第三十二話 宿無しのじゃじゃ馬娘
マンドラゴラの代金を払っていると、突然、俺達の後ろが騒がしくなった。
振り返ってみると、図体のでかい男三人組が、羊の丸焼きを切り分けて売っている屋台の主人に大きな声で文句を言っているようだった。
男達は店主の言い訳に納得できなかったようで、大声を上げながら店先にあった皿や料理をぶちまけた。
「どこの街にも乱暴者はいるもんだな」
「アルス殿」
その店に行きかけた俺をイルダが呼び止めた。
「分かってるって。ちょっと注意をしてくるだけだ」
国賓待遇で来ていて、しかもお忍びで出掛けているイルダを困らせないようにしないといけないが、さて、どうするか?
腕組みをしながらうつむき加減にその店に向かっていると、更に声が大きくなった。
顔を上げて見ると、三人の大男は地面に横たわり、のたうち回っていた。
店の前には小さな子供が両手を腰に当てて、その男どもを睨んでいた。
「弱い者虐めなんてするんじゃないよ!」
あの子が大男三人を打ちのめしたのか?
倒れている大男の前で仁王立ちしている子供は、褐色の肌に肩まで伸ばした黒い髪、黒い瞳の子で、白いシャツの上に派手なベスト、裾を絞ったズボンという男の子のような格好をしていた。
しかし、今、その子が男どもに言い放った声は、女の子のように甲高かった。
男三人は、痛そうに腹を抱えながら立ち上がった。
市場にいる人々の面前で、こんな小さな子供にやられたなんて恥ずかしすぎると思ったのだろう。男どもの目は本気だった。
「何だ、てめえは?」
「子供のくせに!」
男どもは一斉に剣を抜いた。
おいおい! おめえらこそ「大人のくせに」情けないだろ?
それを見て、子供も腰のベルトに差し込んでいたナイフを抜いて構えた。
子供の構えからは、ナイフの修行をきちんとしていることがうかがえた。
一対一なら、子供の方が楽勝で勝つだろうが、多勢に無勢だ。大人三人を相手では勝ち目はない。
そう分析をした俺は男どもの後ろに立った。
「おい! 大の大人がみっともねえぞ! こんな小さな子供に三人掛かりとはな!」
「何い~?」
男三人が振り向いて、俺を見た。
剣を背負った姿から専業剣士だと分かった男達は、途端に、その態度が軟化した。
「い、嫌だなあ、旦那。こいつに大人の作法を教えようとしていただけでさあ」
「剣を抜いてか?」
「これは愛の鞭ってやつですよ」
俺が無言で一歩足を踏み出すと、男達は一歩足を引いて、身震いしながら、剣を俺に向けて構えた。
俺は素早く背中をカレドヴルフを抜き、大きく真横になぎ払った。
カレドヴルフを背中の鞘に収めると同時に、男三人の剣がすべて、ぽっきりと真ん中で折れた。カレドヴルフであれば簡単なことだ。
男どもは、役に立たなくなった自分の剣をしばらく呆然と見つめていたが、すぐに恐ろしくなったのか、そのまま人混みの中に紛れるようにして逃げて行った。
「アルス殿」
イルダがリーシェの手を引いて駆け寄って来た。
――また、イルダの前で良いところを見せてしまったぜ。
イルダだけじゃなくて、買い物客の女性達も俺に見とれているようだ。
「あんた!」
――旅の身の俺に惚れるなよ。
「ちょっと! あんた! 聞こえないの?」
――俺に触ると火傷しちまうぜ。
「何、人の邪魔をしてくれているわけ? あんた、馬鹿なの? 死ぬの?」
――――あれっ? 何で俺が罵られなきゃいけないんだ?
振り向くと、さっきの子供が、腰に両手を当てながら、目を吊り上げていた。
「せっかく助けてやったのに、何で俺が怒られなきゃならないんだよ?」
俺が文句を言うと、子供はツカツカと俺に歩み寄って、俺の胸くらいの高さにある顔を上げて、俺を睨んだ。
「誰が助けてくれと頼んだ?」
――いや、あの三人組に勝てたと思ってんのか?
しかし、俺が言い返しても、更に反論が来そうだし、子供相手に熱くなってもしょうがねえ。
「そうかい。そりゃあ余計なことをして悪かったな」
「わ、分かれば良いのよ」
少し頬を染めて視線をそらせる仕草がけっこう可愛いじゃねえかよ。
って、こいつ……、やっぱり、女の子だ!
「ねえ」
その少女が、カラリと表情を変えて、にこやかな顔で俺に話し掛けたきた。
「あんた達、北の人達だよね?」
大陸の北から来た者だということだ。
「ああ、そうだが」
「名前は? あっ、私はリリアっていうの」
「俺はアルスだ。こっちはイルダ、そしてリーシェだ」
俺が隣に立っていたイルダと子供リーシェを紹介した。
「リリアちゃん、こんにちは」
イルダがリリアに笑顔で挨拶をしたが、リリアは少し頬を膨らませた。
「ちゃん付けはやめてくれる! こう見えて、もう結婚だってできるんだから!」
「ご、ごめんなさい! もっと年下かと思って……」
俺もそう思っていた。
背の高さはイルダと子供リーシェのちょうど中間というところで、結婚ができる成人女性としては、かなり小柄だ。
大陸内で女性が結婚できる年齢は、アルタス帝国の法典で決められており、この地方の小国もそれにならっているはずだ。と言うことは、この女の子はイルダとほとんど同い年ということになる。
「ああ、良いって! こっちこそ、ごめんね。私も思ったことがすぐに口に出ちゃって」
「いえ、私こそ」
イルダの魅力的な笑顔は、相手が女性であろうと即効的な威力を持つ。
リリアもイルダの笑顔に一瞬見とれて、笑顔になった。
そして、リリアは俺に視線を戻した。
「でも、アルスは強いんだね。三本の剣を一振りで折ってしまうなんて初めて見たよ」
「お前は無茶しすぎだ。いったい、あの男達は何をしたんだ?」
「あのケバブ屋の主人に『肉が臭い』とか『火が通ってない』とか難癖付けて代金を踏み倒そうとしてたんだよ。『ちゃんと支払いなさい!』って言ったら、いきなり襲い掛かって来たから返り討ちにしてやったのさ」
「武芸の基礎はできているみたいだが、一人で三人の男を同時に相手にするには、まだまだだ」
「あんたに言われると納得しちゃうよ」
ニコッと見せた笑顔は、なかなか可愛かった。
「それより、お前は、この辺に住んでいるのか?」
「えっ、何? 送り狼になるの?」
「違う! あいつらが仲間を引き連れて仕返しに来ないとは限らないから、一応、家まで送って行こうかと思ったんだよ」
「えっと、……この辺に暮らしている訳じゃないんだ」
急に歯切れが悪くなった。この街の人間じゃないのか?
「それより、あんた達は旅をしている人達だろ?」
「ああ」
「じゃあ、どこに泊まっているの?」
王宮だなんて言える訳ねえ!
「それを訊いてどうするんだよ?」
「えっと、あの、できれば、私もそこに泊めてほしいなって思って」
「はあ? ……お前、お金を持っていないのか?」
リリアは首を横に振った。
「ううん。お金はあるんだ。でも、……泊まり方が分からないんだ」
俺とイルダは思わず顔を見合わせた。
「……昔の私みたいです」
確かに、良いところのお嬢様だと宿屋に泊まったことなどないだろうから、泊まり方は知らないだろう。だとすれば、そんなお嬢様がなぜ一人でいるのかという疑問が出てくる。
「あ~、いたいた! もう探したよ~」
脳天気な声と表情のエマが手を振りながら近づいて来た。
「それはこっちの台詞だ! そっちこそ今までどこにいたんだ?」
「いや~、お姉様からマンドラゴラって言う薬草を手に入れてくれって頼まれていてさ。この市場にひょっとしてあるのかなあって探してたんだよ」
リーシェの奴、エマにも頼んでいたのか。
「アルスは見なかった? お姉様が言うには、ネギよりは雑草に近くて、長さはこれくらいで……。あれえええ!」
エマは子供リーシェが抱えているマンドラゴラを見て驚いた。
「ひょっとして、それ? 何で、もう手に入れてるの?」
俺はエマの後頭部にチョップを食らわした。
「いで!」
「そんなことは、今、どうでも良いから」
俺は、目でイルダを示しながら、エマに言った。エマの言うところの「お姉様」がリーシェのことだとばれるだろうが!
「それより、お前はどこに泊まってるんだ?」
「言っただろ、今朝、着いたばかりだって! アタイも王宮に泊まっちゃ駄目?」
――台無しだ。
リリアが目を丸くしていた。
「王宮って、あんた達、王宮に泊まっているの? どこかの王族なの?」
「あ、あの、王宮の方から来たんです」
――イルダは本当に嘘が下手だな。
リリアもジト目だし。
「実は、具体的に家名を明かすことはできないが、イルダは某領主の姫様で、俺はその用心棒なんだ。まあ、旅行がてらここまで来て、王宮に滞在させてもらっているのさ」
「そうなんだ。イルダさんって気品に溢れているもんね」
「そ、そんなことはないです」
謙遜したって無駄だ。イルダから高貴な雰囲気が溢れているのは隠しようがない事実だ。
「ここにいるエマは、俺達の知り合いだが、訳あって王宮に入れないから、どこか宿屋で泊まるはずだ。今夜は彼女に連れて行ってもらいな」
「ちょっとちょっと! アタイも王宮に泊まらせておくれよ~。朝ご飯も美味しかったからさあ」
「国王に何て説明するんだよ?」
「遅れてやって来たイルダさんの従者ですって言えば、信じてくれるよぉ~」
「そんな訳ねえだろ! そもそも、昨日、遅れて別に来ている従者がいるなんて一言も言ってないからな! 今頃、そんなこと言い出すと怪しいだろ?」
「ちえ~、アタイも一度で良いから王宮で眠りたかったよ」
「お前、義賊だろ? 義賊がそんなこと言っていいのかよ?」
「アタイは王族や富豪だからって、無差別に標的にしている訳じゃないからね。領民から搾り取っている悪い奴らからお金を取り戻すだけだから」
ここバルジェ王国の王室は、このバルジェンの街の様子を見る限り、国民に過度の負担を課しているようには見えない。
「どっちにしろ、今からイルダの従者と名乗ることはできねえよ。だから、彼女と一緒に宿屋に泊まれ」
「ちえ~。って、彼女は誰?」
そう言えば、リリアが自己紹介したときには、エマはいなかった。
「どこかのお嬢様で、リリアと言う子だ。宿屋の泊まり方も知らないのに、一人でこの街まで来たんだとよ。とりあえず、同じ宿屋に放り込んでくれるだけで良いから」
俺の紹介の仕方が気に入らなかったのか、リリアが頬を膨らまして俺を睨んだが、すぐに怒った表情を引っ込めて、上目遣いで俺を見つめた。
「アルス」
「何だ?」
「私も王宮に泊まっちゃ駄目かな?」




