第二十六話 裏切りの代償
飛び去っていく巨鳥を仰ぎ見ながらその跡を追って行くと、誰に邪魔されることもなく、大聖堂にたどり着いた。
大聖堂前の広場は聖教会騎士団の騎士で包囲されていたが、騎士達は俺達に襲って来ることなく、直立不動の姿勢のままだった。
ゆっくりと近づいて行くと、広場の中に入れと言うように何名かの騎士が体をずらした。
俺達は、その隙間を通って、大聖堂前の広場に入った。
イルダを連れ去った巨鳥は、羽をたたんで、一本足で広場に立っていた。
その広場の真ん中には、「Y」という形をした柱が立てられ、その柱にイルダが両腕を固定されて磔にされていた。イルダは、気を失っているようで、首を項垂れて身動きしなかった。
そして、その傍らには、再び枢機卿の姿に戻っているモレイクが立っていた。
「来たか? 全員いるようだな」
「イルダをどうするつもりだ? 早く解き放て!」
「ああ、解き放ってやるとも。美しい娘ではあるが、儂が欲しいのは」
モレイクはエマを指差した。いや、正確に言うと、エマが背負っている子供リーシェだ。
「そいつだ! その背負っている子供を渡してもらおう。そうしたら、この娘は解放してやる」
「なぜ、リーシェを?」
リゼル、ダンガのおっさん、ナーシャ、そして、エマがぽかんとした顔をしていた。
元皇女様のイルダより、リーシェに関心があるというモレイクの言葉の意味が理解できなかったのだ。
「あの魔族も少年が好きみたいだな」
良い機会だ。あいつも変態にしちまえ!
「しかし、どうする、アルス?」
「イルダ様はアルタス帝国再興のためには不可欠のお方。かと言って、リーシェを差し出すことなんて……」
リゼルとダンガのおっさんも苦しそうな顔をしていた。
本音を言うと、イルダを助けたいだろう。リーシェは、途中で同行することになったが、所詮は赤の他人なのだ。しかし、リーシェの犠牲のお陰で助かったと知ると、イルダは許さないだろう。
リーシェがエマの背中でぐずるように体を揺らした。
エマがリーシェを降ろすと、子供リーシェはトボトボと前に進み出た。
「おい! リーシェ!」
俺の呼び掛けにも反応せず、リーシェは自ら捕らわれに行っているようだった。
俺は慌てて、リーシェに追いついて、その肩を掴んだ。
「どうするつもりだ?」
子供リーシェは無言で俺の顔を見上げた。
その目は「ついてこい」と言っていた。
子供リーシェは、また前を向くと、ゆっくりと歩き出した。
俺も保護者のように、その横について行った。
モレイクの前までやって来ると、モレイクは体中に包帯が巻かれていることが分かったが、顔色は良く、満面の笑みを浮かべていた。
「魔王様、先ほどのお返しをさせていただきますよ」
そう言ったモレイクの手には、いつの間にか鞭が握られていた。
そして、嬉しそうに鞭をリーシェに向けて振り下ろした。
俺は、咄嗟に、モレイクに背を向けて跪き、リーシェを抱きしめた。
俺の背中に容赦なく鞭がしなった。
歯を食いしばって痛みに耐えた。
「おやおや、貴様は本当に魔王様が好きなようだね。どうせ、魔王様の色仕掛けで籠絡されたのだろう?」
モレイクはゲスい笑みを浮かべた。
「おっと! こうしているうちに、また復活されたら大変だ。そろそろ、死んでいただきましょうか?」
モレイクが持っている鞭の先端にたくさんの図太い針が出て来た。
あれでしばかれたら命はない。リーシェごと肉片にされちまうだろう。
子供リーシェを抱きしめながら、どうやって鞭をかわそうかと思案していた俺の耳元でリーシェの声がした。
「イルダを頼む」
小さな声だったが、確かに大人リーシェの声だった。
突然、爆音がして、濃い煙で視界が奪われた。
そして飛んだ。
もう慣れっこになった転移魔法だ。
気がつくと、イルダが磔にされている柱の近くにいた。ここにも煙幕のような白い煙が充満していた。
強い風が吹いて煙幕が急に晴れた。モレイクが風を吹かせたようだ。
「貴様! いつの間に?」
俺がイルダの近くにいるのを見つけたモレイクが両手を俺に突き出した。
しかし、光の玉は放たれなかった。
モレイクの後ろに、いつの間にか大人リーシェがいて、モレイクのうなじに剣を突き付けていた。
「わらわに会いたかったのじゃろう、モレイクよ? その願いどおり出て来てやったぞ」
リゼルとダンガのおっさん、ナーシャは、誰だという顔で、突然現れた大人リーシェを見ていた。エマ一人だけは嬉しそうな顔をした。
「くっ!」
一瞬の隙を突いて、モレイクが消えた。
しかし、リーシェもすぐに消えると、別の場所に現れたモレイクそのすぐ後ろにリーシェが現れた。
モレイクが、消えるとリーシェも消え、モレイクが現れるとそのすぐ後ろにリーシェが現れるということが何回か繰り返された。
転移魔法を使った鬼ごっこだ。
少しの間、そんな二人をぼけ~と見ていたが、リーシェの言葉を思い出した俺は、カレドヴルフを抜き、イルダの手首を固定していた金属の輪を切断して、磔にされていた柱からイルダを助け出した。
俺は気を失ったままのイルダを抱っこすると、広場を見渡したが、リーシェ達の姿は見えなかった。
頭の上で話し声がした。
頭を上げて見てみると、なだらかな傾斜を描いている大聖堂の屋根で二人は対峙していた。
モレイクは、毛むくじゃらなその正体を現していた。
「ちょこまかと逃げまわることしかできぬのか?」
「何とでも言え! そうしているうちに、また魔王様が封印されるでしょうからな」
「そうじゃな。そうならぬうちに、お主を地獄に送ってくれるわ」
返事もせずにモレイクは、また消えた。
しかし、リーシェが、今までモレイクがいた空間に向かって左手を伸ばして、手のひらを上にして人差し指を「来い」というように、くいくいっと曲げると、モレイクが同じ場所に現れた。
「な、なぜだ?」
モレイクは転移魔法で飛べなかったことが信じられないように、自分の体を見下ろしながら言った。
「先ほど無駄口を叩いている間に転移できないようにしてやったわ」
「そ、そんなことが?」
「わらわを誰だと思っておる?」
リーシェは背中の剣を抜いた。
「くそっ!」
モレイクは、手から光の玉を放った。
しかし、リーシェが同じように光の玉を放つと、空中で衝突して双方とも消滅してしまった。
「無駄じゃ! お主ができる魔法は、わらわもできる。それも、お主よりも強力にな!」
転移魔法で逃げ回って、再び、リーシェが封印されるのを待つというモレイクの作戦も失敗のようだ。
「わらわを裏切った代償を払ってもらおうか」
リーシェは剣を構えた。
「死ね」
冷酷に言い放ったリーシェがモレイクに飛び掛かり、空中で剣を煌めかすと、その背後に降り立った。
剣を背中の鞘に収めると、リーシェは回れ右をしてモレイクの後ろ姿に向かって静かに話し掛けた。
「わらわの帝国が復活したとしても、お主の席はもう無いぞ」
その言葉が合図だったように、モレイクの毛むくじゃらの首がコロリと落ちて、そのまま大聖堂の屋根を転がり落ち、少し遅れて首の無い胴体も倒れて、大聖堂前の広場にひしゃげるような音をさせて落ちた。
屋根の上にいたリーシェを仰ぎ見ると、リーシェは、俺に微笑みを返した。そして次の瞬間には屋根から消えていなくなった。
みんなが俺の側に走り寄って来た。
「イルダ様は?」
リゼルの心配そうな顔に俺はできるだけ優しい笑顔を返した。
「大丈夫だ。手首に少し擦り傷があるくらいで、すぐに気がつくだろう」
俺が言ったとおりに、イルダはゆっくりと目を開けた。
「ここは?」
「馬鹿でかい鳥にさらわれたから、みんなで助けに来たんだよ」
そう言えば、その巨鳥がいない。モレイクが召還した魔獣だったのだろうが、召還主が死んでしまって、元いた世界に戻ったのだろう。
「ア、アルス殿」
抱っこしたままのイルダが恥ずかしそうに俺の顔を見上げていた。
「も、もう大丈夫です。降ろしてください」
「遠慮しなくても良いぜ」
と言いながら、俺はイルダをそっと立たせた。
「リーシェは?」
みんなを見渡してから、イルダが訊いた。
「そう言えば見えぬの」
みんな、今までリーシェの存在を忘れていたようだ。
まあ、子供リーシェは普段から存在感が薄いし、何と言っても、この一行の主役はイルダなのだから、忘れられていても仕方が無いだろう。しかし、イルダにとっては可愛い弟で、イルダは心配そうな顔をして周りを見渡した。
「大丈夫だよ、イルダ。俺があの煙幕の間に安全な所に隠したから。そろそろ出てくるだろうぜ」
俺の言葉を聞いていたように、大聖堂の影から子供リーシェが俺達の方に駆け寄って来た。
「リーシェ!」
イルダも思わず、リーシェに駆け寄り、身を低くして、リーシェを抱きしめた。
「良かった。……良かった」
皇女様の威厳もかなぐり捨てて涙を流すイルダには、ますます本当のことを言いづらい。
「そう言えば、モレイクを倒した女性は一体誰だったのだろう?」
リゼルが誰にともなく訊いた。
ダンガのおっさんもナーシャも首を捻るだけだった。
「誰のことですか?」
子供リーシェを抱きしめながら訊いたイルダに、モレイクが退治されるまでの顛末をリゼルが話した。
「アルス殿は知っている方なのですか?」
首を捻っていない俺にイルダが訊いた。
「ああ、……実は、ラプンティルの街で青い鎧の騎士を倒す時に協力してもらった魔法士がいるって話しただろう。そいつだよ」
大人リーシェの格好は子供リーシェがそのまま大きくなったのと同じなのだが、みんな、まさか、この無口で無表情キャラの子供リーシェがモレイクを簡単に倒した大人リーシェと同一人だとは思い至らないようだ。
「何と言う方なんですか?」
「まあ、恥ずかしがり屋なんでな。言うなと約束をさせられているんだ」
「しかし、転移魔法を自在に操り、最後には、あの魔族の転移魔法を封じていたようだ。私も見たことがないくらいに強力な魔法を使う方みたいだが?」
「ああ、だから、あちこちから引く手あまたでさ、忙しいみたいだぜ」
我ながら口から出任せをポンポンと出せるものだと感心するぜ。
大聖堂前の広場を包囲していた騎士達も催眠術から解けたように呆然としていた。
聖職者達は枢機卿がいないと騒ぎ出した。
そして、広場に転がっている枢機卿の司祭服を着てはいるが、醜悪な容姿のモレイクの死骸を見て、更に大騒ぎになっていた。
しかし、総本山が乗り出してくれば、事態はすぐに沈静化するだろう。
空が明るくなり始めた頃、俺達は宿屋に戻った。
エマは自分の隠れ家にしている共同住宅に戻った。
昨日、家捜しをされて困ったと宿屋の主人に愚痴られたが、宿泊料に少し色を付けてやると、途端に機嫌が直った。
とりあえず、朝食をとってから、みんな自分の部屋に戻り、休息を取ることにした。
昨日の夜は、いろいろとあった。さすがの俺も少し疲労感を覚えた。
やはり、疲れていたのか、横になるとすぐに寝入ってしまったようだ。
しかし、背中に、もう慣れた感触を感じて目が覚めた。
「アルスよ」
リーシェは、俺の耳元で囁くと、背中に密着して、後ろから俺を抱きしめた。
「そなたは、わらわの命の恩人じゃな。礼を申す」
「まあ、何だかんだ言って、お前がいなくなると、イルダが悲しむからな」
「そなたはどうなのじゃ?」
「……寂しいに決まってるだろ」
リーシェが俺を抱き締めている腕にぎゅっと力を込めた。
そのしおらしい態度に、モレイクを痛めつけていた時に見せた残忍な魔王様の雰囲気は微塵も感じられなかった




