第三話 記憶喪失の幼女
俺は、耳を澄ましながら、森の中をゆっくりと見渡した。
近くには、人間はおろか、獣がいる気配も無かった。
「俺は、イルダとは、もう仲間だと思っている。仲間を売るようなことはしない。俺の美学に反する」
俺の表情から、俺の本心を探ろうとするイルダの、少し目を細めて俺を見る表情に、また萌えた。
「アルス殿、ありがとうございます。我が陣営のために戦ってくれた方だということも、何かのご縁でしょう」
俺の言葉を信じてくれたようで、イルダに安堵の表情が浮かんだ。
「そうだな。これは運命の出会いかも知れないな」
「ふふふふ」
俺の馴れ馴れしい冗談にも嫌な顔一つしないで屈託無く笑うイルダを、賞金欲しさに今の帝国に売るなんてのは、愚の骨頂だ。近くで愛でているだけで賞金以上の価値がある。それだけ魅力的だ。
「ところで、もう一人の姫様は、えっと、第一皇女のカルダ姫だったかは、一緒じゃないのか?」
「はい。お姉様とは一緒に宮殿を抜け出たのですが、二人が一緒に行動しない方が良いという家臣の勧めに従いました」
「なるほどな。若く綺麗な女性が二人揃っていれば、自ら逃亡中の姫様だと白状しているようなもんだ」
「はい」
「しかし、別々に行動していて、連絡は取れるのか?」
「お姉様に同行している魔法士の伝書蝙蝠が四、五日おきに往復をして、お互いの居場所を知らせ合っています」
「なるほど。いざとなったら会える訳だな。それじゃあ、もう一つ、聞かせてくれ」
「何でしょう?」
「追っ手から逃れるだけであれば、山奥の集落にでも隠遁してれば良いのに、なぜ旅をしている?」
「それを聞かれて、どうされるおつもりですか?」
「出会ったばかりの人間を百パーセント信じることなんて無理に決まっている。お互いにな。しかし、もし、居心地が良いのであれば、しばらくは一緒にいてやらんでもない」
「何だ! その恩着せがましい態度は?」
「俺は恩なんてもんには興味は無いぜ。これは取引だ。あんたらの旅の目的が何なのか? これから一緒に旅をしようという俺がそれを知らないことで、不測の損害を被ることは避けたいからな」
ダンガのおっさんに反論をしてから、イルダを見た。
イルダは、もう態度を決めているようだった。
「私の正体もばれているのですから、これ以上、嘘を吐いても無駄ですね。分かりました」
イルダは、しっかりと俺の顔を見た。
「私は、フェアリー・ブレードを探しているのです」
「アルタス帝国の初代皇帝カリオンが魔王を倒す際に使ったと言われる伝説の魔剣だな」
「はい。皇室に代々伝わる門外不出の剣だったのですが、皇帝陛下やお兄様方が討たれてしまって、その行方が分からなくなっているのです」
「どこにあったんだ?」
「実は、私も見たことがなくて……。皇帝陛下のお側にあったはずなのですが、新しい帝国が手にしたとも聞いていません」
「手掛かりは何かあるのか?」
「いくつかは噂はあります。それを確かめているところです」
「なるほど。それで、フェアリー・ブレードを手に入れてどうするつもりだ?」
「フェアリー・ブレードを手にした者は、一人で百万人の軍団に該当すると言われています」
「確かにそんな謳い文句だったな。しかし、それを信じているのか?」
「もう我が陣営に残っている軍勢はほとんどありません。藁にでもすがる気持ちなのです」
「すると、アルタス帝国の再興が究極の目的ということだな?」
「……そうです」
「分かった。だが、誤解はしないでくれ。俺は、別に、イルダの目的を応援すると言ってる訳じゃない。イルダが旅を続けていることに疑問が無くなったということだ。俺もあんたらを守るという約束はちゃんと果たすぜ」
「ありがとうございます」
その後、三十分ほど歩くと、林の中に細流があった。
「この小川の下流にケインの街があります。今日は、そちらで宿泊しましょう」
俺は、イルダの提案に無言で頷いた。
「人が倒れている!」
俺達の頭上を浮かぶように飛んでいたナーシャが突然、声を上げた。
よく見ると、小さな人影が細流の近くに横になっていた。
早足で近づくと、小さな女の子が仰向けで倒れていた。
すぐにイルダが駆け寄り跪いて、その女の子の上半身を抱え起こすと、耳を女の子の口に近づけた。
「息はしています。顔色もそんなに悪くはないですね」
イルダは、女の子の体を揺さぶった。
「もしもし! 大丈夫ですか?」
女の子はすぐに目を覚まして、イルダを見た。
「良かった。気分はどう?」
「……大丈夫」
か細い声だったが、しっかりと聞こえた。
「立てる?」
無言で頷いた女の子は、イルダに支えられながら、ゆっくりと立ち上がった。
ナーシャと同じくらいの身長で、七ないし八歳くらいであろうか?
紫色の髪はサラサラと腰の近くまで伸びており、白く整った顔立ちに輝く瞳も紫色だった。
この子が成長するとイルダに負けず劣らない美人になるはずだ。
膝辺りまで長さがある白くゆったりとしたチュニックをベルトで締めて、足元は素足にサンダルを履いて、上流階級の娘のような身なりだった。
その容姿を見る限り可愛い可憐な少女だったが、違和感を感じさせる物があった。小さな背中に背負っている剣が、自らの身長とは不釣り合いに長いのだ。
「名前は?」
イルダが膝を折って、少女の目線に近づけながら訊いた。
「……リーシェ」
「リーシェ? 良い名前ね」
しかし、リーシェと名乗った少女は愛想笑いすら浮かべなかった。
「お家は?」
「……分からない」
「お父さんか、お母さんは?」
「……分からない」
イルダは後ろを振り向いて、俺達の顔を順番に眺めた。
「戦災孤児でしょうか?」
アルタス帝国が滅んだ大戦で、兵士だけではなく、帝国市民にも多数の犠牲者が出ていた。両親を戦火で失った子供達も大勢いた。もし、リーシェがそうなら、両親が亡くなるところを目の当たりにして、一時的に記憶を失っていても不思議ではない。
「名前だけしか憶えていないようだな。イルダ、どうするよ?」
「もちろん、連れて参ります。こんな森の中に子供を一人で置き去りにできるはずがありません!」
「まあ、そうだな。ケインの街役人にでも聞いてみるか?」
「そうですね。リーシェ、私達と一緒に来ますか?」
リーシェは無言で頷いた。
「私はイルダと言います。よろしくね」
リーシェは、また無言で頷いた。
その後、イルダが順番に、みんなの名前を紹介した。
俺を紹介した時、リーシェは俺の顔を見つめた。
――な、何だ?
俺は、リーシェの紫色の瞳に見入ってしまったが、吸い込まれそうなほど澄んでいるその奥に、身震いするほどの何かを感じた。
この世の中には、三つの種族がいる。
まず、俺やイルダ、ダンガのおっさんのような人族だ。
魔法が使える訳ではないが、高い知力で強力な武器や便利な道具を作り出し、強い体力で戦闘能力も高い種族で、その盛んな繁殖力で人口も多く、軍団を組織して、この大陸を制圧しており、現在は、この世界の主人として君臨している。
二つ目は、亜人族だ。
見た目と行動原理は人族と似ているが、魔法や特殊な能力を有している種族のことだ。
魔法士、大妖精、小妖精、矮人などが代表的な種族で、基本的に人族と友好的な者が多い。
今の俺の連れだと、魔法士のリゼルと小妖精のナーシャがそうだ。
リゼルのオッドアイや、ナーシャの羽といった部分以外、二人は人族と何ら変わらない姿をしている。
三つ目は、魔族だ。
魔法士同様に魔法を使う悪魔から、吸血鬼、魔竜、邪精霊、そして獣人に至るまで、人族と変わらない容姿をしている奴から、まったく人族とは似ても似つかない格好の奴まで、ありとあらゆる姿の種族がおり、先天的に人族を敵対視している者が多い。したがって、魔族とは何かと定義するとすれば、「人族と亜人族以外の種族」と言わざるを得ない。
魔族の中には、一人で一つの軍団に匹敵するくらいの強力な力を持った奴もいるが、一方で絶対的に人口が少なく、五百年前まで君臨していた魔王以来、この大陸で覇権を握ることはできていない。
人族は、城壁で囲まれた街の中で暮らし、亜人族も共存している種族が多い。
そして城壁の外には、そう言った社会からあぶれた人族の無法者のみならず、魔族も多く生息していた。
年端もいかない少女を森の中に置いて行く訳にはいかないというイルダの判断は真っ当すぎるほど真っ当だ。
しかし、このリーシェという少女に、俺は、得も言われぬ恐怖感に襲われていた。ひょっとしたら、こいつは魔族かもしれないと疑念を抱いたが、イルダとその従者一行は、リーシェのことを薄幸で可哀想な人族の少女としてしか見ていないようだった。
俺達、リーシェを加えた六人は、ケインの街に向かって歩き出した。
リーシェは、まだ目眩がしているのか、それとも背負っている剣が重いのか、少し足をふらつかせながら歩いていた。
「リーシェ」
立ち止まった俺を見つめるリーシェの目は、やはり不気味な輝きを放っていた。
「お前の剣を見せてくれ」
リーシェは無言のまま、背負っていた剣を鞘ごとはずすと、両手で俺に差し出した。リーシェの両手はぷるぷると震えており、やはり相当重いようだ。
実際、剣を受け取ると、普通に大人の男が使う剣で、子供には重いはずであった。
「何だこりゃ?」
俺の素っ頓狂な声に、みんながリーシェの剣に注目した。
リーシェの剣は、鍔と鞘が鎖で繋がれていて抜くことができなかった。
「変わっておるのう? 実戦的な剣ではなく、装飾品か何かか?」
ダンガのおっさんが推理したが、柄や鞘に派手な装飾がされている訳でもなく、装飾品には見えなかった。
そして、とりあえず見えるところをくまなく見てみたが、紋章や文字、何らかの模様も図形も無く、シンプルなデザインのものであった。
「何か分かりましたか?」
俺の意図を理解していたイルダに、俺は首を横に振っただけだった。
「しかし、何らかの意味があるのかもしれないから、リーシェには重いかも知れないが、持たせておいた方が良いだろう」
「そうですね。この剣は彼女が誰なのかを示す物かもしれませんものね」
そうだ。どう考えても不釣り合いなこの剣は、リーシェの親か親族が、リーシェ本人であることの証明として持たせたと考えることができるのだ。
もし、リーシェが人族だとすればだが。
俺がリーシェに剣を返すと、リーシェは、ふらふらとしながら剣を背負った。
イルダが見かねて、リーシェの腕を取って、ゆっくりと歩き出した。
しかし、昨日までは、ナーシャとの二人旅だったのに、いきなり、元皇女様とその護衛役の魔法士と老騎士、そのうえ、幼女との六人のグループになった。
明日には、また誰か一緒に行く奴が増えるんじゃねえか?
例えば、魔王様とか? …………はははっ、あり得ねえ!