第三十八話 祝福されなかった母子
再びアンタリオンに出会うことなく、俺達一行は「死者の谷」に着いた。
そこは、砂漠の中に突如として現れる大きな岩場で、太い柱のような岩が二つ地面から生えているように天に向かって伸びていた。
全員が駱駝を降りて、その柱と柱の間に入って行った。
そこには、小屋のように少し盛り上がった所があり、人が三人横になっても通れるくらいの穴が開いていた。そこから地下へと階段が続いていた。
「カシアルとデレイドが先頭を行け!」
ホデムに指名された二人の兵士が先頭を進み、その後にホデム、すぐ後をアドル王子とミルジャ、少し兵士がいてから、俺達一行、しんがりにも兵士が詰めていた。
穴の中は、壁が綺麗にならされていて、穴と言うより通路と言った方が正確だ。
その通路の壁には一定間隔で燭台が取り付けられており、先頭を歩いている兵士が燭台に火が着いた蝋燭を立てながら進んでくれたお陰で、俺達は明るい通路の中を進むことができた。
しばらく行くと、通路より広く、部屋のようになっている場所に出て来た。
ここでも先頭の兵士が、あちこちの柱に取り付けられている燭台に火が着いた蝋燭を立てた。
すべての燭台に蝋燭が灯されると、部屋全体がほのかに照らし出された。
そこは、いくつも建っている大きな柱が高い天井を支えている広間のような部屋で、その正面には、大きな祭壇らしき造りになっていた。
兵士達はその祭壇に続く左右の柱の近くに整然と並んだ。
「申し訳ありません。あなた方はこちらで」
ホデムが俺達に言った。ここから先はバルジェ王族しかいけない神聖なる場所のようだ。
アドル王子がミルジャの手を取って、ゆっくりと正面の祭壇に向けて歩き出した。
祭壇は、岩を彫って作られているようで、真ん中にはこの辺りの守護神だと思われる巨大な像が椅子に座っていた。
その像の前まで進み出た二人は、低い段差がある前でひざまづき、深く頭を垂れてから、また立ち上がり、更に像に近づこうと、手を繋いで段差を超えて歩き出した。
リリアは俺の隣でじっとそれを見つめていた。
「リリアが結婚をしても同じことをするんだろうな」
「そうだろうね」
「エラビアでも同じようなことをするのか?」
「たぶん……、私はエラビアの王室廟には行ったことはないけど」
突然、叫び声が部屋の中に響いた。
リリアの顔を見ていた俺が祭壇に視線を移すと、ミルジャが倒れていて、アドル王子が慌てて、助け起こそうとしているところで、ホデムが二人のもとに駆けつけていた。
「何があった?」
リリアと話をしていて、その瞬間を見逃した俺は、周りにいる誰にともなく訊いた。
「分かりません。突然、ミルジャさんが倒れられて!」
「見えない手で後ろに押されたようでしたな」
イルダとダンガのおっさんが興奮気味に話した。
とにかく異常事態なのは間違いないようだ。
俺達もホデムに来るなと言われていたが、アドル王子の元に駆け寄った。
「ミルジャ! ミルジャ!」
アドル王子が必死になって抱きかかえているミルジャの体を揺らしていた。しかし、ミルジャはまったく反応がなかった。
「どいてろ!」
ひざまづいた俺が、アドル王子からミルジャを奪い取るようにして上半身を抱きかかえた。
形の良い胸が上下していた。口元に耳を近づけたが、息はあるようだった。
失神をしているだけのようだ。
俺は、ミルジャを床に降ろして、座らせるようにして上半身をまっすぐにさせると、背中側に回って、その両肩をつかんだ。
ひざを背中に付けて、ミルジャの両肩を後ろに強く引っ張って「活」を入れると、ミルジャは体を一瞬だけ痙攣させると、すぐに咳き込んだ。
「ミルジャ!」
すぐにアドル王子が飛んで来てひざまづくと、ミルジャを真正面から抱きしめた。
「……殿下」
弱々しい声であったが、ミルジャはしっかりと呼吸をしていた。
俺は、ミルジャをアドル王子に任せると、立ち上がり、やはり近くに寄っていたホデムに訊いた。
「ミルジャが、突然、押されたようにして倒れたと聞いたが?」
「我々もそのようにしか見えなかった。まるでバルジェの神から叱られたように」
ホデムの奴、さりげなく皮肉を込めやがった。
いや、皮肉じゃないかもしれない。
祭壇に祭られている先祖達が、自分達の血を受け継いでいない子とその母親のミルジャが礼拝することを拒否したのかもしれなかった。
もっとも、そのことを神様が証言でもしてくれたら良いのだが、だいたい神様というのは無口だ。
まだ儀式は終わっていない。王子も、せっかくここまで来たのだから、最後まで終えようと思っているはずだ。
アドル王子は、ミルジャの息が整うのを優しく見守りながら待っていたが、しばらくして、ミルジャがアドル王子の顔を見てうなづくと、また、二人は立ち上がり、祭壇に向かって、ゆっくりと近づいて行った。
俺達は、ホデムに入るなと言われている所にまで既に入り込んでいたが、ホデムは俺達を下げさせることはなかった。
俺達は、息を呑んで、アドル王子とミルジャの後ろ姿を見守っていた。
アドル王子は、また同じように飛ばされるとお腹の子供に良くないと思ったのか、ミルジャの肩をしっかりと抱いて、ゆっくりと祭壇に近づいた。
そして、段差を超えた祭壇の直前、礼拝をする場所まで来た時!
アドル王子とミルジャが後ろ向きに飛ばされて、ミルジャを庇うように抱きしめていたアドル王子は、背中から床にたたきつけられた。
確かに見えない手で突き飛ばされたように見えた。
「殿下!」
ホデムと数人の兵士達がすぐにアドル王子の側に駆け寄ったが、今度は用心をしていたからか、二人とも気絶することもなく、大した怪我もしていないようだ。
しかし、アドル王子はかなりショックを受けている様子で、立つことも忘れて、ミルジャの手を握って呆然としていた。
俺は、咄嗟にある考えが浮かんだ。
「リリア、ちょっと来い」
俺は、リリアを側に来させると、一緒にホデムに近づいた。
「ホデム。こんなことは今までにあったのか?」
「いや、私も陛下のお伴で何度もここには来ているが、こんなことは初めてだ」
「それじゃあ、どうしてこうなるのかを調べるため、ちょっと試してみたいことがある」
ホデムは何も言わなかった。とりあえず、俺の提案を聞いてくれるようだ。
「ご先祖様が礼拝を拒否をしているのが、王子自身なのか、それともミルジャなのかを確認してみたらどうだ?」
「うむ。では、殿下お一人で祭壇の前に進んでいただくか?」
「いや、男女二人で試した方が良いだろう。ここにいるリリアと一緒に祭壇に行ってみたらどうだ?」
アドル王子に気づかれないようにではあるが、ホデムの口角が上がったのが分かった。
「どうして彼女なのですか?」
立ち上がったアドル王子が俺の顔を見て尋ねた。もっともな疑問だ。
「ミルジャ以外に、今、ここにいる人族の女性は、イルダとエマとリリアの三人だけだ。しかし、イルダは元皇女様だし、エマは男が嫌いだから除外した。そうすると残るのはリリアだけだ」
いい加減な理屈だったが、何となく、みんなが納得してしまった。
「まあ、試しにやってみたらどうだ?」
ミルジャと一緒だと、どうして突き飛ばされてしまうのかを、アドル王子も知りたいはずで、俺の提案を受け入れた。
「リリア」
俺は、リリアの手を取ると、花嫁とともにヴァージンロードを歩む父親のように、リリアをアドル王子の隣まで連れて行った。
まだ座ったままのミルジャを横目で見ると、口が「へ」の字に歪んでいた。
従順な召使いの顔じゃあねえぞ。
「そのまま祭壇の前まで進んで見てくれ」
俺の言葉を受けて、アドル王子とリリアは、肩を並べ足並みを揃えて、ゆっくりと祭壇に近づいて行った。
二人は、段差を超えても突き飛ばされることなく、祭壇の前まで近づけることができた。
そして、この広間は周りを壁で覆われているにもかかわらず、涼やかな微風が吹いてきた。
「これは、祝福の風! 以前、殿下のご出産の報告に、一兵卒だった私が陛下について来た時にも吹いた記憶がございます!」
ホデムが、してやったりと言う顔で言った。
そして、すぐにアドル王子の前まで進み出てひざまづいた。他の兵士もホデムがひざまづいたのを見て、ホデムの後ろにひざまづいた。
「殿下! これは、ミルジャとそのお腹の子は王室に向かえ入れることなどできないとの、ご先祖様の意思でございましょうぞ!」
「どういうことだ? この子の父親は私だ! 私の血を受け継ぐ子だ! その子がどうして受け入れられぬ?」
「あんたの子供じゃないってことじゃねえのか?」
今まで誰にも話せずに、溜まっていたことが、つい口に出た。
ホデムも王子に面と向かって言いづらいだろうしな。
「な、何を根拠にそんなことを言うのです?」
温厚なアドル王子が、今まで見たことのないほどの怒った顔を見せた。
「殿下! アルスが申すことには、我らも同じ考えでございます!」
ホデムが、ひざまづいたまま顔を上げて、王子をまっすぐに見つめた。
「ホデム! それはいったいどう言うことだ?」
「まさか、このような形で明らかになるとは思いませんでしたが、ミルジャのお腹の子は殿下のお子様ではないのです。ご先祖様はそれをお怒りされているのでしょう」
「戯言を言うでない!」
「では、ミルジャが殿下とともに礼拝できないことを、どう解釈されます?」
「何らかの間違いじゃ! ミルジャ、私の側に!」
アドル王子が祭壇の前に立ったまま、隣に立っているリリアを無視して、ミルジャを呼んだ。
ゆっくりと立ち上がったミルジャは、アドル王子の側に寄ろうと、一人で祭壇の前に近づいて行った。
しかし、途中、見えない壁にぶつかったように、ミルジャはよろけて尻餅を着いた。
「ミルジャ!」
アドル王子が慌てて、ミルジャに駆け寄り、その手を取って立たせると、今度は二人が手をつないで、リリアが一人立っている祭壇の前に向かって、ゆっくりと歩いた。
結果は同じであった。
ミルジャと一緒だとアドル王子も祭壇に近づけなかったが、一人だと祭壇に近づけた。
「ホデム! そなたが、何か、からくりを仕掛けているのではないであろうな?」
「けっして、そのようなことはいたしておりません! どうすれば、そのようなからくりを仕掛けることができるのか、私自身、分かりませぬ!」
アドル王子も為す術無く立ち尽くすことしかできなかった。
「ミルジャ、お前はどう思うんだ?」
王子と同様に、呆然としているミルジャに向かって、俺が声を掛けた。
「お前だけが祭壇の前に行くことを拒まれている。どうしてだと思う?」
俺としては、ミルジャに正直に白状してほしかった。
しかし、ミルジャは、うつむいて何も言わなかった。
「ミルジャを責めるでない! 何の証拠があって、ミルジャのお腹の子が私の子でないと言うのだ?」
「アルス殿! 私達も信じられません! いったいどういうことなのですか?」
イルダも合点がいかない様子で、俺に迫った。
「俺よりもホデムの方が詳しいだろう? ホデム、俺の姫様にも説明してやってくれよ」
ホデムは大きくうなづくと、アドル王子とイルダを順番に眺めた。
「ミルジャは、モデラート宰相の紹介で王宮に入りましたが、その前から宰相の妾でした。我々の調査によると、ほぼ間違いありません。もっとも証拠としてお示しする物がありませんでしたから、陛下や殿下にお話することができませんでした」
ホデムは心苦しそうに目を伏せた。
「そんな……。ミルジャ!」
アドル王子は、ミルジャの両肩をつかんだ。
「嘘だろう? ホデムが言っていることは嘘だと言ってくれ!」
「嘘です! このお腹の子は殿下のお子様です!」
ミルジャは、王子の顔をしっかりと見つめながら、そう言い切った。
「ならば! どうして礼拝ができないのだ?」
ホデムがミルジャに迫ったが、ミルジャは「分かりません」とはっきりと言い返した。
祭壇に近づくことができないことも、ご先祖様が口を開かない限り、その理由ははっきりしない。
「殿下」
ホデムは、ミルジャからアドル王子に視線を移した。
「いずれにせよ、このままではミルジャとともに礼拝はできないことは明らかです。一度、王宮に戻り、陛下にもご報告をすべきでしょう」
「……仕方がないか」
ミルジャと一緒だと礼拝できないことは事実で、このままここに滞在していると、いつかは礼拝できるようになるとの保証はどこにもない。
アドル王子も戻るしかないと諦めるしかなかっただろう。
王子も渋々それを認めた。
「待て!」
全員が出口に向かおうとした時、呼び止める声がした。




