第三十四話 砂漠を越えて来た王女様
「陛下。このアルス殿は、夜にも警護をしてくれているのですが、夜中にお腹が空くこともあるみたいなのです。申し訳ありませんが、二人分ほど料理を部屋まで運んでいただいてもよろしいでしょうか?」
国王一家との会食が終わると、イルダが申し訳なさそうに、国王に言った。
招待客のいる会食では当然のごとく料理が足りないという失礼なことがないように、十分余裕をもって作られているはずで、突然、言われた国王も困った顔を見せずに「どうぞどうぞ」とにこやかに言ってくれた。
もっとも、「二人分も食うのかよ?」という目で俺が見られたことは言うまでもない。
「アタイも行く!」
自分達の部屋に戻り、「眠れる砂漠の美女」があるという「死者の谷」に行くことになったとエマに話すと、当然のことながら、エマが行くとゴネだした。
「言い出しっぺのアタイがどうして行けないのさ!」
――エマの言うことももっともだ。
「リリアも行きたいだろ?」
「はい! 私も噂には聞いたことがあるけど見たことがないから行ってみたい!」
いつの間にか、すっかり仲良しになっているエマとリリアは、部屋まで持って来た夕食を食べながら、既に行く気満々だ。
「でも、お前、『眠れる砂漠の美女』を盗もうとしてるんじゃねえのか?」
「イルダさんに迷惑を掛ける訳にいかないからしないよ。見るだけでも良いんだ」
エマは自らの金銭欲を満たすだけの強欲な盗賊ではない。噂の秘宝を見てみるだけで良いという言葉は嘘じゃないだろう。
しかし、そうなると、エマとリリアをイルダの連れにしなくてはいけない。
「でも、今更、お二人をどうやって紹介したものでしょう?」
イルダも良い考えが浮かばないようだ。
「こうすればどうだ?」
みんなが俺に注目した。
「国王は警備を増やすと言ってくれたが、国王に余計な世話を掛けるのも心苦しいだろ?」
「はい。先ほどは、私もつい夢中になってしまって、わがままを言ってしまったのですが、考えてみると、警備の兵士の皆さんにご苦労をお掛けしてしまうなって、ちょっと後悔しているのです」
イルダならちゃんと自分の行動を省みることができると踏んだ俺の考えが当たった。
「そうだろ? だから、せめて自分達の身は自分達で守るという気持ちを表すため、新たに雇った用心棒だと二人を紹介するのさ」
これだと、新顔の二人が、突然、仲間になってもおかしくはない。
「そうすると、アタイとリリアもアルスと同じ賞金稼ぎってことになるのかい? アタイはまだしも、リリアは賞金稼ぎに見えるかねえ?」
「まあ、エマの見習いってことで何とかいけるんじゃねえか?」
「うはは、良いね、それ! リリア! これからは、アタイのことをお師匠様とお呼び!」
「はい! お師匠様!」
……お前ら、ノリが良すぎだ!
「じゃあ、明日、俺はイルダの指示を受けたとして街に出る。そこで俺が目を付けて雇ったということで二人を王宮に連れてくる。これでどうだ?」
俺の提案は、エマとリリアの二人を自然に連れにできると、みんなの賛同を得た。
「それはそうとさ」
夕食を食べ終わったエマが首を傾げながら俺の顔を見た。
「途中、危険な生き物もいる『死者の谷』に、どうしてこの国の王子が行くことになったんだい?」
そう言えば、エマとリリアには、ミルジャの懐妊のことを話してなかった。
「アドル殿の召使いがアドル殿のお子様を懐妊されたので、そのことをご先祖様に報告に行くそうなのです」
俺に代わって、イルダが答えてくれた。
「へえ~、召使いにねえ」
王族が召し使いや奴隷を孕ませることは一般的に珍しいことではないからか、エマも関心がないようだ。
しかし、隣に座っているリリアが呆然としていた。
その表情は悲しそうにも見えた。
憧れの王子様もただの男だったってことが分かって、失望したのだろうか?
「アドル殿は、ミルジャというその召使いを愛しておいでなのです。だからこそ、自分のお子様だと認めて、国王陛下のお許しも得たのです」
イルダもリリアの気持ちを察したのか、けっして遊びでリリアに手を出したのではないと力説をした。
「そ、そうなんだ」
しかし、リリアはイルダの言葉にも納得できていない様子だった。
「リリアは、そんなにアドルって王子のファンだったのかい?」
「そ、そう言う訳じゃないけど」
エマの遠慮の無い問いに、リリアも焦っていた。
――おかしい。
考えてみれば、リリアがいかに富豪のお嬢様だとしても、王子とは身分が違いすぎる。どう転んでも手が届かない存在のアドル王子が召使いに手を出したことは、そんなに悲観するようなことだろうか?
俺の視線に気づいたリリアは、目を泳がせながら、どうしようかと考えていたみたいだが、踏ん切りを付けたように、しっかりとイルダを見た。
「イルダさん! 私、イルダさんに折り入ってお話があるのですが?」
そして、イルダの返事を待たずに、リリアは俺とエマを交互に見た。
「アルスとエマさんも一緒に」
俺達一行の中で、これまであまり話をしていないリゼルとダンガのおっさん、そしてナーシャには話をしづらかったのだろう。
三人が部屋から出て行くと、あとには、イルダと俺、エマが残った。
いや、子供リーシェもいた。
イルダの部屋はリーシェの部屋でもあった。
子供リーシェには話を聞かれても問題はないと思ったのか、リリアもリーシェを外に出すことはなかった。
イルダとリーシェが並んで座った前に、テーブルを挟んでリリアが座った。
俺とエマは、その側に立った。
「すみません、イルダさん」
「いいえ、それでお話とは?」
「実は私、……エラビアから来てるんです」
「エラビアから……!」
イルダはすぐにリリアの正体が分かったようだ。もちろん俺も。
今、アドル王子に一番会いたいエラビアの女性と言えば、一人しか思い浮かばない。
「もしかして、エラビアの王女様なのですか?」
「はい」
俺も驚いたが、イルダもその大きな目を見開いて、ぱちくりしていた。
「王女様が一人で砂漠を越えて来たのかよ?」
「うん」
さっきのアドル王子の話だと、街の周辺だけ警戒していれば大丈夫らしいが、それでも王女様が供も連れずに一人で来るのは大胆すぎる。
「エラビアの王宮の方は大丈夫なのですか?」
イルダの心配はもっともだ。
王女様が一人で隣国に来ることを国王が許してくれるとは思えないし、かと言って黙って来ていたら、今頃、エラビアの王宮は大騒ぎになっているはずだ。
「今まで何度も王宮を抜け出しては、砂漠を越えて、あちこちの街に行ってるから。ちゃんと書き置きも残してきてるし」
このじゃじゃ馬な姫様の突飛な行動は、エラビアの王宮では慣れっこになっているのだろう。
そして、アドル王子とミルジャのことを聞いて、リリアが悲しげな顔をしたこともうなづけた。
イルダも知らなかったとはいえ、リリアの面前でミルジャの話をしたことが悔やまれているようだった。
「さっきはごめんなさい。まさか、エラビアの王女様がいるとは思ってもいなかったので」
「ううん。悪いのは黙っていた私だから」
そう言うと、また悲しさがぶり返してきたのか、リリアは少しうつむき加減になった。
「リリア。……って、今までどおりの呼び方で良いか?」
「うん」
「王女」と付けなくて良いかという俺の問いに、リリアが嬉しそうに顔を上げた。
「そう呼んでくれた方が自分の定めから逃げられそうだから」
リリアの言葉を聞いて、今度はイルダが悲しそうな顔をした。
「アドル王子との結婚、どうしてもしなくちゃいけないって訳じゃないんだろ? 断ることだってできるんだろ?」
「私がどうしても嫌だって自害でもほのめかしたらできるかもね」
「……」
「でも、お互いの国のことを考えたら、そんなことは許されるようなことじゃないよ」
リリアは、見た目は子供なのに、アドル王子よりもずっと大人だ。
「まあ、あれだ。俺は、リリアの方がミルジャという召使いよりずっと可愛いと思うぜ」
「アルス。今度は、リリアを口説きに掛かったのかい?」
「違う! 俺もそこまで見境がねえ訳じゃねえよ! しかし、アドル王子だって、今はまだ若いから、その持て余る欲望を召使いにぶちまけたのだろうが、リリアと結婚すれば、きっと、リリアに夢中になるに決まってるさ!」
「格好良いこと言ってるはずなのに、エロく思ってしまうのは、アルスがエロだから?」
「あのなあ」
エマの突っ込みが場の空気を和らげた。まあ、そう思って、エマも言ってくれたのだろうが。
「と、とにかく!」
イルダが俺とエマの話に割って入ってきた。
「リリアさん」
リリアがまっすぐにイルダを見つめた。
「アルス殿の案だと、明後日、エマさんと一緒に雇われ護衛役になるということですが、それだとアドル殿と話ができないかもしれませんよ。ちゃんと正体を明かして、アドル殿と話をされたら良いのではないでしょうか?」
「ううん。別に、話はしなくて良いんだ。て言うか、今の話を聞いちゃったら話なんてできないよ」
「リリアさん……」
イルダの悲しそうな顔とは対照的に、腹の中にため込んでいたことを、洗いざらい吐き出したからか、リリアは、すっきりとした表情をしていた。
「結婚のことを考えていたら、何か、いても立ってもいられなくなって、後先考えずに、ここまで来ちゃったけど、イルダさんやエマさんに出会えて良かったよ。あっ、もちろんアルスもね」
ウィンクをして俺を見たリリアは、無理に明るく振る舞おうとしているような気がした。
俺がその腰を折る訳にいかねえよな。
「俺はついでかよ?」
「あははは、ごめんごめん。でも、私もアルス達と一緒に旅ができたら良かったなあ。絶対、面白いよね」
俺もエマも儚い微笑みを浮かべることしかできなかった。
「ねえ、イルダさん」
「……何ですか?」
少し涙ぐんでいたイルダは、返事をするのに一呼吸置いた。
「イルダさんも自分の国に戻ったら、結婚の話とか出てくるの?」
「そ、それは……」
困ってしまい、目を伏せたイルダだったが、すぐに目を上げて、リリアに少し頭を下げた。
「今まで黙っていて、ごめんなさい。実は、私、もう国がないんです」
「えっ?」
イルダは、自分がアルタス帝国の元皇女だとカミングアウトした。
「へえ~、そうなんだ。だから、ここの王宮も歓待してるんだ。でも、帝国の皇女様だったなんて、やっぱりって感じだよ」
「今は旅の身の上で、リリアさんのような苦労はしないですみますけどね」
「でも、命の危険といつも隣り合わせなんでしょ?」
「ええ。でも、アルス殿やみんなに守っていただけるので怖くはありません。それより、エラビアの王女様だと分かったので、あらためて訊くのですが、明後日は本当に一緒に行くのですか?」
「行くよ! 私も守ってくれるよね、アルス?」
「ああ、当然だ!」
嬉しそうに笑うリリアの笑顔を見ると、俺は、ミルジャのことを、また誰かに告げ口したくなった。それで、アドル王子に目を覚ましてほしかった。
しかし、子供ができたという事実は覆すことはできない。
そして、それが本当に王子の子供なのかどうかを判断する術はない。
俺は一人、釈然とせずに悶々とするしかなかった。
「夜も更けてまいりました。とにかく、今日はもう休みましょう」
エマとリリアは、今夜はこの部屋で寝ることになっていたが、イルダがリリアを自分の寝室に誘っていた。
この後も、二人でじっくりと話をするつもりなのだろう。




