第二十七話 懐かしい匂い
「アルス。顔を見せてたもれ」
俺が寝返りをうつと、大人リーシェの美しい顔が微笑んでいた。
「嬉しかったぞ」
リーシェは顔を近づけて来て、やさしく俺にキスをした。
そして、すぐに顔を戻すと、至近距離でお互いを見つめ合った。
俺は我慢ができずに、もう一度、リーシェに顔を近づけようとしたが、リーシェの手で顔を掴まれて止められた。
「顔がいやらしいのじゃ」
「うるせい!」
俺はリーシェの手をどけながら言った。
「お前だって、その気になってるんだろ?」
「残念ながら、それをするために、そなたのベッドに潜り込んで来たのではないわ」
「はあ? じゃあ何だ?」
「わらわの封印のことじゃ」
「えっ?」
「前々から何となく考えていたが、今回のことで確信した。わらわの封印もイルダが関係しておるということじゃ」
「どういうことだ?」
「最初にモレイクと対決した時、気を失っていたイルダが目を覚ましたら、わらわは封印された」
「……」
「今朝もじゃ。イルダが魔獣の巨鳥にさらわれた時も、わらわは封印が解けたことに気がついたが、他のみんなにばれないように、少年の姿のままでいた。この姿に変わって、モレイクを倒した後、転移して大聖堂の陰に隠れ、また、少年の姿に戻ろうとしたのじゃが、本当に封印されてしまった。よく見ると、イルダが気がついた時と同じタイミングじゃった」
「つまり、お前の封印が解けるのは、イルダが気絶している時ということか?」
「それと眠っている時じゃな。今のように」
今まで大人リーシェが現れた場面を思い出してみると、リーシェの言っていることが正解だと考えざるを得ない気がしてきた。
「つまり、イルダが意識を無くしている時に封印が解けるということか? すると、フェアリー・ブレードは、やっぱりイルダの体にあるというだな?」
「おそらくの。五百年間、封印が解けたり、また封印されたりを毎日のように繰り返してきたのは、フェアリー・ブレードをその体に隠していた皇族の誰かが眠っていた時なのじゃろう。封印が解けるのは夜が多かったのもうなづける」
何となく嬉しそうなリーシェの笑顔に、俺は何か裏があるのではないかと勘ぐった。
「……お前、まさか変なことを考えているんじゃねえだろうな?」
「イルダをこのままずっと眠らせていたら良いのではないかということか?」
「ああ、そうだ! しかし、そんなことは俺が許さないぞ!」
「そんなに熱くなるな。わらわもそれは考えたが、リスクが多すぎる。じゃから、そんなことはせぬ」
「リスク?」
「そうじゃ。イルダをずっと眠らせるということは生ける屍にするということじゃが、そんな体に隠されたフェアリー・ブレードがどうなるか見当も付かぬ。ひょっとすれば、わらわをその封印から解き放してくれるかもしれぬが、永遠に封印がされてしまうという恐れもある」
フェアリー・ブレードの封印を解くには、リーシェがされたことと逆のことをすれば良い。
つまり、カリオンがリーシェをフェアリー・ブレードで斬って封印したのだから、今度は、リーシェがカリオンをフェアリー・ブレードで斬れば良いということだ。そして、既にこの世にいないカリオンの代わりにその直系の子孫を斬るということで、イルダが狙われている訳だが、そのイルダの体にフェアリー・ブレードが隠されている。つまり斬るのであれば、カルダ姫よりイルダということだろう。
しかし、イルダを斬ることなく、その意識が永遠に戻らないようにすると、同じ効果が得られる根拠はまったくない。むしろ、予期せぬ結末になってしまうかもしれないのだ。
「しかし、例えば、睡眠薬などを用いて、イルダを眠らせると、その薬が効いている間は確実に封印が解ける。この前のように、戦いの最中に封印されるということも防げる」
確かに、安心してリーシェの戦いを見ていられるが、イルダの体のことを思うと全面的に賛成はできなかった。
「睡眠薬と言えども、イルダに飲ませるのは気が進まねえな」
「じゃが、それはイルダのためにもなるのじゃぞ」
フェアリー・ブレードが見つかるまでは、リーシェは俺達に協力すると言った。実際に、イルダの血を欲しているリーシェにすれば、イルダに死なれると困る。リーシェもイルダを守ってくれるはずだし、これまでもそうしてきた。
「それはそうだが……」
「心配するな。その匂いを嗅ぐだけで小一時間、眠ってしまう薬がある。一時間過ぎると、すっきりと目が覚めて後遺症もない」
「そんな薬があるのか?」
「魔法を使って作る薬だからの」
「お前もできるのか?」
「できるが材料がいる」
「材料? どうやって手に入れるんだ?」
「まあ、普通に街の市場で手に入る物もあるが、入手困難な物もある」
「何だ?」
「一番手に入れにくいのは『マンドラゴラ』という薬草じゃな」
「聞いたことはないな」
「それはそうじゃろう。この辺りでは採れないからな」
「どこで手に入るんだ?」
「ここから南に進んだところにある砂漠に生えていたはずじゃ」
「南か? しかも砂漠かよ」
「イルダが行くとは言わないかの?」
「イルダは、カルダ姫と離れた場所に行くとは言わないだろう。だから、カルダ姫がどこに向かうかで、俺達の行き先も決まるはずだ。すぐに南の砂漠に行けるとは限らないな」
「その薬も無いと困るというものではなく、あると便利というものじゃからな。南に向かうとなった時には、イルダに勧めてみてたもれ」
「そうだな」
「それでは、そろそろ寝るかの?」
「ここで寝るのか?」
「ふふふふ」
リーシェは嬉しそうに笑うと、また俺にキスをした。それも濃厚なやつだ。
「アルスよ」
唇を離したリーシェは、至近距離で俺の顔を見つめた。
「何だ?」
「そなたは懐かしい匂いがするの」
「はあ? お前と出会って、まだ二か月も経ってないぞ」
「しかし、ずっと前に、そなたと同じ匂いを嗅いだ記憶がある」
「お前が言う『ずっと前』って、何百年も前ってことか?」
「そうじゃ。いつ嗅いだのかは思い出せんが、この匂いには確かに記憶がある」
「ひょっとしたら、俺のご先祖様と会っているのかもしれないな」
「ふふふふふ、確かにそうかもしれぬの」
そう言うと、リーシェは、また俺に密着して俺の首筋に顔を埋めた。
「……本当に良い匂いじゃ」
「……」
「魔族のわらわがそなたと普通につきあえるのは、この匂いのせいかもしれぬの」
「そうなのか?」
「そんな気がするのう。まるで匂いで餌付けされているようなものじゃ」
リーシェはひとしきり俺の匂いを嗅ぐと、俺から体を離した。
「うむ。落ち着いたわい。イルダには早く眠ってもらうと、そなたの側にすぐに来られるのじゃがな」
いつもどおり、リーシェからはお預けを食らったが、度重なる疲労が蓄積されていたようで、またまた朝までぐっすりと寝入ってしまった。
お陰で、朝はすっきりと目を覚ますことができた。
宿屋の食堂に行くと、既に全員が揃っていた。
子供リーシェもイルダの隣で行儀良くパンをちぎって食べていた。
俺も朝飯を食べながら、これからの予定をイルダに訊いた。
「実は、早朝に、お姉様から伝令蝙蝠が来たのです。お姉様は、ここから北東に一日という距離にあるカリアレという街に行ったそうですが、そこには現在の帝国軍が進駐していたそうなのです」
「カリアレは、確か、モリガンという貴族が治めていた街じゃないかと記憶しているが?」
「はい。モリガン家は、反乱軍には加わらず、日和見を決め込んでいた貴族です」
イルダが言う「反乱軍」とは、先の大戦でアルタス帝国を倒した軍勢のことで、政権を奪った時からは「帝国軍」なのだが、イルダにとっては「反乱軍」と呼ぶ方がしっくりくるのだろう。
「すると、自分達に味方しなかった連中にお仕置きに来ているということか?」
「分かりません。でも、今の帝国の勢力がそこまで及んできていると言うことのようです」
首都は、大陸の北にある。そこから、今の帝国軍が軍を進めているのかもしれなかった。
「お姉様もこれ以上、北に向かうのは危険だと判断したようで、これからしばらくは南に向かうと言っておられました」
リーシェが願うとおりになった。悪魔なのに神懸かり的だ。
「南か。俺も大陸の東方面と南方面には行ったことがないから行ってみたいな。特に、南には大きな砂漠があるらしいじゃないか」
さりげなく、リーシェが行きたいと言っていた方に誘導してみる。
「私も行ったことがないです。話でしか聞いたことがないですけど、砂漠と言うのは、見渡す限り砂しかない所なのですよね?」
「儂は若かりし頃、先代の陛下の巡視について行ったことがございます。砂漠の周辺の街は、我々が知っている街とは、全然、景色が違いましたな」
ダンガのおっさんの言葉で、イルダはますます砂漠に興味を持ったようだ。
「ダンガ。その砂漠までどれくらい掛かるのですか?」
ダンガのおっさんが懐から地図を出し、しばらく眺めてから顔を上げた。
「まっすぐ行くと三十日以上は掛かりそうですな。途中にいくつか街もありますから、立ち寄りながら行くと四十日ほどは掛かりそうです」
「フェアリー・ブレードの取り出し方についての情報は、今のところ、特段の当ては無い。急ぐ旅でも無いから、南に行ってみようぜ。カルダ姫に、こちらから提案してみれば良い」
俺の念押しにイルダも乗ってきた。
「そうですね。お姉様に言ってみます」
昼過ぎに、俺達はマグナルの街を出た。
この街に入った日のように、陽気の良い天気だった。
まだ、別れて一日しか経っておらず、それほど距離も離れていないカルダ姫とも伝令蝙蝠ですぐに連絡が取れ、お互いに南に向かうことで合意ができたようだ。
城門から外に出ると、エマが待っていた。
「今度は、どこに行くんだい?」
エマは俺の隣を歩き出した。
「俺達について来るつもりか?」
「迷惑を掛けちゃうといけないから別に行くけど、同じ行き先になると思う」
「まあ、俺達を盗みの共犯にしないのであれば、お前の勝手だ」
「じゃあ、そうさせてもらうよ。リーシェお姉様にもう一度会いたいからさ」
しかし、世に名を轟かす女盗賊が魔王様にメロメロとはねえ。
「なあ、アルス?」
「何だ?」
「あのリーシェとお姉様とは、どう言う関係なんだ?」
エマは軽く首を後ろに振った。
俺の後ろには、「名馬」フェアードにイルダとともに乗っている子供リーシェがいた。
「お前はどう思ってるんだ?」
「同一人物かな?」
「……」
「あれっ、図星?」
「どうして、そう思うんだよ?」
「だって、どっちも可愛いんだもん」
エマの顔が赤い。こいつ、想像以上にぶっ飛んだ性癖をしてやがる。
「エマ」
「何だい?」
「そのことをイルダ達に話したか?」
「いいや。話していないし、これからも話さないよ。話すと、リーシェお姉様に嫌われそうだし」
「そうか。それは俺とも約束してくれるか?」
「良いよ。アルスは恩人でもあるしね」
「ありがとうよ」
エマは、俺ににっこりと笑うと、小走りに前に出てから振り向き、俺達に大きく手を振った。
「じゃあ、みんな! 盗賊と一緒だと、みんな困るだろうから、アタイは別に行くよ! でも時々、顔を見せるから知らんぷりしないでおくれよ!」
みんなに聞こえるように大声で言うと、イルダを始め、みんなも笑顔で手を振った。
子供リーシェも無表情ながら、小さく手を振っていた。
それを見たエマは満足げにうなづくと、指笛を高く鳴らした。
どこからか黒褐色で逞しい体格の馬が駆け寄って来ると、エマは颯爽とその馬に跨がり、一足先に走り去って行った。
さっきの口振りだと、盗みをしない時は、毎日でも顔を見せそうだ。
剣士と小妖精の賞金稼ぎ二人組、元皇女様とその従者、美少年の皮を被った魔王様という一行と言うだけでも「何だそりゃ」と言いたくなるが、女盗賊まで加わって、果たして、これからどうなることやらだ。




