧にリーシェの愛人状態だ。
「おいらの魔王様だぞ! 独り占めなんて許さないからなあ!」
俺の背中から飛び降りたコロンが飛び跳ねながら、リーシェの左隣に座り、やはり、リーシェと腕を絡めた。
――何だ、このハーレム状態は?
「エマはどうして、この街に来てるんだ?」
「お姉様について来ただけだよ~」
盗賊のエマは、さすがに元皇女様一行と同行することを遠慮して、移動している時には別に行動しているが、俺達の行き先に先回りするようにして、よく姿を見せていた。
もちろん、大人リーシェに会いたいからだ。
「お前、義賊は、もう止めたのか?」
「ちゃ~んとしてるよ。って言うか、そのために来たんだから」
「そうなのか。獲物は何だ?」
「七人委員会の連中さ」
七人委員会とは、この街を実質支配している七人の商人の合議体のことだ。
「そいつらは阿漕なことをしてるのか?」
「阿漕だなんてもんじゃないね」
エマの話によると、委員会を構成する七人の商人は、胡椒、丁子、桂皮、肉荳蔲、小荳蒄、生姜、バニラという違う種類の香辛料を専門でそれぞれ取り扱っている卸売り業者で、カンディボーギル周辺に集中してある農園から香辛料を仕入れて、同じ街にある小売り業者に売りさばいている訳だが、七人が取り扱う香辛料の量がカンディボーギルで流通する香辛料の八割以上を占めていて、七人が小売り業者に卸す価格が実質的な流通価格になっているとのことだ。
「確かに理不尽な気もするが、所詮は商売だからな。少々高くても香辛料が欲しいという需要があって、買い手と売り手が合意して価格が決まっているのなら仕方がないんじゃないか?」
「買い手と売り手が合意したのならね。でも書い手と売り手が同一人であれば?」
「どう言う意味だ?」
「このカンディボーギルの周りには香辛料農園がたくさんあって、名目上は、農園主は七人とは別人なんだけど、それらはみんな名義貸しで、実質的に自分の店に入荷している香辛料は自分で栽培しているんだよ」
香辛料は土壌と気候が適さないと栽培することができないデリケートな植物で、大陸内で流通している香辛料のほとんどは、ここカンディボーギルの周辺で栽培されている。
そして、香辛料は、奴隷を使うことで、只同然の原価で栽培されている。そんな、値段があって無いような香辛料を自分の農園から自分の卸売り店に売っているということは、一人で好き勝手に値段を決めているということだ。
つまり、自由な競争をしないで、自分が思うがままに利益を得ているようなもので、それが正常な状態ではないことは商売の素人の俺だって分かる。
「七人が農園経営を公表していないのは、それが商売の常識から言っても掟破りだからということか?」
「そういうこと。確かに犯罪じゃないけど不公平すぎるだろ? それに商人による自治なんて格好いいこと言ってるけど、結局、自分達の利権を守るためだけに、この街を支配しているに過ぎないんだよ」
そう言えば、ヘキトも自分の店を開くには、七人委員会の許可が必要だと言っていたが、その許否判断の基準は、自分達の商売の邪魔をしないかどうかだけなのだろう。
「しかし、実際にこの街に店を構えて儲けている商人もいるだろう?」
「行商人よりも卸しや小売りの方が多くの香辛料を扱うことができて儲けもそれだけ大きいからね。でも、それも全部、七人のおこぼれをついばんでいるだけなんだよ」
この大陸の市民が「香辛料商人」と言って頭に思い描くのは、カンディボーギルで仕入れた香辛料を大陸内のあちこちの街まで運んで行って売りさばく行商人のイメージだ。
このカンディボーギル周辺でしか採取できない香辛料をはるばる遠くまで運んで売る行商人も、それなりに大きな利益を上げているが、移動のための経費も掛かるし、街から街への移動中は、魔族や盗賊などの危険がいっぱいだ。そのリスクも香辛料の価格に転嫁されていると言って良い。
しかし、カンディボーギルに店を構えて、より多くの香辛料を取り扱う卸しや小売り業者は、そんなリスクを負うことなく安全に、かつ、行商よりも大きな利益を得ることができる。だから、多くの香辛料商人は、カンディボーギルに店を持つことを夢見ている訳だが、その夢も七人委員会が取りこぼした利益を分け合っているだけなのだ。そう考えると、七人が得ている利益が莫大なものだと言うことが分かる。富の配分として、いびつすぎるのだ。
「聞いたところによると、七人委員会の連中は、自分達の商売敵を、讒言で失脚させたり、けっこう汚い手を使って、今の地位を築いているらしいんだ。だから、アタイはそんな汚いやり方で貯め込んだ金を取り戻そうと思っているのさ」
「しかし、エマが金を盗んだとしても、その七人は痛くも痒くもないんだろうな」
「そうだろうね。だって、この街はどこの貴族からも攻め込まれないんだから、どれだけ金をばらまいているのかってことだよ」
確かに、金の成る木であるこの街を領土に欲しいという勢力はごまんといるだろう。しかし、この周辺の貴族達に惜しげもなく金をばらまくことで、七人委員会はこの街の安全を「買って」いるのだ。
仮にこの街を占領したりすると、この街から上がる利益を独占できる一方で、同じようにここを占領しようとする勢力からの攻撃を防ぐため多くの兵士を駐屯させておく必要があるし、この街が戦場になると、商都としての機能が著しく損なわれる。
貴族達も馬鹿ではない。そんなことをするよりは、幾ばくかの金をもらっていた方が得策だと知っているのだ。それは、かつてのアルタス帝国もそうだし、今の帝国も同じはずだ。
「それで、もう目標は決めているのか?」
「七人委員会の委員長のブルガって商人だよ。これから、そいつの店や家を下見してこようって思ってる」
エマも、はちゃめちゃな性格をしているようで、こと盗みに関しては、慎重に下見をして万全の計画を立ててから、相手に宣告をした上で実行をする。そして、鮮やかな手口で盗みを実行して、今まで失敗をしたことがないことから、その痛快さで庶民達からは人気の女義賊なのだ。
「そうか。まあ、頑張れや」
エマ自身の懐を肥やす訳ではないが、やってることは盗みに違いなく、それに「頑張れ」とエールを送るのもどうかと思うが、エマ自身は信用できる奴で、少なくとも捕まるようなことはないと信じたい。
「ところで、俺はそろそろ寝たいんだが」
酒が回ってきて、マジで眠い。
「そうかそうか。それはすまんかった」
リーシェはそう言うと、エマとコロンと一緒に俺のベッドにもぐり込んだ。
「きゃ~、お姉様ったら大胆!」
「だから、おいらの魔王様だって言ってるだろぅ!」
「良いじゃないかよ! じゃあ、右半分はアタイの分」
「仕方ないなあ。じゃあ、おいらは左半分」
「いや~、お姉様! そんなところを撫でないでください~」
「きゃははは! し、尻尾はくすぐったいから止めて~」
「…………俺はどこで眠れば良いんだ?」
布団の中ではしゃぐ三人に、俺は力なく訊くしかなかった。
「床が涼しくて良い感じじゃぞ」
「そうか。って、おいっ!」
俺は布団をはぎ取って、三人をベッドから引きずり降ろした。
「リーシェとコロンは、イルダと同じ部屋で寝ているんだろうが!」
「そうじゃった。忘れておったわ」
嘘吐け!
「エマはどうするんだ?」
「お姉さまがいないんじゃあ、アルスと二人きりになっちまうじゃん。そんなの耐えられないよ」
――悪かったな! って、ここは俺の部屋だから!
「仕方がないのう。そろそろ自分の部屋に戻るか。エマは外か?」
「はい、お姉さま。今夜はこれから下見です」
「うむ。では、外まで送ろうぞ」
「わーい! さすが、お姉さま!」
「邪魔をしたの。良い夢を見るが良い」
そう言うと、抱きついているエマとコロンごと、リーシェが消えた。
訪れた静寂に、やれやれと思う一方で、少し寂しさも感じる俺だった。




