第三十三話 死者の谷
バルジェ王国を含むナハイル地方は、砂漠で街と街が遮断されていたからか、オアシスを中心に発展した街を領域とする小さな国がいくつもある。
ここバルジェ王国も首都バルジェンの街がそのまま国家の領域だ。だから、バルジェンに家がないということは、リリアは別の国から来ているということになる。
しかし、宿屋の泊まり方を知らなかったり、王宮に泊まりたいなどと口にするあたりは、よっぽど世間知らずのお嬢様のようだ。
「あのなあ、王宮は高級な宿屋じゃないんだ。泊まりたいって言ってすぐに泊まれるところじゃないんだよ」
「それくらい知ってるよ! でも……」
何だ? 急に乙女チックにナヨナヨしだして……。
「こ、この国のアドル王子に会ってみたいんだよ。って言うか、顔を見るだけで良いんだけど」
アドル王子のファンなのか?
確かに、パッと見た目、アドル王子は良い男だ。俺の次くらいに!
イケメンだと噂になっていて、女性達から憧れられていても不思議ではない。
「見るだけで良いんだ! ねっ! 連れて行ってくれないかな?」
俺はイルダと顔を見合わせた。
リリアはこの街の人間ではない。と言うことは、あの過酷な砂漠を越えてきたということだ。憧れの王子様を一目見たいだけで、そんな危険を冒して来るものだろうか?
そう考えると、リリアの願いはすごく切実なもののような気がしてきた。
イルダも同じことを考えたようだ。
「アルス殿。エマさんもいらっしゃるのですから、ちょっとだけ忍び込ませていただきましょうか?」
結局、俺達は、エマとリリアと一緒に、元来た道を通って、王宮に戻った。
イルダの部屋の控えの間で、みんなが揃うと、留守番をしていたナーシャとリゼル、ダンガのおっさんも無事に帰って来たイルダを見て、ほっとしていたが、また増えた連れに、少々、呆れ顔であった。
「リリアだ。この街の人間ではないということしか知らない」
「アルス!」
ダンガのおっさんが俺を部屋の隅に引っ張って行った。
「何だよ?」
「この街の人間ではないということは、バルジェ王国民ではないと言うことであろう?」
ダンガのおっさんがリリアに聞こえないように声を潜めて話した。
「当然、そうだな」
「すると、あやつは他国の間諜だという可能性もあるのじゃぞ。そんな人間をのこのこと王宮に入れて良いのか? 王宮の間取りは極秘事項じゃぞ」
「そんなことくらい俺だって分かってるよ。でも、あいつは違う。もし、あいつが間諜なら市場でわざわざ騒ぎなんて起こさないさ」
「それは、お主を信用させるための芝居かもしれないではないか」
疑えばキリがない。
しかし、俺は人を見る目を持ってると自負しているし、イルダのそれは俺よりもずっと優れているはずだ。そのイルダが信用しているのだ。これ以上の証拠はないだろう。
ダンガのおっさんもそのことを言われると反論ができずに口ごもるしかなかった。
「晩ご飯はまだかな?」
そんな空気を意識してか無意識なのか知らないが、力が抜けることを言ったエマは、お腹を抱えていた。
「エマ! 残念ながら、お前とリリアの飯は無いからな。リリアがアドル王子の顔を拝むことができれば、すぐに王宮から出て、宿屋に行くんだ」
「ええ~」
「アルス殿。リリアさんにアドル殿を会わせると言っても、タイミングもありますから、今日は無理じゃないかと思います。今夜は、お二人にもここに泊まっていただきましょう」
頬を膨らませて拗ねるエマを微笑みながら見ていたイルダが俺に言った。
「うひょー! やっぱり、イルダさんは話が分かるねえ! お姉様の次に好きだよ! それに引き替え、この男は……」
何で、そんな汚物を見るような目で見られなきゃいけないんだ!
「おいおい! 国王に何て説明するつもりだよ?」
「さすがに、従者が二人もいきなり増えましたとは言えませんから、部屋に残っていていただくことになると思います。食事はアルス殿の夜食だと言って、二人分を部屋に持って来ていただければ良いのではないでしょうか?」
夜食だと言って、二人分の飯を貪り食う俺が卑しい大食い男だなんて思われてしまうことは心配してくれないのか?
「二人だけ遅くの食事になってしまいますけど、それでよろしいですか?」
「全然、大丈夫さ! ねっ、リリア?」
「はい」
エマのやつ、リリアとは、さっき知り合ったばかりなのに馴れ馴れしすぎる。リリアもリリアで、いつの間にか、俺達の仲間に自然に入り込んでいる。
「不自然にならないように、アドル殿と会えるように段取ってみます。それまで、申し訳無いですけど、この部屋に隠れていてください」
「分かりました。イルダさん、ありがとうございます」
リリアは丁寧にお辞儀をした。礼儀作法も完璧なようだ。
今日の夕食は、昨日のような大々的な晩餐会ではなく、国王一家だけとの会食であった。
もっとも料理は昨日に負けず劣らないご馳走で、国王のイルダに対する気持ちがそのまま現れているようだった。
「本当ですか?」
長いテーブルの一番奥で国王と向かい合って座っていたイルダが大きな声を上げた。
みんながイルダに注目をすると、イルダは嬉しそうな微笑みを俺達に向けた。
「ミルジャさんが懐妊されたそうです!」
「おお! それは吉報! おめでとうございます!」
ダンガのおっさんが間髪を入れず、お祝いを述べた。
こう言うところは、さすが、昔は皇帝陛下の側にも仕えていた帝国の騎士だ。
「ありがとうございます」
アドル王子が少し照れながら御礼を述べた。
王子の子供を身籠もったからといって、召使いのミルジャを王妃にすることなどできないが、側室にすることは国王も認めてくれたのかもしれず、現実的な判断として、アドル王子もそれで妥協したのかもしれない。
しかし、そうするとますます、ミルジャの昨日の行動に腹が立ってくるし、そもそもお腹の子が確かにアドル王子の子なのかという素朴な疑問も生じてくる。
かと言って、幸せそうな顔のアドル王子に本当のことを話すのは気が引けてきた。
エラビアの姫様との婚姻は、あくまで両国の友好関係を強化し、究極的には軍事同盟を結ぶための政略的な判断で行われるもので、妃となるエラビアの姫様との間に子供ができるとは限らない。
愛おしいミルジャのお腹の子をアドル王子が自分の子だと信じているのであれば、それで良いじゃないかという気もしてきた。
あんなに嬉しそうなアドル王子の喜びに水を差すのは止めよう。
俺は、ミルジャのことを自分の心にしまい込むことにして、目の前のご馳走を堪能することにした。
イルダは、アドル王子とミルジャが、ある意味、身分を越えた恋を成就させたことが嬉しかったのか、アドル王子との話に花を咲かせていた。
「では、ミルジャさんのお仕事の方は?」
「大事を取って辞めさせました。私の部屋の近くにミルジャの部屋を構える予定です」
「そこで出産まで、のんびりされるのですね?」
「そうですね。でも、明後日は、ミルジャを連れて『死者の谷』に行くつもりです」
「『死者の谷』ですか?」
イルダも、おめでたい知らせにはそぐわない「死者の谷」という縁起でも無い名前に戸惑っていた。
「名前でびっくりされるかもしれませんが、『死者の谷』は我が先祖を祭っている王室廟のことです」
「そうなんですか。では、ミルジャさんがご懐妊されたことを、ご先祖様へ報告に行かれるのですね?」
「はい」
「それは、どこにあるのですか?」
「このバルジェンの街から出て、半刻ほど砂漠を進んだ先の岩場にあります」
「お二人で行かれるのですか?」
「私とミルジャだけであれば、二人だけで行っても問題はないでしょうが、お腹の子供のことを考えると、やはり護衛を付けたいと思います」
そう言えば、アドル王子はミルジャと二人きりで、この街から砂漠を越えて逃げようとしていた。この辺の人間にとっては、砂漠を旅することは、そんなに大変なことではないのだろうかと、俺がイルダとアドル王子の話に割って入った。
「俺達にとって、砂漠の旅は危険なんだが、あんたらにとっては、そうでもないのか?」
「確かに砂漠の旅は過酷ですが、慣れたらそうでもありません。それに盗賊などが出るのも街の周辺だけですから、その辺りに気をつけていれば、一人でも行き来することは可能です」
大陸の北の人間である俺達の感覚からすれば、街の城壁の外は、山賊や盗賊といった人族の無法者のみならず、魔族や魔獣が跋扈する危険な所だ。なぜなら、街の外に広がる森では、木の実や小動物といった食料調達に事欠かないから、身を隠しながらも飢えることもないという、襲撃者が潜むには絶好の場所で、そこを通る獲物を何日でも待つことができる。
しかし、砂漠だと、食料はおろか水を入手するにも困難だし、身を隠す場所も少ない。盗賊だって、すぐに街に戻れるように、その周辺でのみ活動するのはもっともだろう。
つまり、街から出る時と入る時だけ気をつけていれば、道中はほぼ安全だということだ。リリアのような女の子でも、慣れていたら一人でも砂漠を越えることはできるということのようだ。
「今回の参拝は、王室として正式な行事ですので、それなりに格好は付けないといけません。それに、『死者の谷』へのルートには、アンタリオンの出没箇所があるものですから、用心をしながら進む必要があるのです」
「アンタリオン? 何だ、それは?」
俺も初めて聞く名だった。
「人を食う巨大な虫です」
「そんなのがいるのか?」
「はい。なぜだか分からないのですが、この広い砂漠の中で、バルジェンの街から『死者の谷』に行く途中にだけ生息しているのです」
「人を食っていると言っていたが、アンタリオンが飢えないほど、その『死者の谷』には人が行っているのか?」
「『死者の谷』に行くのはバルジェの王族だけです。しかも、出産や結婚といった祝い事の時にだけ行くので、普段は誰も通らないはずなのですが、どうやら『死者の谷』に行こうとした盗掘者が餌食になっているようなのです。実際にどれだけの人数が犠牲になっているのか分かりませんが」
「盗掘者? 『死者の谷』には王室の財宝でも隠しているのか?」
「いえ、『死者の谷』は本当にただの墓所なのですが、そこに『眠れる砂漠の美女』という秘宝があるという噂があるのです」
いきなり、エマが言っていた秘宝の名前が出て来た。イルダも気がついたようだが、顔には出さなかった。
すべての病気や怪我を治し、永遠の若さも手に入れることができると噂の秘宝らしい。それができるのなら、神になるにも等しいことだ。それを欲しがる輩が次から次に現れてもおかしくはない。
「『眠れる砂漠の美女』ねえ。俺もその美女に会ってみたいもんだ」
「残念ながら、誰も会ったことがありません」
「それじゃ、その秘宝は本当にあるのか?」
エマから話を聞いて一番疑問に思っていたことだ。
「私も見たことはありませんが、我が王族には過去に見たことがある者もいて、ずっと伝承されてきていることです」
「在処は分かっているのか?」
「はい。我が王室廟の祭壇の奥にあるそうですが、入口と言われている場所が大きな岩で塞がれているのです」
過去には、その岩は無く、自由にその中に入ることができて、その『眠れる砂漠の美女』を実際に見た者もいたのだろう。そうでもないと、火の無い所に煙が立っていることになる。
俺は、テーブルの奥にいるイルダがアドル王子をわくわくした顔で見つめているのに気がついた。
そして、すぐに俺と目が合った。
「アルス殿!」
やっぱり来やがった。こうなるとイルダを止めることはできないだろう。
「まずは、アドル王子に頼んでみな」
俺の台詞を「承諾」だと理解したイルダは、またアドル王子を見つめた。
「アドル殿! その『死者の谷』に私達も連れて行っていただくことはできませんか?」
「べ、別に秘密の場所という訳でもないですから……」
アドル王子は、隣に座っている父親の国王の顔を見た。
「もちろん、かまいませんが、今、アドルが申しましたとおり、アンタリオンが出る砂漠を横切らなければなりません。危険ですぞ」
将来、どのように役立つかもしれないイルダを、国王も失いたくはないだろう。
「それは承知の上です。もし、私達が命の危険に晒されても、それは自業自得ということで、陛下にご迷惑はお掛けしません」
イルダはそう言って、俺達を順番に見た。
リゼルとダンガのおっさんがイルダの言葉を否定できないのはもちろんだが、ナーシャも留守番は嫌なのか、どうやら行く気になっているようだ。子供リーシェは、……黙々と飯を食ってるだけだ。
「分かりました。では、護衛を増やしますので、明後日、アドルと一緒に行かれますか?」
「はい、ぜひ!」
国王の問いに、嬉しそうにうなづいたイルダだった。




