第四十四話 神と魔王の神話
イルダが目覚めたということは、リーシェが封印されたということだ。
縛られた三人組の近くに、先ほどまで立っていた大人リーシェの姿は既に見えず、柱の影から小走りに出て来た子供リーシェがエマの手を取った。
そのエマの背中には袋が背負われていた。
先ほどまで子供リーシェに見せかけていた人形を素早く回収したのだろう。まったく、手際が良いぜ。盗賊だけに人の目を欺くことには長けている。
一方、アドル王子は立ち上がり、同じく立ち上がったリリアと向かい合っていた。
「どうしてエラビアの姫がここに?」
「結婚する前に、アドル殿の顔を見ておきたかったから、一人で来ちゃったんです。バルジェンの街でアルス達と会って、お願いして王宮に入れてもらったってこと」
今になって自分のじゃじゃ馬ぶりが恥ずかしくなったのか、少し顔を赤らめながらリリアが言った。
「王宮に来て初めてミルジャさんのことも知りました。でも、ミルジャさんの子供が確かにアドル殿の子供なのであれば、私は私の子として育てるつもりでした。でも」
リリアは縛られているミルジャに視線を移した。
「彼女のお腹の子は、アドル殿の子供ではありません。私は『眠れる砂漠の美女』を見ました。すごく神々しくて、美しい大妖精でした。その彼女がミルジャさんを受け入れなかったのです。これは啓示としか思えません」
「……」
「アドル殿がそれでもミルジャさんを許すと言うのであれば、私は何も言いません。でも、お腹の子供を王室の子として育てることには反対をいたします!」
正式な結婚相手とされているリリアにミルジャのことを話すのは、アドル王子も後ろめたいのだろう。何も言えずに立ち尽くすだけだった。
アドル王子とリリアが夫婦になれば、万事、リリアがリードすることになるだろう。アドル王子はリリアに従っていた方が良い国王になるはずだ。
ダンガのおっさんから地面に降ろされたイルダは、恥ずかしげに俺の側に寄って来た。
「ぐっすり眠っていたようだが、気分はどうだ?」
「は、はい。とても良いです。すごく熟睡できた気がします」
さすがは魔薬だ。後遺症もまったくないようだ。
「ミルジャさんが縛られているのは、どうしてなのですか?」
俺は今までの顛末を簡単にイルダに説明をした。
「そんなことが……。私も『眠れる砂漠の美女』を見たかったです」
「残念ながら、入口はまた塞がれてしまって、中に入れないだろう」
「そうなのですか。残念です。それで『眠れる砂漠の美女』とは、どのような秘宝だったのですか?」
俺が身振り手振りを交えながらイルダに説明をすると、最初は興味津々という顔をして訊いていたイルダは次第に困惑した顔に変わった。
「どうした、イルダ?」
「い、いえ、私は、その水晶に包まれた大妖精を見ていて、記憶にはっきりと残っているのです。夢だとは思うのですが、すごく鮮明に残っています」
ダンガのおっさんに抱っこされて眠っていたイルダが、「眠れる砂漠の美女」を見ていた?
これは、どう言うことだ?
「その大妖精を見て、どうだった?」
俺は何気なくその質問をした。
「そうですね。……何か、懐かしいというか、前にも見たことがあるなあって思ったのです」
俺達があの水晶の広間を出て行く前、リーシェは、あの大妖精を懐かしそうに見ていた。そして、同じ頃、夢の中ではあるが、イルダも同じ大妖精を見て、懐かしさを覚えていたと言う。
あの大妖精には、俺とイルダとリーシェを繋ぐ何かがあるのか?
それが何なのかはさっぱり分からない。
イルダとリーシェには因縁がある。
魔王リーシェは、イルダの遠い先祖であるアルタス帝国の初代皇帝カリオンにより封印されている。つまり、リーシェとカリオンは共通の記憶を持っているはずで、カリオンの記憶は、その血統を通じてイルダに受け継がれているかもしれないのだ。
しかし、俺は――?
俺は両親を知らない捨て子だ。もしかしたら、俺の祖先がカリオンの従者だったのかもしれず、その先祖の記憶を受け継いでいるのかもしれないが、今さら証明なんてできやしないことだ。
俺達はバルジェンの街に戻ることにした。
マモンに殺された兵士が乗って来た駱駝に、宰相とマモン、そしてミルジャを縛りつけて護送することにした。
アドル王子も、すぐには気持ちの切り替えができないようで、縛られているミルジャを見つめて、いまだに信じられないという顔をしていた。
朝まで幸せの絶頂にいたのに、いきなり、ミルジャが宰相の妾などと言われてもピンとこないだろう。
それは時間にしか解決することができないはずで、無理に慰めることもしない方が良いだろう。そして、リリアの明るい性格は、その時間を短くしてくれるはずだ。
帰り際に「眠れる砂漠の美女」への入口の前を通ってみると、ちゃんと大岩で入口が塞がれていた。眠りを邪魔されて、また、あの大妖精の機嫌を損ねたら大変だからな。
死者の谷を出て、俺達は、また駱駝に乗り、王宮へと急いだ。
また、アンタリオンに襲われるのは嫌だ。何と言っても、あの臭い体液を浴びるのは、もうこりごりだ。
早足で掛ける一行のしんがりを務めているホデムの横に、俺は駱駝を併走させた。
「嬉しそうだな、ホデム」
「当たり前だ。宰相とミルジャを捕らえて、エラビアの姫様の聡明さに希望の光を見出したのだからな」
「リリアは良い王妃になるだろうぜ」
「ああ」
穏やかな顔をしたホデムが駱駝を近づけて来た。
「ところで、アルス。『眠れる砂漠の美女』を見たのだろう? 詳しく教えてくれ」
俺は、リーシェと関係がありそうな事実などの一部を省略して、ホデムに大妖精の話をした。
「時を遡らせる魔法だと?」
「ああ! だから『眠れる砂漠の美女』に会ったバルジェ王室の祖先は怪我なんかしなかったのさ」
「よく分からないが、怪我をする前に戻ったと言うことか?」
「そう言うことらしい。実は、俺もよく分からない」
そもそも時を遡らせるなんてことができるのなら、それは神だろ?
――神?
あの大妖精は、姿こそ大妖精だが、本当は神なのか?
そうだとすると、どうして水晶に閉じこめられているんだ?
「ホデム」
「何だ?」
「バルジェ王国の建国歴史書で『眠れる砂漠の美女』が出るくだりを詳しく教えてくれ」
ホデムもこんな砂漠のど真ん中で、突然、向学心に燃えた俺を不思議そうな顔で見つめていた。
「まあ、良いだろう。アンタリオンさえ出なければ退屈な旅だ」
「ああ、良い暇つぶしになるだろう?」
ホデムは、頭の中でストーリーを整理していたようで、少し時間を空けてから話を始めた。
「昔、この砂漠には人は住んでいなかった。しかし、大陸の北で、神と魔王の大戦が起きて、その戦渦から逃れて、多くの人がこの地に来た」
――神と魔王の大戦!
フェニア教会の説話にも出てくる魔王リーシェと救世主カリオンとの戦いのことだろうか?
「魔王は、もともとは『母なる神』の子供だったのだが、地獄に墜ちて魔王となった。『母なる神』は魔王となった我が子を自ら討つことを躊躇われ、もう一人の『子なる神』に全てを託して、自分はこの地まで逃れてきたのだ」
魔王様が神の子供?
俺は、リーシェがあの大妖精を見て、涙を流したことを思い出した。リーシェは、何故だか分からないが、涙が出て来たと言っていた。
もし、あの大妖精が、伝承に言うところの「母なる神」だとすれば、リーシェの母親ということになり、リーシェが涙した訳も納得できる。
しかし、神の子供が悪魔の王になるってことがあるのか?
地獄に墜ちるって、どう言うことを言っているのだろう?
「まだ、聞くか?」
考え込んでいた俺に、ホデムが確認した。
「ああ、頼む」
「『子なる神』と魔王の大戦は、魔王が優勢に進んでいた。『子なる神』はその戦況を打開する手掛かりはないかと、この地を訪れ、『母なる神』に会った」
「子なる神」とは、おそらく救世主カリオンのことだろう。そうすると、カリオンもここまで来ていたということになる。
「『母なる神』は、自分の片方の羽をむしって、『これを剣にしなさい』と言って渡した」
大妖精の片方の羽がなかったのは、だからなのか?
「『母なる神』の羽からどうやって剣を作ったのかの記述はないが、その剣を手にした『子なる神』は、魔王を討ち取った。一方、羽を失ったことにより衰弱が激しく、余命幾ばくもないと悟った『母なる神』は、自ら水晶の棺桶に収まった。そして、この水晶の棺桶の護衛を仰せつかったのが、バルジェ王室の先祖だということだ」
あの大妖精は水晶の棺桶の中で眠っている。伝承にいう「母なる神」に間違いないだろう。
………待てよ!
大妖精の羽で作った剣?
確かに、カリオンがフェアリー・ブレードをどうやって入手したのか、フェニア教会の説話でも明らかにされていない。ここバルジェ王国の言い伝えによると、「子なる神」すなわち救世主カリオンがここまで来て、あの「眠れる砂漠の美女」の羽で作ったフェアリー・ブレードを受け取ったということになる。
五百年前、何かがここで起こっている。
フェアリー・ブレードを取り出すヒントが何かあったんじゃないだろうか?
あの大妖精の前に、イルダを連れて行っていたら、もしかしたらフェアリー・ブレードは取り出せていたのではないのか?
だが、待て。
あそこへの入口はまた大岩で塞がれている。それは壊すことは、リーシェにしかできない。つまり、イルダを眠らせている必要がある。イルダが眠っている間にフェアリー・ブレードが出てきたら、リーシェはそれですぐにイルダを切るだろう。
それは絶対に許してはいけない!
それと、……リーシェとは、今の関係のまま、もう少しつき合いたいと思っている。
自分でも矛盾しているとは分かってるさ!
それに、……俺にも聞こえてきた声の意味を知りたい。それからでも遅くはないだろう。
帰りはアンタリオンにも遭うこともなく、スムーズに王宮まで帰ることができた。
国王も、縛られた宰相とミルジャ、そしてマモンの姿に、何事かと唖然としていた。
俺が駱駝から降りると、すぐにリリアが近づいて来た。
「アルス」
「おう! 大丈夫か?」
「何が?」
「まあ、いろいろとな」
「平気だよ。それに覚悟もできたし」
「そうか」
「本当、面白い経験ができたよ。ありがとう、アルス!」
俺は、差し出されたリリアの小さな右手を握った。
「『眠れる砂漠の美女』も祝福してくれたんだ。きっと幸せになれるさ」
「……うん」
リリアは照れくさそうにうなづくと、迎えに来たホデムに連れられて、国王の元へと近づいて行った。
「アルス」
振り向くと、今度はリゼルがいた。
「魔法士のリーシェ殿がいつの間にか消えられていたのだが、どこに行かれたのだ?」
「転移魔法を使えるんだから、どこへでも行けるだろ。俺も聞いてねえよ。でも、また、すぐに会えるさ」
「そ、そうか」
リゼルの顔が赤い気がする。
こいつはマジで、エマとの大人リーシェ争奪戦が始まるかもしれない。
「アルス殿」
何か、さっきから連続して名前を呼ばれるな。もっとも、最後に呼ばれた声が一番心地良い訳だが。
「どうした、イルダ」
振り返ると、イルダが少し困った顔をしていた。
「リーシェが子犬を連れているのですが」
――えっ?
子供リーシェが抱っこしている子犬を見て、俺とリゼルは絶句した。
間違いない! コロンだ! いや、元コロンと言うべきか?
「そ、その犬は悪魔ですぞ!」
「えっ! 本当ですか?」
リゼルの言葉に、イルダも顔を青ざめた。
「はい! あの『眠れる砂漠の美女』の前で、突然、犬に変わったのです」
「では、また悪魔に戻るのかもしれないのですか?」
「魔法士のリーシェ殿は犬に戻ったと言っておられましたが、何が起こるか分かりません」
リゼルの答えを聞いたイルダはしゃがんで、子供リーシェに話し掛けた。
「リーシェ、その子犬さんは危ないのですって。だから、一緒に連れて行くことはできないの」
イルダも悲しそうな顔をしたが、子供リーシェは子犬を放さず、首を横に振った。
「リーシェ! その子犬を渡しなさい!」
リゼルが子犬を取り上げようとすると、子供リーシェは素早く後ずさりした。
「リーシェ!」
追い掛けようとしたリゼルを俺が止めた。
「待ちなよ。リーシェも大人だらけの一行で遊び相手もいないし、寂しいんだろう。犬の一匹くらい連れにしても良いだろうぜ」
「アルス! あの犬は」
「分かってるって!」
俺はリゼルに言葉を続けさせなかった。
「そうだとして、この幼気な子犬を殺せるのか?」
舌を出してハアハアと息をしながら、子供リーシェに抱っこされている、つぶらな瞳の子犬に見つめられて、リゼルも振り上げた拳をどうしようかと迷いだした。
「魔法士のリーシェが言っていたが、こいつはこの首輪で封印もされている。それに、こいつがいたら、今度、魔法士のリーシェが出て来た時に喜ぶんじゃねえかな」
大人リーシェの話を出すと、「それもそうだな」と言って、リゼルはあっさりと振り上げた拳を降ろした。
俺は、子供リーシェに近づき、「良かったな」と言って、その頭を撫でた。
「ありがとう! 魔王様の僕さん!」
――えっ?
俺は、子供リーシェが抱きかかえている子犬を見た。
今、コロンの声がしたような気がしたが……。
いや、そんなはずはない。
リーシェの話によると、コロンは、時を遡って、悪魔になる前の、三百年生きた、ただの犬になっているはずだ。
――って、そもそも三百年生きている時点で、ただの犬じゃねえ!
しかし、嬉しそうにコロンを抱きしめている子供リーシェの顔を見れば、コロンはもう危険ではないんだろう。
どうやら、俺達一行のメンバーに、また一人、いや、一匹追加になりそうだ。




