第四十五話 旅の香辛料商人
暑い!
つい先日までいた砂漠とは違い、日射し自体はそれほど強くはないが、湿気がすごく、空気が肌にまとわりつくようだ。
俺達は密林の中に整備された道を、体力を消耗しないように、ゆっくりと歩いていた。
先頭は俺、俺の頭上にはナーシャ、次にダンガのおっさんが名馬フェアードの手綱を引いており、馬上には子供リーシェとイルダ、しんがりにリゼルという、いつもの順番で進んでいた。
道の左右に広がる密林には、暑い地方独特の植物が生い茂っており、その中を進むことは、ほぼ不可能だと思われた。
よくぞ、こんな密林の中に道を整備したものだと感心するが、これも人の金銭欲のなせる技らしい。
――わんわん!
馬上に横向きに座っている子供リーシェが掛けている抱っこひもから毛足が長い子犬が顔をのぞかせていた。
きっと小便でもしたいのだろう。俺は後ろを振り返って、手を上げた。
「ちょっと休憩しようぜ!」
俺達は、馬車もすれ違いができるほどの幅がある広い道の端に寄り、イルダと子供リーシェもフェアードから降りた。
イルダを玉座代わりの切り株に座らせると、他の者は思い思いの場所に座った。
一人子供リーシェだけは、地面に降ろされて嬉しそうに飛び跳ねる子犬と一緒に走り回っていた。
「やっぱり子供は元気じゃのう」
ダンガのおっさんが汗を拭いながら隠居老人のようなことを言った。
まあ、ダンガのおっさんだって、同年代の者から言うと、はるかに剛健だとは思うが、さすがに、この行軍には疲れているようだ。
「リーシェは、コロンが来てから、すごく笑うようになったんですよ。アルス殿がコロンを一緒に連れて行っても良いんじゃないかと言ってくれたお陰です」
イルダが嬉しそうに言った。
確かに、子供リーシェが子犬のコロンと一緒に遊んでいる時、以前は、あまり見せなかった笑顔を見せるようになっていた。
しかし、子供リーシェは大人リーシェが封印された姿で、体力は本当に子供並みになっているが、表情に乏しいのは上手く話せないからだけで、意識は大人リーシェのままのはずだ。それなのに、コロンと戯れている時の無邪気な笑顔に、こいつは本当に魔族なのかと疑ってしまうほどだ。
ちなみに、コロンは三百年生きた犬が魔法を手に入れたことにより悪魔となった魔族だ。それが「眠れる砂漠の美女」の魔法で時間を遡らされて犬に戻った姿だとリーシェは言った。しかし、それは半分正解で、半分は間違っていた。
犬の姿に戻したのは「眠れる砂漠の美女」であったが、それはコロンを封印しただけだったのだ。そして、リーシェと同じように封印が解ける時がある。俺も犬耳幼女のコロンの姿を、これまでに何度か見たことがある。と言うか、俺しか見たことがない。
コロンが魔族だということは、「眠れる砂漠の美女」の元に一緒に行ったリゼルも見ており今さら隠しようがなかったが、時間が遡って犬の姿に戻っているから安心だと言って、今、子供リーシェの愛犬になっている訳で、封印が解けるなんてリゼルが知れば、イルダの身の安全を最優先させるべきリゼルは、コロンを始末しようとするだろう。
だから、俺達の一行の中では、コロンは子犬の姿でしかいてはならないのだ。
「馬車がすごい勢いで駆けて来ているよ!」
出発前に一人空高く舞い上がって、周囲の様子を見たナーシャが、俺達が歩いて来た道の方向を見ながら言った。
「あっ!」
「どうした、ナーシャ?」
「獣人だ! 獣人の群れに追い掛けられている!」
しばらくすると、俺の目にも土煙を上げながら、こっちに向かって疾走してくる馬車が見えた。
馭者席の後に荷台しかない荷馬車だが、確かに、後ろから誰かに追われているようだった。
俺は、念のため、みんなを道路の端っこに寄せたまま、道のど真ん中に仁王立ちした。
俺を轢き殺しかねない速さで目の前まで迫って来た荷馬車を操っている男が手綱を引いて、荷馬車を急停車させた。
「どいてください! 獣人に追われているんです!」
荷馬車を操っていたのは、白い肌に茶色の髪、チュニックとベスト、ズボンを履いている、大陸の北方面に住んでいる人族の若い男だった。
俺が、荷馬車がやって来た方を見ると、豚の顔をした獣人達が大きな猪を馬代わりに跨がり、棍棒を振り上げながら迫って来ていた。
「俺の連れがいるところまで下がってろ!」
「大丈夫なのですか?」
「ああ、心配するな」
ゆっくりと荷馬車をイルダ達のいる場所まで移動した男と入れ違いに、リゼルが俺に近づいて来た。
「助太刀する」
リゼルの強力な炎系魔法は、さすが皇室付きの魔法士だと、リーシェも感心するだけの威力を持っている。リゼルが助太刀してくれたら、獣人など、あっという間に討ち取ることができるだろう。
金にならない戦いは、とっとと終わらせたいしな。
俺はカレドヴルフを抜いて、獣人達に突進した。その俺を火の玉が幾つも追い抜いて行った。
カレドヴルフを背中の鞘に仕舞いながら、俺はリゼルと一緒に仲間の元に戻った。
追われていた男がほっとした顔で俺に近づいて来た。
「どうもありがとうございます。お陰様で助かりました」
男の丁寧な話し方は商人だからだろう。
「俺達がこの道を通った時には、何もなかったんだがな」
「私が一人だと確認して襲って来たのでしょう」
「あんた、商人だろう?」
「はい」
「護衛も付けずに、えらく不用心だな」
「いつも護衛を頼んでいた剣士が体を壊してしまって行けなくなったのです。新しい用心棒を募ったのですが、応募をしてくれる人がいなくて。かと言って、商品の仕入れをすることなく、何日も待てませんから、仕方無く一人で来たのですが、やはり少し甘かったようです」
「少しじゃなくて、かなり甘いな!」
大陸の北の森と同じように、この密林は、凶暴な連中が食料に飢えることなく姿を隠すことができる絶好の場所だ。つまり、街の壁の外に丸腰で出ることは、自ら命を捨てに行っているようなものだ。
「申し訳ありません」
俺は、今日、初めて会った俺の苦言に素直に謝る男の態度に好感を持った。
「俺は、この一行の用心棒をしているアルスと言う。あんたは?」
「私はヘキトと言う香辛料商人です」
「じゃあ、カンディボーギルまで行く途中だったのか?」
「はい」
砂漠の小国バルジェ王国のアドル王子と、エラビア王国の王女リリアとの婚約の議を見届けてから、俺達はバルジェ王国を後にした。
その後、どこに行くか、イルダの姉のカルダ姫とも連絡を取り合いながら検討したが、首都がある大陸の北に戻るのは時期尚早との判断の元、大陸の東側を回り込むように移動していくことになった。
そして、今、向かっているのが、大陸の南東部にある、商都と呼ばれる「カンディボーギル」と言う街だ。
なぜ、その街に向かっているのかと言うと、単純にそこが大陸の南東部では一番大きな街だからだ。そろそろ持ち金も少なくなってきて、賞金を稼げる依頼をこなそうとすると、多くの依頼が出されているであろう大きな街に滞在した方が良いという訳だ。
ところで、カンディボーギルが「商都」と呼ばれているのは、そこが大陸南東部の利益を独占している街だからだ。
そこは貴族の領主が治めている街ではなく、「七人委員会」と呼ばれる七人の商人の合議体が自治をしている街で、護衛をしている兵士達もすべて金で委員会に雇われている傭兵達だ。
どうして、そんなことができるのかと言うと、七人委員会を構成している商人達が大陸内に流通する香辛料の取引をほぼ独占していて、莫大な利益を上げているからだ。
アルタス帝国が大陸を支配していた時も、七人委員会による自治を許されており、上納金という形で臣従の態度を表していた。
胡椒やクローブ、バニラという香辛料は、大陸内でも採取できる場所が限られており、それは大陸の南東部に集中してあった。そして、それらの香辛料を一箇所にまとめてから、大陸内に流通させるという機能をカンディボーギルが果たしてきていた。
今、目の前にいる香辛料商人ヘキトも香辛料を仕入れにカンディボーギルに向かっていたということだ。
「俺達もそこに向かってるんだ。どうせ行き先も同じだし、良かったら一緒に行くか?」
「本当ですか? 今のアルス殿の戦いっぷりからすれば、なかなかの手練れとお見受けいたしました。アルス殿が一緒に行ってくれるのであれば、心強いことこの上なしです」
ヘキトは乗っていた一頭立て荷馬車の馬の手綱を引きながら、俺達と一緒に歩き出した。
それに併せて、一行のメンバーを紹介した。先の戦災で生き別れた父母の行方を探している元富豪のお嬢様というプロフィールのイルダを紹介した時に、ヘキトの顔がにやけたことで、ヘキトが馬鹿正直な奴だと言うことも分かった。
「ヘキト、馬車の荷台には何を積んでいるんだ?」
「荷台を空で走らせることはもったいないですから、こっちの地方に少ない品物を持って行ってるのです。カンディボーギルでの香辛料市場は現金取引ですが、そこの市民達にこれらの物品を売って、なにがしかの収益を上げれば、また次の香辛料を仕入れる資金にすることができますから」
「仕入れた香辛料で、主にどこらへんで商売をしているんだ?」
「どこへでも行ってますよ」
ヘキトのその言葉にイルダが反応した。
「ヘキト殿、最近、首都に行かれたことがありますか?」
「ええ、一か月ほど前に」
「どのような状況じゃった? 平穏であったか?」
イルダに代わり、ダンガのおっさんから迫るようにして訊かれたヘキトは、その勢いに腰が引けていた。
「しゅ、首都はさすがに平穏でしたね。しかし、首都から五日ほどの距離にある街を領地とする貴族と小競り合いをしていたり、遠征に派遣した帝国軍がそのまま馬賊になることもあるようですね」
新しい帝国の混乱はまだまだ収まっていないようだ。もともとがアルタス帝国を打倒したかった勢力の寄せ集めで、その中の筆頭の貴族が皇帝に推されただけだ。
そして、新しい皇帝の即位を納得していない貴族も大勢いるようで、だからこそ、新しい帝国の名前もまだ決まっていないのだとも聞く。
バルジェ王国とその同盟国のエラビア王国とも、アルタス帝国の再興を支持すると約束をしてくれている。親アルタス帝国勢力が反攻するチャンスは、ヘキトの話を聞く限り、まだ十分ありそうだ。
そのことが確認できたイルダ達は頬を緩ませていた。
「しかし、大陸中を移動しているとは、なかなか大変だな」
まあ、俺達の旅も大陸の半分は踏破していたが。
「はい。香辛料は高く売れるので利益はそれなりに出るのですが、経費も馬鹿になりません」
護衛の数をできるだけ減らしたいという気持ちも分からんでもない。
「でも、元手を貯めるために頑張るしかないのです」
「元手?」
「はい。カンディボーギルに店を持つのが、私の夢なのです。私に限らず香辛料取引を行っている商人であれば、みんな、そう思っているはずです」
「確かに、香辛料商人は、小売りよりは元売りの方が格段に儲かるようだな」
「はい。城壁の中で安全に、しかも大量に香辛料を扱うことで利益は桁違いに大きくなります。商人となった以上は、とことん利潤を追求したいですし、もっと大きな商売もしてみたいですから」
もっと儲けてやると宣言しているようなものだが、嫌らしく聞こえないのは、ヘキトの持っている誠実さと爽やかさのお陰だろう。
「けっこう貯まったのか?」
ほれっ、俺が言うと途端にゲスっぽくなるだろう?
「はい! 実は、今回、良い空き店舗があれば、購入しようかと考えているのです」
「へえ~、そうかい。そりゃあ、尚更、獣人に殺されなくて良かったな」
「本当です! カンディボーギルに着いたら、ぜひお礼をさせてください」
「俺は、人の礼は遠慮なく受けるんだが、うちのお嬢様は慎み深い人でな。許してくれるかどうか」
俺はイルダに聞こえるように言った。
「ヘキト殿。お気持ちだけいただいておきます。何なら、アルス殿だけでも接待してあげてください」
「よろしいのですか?」
「はい。アルス殿、どうぞ、ご・ゆっ・く・り」
イルダの怒った声にゾクゾクする俺は、やっぱり変態だったぜと自覚しだした今日この頃だった。




