第四十話 二人のリーシェ
倒れたアドル王子の元に、すぐにホデムが駆け寄り、ひざまづいて王子の上半身を抱え起こした。
「殿下! 殿下!」とホデムがアドル王子の体を揺さぶったが、アドル王子は目を覚まさなかった。
俺もひざまづいて、王子の手首を握った。
「脈はある。呼吸はどうだ?」
王子の口元に耳を近づけたホデムが少しだけほっとした顔を見せた。
「息もある」
周りを見渡す余裕ができた俺は、全員が吹きすさんだ雪で体中を真っ白にしていたが、イルダを始め一行全員の無事を確認した。イルダはまだ眠っていたが、ダンガのおっさんの落ち着いた様子を見れば、あの薬の効き目が切れずに普通に眠っているだけだろう。
バルジェ王国の兵士達はホデムの周りに集まっていた。
俺の近くには、大人リーシェがいた。そして、俺達の一行が俺の周りに集まって来た。
「アルス! さっきの奴らを追い掛けなくて良いのか?」
眠ったままのイルダを抱っこしているダンガのおっさんが焦った様子で俺に訊いた。
「追い掛けることができるのなら追い掛けているさ。しかし、奴らは、どこに逃げたのか分からねえよ」
「まだ、逃げてはおらぬ」
リーシェがドヤ顔で言った。
「どうして分かる?」
「宰相がペラペラと本当のことをしゃべってしまったからの。ここにいる者を皆殺しにしないと王宮に戻ろうとも戻れまい?」
確かにそうだ。
「しかし、あの吹雪はいったい?」
「マモンの主人が放った魔法じゃ」
「主人?」
「あのマモンというのは低級魔族で、そもそも魔法が使えるのかどうか怪しいものじゃ。あやつの背後にいる奴に力を貸してもらっていただけじゃ」
「実際に魔法を発動した奴は隠れていたのか?」
「そうじゃ」
「何のために?」
「こっちの魔法士の力量がはっきりと分からなかったはずで、もしものために用心していたのじゃろう。それとも、わらわと同じく恥ずかしがり屋なのかもしれぬな」
「……」
呆れて言葉が出なかった俺は、エマに手を引かれて、近くにやって来た子供リーシェを見つめた。どこからどう見ても子供リーシェだった。
しかし、俺の隣には、大人リーシェが立っている。その大人リーシェにリゼルが近寄って来た。
「今まで御挨拶をする機会が得られず、失礼いたしました。私は、魔法士のリゼルと申します」
誇り高き皇室付きの魔法士のリゼルも、リーシェには敬意を込めて挨拶をした。
今まで、リーシェの強力な魔法を見ているリゼルがリーシェを尊敬の対象としていても不思議ではない。
「わらわはリーシェと言う。この子とたまたま同じ名じゃ」
そう言って、大人リーシェは視線を下げて、子供リーシェを見つめた。
こんなシーンを見せつけられると、大人リーシェと子供リーシェが同一人物だと誰も思わないはずだ。
「お姉様~! 素敵です~」
エマが、子供リーシェから手を離して、にやけながら大人リーシェに左腕を絡めた。
「エマよ。暑いから離れろ」
「嫌ですよ! 絶対に離れませんから!」
しかし、次の瞬間、エマは俺と腕を組んでいた。
「な、何で?」
驚いて腕を離したエマは、手で自分の腕をこすった。
「うぇ~、早く消毒しないと!」
……俺は汚物か?
「他人を転移魔法で飛ばすことも、いとも簡単に……」
リーシェの鮮やかな転移魔法に、リゼルも目を見開いて呆然とするしかなかった。
しかし、このリーシェが二人いる状況で、エマが驚いていないのは何かを知っているからに違いない。
俺は、事情を訊こうと、エマの近くに寄った。
「ちょっと! 寄って来ないでよ!」
「だから、汚物を見る目で俺を見るな!」
そして、少しだけ顔をエマに近づけて、小さな声で訊いた。
「おい。これはどう言うことだ? お前、何か聞いているんだろ?」
「いひひ」
エマは嫌らしく笑った。
「お姉様に直に訊きなよ」
くそっ! エマの奴、ほとんど、リーシェの召使い状態になってやがる。
「アルス!」
倒れているアドル王子の周りに集まっていたバルジェ王国の兵士の中から、ホデムが俺を呼んだ。
その緊迫した声の調子に、俺も急いでホデムの側に行った。
「どうした?」
「殿下が目を覚まされない!」
見ると、アドル王子の体には、マントやベールと言った布が幾重にも巻き付けられていた。
氷に閉じ込められて、体が冷えたため冬眠状態のようになっているのだろうと、できるだけ体を温めようとしているようだ。
俺もホデムが上半身を抱きかかえているアドル王子の側にひざまづき、王子の顔をじっくりと見てみたが、顔色は良かった。それどころか、小さなイビキをかいていた。
「リーシェ! アドル王子の目を覚ますにはどうしたら良いんだ? 治癒魔法は有効か?」
近くに寄って来ていたリーシェを見上げながら、俺は訊いた。
リーシェも俺の隣に膝を着いて、アドル王子の顔をしばらく見ていた。
「なるほどのう」
そう呟いたリーシェが顔を上げて、俺を見た。
「これは気を失っておるのではない。眠らされておるのじゃ」
「何? どういうことだ?」
「氷柱牢で体が冷えて意識を失うことはある。しかし、その息は眠っている息じゃな。おそらくじゃが、氷柱牢に催眠系の魔法を重ねて発動したのじゃろう」
「どうして、そんなことを?」
ホデムがリーシェに訊いたが、俺が答えた。
「俺達を帰さないためだろう」
「何?」
「さっき、リーシェが言ったように、宰相はペラペラとしゃべりすぎたから、ここにいる俺達を皆殺しにするしかない。しかし、向こうもかなりの打撃を受けているだろう。考えもしなかっただろうが、こっちにも強力な魔法を使う奴がいた」
俺は隣のリーシェを見てから、また、ホデムに視線を戻した。
「アドル王子が死んでしまったら、そこでお終いだが、魔法で眠らされているのであれば、その魔法を解こうとするだろう。魔法を解くためには、その魔法を掛けた奴を倒すしかない。つまり、そうしないと俺達は帰ることができないということさ」
そう言って、俺はリーシェに自分が言ったことが正しいのか否かを目で問い掛けた。
「そのとおりじゃろう。その催眠系の魔法を掛けた悪魔が自ら魔法を解くか、そいつの息の根を止めるかしないと、王子は目を覚まさぬじゃろう」
「あいつらはどこに行った?」
ホデムが恐ろしい形相で俺を睨んだ。
「俺だって分からねえよ! どこかに消えちまったんだ」
「じゃが、外はちょうど昼時じゃ。炎天下で傷の治療をするとは思えぬな。この『死者の谷』の中にいるはずじゃ」
確かにそうだ。
リーシェに手首を切って落とされたマモンに対して治癒魔法を施している可能性があるが、治癒魔法はかける方もかけられる方も相当な体力を使う。体力を奪っていく炎天下の砂漠ですることは無駄なことだ。
「ホデム。この中には、他に部屋はあるのか?」
「いや、この拝殿広間しかない。入口から入って、ここに至るまで通ってきた所がすべてだ」
「隠し部屋もないのか?」
「ない。……いや、隠し部屋と言うか、『眠れる砂漠の美女』があると言われている場所に通じる穴がある。しかし、そこは大きな岩で塞がれているぞ」
「転移魔法では、障害にもならぬぞ」
そうだとすると、こちら側で転移魔法が使えるリーシェに頼むしかない。
「リーシェ! 行ってみよう!」
「転移魔法では、三人ほどしか同時に飛べぬぞ」
「とりあえず俺とお前の二人で飛んでみよう。できれば、向こうの体勢が整わないうちに攻めたい」
「人使いが荒いのう」
お前の方がずっと荒いだろ! それに人じゃないし!
「転移魔法など使わなくとも通してやるぞ」
リーシェは余裕綽々で微笑んだ。
王子の側を離れる訳にはいかないホデムと兵士達、そしてまだ眠っているイルダとその介護をしているダンガのおっさん、そして、子供リーシェとその保護者としてナーシャが広間にそのまま残り、俺、リゼル、エマ、そしてリリアが大人リーシェについて行った。
リリアも広間に残そうとしたが、この積極的な姫様はついて来ると言ってきかなかった。
ホデムに教えてもらった「眠れる砂漠の美女」がある場所への入口まで歩いている間、俺は、並んで歩く大人リーシェに小声で訊いた。
「おい。あの子供のお前は誰だ?」
「ふふふ、あれは幻じゃよ」
「幻? 俺達全員が同じ幻を見ているのか?」
「そうじゃ。あの吹雪を吹き飛ばした温風を吹かせた時、幻薬を霧のようにしてまき散らせたのじゃ」
「幻薬? 幻を見せる薬ということか?」
「そういうことじゃ。あの催眠薬を作った時、同じ材料で呪文を少し違えるだけでできる幻薬を、ついでじゃから作っておいたのじゃ」
「しかし、あの子供リーシェには実体があったと思うんだが?」
「そうじゃ。実体はあるが、中身は人形じゃ。エマに言って、子供が遊ぶ木製の人形を市場で買ってきてもらったのじゃ。そなたも憶えておるじゃろう、人形使いという魔法を?」
――まだ忘れることはできねえよ。
「つまり、人形を子供リーシェのように操って、それが、みんなには子供リーシェのように見えているということか?」
「そうじゃ。イルダを催眠薬で眠らせたとしても、他のメンバーは起きておる訳じゃから、ここで一つ、大人のわらわと子供のわらわが別人であるということを刷り込んでおこうと思っての」
ここで、みんなにそんな意識を植え付けておくと、次からは、大人リーシェが現れている間、子供リーシェの姿が見えなくとも、どこかに避難しているだけだと考えて、二人が同一人だと疑うことはしないだろう。
「しかし、お前も人形遣いが使えたのか?」
「一生懸命、練習をしたのじゃ。褒めても良いのじゃぞ」
「……おっ、あの岩のようだな」
俺達は、大きな岩の前に着いた。
岩は俺の身長の五倍くらいの大きさがあり、岩の壁に寄り掛かるように立っていた。
「ホデムの話だと、この岩の向こう側に穴が開いているらしい。転移魔法を使わずに、どうやって向こう側に行くんだ?」
俺がリーシェに訊くと、リーシェの得意げな顔が返ってきた。
「壊せば良いではないか」
「えっ?」
「皆の者、下がっておれ」
俺達が大岩の前に立ったリーシェの後ろに下がると、リーシェの後ろ姿が輝きだした。
何らかの呪文を唱えているようであったが、言葉は聞き取れなかった。
リーシェの足元に魔法陣が現れた。次第にその魔法陣の輝きが増していくと、一瞬、リーシェの体がその光に包まれ、すぐに光の帯が大岩に向かって放たれた。
すると、大岩は爆音を上げて細かく砕かれ、土煙を上げながら崩れ落ちた。
瓦礫と化した大岩のあった所には、大きな洞穴がぽっかりと開いていた。
――しかし、相変わらずすごい破壊力! さすが魔王様だ。




