第三十五話 出立前夜
自分の部屋に戻った俺がベッドで横になっていると、案の定、やって来た。
「アルス。ごくろうじゃった!」
背中に張り付いた大人リーシェは後ろから手を伸ばして、俺の目の前で手に持ったマンドラゴラをふさふさと振った。
俺は寝返りをうって、寝転がったまま、リーシェと向き合った。
「高い買い物だったぜ」
「心配するな。また、わらわが魔族退治でもして取り戻してやるぞ」
「……前から不思議だったんだが、魔族は同じ魔族を倒すのに心が痛むことはないのか?」
「どうして心が痛むのじゃ?」
リーシェは、まったく意味が分からないというように、きょとんとした顔をした。
魔族は人族のように「助け合い」とか「連帯感」という気持ちを持ち合わせていないのだろう。だから、魔族は単独行動しか取れないし、魔族同士の殺し合いも珍しいことではない。
一方、人族は、個々の能力では魔族に敵わないが、有能な指揮官のもとで軍団を組織することで、魔族に負けない圧倒的攻撃力を発揮できるし、実際に、今はこの世界での支配者となっている。
リーシェが魔王として君臨できたのは、その強大すぎる魔力で他の魔族を屈服させ、恐怖により支配していたからで、他の魔族がリーシェに惚れ込んで、魔王に推戴した訳ではない。
リーシェが完全復活すれば、恐怖で支配される帝国がこの大陸に覇を唱えるだろう。それは絶対に阻止しなければいけない!
しかし、今、こうやってリーシェと普通につき合っていけるのは、リーシェが封印されているからで、フェアリー・ブレードがこれからも見つからなければ、リーシェとも今の関係のままでいられるなんて考えたことは、不謹慎すぎるだろうか?
「い、いや、何でもねえ。忘れてくれ」
「変な奴じゃな。それより、アルスよ」
「何だ?」
「さっき、この王宮の厨房の中に忍び込んで来たが、真っ暗で怖かったぞ」
「……お前も腹が減ってるのか?」
「そなたと一緒にするでない! マンドラゴラ以外の材料があるか、確認をしてきたのじゃ」
「で、どうだったんだよ?」
「ほとんどあったが、二、三無い物もあった。アルスは、明日、外に出るのじゃろう?」
「ああ、エマとリリアを雇って連れてきたというシチュエーションを作らないといけないからな」
「ならば、ついでに、市場に寄って来て、その材料を買ってきてくれぬか?」
「お前も行くのか?」
「あとは普通に市場で売っている食材じゃ。わらわがわざわざ行かなくとも分かるじゃろう」
くそう! 相変わらず人使いが荒いぜ! まあ、魔王様だから当然と言えば当然か?
次の日。
エマとリリアはこっそりと、俺は堂々と王宮から外に出た。
自分達の護衛は自分達で可能な限りまかなうというイルダの申出に、国王も理解を示してくれたことから、俺がイルダの命を受けて、護衛を請け負う戦士を雇いに街に出たということだ。
市場でエマとリリアと落ち合って、リーシェから頼まれた薬の材料を買い込むと、三人で王宮に戻った。
新顔の二人に門番の兵士も渋い顔をしたが、国王から声を掛けてもらっていたようで、すぐに中に通された。
「最初から、こうしてたら良かったよ」
こそこそと王宮に入る手間が省けたのにと、エマが残念がった。
「だからさ、途中、危険な生物が出る『死者の谷』に行くということで、護衛を頼んだと言い訳ができるだろ? そうじゃなきゃ、何のために二人を王宮に連れて来たんだって話になるはずだ」
「ふ~ん、そんなもんかねえ」
エマは納得していないようだった。
イルダが許したと言っても、正体が定かでない二人を王宮に入れるのには、それなりの手続がいる。
ということで、俺が保護者のようにして二人を連れて行った先は、近衛兵部隊長であるホデムの前であった。
「酒場で出会ったその二人をどうして王宮に迎え入れたのだ?」
「イルダが自腹で護衛を増員することは国王から聞いてないのか?」
「もちろん聞いているが、明日、外で合流すれば良いではないか。なぜ前夜から王宮に入る必要がある?」
「二人が若い女だからだ!」
俺は両手を腰に当てて、ドヤ顔で答えたが、ホデムは頭を抱えていた。
まあ、理由なんて考えてなかった訳だが……。
「……すまん。意味が分からないのだが」
「それ以上訊くなって。野暮だぜ」
「貴様と言う奴は!」
「妬くなって。そんなに眉間に皺を寄せていると、ますますモテないぜ」
「余計なお世話だ! ……その二人には見張りを付けさせてもらう」
「ああ、良いぜ。でも、俺達と同じ飯は食わしてやってくれ。腹ぺこだとこの二人は暴れて、手が付けられなくなるぞ」
「心配するな。今夜は、殿下が主催する夕食会がある。明日、一緒に『死者の谷』に行く者であれば、兵士までも招待されるはずだ」
夕食の時間になると、エマとリリアを含めた俺達一行は、広間に向かった。
晩餐会ほど豪華な飾り付けはされていなかったが、それでも会場は華やかな雰囲気に溢れていた。
部屋には円形のテーブルがいくつか置かれていて、正面のテーブルには、イルダとイルダの正式の従者であるリゼルとダンガのおっさんが座り、少し離れたテーブルに、あとのメンバーが座った。
俺は左隣にリリアを座らせた。右隣には近衛兵隊長のホデムが座っていた。明日の護衛は、ホデムが全体の指揮を執ることになっているようだ。
会場には、ホデムの他に二十名の兵士がいくつかのテーブルに別れて座っていた。士官だけではなく、若い兵士も緊張して末席に座っていた。おそらくこのような席は初めてなのだろう。アドル王子が形式にこだわらない感覚を持っているからだろうが、だからこそ身分にとらわれないで、ミルジャへの愛を貫いているのだろう。そう考えると、また、ミルジャへの怒りがわき上がってくる。
間もなくアドル王子がミルジャを連れて会場に入って来た。
本来であれば、並んで歩けるような身分ではないミルジャを、その体をいたわるように、手を繋ぎながら歩いて来た。
俺は、ホデムが唇を噛みしめているのに気がついた。
そして、反対側に目をやると、リリアがアドル王子をじっと見つめていた。
「どうだ、アドル王子は?」
俺は小さな声でリリアに訊いた。
「格好良い人だね」
リリアは明るく答えた。
確かに、アドル王子はそこらへんの奴よりはイケてる。
「あの人がミルジャさんなんだね」
「ああ、あいつが産んだ子供が、ひょっとしたら、お前の子供になるかもしれないぞ」
「分かってるよ。私だって、そうだし」
「へえ~、そうなのか?」
「うん。跡取りのお兄様は王妃であるお母様の子供だけど、私の母親は側室で、私を産んだ後、すぐに死んだらしいんだ。だから、私のお母様は、王妃である今のお母様だけ」
今は、あっけらかんと話すリリアだが、辛いことが一杯あったはずだ。
王族だからと言って、必ずしも幸福だとは限らない。イルダだって親兄弟を殺されて、今は流浪の身だ。
俺のような、その日暮らしの人生が、実は一番幸せなのかもしれないな。
アドル王子が、兵士達へのねぎらいの言葉を述べて杯を掲げると、宴は始まった。
「チャンスがあれば王子の側に行ってみたらどうだ?」
「良いよ。とりあえず顔は見られたし」
リリアには、アドル王子は親が決めた結婚相手という気持ちしか持てないようだ。
そりゃあそうだよな。目の前であれだけイチャイチャされたら、そんな気持ちにしかなり得ないだろう。
「じゃあ、たらふく飯でも食ってろ」
俺は、リリアの肩をぽんと叩くと、すぐに自分の椅子をホデムの隣に寄せた。
「晴れの宴なのに渋い顔をしてるな」
ホデムはため息を返した。
「俺に何か用か?」
「明日はよろしくと言いに来たんだよ」
「ああ、……アンタリオンは砂の中を素早く移動する。戦い方にはコツがある。アンタリオンが出た時には、俺の指揮に従ってもらうぞ」
「分かったよ。それと、もう一つ話したいことがあるんだが」
俺は心持ちホデムに近づき、声を潜めて話した。
ホデムは怪訝そうな顔を見せたが、どうやら話は聞いてくれそうだ。
「ミルジャは王子付きの召使いだったんだよな?」
「そうだ」
「王宮の中でも王族専属の召使いとなると、どこの馬の骨か分からないような奴はなれないだろ?」
「当然だ」
「ミルジャは誰の紹介なんだ?」
「……どうして、そんなことを訊く?」
その表情から、ホデムがミルジャの懐妊を快く思っていないと分かった俺は、ホデムになら告げ口をしても大丈夫だろうと踏んだ。
「実はな、初日の晩餐会の時、トイレに行った時に、ミルジャが他の男と抱き合っているのを見てしまってな」
「……そうか」
「驚かないんだな? その相手の顔まで見えなかったから誰だか分からなかったんだが、あんたは見当がついているんじゃないのか?」
「……ミルジャはモデラート宰相の紹介で王宮に入った」
今になって、ホデムは俺の質問に答えた。
宰相と言えば、大臣の筆頭だ。
確か、晩餐会の時、国王の縁者だと自己紹介していた気がする。国王の血族だとすれば、現在の国王一家を廃すれば、自ら玉座に座ることも可能だろう。
そいつの紹介でミルジャは王宮に入った。しかも王子専属になっている。
……初めから、いろいろと怪しい。
「すると、俺が見たミルジャが抱き合っていた相手というのは?」
「おそらくな。ミルジャは宰相の妾だと考えている」
「確かか?」
「我々が調べた結果だ。間違いないと思うが、如何せん、突き付ける証拠がない」
「証拠がないか……。じゃあ、国王や王子には?」
「もちろん言っていない。言える訳がない。殿下は、ミルジャが召使いになって、すぐにお気に召されたようなのでな」
「では、ミルジャのお腹の子は?」
「殿下のお子様でない可能性が高い。ミルジャは、ずっと宰相と密会を重ねていたのだからな」
ホデムは、アドル王子と並んで座り、イルダ達と談笑しているミルジャを憎々しく睨んだ。
「しかし、必ず証拠をつかんで、宰相とミルジャに突き付けてやろうかと思っている」
ホデムの目は並々ならぬ決意に溢れていた。
こいつは死ぬことも恐れていない、本気の目だ。
自分の命を掛けて忠言するなど家臣の鑑だ。
どうやら俺はホデムという男を過小評価しすぎていたようだ。
「分かった。俺がミルジャの逢い引きの現場を見てしまったのも何かの因縁だろう。協力できることがあれば何でも言ってくれ」
ホデムは目を見開いて俺の顔を見ていた。
「お前は、変わった男だな」
「よく言われる」
苦笑気味ではあったが、ホデムの微笑んだ顔を初めて見た。
「ミルジャのお腹の子がまだ男か女か分からないが、この国では、女は王になれないという訳ではないんだな?」
「男がいれば優先されるが、いなければ女でもなれる」
「王妃と側室が子供を産んだら、王妃の産んだ子供が優先されるんだよな?」
「もちろん、そうだ」
「そうか。ところでホデム。お前は口は固いか?」
「見てのとおりだ」
ホデムの答えに満足した俺は、リリアを呼んだ。
リリアは立ち上がり、俺の後ろに立った。
「この娘は、あそこでご馳走を貪り食っているエマという女賞金稼ぎの弟子でリリアという」
「さっき聞いた。武芸の基礎はできているようだな」
見るべき者が見れば、すぐ分かることだ。
「この娘とミルジャとでは、どっちが王子の嫁に相応しいと思う?」
「何だ、唐突に?」
「お前は、アドル王子が結婚を約しているエラビアの姫様のことは知っているのか?」
「お会いしたことはない。活発な方だとは聞いている」
「他には?」
「……体格は小柄で、姫様でありながら武芸もたしなんでいるようだ」
「このリリアはエラビアから一人で砂漠を渡って来てるんだ」
「エラビアから?」
ホデムは、もったいぶった俺の紹介で、リリアの正体を理解したようだった。
「まさか?」
「その、まさか……かもしれねえな。まあ、リリアの身の安全は俺も気をつけるが、俺にはイルダがいるから手が回らないことがあるかもしれない。そっちもアドル王子の次に気に掛けてやってくれ」
ホデムから、じろじろと見られて、リリアも「よろしく」と恥ずかしげに呟いた。




