第三十話 変わらぬ約束
とりあえずトイレを済ませて、子供リーシェと宴会場に戻ると、ちょうどデザートが配られていた。
何気なくアドル王子を見ると、まだ、イルダとにこやかに話をしていた。
今日の昼間、アドル王子はミルジャと決死の逃避行をしていた。ミルジャの表情は本気だと思った。しかし、先ほど、たまたま出くわした抱擁現場にいたのは、間違いなくミルジャだった。
相手の男の顔までは見えなかったが、今この会場にいる連中が着ているような豪華な装飾がされている服を着ていた。
少なくとも晩餐会に参加できるほどの重臣の一人のはずだ。
会場は人の出入りが激しく、今までミルジャと抱き合っていた奴の特定など不可能だろう。
それにしても、女が考えていることなんて何でも分かってると思ってたけど、ミルジャの本性を見抜けなかった自分が情けない。
しかし、可哀想なのはアドル王子だ。王子の位を捨てる覚悟までして添い遂げたいと考えている女がとんでもない食わせ者だとはな。
どうする?
二股の一方が王子だなんて、とてつもない悪意と計画性を感じる。単に恋多き女が王子も好きになったと言うことがあるはずがない。
ミルジャを問い質してみるか?
いや、俺がしゃしゃり出るより、アドル王子に本当のことを話して、王子自ら問い詰めた方が良いような気もする。
――そうだな! そうしよう!
俺は、とりあえず、さっき見たことを、明日、アドル王子に伝えるまで、胸の奥に一時保管をすることにした。
宴が終わり、それぞれが部屋に戻った。
俺があてがわれた部屋は、国賓級の扱いがされているイルダが泊まっている部屋とは比ぶべくもないだろうが、今まで泊まってきた宿屋のベッドよりははるかにふかふかで良い夢を見られそうだった。
ベッドに横になっていると、久しぶりの感触を背中に感じた。
「リーシェ」
俺は振り向くことなく、背中に張り付いている大人リーシェを呼んだ。
「何じゃ?」
「お前も見ただろ?」
「ああ、あの浮気の現場じゃろう?」
「そうだ。明日、アドル王子に俺の見たままを話そうかと思っているんだが?」
「好きにせい。わらわに相談すべきことでもあるまい?」
リーシェは本当に興味が無さそうだった。
「しかし、修羅場になるのかのう? なれば面白そうじゃのう」
「お前なあ」
振り返ると、リーシェの顔は、修羅場を期待しているような、わくわくした顔をしていた。
「人が不幸になることを期待しているのかよ?」
「そりゃそうじゃ。わらわは魔族じゃぞ」
――そうだった。
人族の不幸は魔族の幸せと言うからな。
しかし、絶世の美人にしか見えないリーシェは、ときどき魔族と言うことを忘れてしまう。
「ところでアルスよ」
「何だよ?」
「はるばるここまで来た本来の目的を忘れてはおるまいな?」
「何とか言う薬草を探しに来たんだったな。砂漠に生えているんだろ?」
「そうじゃ。じゃが、今日、王宮に来るまでに市場の近くを通ったじゃろう? そこの店で売っておったのが見えたのじゃ」
「マジか? また、あの砂漠に薬草を探しに行かなきゃいけないのかと思って、少しげんなりしてたんだ。市場で手に入るのなら楽勝じぇねえか!」
「そうじゃのう! これも、わらわの日頃の行いが良いからじゃろうの!」
「……」
「これも、わらわの日頃の行いが良いからじゃろうの!」
「……そのうちにでも買い出しに行くか?」
「もっと誉めてくれても良いのじゃぞ」
「お前に誉められた行動があったのか?」
「いつも良い子にしておるじゃろう?」
「ま、まあ、それは認めてやるよ」
「ふふ~ん」
確かに、子供リーシェは無愛想ではあるが、愚痴も文句を言わずにちゃんと言いつけを守る、イルダの可愛い弟だ。
って、何でそんなドヤ顔になってんだよ!
「アルス。明日、一緒に市場に買いに行こうぞ」
「お前も一緒に行くのか?」
「そなた、マンドラゴラがどんなものか知っておるのか?」
「……さあ」
「ほれっ、わらわが一緒に行かないと駄目じゃろう?」
「いや、待て! 俺と子供の時のお前とで買い物があると言って、二人で出掛けるのはおかしいだろ? それでなくても、俺に変な下心があるんじゃないかと疑われてしまうじゃねえかよ!」
「もう十分、変態と思われておるのじゃから、今更よかろう?」
「よくねえよ!」
「無駄なあがきをしおって」
「うるさいよ!」
「仕方が無いのう。では、イルダを誘うかの?」
「国賓級の扱いで来ているイルダが市場に買い物に行く方がおかしいだろ?」
「ならば、ここの国王に献上させるか?」
「そんなピンポイントでマンドラゴラを献上させてたら、バルジェ王国の人間だけじゃなくて、イルダだって怪しむに決まってるだろ?」
「人族は面倒じゃのう」
「って言うか、お前が適当すぎるんだよ!」
「あの市場は、さすがに夜はやってないじゃろうな?」
「市民が寝静まっている夜に店を開いて、誰が買いに来るんだよ?」
「やれやれじゃ。アルス! そなたが責任を持って何とかせよ!」
「何で俺が責任を負わされるんだよ?」
「そなたしかおらぬではないか!」
――理不尽すぎる!
翌朝。
イルダが泊まっている国賓級の部屋に付属している食堂に俺達一行が集まった。
パンとチーズ、サラダ、ミルクという朝食に慣れている俺達にとって、朝からチキンのスパイス焼きや香辛料たっぷりのスープは腹がびっくりしそうだったが、意外と美味しく食べることができた。
「イルダ。これからどうするつもりだ? あれだけの歓待を受けたんだ。もう、ここにずっと留まるつもりか?」
リゼルやダンガのおっさんは、イルダに旅を続けさせていることを申し訳無いと、いつも言っていた。ここバルジェ王室に腰を落ち着かせてもらって、今の帝国に反旗を翻す勢力の旗頭になってもらいたいと願っていることは話をしなくても分かる。
それに昨夜のリーシェの注文のこともあって、これからイルダがどうしようとしているのかを知りたかった。
「もし、私がそうしたいと言ったら、アルス殿はどうされるのですか? 私を守っていただけるという約束は終わってしまうのでしょうか?」
イルダが上目遣いで俺に訊いた。
くそ! 破壊力強すぎだ!
しかし、イルダが旅をしないのなら、俺がイルダの側にいる理由は無い。
「こんな城壁に囲まれた街に住むのであれば護衛などいらねえだろ?」
「……そうですね」
イルダは、目を伏せて少し悲しげな顔をしたが、すぐに微笑んだ顔を上げて俺を見た。
「私が旅をしている目的は、フェアリー・ブレードを探すことです。だから、旅は続けます」
フェアリー・ブレードの在処は何となく特定されている。後はその取り出し方だ。
先の大戦で、宮殿にいた者らも逃亡して、大陸のあちこちで身を潜めているはずだ。その者の中に、フェアリー・ブレードの取り出し方を知っている者がいるかもしれない。だから、これからもその情報を探し求める旅はしなくてはいけない。
「しかし、イルダ自身が旅を続ける必要はないだろ? イルダ自身はここに留まって、他の者に探させることもできるはずだ。バルジェ王国も協力してくれるのなら、大々的に情報収集もできるはずだ」
「でも、もし私の体にフェアリー・ブレードが隠されているとして、それを取り出す情報を得た時に、私が近くにいた方が良いに決まってます。見つけた方法でフェアリー・ブレードを取り出すことが本当にできるかどうかが、すぐに分かるのですから」
確かにそうだ。
フェアリー・ブレードの取り出し方に関する情報を入手しても、その情報が正しいのか否かは、いちいちイルダの所まで帰ってから確かめなくてはならないとすれば、すごい手間だ。
「実は、昨夜、儂とリゼルとで、イルダ様にはここに腰を落ち着かせていただきたいとお願いをしたのだが、ついぞ、イルダ様は首を縦に振られなかったのだ」
ダンガのおっさんが残念そうな顔をして言った。
「それじゃあ」
俺はイルダの顔を見た。自分の顔がにやけていた。
「はい! これからもよろしくお願いします!」
「そ、そうか」
「でも、せっかく歓待してくれたのに、すぐにさよならと言う訳にはいきませんから、もう少し、ここに滞在したいと思います」
「それもそうだな」
俺は、ミルジャのことをイルダに話そうかどうか迷った。
ミルジャが他の男と抱き合っていたことは紛れ無き事実であった。色恋事には収まらない、何らかの陰謀がこの王宮の中で渦巻いていることは確かだ。
しかし、イルダに示す証拠がない。ミルジャが王子以外の男と抱き合っている現場は、俺の他には子供リーシェが見ているが、子供リーシェが証言できるはずがない。
イルダは、晩餐会でアドル王子と親しく話をしていた。俺達の中では、アドル王子の気持ちを一番に分かってやれるのかもしれない。そう考えると、今、この席で全員に話をするよりは、イルダにだけ話したかった。
「アルス殿、何か心配ごとでも?」
「あっ、いや、何でもねえ」
考え事をしていた俺が思い詰めた顔をしていたのが分かったのか、イルダが心配してくれた。
「あ、あの、何か心配事があるのであれば、私にも隠さず話してくださいね」
「お、おう。これまでだって、そうしてきているさ」
俺のような者にでも心から気遣ってくれる、この優しい姫様のためなら命はいらねえって奴は俺だけじゃないだろう。
とりあえず、イルダはこの国にしばらく滞在するつもりなのは分かった。
そうすると、市場に買い出しに行くことができる時間はあるだろうが、問題は、リーシェを連れて、どうやって外に出るかだ。
「イルダ。ここにしばらく滞在するにしても、これから、ずっとこの王宮に閉じ籠もっているつもりか?」
俺は、暗に「外に出てみないか」と水を向けた。
「今まで身分を隠して旅をしてきていたので、実は、私もちょっと不自由な感じがしてたんです」
確かに、イルダは、ときどき、この旅を楽しんでいるような表情を見せる時があった。皇女様として宮殿にいたとしても、きっと退屈をしてたんじゃないだろうか?
「じゃあ、お忍びで街に出てみるか?」
俺の誘いにイルダはすぐに食いついてきた。
「そうですね! せっかく来たのですから、このバルジェンの街をもっと見てみたいです」
イルダだって、今まで来たことのない砂漠の街の飾らない普段の表情を見てみたいはずだ。
「じゃあ、俺と一緒に行ってみるか?」
「はい! アルス殿が一緒だと安心ですし!」
そう言った後、イルダは嬉しそうな顔を赤くしてうつむいた。
「私はイルダ様の身の安全を亡き陛下から託されています! 私もついて行きます!」
俺が顔を赤くして照れているイルダに見惚れる暇もなく、リゼルが申し出た。
「儂も行きます! アルスと二人きりだと心配でなりませぬ!」
人を盛りが付いた犬みたいに言うな!
「みんな行くのならボクも行く!」
単に留守番が退屈なだけだろ?
「アタイも行くよ」
何で女盗賊までついて来るって言ってんだよ?
――えっ?
いつの間にかテーブルの端っこにエマが座って、隣のナーシャの皿からパンをくすねてもぐもぐと食べていた。




