第三十七話 砂漠の人食い虫
翌日、まだ夜明け前。
王宮の中庭に「死者の谷」へと向かう一行が集合していた。
砂漠では馬車のような車輪が付いた乗り物は使えないから、一人ないし二人に一頭の駱駝が与えられた。
俺はイルダと一緒に乗りたかったのだが、乗馬もこなせるイルダは、一時も離れることのない子供リーシェと一緒に乗っていた。
わずか半刻とはいえ日差しの強い砂漠を行くのだから、二人とも白いベールを頭から被っていた。
アドル王子とミルジャは、豪華な装飾がされた屋根付きの鞍を装備した一頭の駱駝に跨がり、護衛の兵士達は荷物とともに一人が一頭ずつの駱駝に乗っていた。
俺はナーシャと一緒に駱駝に乗り、ダンガのおっさんとリゼル、雇われ護衛役と称しているエマとリリアがそれぞれ一緒に乗った。
砂漠の生まれのリリアが手綱を握って、エマが後ろに乗っていたが、俺は何か違和感を感じて、エマを二度見した。
背中に大きな袋を背負っていたのだ。
「何だ、それ?」
俺の問いにエマは、「お姉様から頼まれた荷物だよ」とだけ言って「にひひ」と笑った。
――リーシェの奴、今度は何を企んでいるんだ?
俺は、イルダとともに駱駝に跨がっている子供リーシェを見たが、いつものとおり、ボケ~としているようにしか見えなかった。
ホデム率いる兵士達に守られながら、「死者の谷」への一行は、国王一家や重臣達が見送る中、城門から、ゆっくりと出て行った。
俺の側に、ホデムが寄って来て、並んで駱駝を歩かせながら、小さな声で言った。
「王妃様の隣に立っているのが、モデラート宰相だ」
横目で、そいつを見ると、黒い髪を後ろに撫で付けた、顔色の悪い、痩せた男だった。
晩餐会の時、ミルジャと抱き合っていた後ろ姿と矛盾しない容姿だ。
宰相の前をアドル王子とミルジャが通り過ぎる時、一瞬だけだが、宰相とミルジャが視線を交わしたような気がした。
いや、気のせいではないはずだ。
一行は、街の城壁から外に出た。
俺達も駱駝に乗るのは初めてだったが、馬とそれほど変わらず、すぐに乗れるようになった。
駱駝も慣れるとなかなか快適だ。とにかく、この砂漠で歩かなくても良いのは気が楽だ! 駱駝だけに楽だ……。
「死者の谷」まで半刻という短い旅で、途中、休憩無しで行くことになっていたため、俺達は早足で駱駝を走らせた。
しかし、見渡す限りの砂丘という変化のない単調な景色が続く上、駱駝の揺れが眠気を誘ってくる。
全身にベールをまとい俺の背中にしがみついているナーシャも居眠りをしているようで、体が大きく揺れていた。このままでは駱駝から落ちる危険がある。
俺は大きく手を上げて行進をストップさせた。
「ちょっと休憩しようぜ」
もう半分以上は来ているはずだ。
暑さに弱いナーシャや子供リーシェは、やはり消耗が激しい。
全員が駱駝から降りて、砂丘の影に輪になって座った。
羊の胃袋で作った水筒から水を飲む。容赦なく照りつける灼熱の太陽が予想以上に体から水分を奪ってしまうようで、飲んだ水がすぐに体の隅々にまで染み渡る感覚がした。
アドル王子はミルジャに水を飲ませていたが、ホデムや兵士達は、腰も降ろさずに周りに散開して周囲を見張っており、水を飲んでいなかった。
「喉が渇かないのか?」
すぐ近くに立っていたホデムに訊いた。
「この程度であれば不要だ」
砂漠の街に生まれ育ったバルジェ王国の民にとっては、この暑さも何てことはないのだろう。
「音が聞こえます!」
突然、ある方向を見張っていた兵士が大声を上げた。
「どうした?」
俺の質問に、しばらくしてからホデムが答えた。
「……アンタリオンだ!」
俺には、砂を含んだ風が吹く音しか聞き取れなかったが、ホデム達は、アンタリオンが砂の中を進む音を聞き分けたのだろう。
「急いで駱駝に戻るんだ!」
ホデムの表情からは、危険が迫って来ていることがうかがえた。
俺達は急いで駱駝に乗ると、兵士の一人を先頭にして走り出した。
アドル王子やイルダ達の駱駝を真ん中に集め、兵士達がそれを取り囲むようにして走った。
これなら、誰かが脱落してもすぐに分かる。
少しでも休憩できたからか、駱駝達も一生懸命走ってくれていた。
俺は、しんがりを駆けていたホデムの横に駱駝を着けて併走しながら、大声でホデムに話し掛けた。
「逃げられるか?」
「距離が縮まっている! 俺が知っているアンタリオンより速いようだ!」
俺にも砂が流れ落ちる音が聞こえてきた。
駱駝を走らせながら振り向くと、まだ遠かったが、砂の山が砂をかき分けながら、こちらに向かって来ていた。
そして、その砂の山が大きく盛り上がったと思うと、その中から異様に長い触覚を持つ巨大な芋虫のような生物が姿を見せた。
砂の海からジャンプするようにその姿を見せつけると、すぐに砂に潜り、また砂の山ごと俺達の方に迫って来ていた。
「あの化け物がアンタリオンなのか?」
「そうだ!」
砂の山は確実に俺達に迫って来ていた。
「おい! このままじゃ追いつかれるぞ!」
「分かっている。俺が囮になる! その隙にお前達は逃げろ!」
ホデムの野郎、良い顔をしてやがるぜ!
――もっとも一緒に寝たいとは思わないけどな。
「あいつを倒すことができるのか?」
「俺が倒す!」
「一人でか?」
「何度も倒したことがある!」
「じゃあ、そのコツを俺に教えてくれ! 俺も手伝うぜ! 一人より二人の方が確実だろ? それに、いきなり指揮官がいなくなると俺達も困るからな!」
「……分かった!」
ふっと笑ったホデムは手綱を引いて止めた駱駝から降りると、駱駝の尻を叩いて、無人の駱駝を逃がしてから、山に向かって立ち塞がるようにして立った。
俺もナーシャに手綱を持たせると、一人駱駝から飛び降りて、ホデムの隣に並んで立った。
「奴の口の前に出なければ食われることはない! 左右に分かれてから、奴の頭の上に飛び乗って、ひたすら剣を突き刺すのだ!」
「奴の頭ってどこだ?」
「あの触覚が突き出ている所だ! 触覚しか掴めるところはない!」
「分かったぜ」
近くまで迫った山の砂がこぼれ落ちると、中からアンタリオンが姿を現し、体の先端についている口を大きく開いたまま、俺達に飛び掛かって来た。
その体の幅からは想像できないほど大きく丸く開かれた口には、ぐるりと牙のように尖った歯が生えていた。
あの歯で噛まれたら即死だ。
俺は左に、ホデムは右に別れてその場から逃げると、今まで俺達がいた地面にアンタリオンが頭から飛び込んだ。
砂の地面に体を打ちつけて、体をくねらせていたアンタリオンの横腹からその体の上に飛び乗ると、頭に向かってその胴体の上を走り、先端に近いところから飛び出ている触角の付け根を左手でつかんだ。
ホデムも反対側の触覚をつかんでいた。
アンタリオンは背中にいる異物を振り払おうと、体を大きく揺り動かしたが、俺とホデムは振り落とされないように、左手で触角をしっかりと掴み、右手で逆手に持った剣をアンタリオンの頭に突き立てた。
その痛みからか、アンタリオンは更に激しく体を揺らしたが、俺は必死にしがみついて、繰り返し剣を突き刺した。
刺し傷からは緑色の体液が染み出てきて、それで足が滑るようになった。
「ぐあああ!」
悲鳴の方を見ると、ホデムが堪えきれずに振り落とされ、ちょうど、アンタリオンの口の前に落ちたところだった。
ホデムは、すぐに立ち上がり、大きな口を開けて向かって来るアンタリオンに剣を構えたが、ホデムの身長をはるかに超える大きさの口に丸呑みされてしまった。
俺は、渾身の力を込めて、カレドヴルフをアンタリオンの頭に突き刺すと、触覚から左手を離し、両手でカレドヴルフを持つと、全体重を掛けて、アンタリオンの体に押し込んだ。
アンタリオンは不気味な鳴き声を上げて、大きく体を揺らした。
俺はカレドヴルフの柄を両手で握ったまま体を振り回されたが、すぐにアンタリオンは動きを止めた。
アンタリオンの体に足を踏ん張って、カレドヴルフを引っこ抜くと、そのまま砂の上に飛び降りた。
「ホデム! 大丈夫か?」
「丸呑みしてくれたお陰で生きている!」
俺がアンタリオンの口に向かって呼び掛けると、口の中にいるホデムが無理矢理に口をこじ開けようとしているようで、アンタリオンの閉じた口が震えた。
「少し後ろに下がれるか? 俺の剣でこの臭い口をぶった切る!」
「この歯ごとか?」
「ああ!」
「分かった」
ホデムが後ろに下がり、少しだけ開きかけていたアンタリオンの口がまた閉じたのを確認すると、俺はカレドヴルフを左右になぎ払った。
鎧も切ることができるカレドヴルフにとって、アンタリオンの歯など大根みたいなものだ。
上下の歯ごと口を切り取り開いた穴からホデムが出て来た。
「相変わらず見事な腕だ。お陰で助かった。感謝する」
「お互い様だ」
俺はホデムが差し出した右手をがっちりと握った。
アンタリオンが動かなくなったことを確認したのか、逃げていた一行が戻って来た。
「アルス殿! お怪我は?」
イルダが駱駝を飛び降りて、俺の近くに走り寄って来た。
「大丈夫だ。アンタリオンの体液が付いて臭いけどな」
「良かった。……もう、無茶はしないでください」
イルダのうるうる瞳の上目遣いの方がずっと殺人的威力を持っている。
一方、ホデムが俺を見る目が変わっていた。そして、動かなくなって大きな丘のように横たわっているアンタリオンを見た。
「俺も今まで何匹もアンタリオンを始末したが、これほど大きな奴は初めて見た。アルスが助けてくれなかったら、我々は全員、こいつに食われていただろう」
アドル王子とミルジャも兵士達に守られながら、近くにやって来た。それを見たホデムもほっとしていた。
「ホデム、大丈夫か?」
アドル王子がこの忠臣に声を掛けた。
「はい! アルスに助けていただきました」
「まことか? アルス殿、かたじけない。礼を申します」
「俺は、イルダを守るために剣を振るったんだ」
イルダの恥じらう姿を見られただけでも、俺にとっては何事にも代えがたい報酬を得たようなものだ。
しかし、臭い!
アンタリオンの体液を全身に浴びて、鼻がひん曲がりそうだ。
王室の墓廟である「死者の谷」に、アンタリオンの臭い体液を付けたまま入るのも不敬だと言うことで、少しだけ寄り道をして、砂漠のど真ん中にあるオアシスに立ち寄った。
俺とホデムは服を脱ぎ捨てて、オアシスで水浴びをして、服もそのまま水で洗った。
「アルス、服を着ていると分からなかったが、お前、なかなか良い体をしているな」
ホデムが嬉しそうに俺の顔を見ながら言った。
「ありがとうよ。でも、俺は男には興味はないからな」
「俺もだ! 妻も子もいる!」
ホデムも苦笑していた。
「それよりホデム」
「何だ?」
「お前は『眠れる砂漠の美女』とやらを見たことがあるのか?」
「いや、ない。俺だけじゃない。誰も見た者はいない。あくまで言い伝えだ」
「その言い伝えって、どんなんだ?」
「『眠れる砂漠の美女』とは、本当に美女が眠っている姿なのだそうで、背中に透明な羽があることから大妖精の姿をかたどっているのではないかと言われている」
「まるで見てきたかのような言いっぷりだな」
「我が国建国の歴史書にそう書かれているのだ」
「国の歴史書に載っているのか?」
「そうだ。だから『眠れる砂漠の美女』を見たことあるのは神話の昔の者だろう」
「しかし、怪我や病気を治すという噂もあるようだが?」
「それも歴史書に記載がある。戦争で傷付いた我が王室の祖先が『眠れる砂漠の美女』を見ると、みるみると傷が治ったとある」
「それじゃ、『眠れる砂漠の美女』は、バルジェ王国にとっては大切なものなんだな?」
「そうだ。だからこそ、その近くに王室廟を作っているのだ」
「確か、入口が大きな岩で塞がれているんだったな?」
「ああ。だから、せっかくイルダ様をお連れしているが、中に入ることは叶わぬと思う」
「イルダを誰だと思っている。アルタス帝国の皇女様だぜ。元だが。イルダにできないことはないのさ」
いつもの大口だろうと、ホデムは乾いた笑顔を見せた。
俺はオアシスから出ると、濡れたままの服を着た。
もっとも既に乾きかけており、この炎天下での移動中にすぐに乾くだろう。
そして、ベルトのポーチを開けてみた。
中には、昨日の夜、リーシェから預かった小瓶が入っていた。




