第二十四話 魔王様の危機
魔族姿のモレイク枢機卿は信じられないという表情で立ち尽くしていた。
獣顔だが困惑しているのは分かった。
「まさか……、そんなはずは……」
「フェアリー・ブレードに討たれて死んだと思っておったか?」
リーシェは腰に手をやり、少し首を傾げて、モレイクを見ていた。後ろ姿なので表情は分からなかったが、このポーズの時は、相手を蔑む目をしているはずだ。
「……」
「お主の言葉、わらわにも聞こえておったぞ。十二魔将の筆頭じゃと? 出世したものじゃのう」
「……ど、どうして、こんなところに?」
「今更、わらわに出て来られると迷惑か? わらわがいなくなったことを幸いに、自らの勢力を伸ばすつもりであったか?」
「ふっ! ふはははは!」
モレイクは、迷いと恐怖心を吹っ切っるように笑った。
「死んでいなかったとしても、五百年間もの長きにわたり、あなたがその姿を見せなかったことは事実。その間、あなたの後釜を狙うような気を起こしたとしても、何を責められなければならぬ?」
「もちろん、そうじゃ。姿を見せぬ主人にいつまでも忠誠を誓えとは言えぬからの。しかし!」
リーシェはモレイクを指差した。
「枢機卿になりすまし、『囚われの秘薬』などという姑息な手段を使い、人族たる騎士団を人形同然の配下にして支配を目論むなど、魔族の名折れじゃな」
「それがどうした? 人族の支配者もしていることだ!」
「そうじゃ! 人族であればの! しかし、いやしくも魔族であれば、自分の力で人族を屈服させろ! 自らの力で人族を怯えさせ、支配しろ!」
リーシェの言うことは、人族からすれば、とんでもないことだが、俺がもし魔族ならリーシェと同じことを言う気がした。
「それは、あなたのやり方であろう? あなたのやることや言うことが正義だった時代は、もう終わっているのだ! 儂は儂のやり方でやる!」
「ふんっ、随分と大きな口を叩くようになったではないか。わらわの前ではいつも怯えていたお主がの」
「では訊くが、あなたは、なぜ五百年もの間、ずっと隠れていたのだ? フェアリー・ブレードが残されているとはいえ、カリオンがいなくなれば、すぐに返り咲くこともできたはず! しかし、それができなかったということは、あなたは完全に復活していないということではないのかな?」
図星を突かれていたが、リーシェは顔色一つ変えなかった。
「ならば試してみれば良かろう?」
「……良いだろう」
モレイクも逡巡したが、リーシェの態度をハッタリだと判断したようで、すぐにリーシェを睨みつけた。
「玉座から追われた魔王など恐るるに足りず!」
モレイクの体の周りにたくさんの光の玉が現れると、それが一斉にリーシェに向け飛んで行った。
光の玉の大群が通り過ぎた後には、リーシェの姿はなかった。
「ふはははは、虚栄を張りおって!」
「相変わらず、馬鹿のようじゃの」
モレイクの勝ち誇った笑いは、背後から聞こえたリーシェの声で打ち消された。
そして、振り向いたモレイクの顔に恐怖の色が浮かんだ。
「お主の乱光弾は進化しておるのか?」
「……」
「乱光弾とはこういうものじゃ!」
瞳を赤く輝かせたリーシェの体の周りに無数の光の玉がダンスを舞うように揺れながら浮かんだ。モレイクが出した光の玉よりも多くて明るかった。
リーシェが両手を前に突き出すと、リーシェの周りで浮かんでいた光の玉が一斉にモレイクに向けて飛んで行った。
モレイクが頬を大きく膨らませて息を吐き出すようにすると、その口から暴風が吹き、光の玉の幾つかは、まるで蝋燭が風で吹かれたように消えていった。しかし、すべてを吹き消すことはできずに、幾つかの光の玉は、モレイクの体に撃ち込まれ、モレイクの司祭服のあちこちを焦がした。
「今のは百分の一も力を出しておらぬぞ。すぐに殺してしまわず、わらわに逆らったことを悔いる時間を与えてやろう」
唇を噛みしめながらリーシェを睨んでいたモレイクがパッと消えた。
転移魔法だ。
次の瞬間、モレイクはリーシェの背後に現れると、どこからか取り出した二つの大きな鎌を両手に持ち、思い切り、リーシェの頭上に振り下ろした。
しかし、リーシェが振り向くことなく、背中から抜いた剣を大きく円を描くように回すと、モレイクの持った鎌は、呆気なく弾き飛ばされてしまった。
モレイクは、また転移魔法で消えたかと思うと、リーシェの背後に距離を取って現れ、左手をリーシェに差し出すと、その手の先から黒い霧が噴射された。
リーシェもすぐにモレイクが現れた方に振り向くと、左腕を一振りした。
すると、部屋の中ではあり得ないほどの強風が吹き、モレイクが出した黒い霧は散らされて薄くなり、そのまま消えてしまった。
それを見たモレイクがまた消えたが、同じタイミングでリーシェも消えた。
モレイクが部屋の隅に現れたと思うと、そのすぐ後ろにリーシェも現れて、剣を小さく振り回した。
リーシェの剣がモレイクのふくらはぎをなぎ払うと、モレイクは思わず膝を着いた。
間髪入れず、リーシェに背中を蹴られたモレイクがうつ伏せに倒れると、リーシェがモレイクの毛むくじゃらの頭を踏みつけた。
見た目、それほど重くは見えないリーシェだったが、頭を踏みつけられているモレイクは、まったく身動きができないようだった。
「わらわが裏切り者に厳しいことを忘れてはおるまいな?」
「……」
リーシェは、モレイクの腰に杖のように剣を突いて体重を掛けると、その先端がモレイクの腰にめり込んだ。
「ぐあああああっ!」
苦痛で歪むモレイクの顔を見下ろしながら笑顔のリーシェを見ると、冷酷無比な魔王そのものの顔をしていた。
「お主も何度も見たはずじゃな? わらわに逆らって処刑された悪魔どもの末路を!」
リーシェが剣をぐりぐりと揺らすと、そのたびにモレイクの悲鳴が部屋に響いた。
「自分がされるとは思うてもなかったじゃろう? いかがじゃ? 気持ちが良いであろう?」
モレイクの周囲に血だまりができていた。
人族であれば瀕死の重傷だが、モレイクは、まだ体を動かす元気があるようで、何とか逃れようとうごめいていた。
その時、部屋の扉が激しく叩かれた。
「イルダ様! ご無事ですか?」
「アルス! 生きてるなら返事をしろ!」
リゼルとダンガのおっさんの声だった。
どうやら、不穏な空気に気づいて駆けつけて来てくれたらしい。
「イルダも無事だ!」
俺が大声で叫ぶと、扉の向こう側でため息が漏れた後、ダンガのおっさんが叫んだ。
「アルス! 鍵が掛かっていて中に入れない! そちらから鍵を開けることはできないか?」
俺はイルダを抱っこして、扉の所まで行き、ノブを握ったが、回すことができなかった。よく見ると、扉には鍵穴も閂も見えなかった。
「扉には鍵は付いてない! 魔法で施錠されているのかもしれねえ!」
「分かった。体当たりをしてぶち破るから、どいていろ!」
「う、ううん……」
イルダのうめき声が聞こえた。どうやら、俺がドアノブを握ろうと体勢を変えた時の揺れで気がついたようだ。
「ア、アルス!」
今度は、リーシェが俺を呼んだ。
振り返って見ると、リーシェの体が淡い光に覆われていた。
――まずい! リーシェの封印が復活してきている!
体を震わせながら、モレイクの体から降りたリーシェの体から発せられていた光が収まると子供の姿となり、俺の方に来ようとしたが、足がもつれているようで、よろめいてしまって、そのまま尻餅を着いた。
それを見たモレイクは、血みどろの体を苦しそうに立ち上げたが、その顔は笑っていた。
「おやおや、魔王様、どうされました?」
再び勝ち誇った顔をしたモレイクが子供リーシェを睨んだ。
「今のあなたからは魔力がまったく感じられませんな。ただの子供だ」
子供リーシェは迫り来るモレイクから視線を外さずにお尻をずらしながら後ずさりをした。
「リーシェ!」
俺は、イルダを扉の横に座らせると、リーシェに向けてダッシュをして、モレイクの前に立ち塞がった。
「これは驚きだ。魔王を助ける人族がいるとはな。貴様ら、どう言う関係なんだ?」
「自分でもどういう関係なのか分からねえよ」
――まったくだ! どこの世界に魔王を助ける人間がいると言うんだ?
「だが、もらった恩はちゃんと返すのが人族なんだよ!」
そうだ! リーシェには命を助けてもらった借りがある。それは返さなければいけない!
俺はカレドヴルフを抜いて、モレイクに突き付けた。
「それだけ痛めつけられているのに元気だな? 実は、魔王様に虐められるのが好きなのか?」
「ほざけ!」
モレイクが俺に向けて光の玉を放ってきた。
横っ飛びに光の玉を避けると、俺は子供リーシェと抱きつくようにして、ごろごろと転がり、モレイクから距離を取った。
ちょうどその時、ドアを打ち破って、ダンガのおっさんとリゼル、ナーシャ、そしてエマが部屋に飛び込んで来た。
「リーシェと何をしておる?」
子供リーシェと抱き合っているような体勢を見たダンガのおっさんが訊いてきたが、今、それどこじゃねえだろ!
「何者だ?」
リゼルが魔族姿のモレイクに向かって訊いた。
「そいつが枢機卿になりすましていたんだ!」
俺の言葉にモレイクは笑った。
「ふはははは、なりすましなどしておらぬ。枢機卿モレイクは最初から儂じゃ」
「何だと?」
「とにかく」
モレイクは俺を、と言うより俺の背中に隠れている子供リーシェを睨んだ。
「魔王様には絶対に消えてもらわなければならぬ。五百年前に死んだと、みんなが思っているのであるから、その期待どおりにしてもらわないとな」
モレイクがまた光の玉を出そうとしたのを見て、リゼルが炎の玉を放った。
炎の玉は、モレイクを直撃するコースを進んでいたが、モレイクが大きく頬を膨らませて息を吹き出すと、炎の玉は、モレイクの体の前で吹き消された。
しかし、リゼルは休む暇もなく、炎の玉を放ち続けて、モレイクの反撃を封じ込めた。
その隙に、ダンガのおっさんが、まだ意識が朦朧としているイルダを抱っこして部屋から出て行ったが、すぐに引き返して来て、ドアを閉めた。
「駄目じゃ! 外に騎士がうじゃうじゃおる!」
くそ! 騎士達は「囚われの秘薬」でモレイクに操られているはずだ。そうすると、モレイクを倒す以外に助かる道はない!
そうすると、リゼルが頑張ってくれている今しかチャンスはない!
俺は、子供リーシェを壁際に座らせると、モレイクの注意がリゼルに向いているうちに、ゆっくりとモレイクの背後に回り込もうとした。
そんな俺に気づいたのか、リゼルはその体の周りに火の玉をいくつも浮かべると、連続で、その炎の玉を放ち続けてくれた。
いかに魔族と言えども、無防備に体を炎で包まれると全身火傷を負って死んでしまう。モレイクは火消しに掛かり切りだ。しかも、リーシェに痛めつけられている体が思い通りに動かないようだ。
その顔は焦りを隠すことはできていなかった。獣顔だが分かる!
後ろに回り込んだ俺は、一気にモレイクの背中に突進した。
「馬鹿め! お見通しだ!」
モレイクは目だけを動かして、リゼルの火の玉から注意をそらせることなく、右手を俺に向けた。
「アルス!」
良いタイミングで、俺と反対側にいたエマが、ナイフをモレイクに投げつけた。
三方面同時攻撃に、モレイクも、どれに対処すべきか迷ったようで、一瞬、その動きが止まった。
モレイクは、リゼルの炎を吹いて散らす一方で、飛んで来ているナイフに身構えた。俺が斬り付けるよりはナイフが届く方が速いと一瞬で考えたのだろう。
しかし、モレイクが考えていたよりも、俺の脚が速かったようだ。
モレイクが、エマが投げたナイフを光の玉を当てて弾くと同時に、カレドヴルフがモレイクの背中を袈裟懸けに切り裂いた。
吹き出した血しぶきを浴びながら、とどめの一撃を加えようとしたが、俺の方に振り向いたモレイクも死力を振り絞って大きく息を吹き出すと強風が吹いて、俺はリーシェが座っている壁まで吹き飛ばされた。
「貴様らあ! 人族の分際でこしゃくな!」
全身、血まみれのモレイクは、半狂乱のようになりながら、光の玉を乱れ撃ちまくった。
標的も定めずに放たれた光の玉が部屋中を駆け巡ったが、その中の幾つかがすぐ近くにいるリーシェに向かって来ているのが分かった。
俺は、すぐに手を伸ばして子供リーシェを引き寄せた。
――駄目だ! 間に合わねえ!
光の玉を一つやりすごしても、その全部をかわすことはできそうにない。
俺は咄嗟に子供リーシェを庇うようにして、飛んで来る光の玉を背にして、リーシェを抱きしめた。
背中に激痛が走ると、俺はそのまま意識を失った。




