第四十二話 水晶に閉じ込められた大妖精
「や、やめろー! くすぐったいじゃないかぁー!」
暴れるコロンを無視して、リーシェは、抱きかかえたコロンの尻尾や犬耳をモフモフしていた。
「可愛いコロンには、これをプレゼントしようぞ」
リーシェが指をパチンと鳴らすと、コロンの首に鈴が付いた首輪がはめられた。
「な、なんじゃ、こりゃあ!」
コロンが首輪をはずそうと両手で首輪を引っ張ったが、びくともしなかった。
「暴れると、こうじゃぞ」
リーシェが意地悪げな顔をして微笑み、また指をパチンと鳴らすと、コロンが苦しみだした。
よく見ると、首輪がコロンの首にめり込んでいた。
リーシェが、また、指を鳴らすと、首輪が元に戻ったようで、コロンが大きく息を吐いた。
「犬の躾には、わらわもうるさいのじゃ」
「だから、おいらは犬じゃないやい!」
そう文句を言った後、コロンは不思議そうな顔をした。
「飛べない……」
「ふふふふ、その首輪はの、転移魔法も封じてしまう魔道具じゃ。もう諦めて、わらわの愛犬になれ」
「だからならねえ! おいらは、れっきとした悪魔だぞぅ!」
「ならば教えてやろう」
リーシェは抱きしめているコロンに顔を近づけて「わらわは魔王じゃぞ」と囁いた。小声だったから、リーシェの一番近くにいた俺以外の者には聞き取れなかったはずだ。
驚いた顔でリーシェを見たコロンは、じたばたと暴れることを止めた。
自分の魔法がまったく歯が立たなかったことから、リーシェが魔王だということを素直に信じたのだろう。
「良い子じゃ! さあ、そなたの契約相手はどこじゃ? わらわが契約を白紙に戻してやるぞ」
「そ、そんなことができるのかぁ?」
コロンも信じられないような顔をして、抱っこをしているリーシェを見つめた。
「わらわは、法や契約よりも優先されるのじゃ。わらわが契約を上書きしてやるわ」
リーシェが、この大陸を支配している時はそうだっただろうが、今もそうなのだろうか?
しかし、コロンはリーシェの言葉を信じたようだ。
「マスターは奥にいる」
コロンがそう言うと、部屋の一角に穴が開くようにして、出口が開いた。
「素直なわんこは大好きじゃ」
「だから、おいらはわんこじゃねえ!」
犬耳に頬をなすりつけながら、満面の笑みのリーシェであった。
「リーシェ!」
コロンへの悪ふざけが終わりそうにないリーシェに俺が割って入った。
「まずは、そいつにアドル王子への睡眠魔法を解くように言ってくれ」
「睡眠魔法?」
俺がリーシェに話した台詞に、コロンが驚いていた。
「そなたがアドル王子を眠らせたのではないのか?」
リーシェが優しく諭すようにコロンに尋ねた。
「おいらは催眠魔法なんて使えないよ」
この状況でコロンが嘘を吐く理由がない。
「そなたではない? ……すると」
リーシェは周りを見渡した。そして、開いた出口を見つめた。
俺もつられて出口を見つめてみたが、暗い通路が奥に延びているだけで、変わった気配は何も感じなかった。
「なるほどのう」
しかし、リーシェは何かが分かって、納得したようだ。
「リーシェ! 何が『なるほど』なんだよ?」
「さっきの骸骨剣士も、ライコンが現れたことも、コロンの仕業ではなかったのじゃ。そうじゃろ、コロン?」
「さっき、この部屋に現れた魔獣も知らねえ! おいらは、あの出口を破られたら出て行こうと思ってたんだ。それに骸骨剣士って何? おいらは犬じゃないから骨は嫌いだ!」
「そうなのか? せっかく拾ってきてやったのにのう」
いつの間にか、リーシェの手に骨が握られていたが、コロンが両手で素早くその骨を奪って、嬉しそうにペロペロと舐めていた。
その様子を見ても、コロンが嘘を吐いているようには思えなかった。コロンは本当に知らないようだ。
「それじゃあ、いったい誰が? あのマモンか?」
「あやつは、このコロンにこびりついているだけの雑魚じゃ」
俺の問いに、リーシェがコロンの犬耳を撫でながら言った。
見た目は、マモンが親玉で、コロンが子分に見えるが、実際は逆なのだ。
「では、行くか。コロンが付いていない宰相など、ただのジジイじゃ」
開いた出口に進むと、そこは、また通路が伸びていたが、すぐに次の部屋にたどり着いた。
そこは部屋と言うには広すぎる空間だった。
大きく開けた鍾乳洞のようで、高い天井には小さな穴がいくつも開いていて、その穴から、太陽の光と思われる光が、その空間に降り注ぎ、ほのかに明るかった。
その光を受けて、行き詰まりである奥の壁が、キラキラと輝いていた。
よく見ると、壁全体に水晶の柱がいくつも並んで立っているようであった。
その手前に宰相とミルジャ、そしてマモンが立っていた。
「コロン! 何をしている! 儂との契約は、まだ終わっていないぞ!」
宰相が、リーシェの隣に立っていたコロンを大声で叱った。
「コロンとお主との契約は破棄じゃ」
リーシェが宰相の前に進み出て宣言したが、宰相は表情を変えなかった。
「魔族がその契約を破棄するには、違約賠償をする必要がある。コロンの違約賠償は、コロンの命だ!」
「ほ~う。えらく一方的な契約を結んだものじゃのう。コロン、何があった?」
「よく分からないけど、マスターは不思議な薬を持っていて逆らえない」
「……マンドラゴラを使った薬か。お主、その薬の作り方をどこで知った?」
いつも冷笑を浮かべているリーシェが珍しく本気で怒っていた。
「貴様に教える必要はない! さあ、コロン! 儂との契約を忠実に実行しろ!」
宰相の言葉で、コロンが苦しそうにうめきだした。
それを見たリーシェが呪文を詠唱すると、目の前に魔法陣が現れ、その中心に羊皮紙が浮かんでいた。
その羊皮紙をつかんだリーシェは、どこからか現れた羽ペンを握って、サラサラと羊皮紙に何かを書き、魔法陣の中に放り込むと、羊皮紙は魔法陣に飲み込まれるようにして消えて行った。
すると、今まで悶え苦しんでいたコロンが、きょとんとした顔をして、リーシェを見た。
リーシェは、コロンの顔を見て、優しく微笑んだ。
「言ったじゃろう? わらわがすべてにおいて優先するとな」
そして呆然としている宰相に向かって、ツカツカと歩み寄った。
「まだ、薬を持っておるのか?」
言い淀んでいた宰相の後ろから、マモンが出て来て、リーシェに飛び掛かって行ったが、マモンは、リーシェが何も体を動かしていないにもかかわらず、はるか後ろに弾き飛ばされてしまった。
「雑魚は引っ込んでおれ!」
倒れたままのマモンに言い放ってから、リーシェは宰相の胸ぐらをつかむと、その腕を上に伸ばして、宰相を軽々と持ち上げた。
宰相は脚をバタバタと動かして抵抗したが、リーシェは、その体のどこにそんな怪力があるのか不思議なくらい、涼しい顔をしていた。
突然、宰相の服がバラバラに破け散った。そして、それと同時に、落ちて尻餅を着いた全裸の宰相の腹に、リーシェが強烈な蹴りを入れると、宰相は五メートルほど後ろに吹き飛んで気絶をしてしまったようだ。
リーシェは、足元に落ちた宰相の服の切れ端の中から、小さな瓶を拾い上げると、少し、その匂いを嗅いだ。
困惑と怒りが混じった表情になったリーシェは、その小瓶を地面に投げつけて割ってしまった。
「何なんだ、それは?」
「アルスが知る必要はない」
いつになく無愛想に答えたリーシェは、どこからか縄を出して、エマに差し出した。
「これであやつらを縛っておれ」
「分かりました、お姉様!」
見えない尻尾をコロン以上に振って、エマが気を失っている宰相とマモン、そして、うなだれたままのミルジャを縄でしばった。
「終わったのか?」
俺がリーシェに訊いたが、リーシェは首を横に振った。
「アドル王子に掛かっておる睡眠魔法は、まだ解けておらぬ」
アドル王子は、イルダらとともに、死者の谷の祭壇の前にいて、今、どういう状況になっているのかは分からない。
「そもそも催眠魔法を掛けたのは、コロンではないからの」
「では、誰が?」
リーシェは、水晶の柱の前にゆっくりと歩んだ。
俺も、リゼル、エマ、そしてリリアとともに、その跡をついて行った。
水晶の柱の壁の前に立つと、その荘厳さに心が打たれた。
「リゼルよ」
「は、はい」
突然、リーシェに呼ばれて、リゼルも焦って返事をした。
「感じるか?」
リーシェは、リゼルに視線を移し、呟くようにして尋ねた。
「……はい」
リゼルの回答に満足したかのようなリーシェは、再び、水晶の柱に視線を戻した。
「おい! いったい何を感じるんだよ?」
まどろっこしくなった俺が、リーシェに迫ると、リーシェは、水晶の柱から俺に視線を移した。
「魔力じゃ。それも半端ない量じゃ」
俺が確認の意味でリゼルを見ると、リゼルは無言でうなづいた。
「まだ魔族がいるのか?」
「いや、気配は感じられぬ」
リーシェは、水晶の柱が並び立つ壁全面をゆっくりと見渡したが、魔族がいる気配は感じ取れなかったようだ。
「姿も見せずに、ここまでの魔力を感じさせるなど、初めてじゃ」
リーシェがそんなことを言ったからか、俺まで何かを感じているような気になってしまった。
俺も目の前に広がる水晶の柱の壁をじっくりと眺めてみた。
透明な水晶の柱が幾重にも並び立ち、その中は合わせ鏡のように、景色が何重にも重なって映っていた。
(なぜ、ここに来た?)
俺の頭の中で、突然、誰かがしゃべりやがった!
いや、違う! しゃべったのではない!
誰かの意識が直に伝わった。そうとしか思えない。
思わず顔を見合わせたリーシェも不思議そうな顔をしていた。
「アルス、そなたも聞こえたのか?」
「ああ、はっきりとな」
周りを見渡してみたが、リゼルもエマもリリアも、そしてコロンも、俺とリーシェが何を言っているのか分からないようだった。
「誰だか知らぬが、ふざけおって!」
リーシェが、両手を正面向けて差し出すと、手の先から何重もの稲妻が水晶の柱に向かって走った。
稲妻がぶつかった水晶の柱は、目が眩むほどの光を放つと、爆風が俺達に向けて吹き荒れて、リーシェを含め、全員が吹き飛ばされてしまった。
「おのれ!」
リーシェが吹き飛ばされたのを初めて見た。
「あ、あれは?」
エマが指差す先、ちょうど俺達の正面の一角が鈍く光り出した。
そして、曇っていたガラスが透明になるようにして、水晶の柱の中に一人の立ち姿が浮かび上がってきた。
光が消えると、その姿が鮮明に見えるようになった。
それは、ゆったりとした白い袖無しドレスをまとった色白な女性で、手を胸の前で組んで、眠っているように身動きせず、水晶の柱の中に閉じ込められているようであった。
そして、その女性の背中からは、蝶のような大きな羽が出ていたが、それは女性の右側の羽だけで、左側の羽は途中でちぎられたように、その根元部分しかなかった。
青い長髪に尖った耳。間違いない。
大妖精だ。
それにしても……美しい女性だ。
これが「眠れる砂漠の美女」なのか?
キラキラと輝く水晶に包まれていることもあって、俺達は言葉も失って、その美女に見入っていた。
ふと隣にいたリーシェを見た俺は信じられない光景を見た。
魔王様が泣いていた。




