第三十一話 お忍びで市場に
「エマさん! いつの間に?」
イルダの疑問は、みんなの疑問だった。
「みんなの跡をついて来たつもりだったけど、砂漠で迷ってしまって、今朝、やっと、この街に着いたんだよ。だから腹減って腹減って」
「こんな砂漠の国までついて来なくても良いじゃねえか」
「アタイもこの地方には来たことがなかったから、いろいろと見てみたかったんだよ。それに、久しぶりにみんなと会いたかったからさ」
砂漠に足を踏み入れる前、つい三日前にも会った気がするが……。
盗賊のエマは、俺達とは一緒に旅をしていないが、数日おきには顔を見せていた。
もっとも、エマのお目当ては大人リーシェで、俺達が寝静まっている時、つまり、イルダが眠っていて、リーシェの封印が解けている時に、再々、会っているようだ。
「それにさ、この地方には有名な秘宝があるんだよ」
パンを食い終えたエマは、今度は、ナーシャの皿からチキンをくすねようとしたが、そうはさせじと、ナーシャが皿を持ち、エマに背中を向けていた。
「有名な秘宝って何だ?」
「『眠れる砂漠の美女』って言うんだ」
「何だ、そりゃ? 本当に美女が宝物なのか?」
「お姉様みたいな美女なら欲しいねえ~! えへえへ」
「……違うのか?」
「実は、どんな宝物か知らないんだ」
俺は盛大にずっこけた。
「どんな物か知らないのに盗みに来たのかよ?」
「だから、秘宝探しは、みんなについて来たついでだよ。行けたら行こうかなって程度」
「その『眠れる砂漠の美女』てのは、どこにあるのか知っているのか?」
「このバルジェンの街の郊外にあるらしいんだけど、よく分からないんだ」
「分からないことだらけじゃねえか! そんな秘宝がどうして有名なんだ?」
「その『眠れる砂漠の美女』には、どんな怪我も病気も治すという不思議な力があるって評判なんだよ」
フェアリー・ブレードが自ら魔力を持つ魔剣であったように、この世の中には、それ自体が魔力を持つ物がまれにあり、キラキラしている物は魔宝具と、そうでない物は魔道具と呼ばれている。
エマが言う『眠れる砂漠の美女』なる物は『美女』と言うくらいだから魔宝具なのだろう。
「医者が職を失うことになるが、それ以外の者にとってはありがたいもんだな」
「だろ? それにさ、その『何でも治す』の範疇なのかもしれないけど、永遠の若さを手に入れることができるって噂もあるんだよ」
それは「老化」を「治す」と言うことなんだろうか?
俺は、ふと、リーシェのことを思い出した。
リーシェは既に千年生きているのに、見た目もそうだが、時折抱きついてくる体の感触も若いままだ。マグナルで枢機卿になりすましていた魔族のモレイクは大人リーシェの姿を見て、すぐに魔王様だと分かった。つまり、リーシェは魔王として君臨していた頃とまったく変わってないということだ。
魔族の寿命は、その魔力の強さに比例すると言われている。つまり、リーシェの魔力がそれだけ桁違いに大きいということなのだろう。
「永遠の若さが手に入るなんて素敵ですね」
イルダも目を輝かせていた。
女性にとっては喉から手が出るほど欲しいものなのだろうか?
「エマがそんな乙女チックなことを言うとは思わなかったぜ」
「失礼だな、アルス! アタイだっていつまでもピチピチでいたいんだよ! それに永遠に若いってことは、この大陸から貧困がなくなるまで、ずっと義賊を続けられるってことだろ?」
「私もそうです! フェアリー・ブレードを探す時間がそれだけ増えるわけですから!」
なるほど。そう言う考え方もあるのか。
目指していることが大きければ大きいほど、確かに時間は足りないだろう。その日暮らしの賞金稼ぎだった俺は、そんなことを考えたこともなかった。
「アルス殿! ここの王族の方なら、その『眠れる砂漠の美女』のことを知っているのでしょうか?」
イルダが珍しくノリノリだ。
「エマが言うように有名な秘宝だというのであれば知っているんじゃないか?」
「アルス殿! そこにも行ってみませんか? 永遠の若さも魔法に関係するのであれば、フェアリー・ブレードとも何か関係があるのかもしれません!」
もっともらしい理屈を付けているが、イルダも単に好奇心に負けているだけだろう。
にやついている俺の顔から、そんな気持ちを見透かされていると分かったのか、イルダは、また顔を赤くしてうつむいてしまった。
そんな表情を見ると、何とかしてあげようと言うのが男の性と言うものだ。
「俺もちょっと調べてみるよ」
「は、はい!」
満面の笑みで顔を上げたイルダだったが、すぐに首を傾げた。
「それで、今日のお出掛けはどうします?」
そうだった。エマの登場ですっかりと忘れていた。
「せっかく行く気になっていたんだから行こうぜ」
当然のごとく、また、みんなが行くと言い出した。
「大勢でぞろぞろと街を練り歩くと目立ってしまうし、住民の迷惑にもなるからな」
「そうですね。アルス殿がおっしゃるとおりです。それにリゼルとダンガまでいなくなったら、すぐに国王陛下にばれてしまいます」
「そうそう。ナーシャだって暑いの苦手って言ってただろ?」
あらかじめ打ち合わせをしていた訳ではなかったが、俺とイルダが良い感じで共同戦線を張った。
子供リーシェがイルダの服をつまんで、つんつんと引っ張るのが見えた。
「うんっ? リーシェは一緒に行きますか?」
イルダが子供リーシェに尋ねると、子供リーシェは大きくうなづいた。
さすが抜け目が無いぜ。可愛い弟と一時も離れたくないと思っているイルダなら、自分を連れて行ってくれると踏んだのだろう。
本当はイルダと二人きりで行きたいところだが、マンドラゴラを買い付けなきゃいけないことを考えると、リーシェをはずすことはできない。
「アタイは一緒に行くよ!」
ナーシャとのチキン争奪戦に敗れたエマが、子供リーシェの皿から取ったチキンを平らげながら言った。
「何で?」
「リゼルさんが一緒に行けないのなら、いつも側にいられる女性の護衛役がいた方が良いだろ? それにアタイなら王宮から外への抜け道も知ってるよ」
と言うことで、俺とイルダ、子供リーシェは、エマの案内で王宮からこっそりと抜け出した。
エマが、今朝、調べたばかりという「何でこんな所に通路があるんだよ?」というような目立たない通路を通って行くと、途中、誰にも会わずに、王宮の裏に広がる岩場に出た。
おそらく、いざという時に王族が逃げるための隠し通路なのだろう。
王宮を大きく回り込みながら、俺達四人は、バルジェンの街で一番賑やかな市場までやって来た。
木の骨組みに幌をかぶせただけの質素な屋台が通りの両側に所狭しと並んでおり、通りの上にも強烈な日差しを遮るため、大きな白い布が端から端まで張り渡されていた。
市場には大勢の買い物客が往来していた。
イルダが足を止めた店先には見たことがない野菜や果物が山積みになって売られていた。
「これはどうやって食べるのでしょう?」
旅をしだしてから料理も始めたイルダが、棘が全体に突き出ている巨大な茄子のような野菜を指差して、俺に尋ねた。
「さあ? しかし、丸かじりはしたくねえな」
「ふふふふ」
イルダの忠実な従者ではあるが、超真面目なリゼルと、少し口うるさいダンガのおっさんがいないからか、何だかイルダもはしゃいでいるように思えた。
「すみません! これは何と言う野菜なんですか?」
イルダがその野菜を指差して店の主人に尋ねた。
「これは、パーテルと言うんだ。この棘ごと皮を剥いて焼くと美味いぜ」
肌の色から、この国の民ではないと分かる俺達に、店の主人も親切に教えてくれた。
「ひょっとして、昨日の晩餐会でお肉に添えられていた、茄子のような味がした野菜でしょうか?」
「ああ、あれか。確かにあれは美味かったな」
などと、俺とイルダが盛り上がっていると、俺の服を誰かが引っ張った。
見ると、子供リーシェが俺の服を引っ張ったまま、隣の店を見つめていた。
リーシェの視線の先を見てみると、目の前の野菜の店とは違って、何やら怪しげな草やどう見ても不味そうな色をした木の実がまばらに陳列されている店であった。
子供リーシェは、どうやらあの店に俺を連れて行きたいようだ。
「イルダ! こっちの店を見てみようぜ」
イルダの側を離れる訳にいかないから、イルダを誘って隣の店の前に移動した。
そう言えば、さっきからエマの姿が見えない。迷子にでもなったのか? 盗賊なのに?
しかし、エマのことだ。心配いらねえだろう。
リーシェに連れられて来た店は、客も集まっておらず、市場の中で唯一、閑散とした雰囲気を醸し出していた。
ふいに、リーシェが店先に置かれていた草を指差した。
「リーシェ、それが欲しいのですか?」
自分の要求を口で表すことがほとんどない子供リーシェが指差したその草を、俺とイルダが見つめた。
十本ほどを紐で一つに束ねた草は、人の顔ほどの長さの緑色の草で、どこからどうみても雑草にしか見えなかった。
「この草は食えるのか?」
「ああ、これは食用じゃなくて薬用だよ」
店の主人が面倒臭そうに答えた。
「薬用? この店が売ってるのは、……薬か?」
「そうだよ」
「この草は何て名前なんだ?」
俺はリーシェが指差した草の名を尋ねた。
「マンドラゴラさ」
俺は、イルダに手を繋がれてその草を見つめていた子供リーシェを見た。
リーシェが市場で見たというのは本当だったんだ。
「この薬草はどんな効能があるのですか?」
イルダが店の主人に尋ねた。無愛想な主人だがイルダを見る目は嬉しそうで、男ってのは、みんな正直者だと、自分を省みて、そう思わざるを得なかった。
「これを煎じて飲むとよく眠れるんだ」
リーシェが言っていたマンドラゴラに間違いないようだ。
「いくらだ?」
俺は店の主人に値段を訊いた。
「何束買うんだい?」
――どれだけ買えば良いんだ?
俺は、とりあえず一束、手に取り、子供リーシェの顔を見た。
リーシェの表情はまったく変わらなかった。
俺はもう一束を手に取り、子供リーシェの顔を見ると、リーシェは少しだけ首を縦に振った。
――はいはい、仰せの通りに!
「じゃあ、この二束だ」
「まりどあり! 四ギルダーだよ」
た、高い!
この街の人にとって、こんな雑草もどきが四日連続で豪遊ができるほどの価値があるのだろうか?
「けっこう高いな」
「砂漠に生えてて、これだけ採るのでも、かなりの手間なんだぜ。それに効き目も抜群だから、夜に眠れない者には無くてはならないものだからな」
「アルス殿は夜眠れないのですか?」
イルダが心配そうな顔をして俺の顔を見ていた。
「今は快眠快食なんだが、いざと言う時のためにさ」
「アルス殿がそんな将来の心配をされるなんて!」
イルダが目を見開いて俺を見ていた。
「どんだけその日暮らしのイメージなんだよ?」
「ふふふふ、すみません」
くそっ! チロっと舌を出して笑うイルダが可愛すぎる!
それにしても、イルダも俺に対して冗談が言えるようになったことが素直に嬉しいぜ。




