第二十三話 枢機卿の正体
「夜、街に出られたのか?」
オグマが俺に訊いた。
「夜になると血が騒ぐ悪い癖があってな」
俺は、エマに手を差し出した。
俺の意図がすぐに分かったエマが、懐から赤い小瓶を取り出して、俺に渡した。
俺は、その瓶をオグマの目の前にぶら下げて見せた。
「ここの教会は、こんなもんを住民に買わせているようだぜ」
「……そこまでお分かりとは?」
「ってことは、総本山も知っているということだな?」
「誘導が上手いですね。ええ、それが事実なのか、単なる噂なのかを確かめるために、私が派遣されてきたのです」
「俺達の仕事は空振りに終わりそうだな」
俺は、イルダとエマを交互に見た。
「総本山がもう知ってるんなら、今更だよね」
エマが肩をすくめた。
「でも、オグマ殿」
イルダが問い掛けると、オグマは右手を左胸にやり深く頭を下げた。
「何でしょう? 殿下」
「……私はもう皇女ではありません。頭をお上げください」
オグマは晴れやかな表情の顔を上げた。
「あなたが確かめに来たということは、まだ、その容疑は確認できていないということですよね?」
「イルダ様は聡明な方だという噂でしたが、真でしたな」
はにかんだイルダにオグマが嬉しそうな顔をして話を続けた。
「はい。とりあえず、その事実を問い質すために、これから枢機卿と面談をする予定にしています」
「枢機卿と面談? ……オグマ殿」
「はい」
オグマは、頭を下げることまではしなかったが、手を胸に置くのは癖になっているようだ。
「モレイク枢機卿は、バレバにいらっしゃったのでしょうか? つまり、私の顔を知っているかどうかなのですが?」
「おそらく知らないと思います。確か、モレイク枢機卿は二十年ほど前から、ここの教会にいたはずです」
「それであれば、私も一緒に枢機卿に会わせていただけないでしょうか? 皇室とも所縁の深い教会で犯罪行為が行われていたとは信じたくはありませんが、この目で、この耳で確かめたいのです」
「イルダ様のお気持ち分かります。しかし、犯罪に手を染めているかもしれない枢機卿に会うのは危険かもしれません。それに、イルダ様が元皇女様だと分かれば、どんなことをするか分かりません」
「身分を隠して会うことはできないでしょうか?」
「それはかまいませんが」
「じゃあ、みんな、ついて行くか?」
「えっ、いや、枢機卿に何と説明なさるつもりですか?」
俺の提案にオグマが慌てた。
イルダが身分を明かした上であれば、救世主の末裔という威光をもって、全員を同席させてくれるかもしれないが、自分を取り締まりに来ているかもしれない異端審問官の従者全員を同席させてくれるとは思えない。
「ついて行くのは、イルダと俺だけで良いか?」
俺はイルダ以外の者に訊いた。
「まさかとは思うが、その枢機卿が危ない人物だという可能性も捨て切れない。アルス殿を信用していない訳ではないが、できればイルダ様の近くにいたいのだが?」
リゼルの言うことも分かる。
俺がオグマの顔を見ると、オグマは俺の言いたいことが分かったようだ。
「分かりました。今回、私は一人で来ているのですが、異端審問官が従者をつれて行くことも珍しくはありません。失礼ながら、皆さんを私の従者ということにして、枢機卿と同席するのは、イルダ様とアルス殿の二人だけにいたしましょうか? その他の皆さんは控えの間に待機していただくことになると思います」
みんなから異議は出なかった。
約束の時間になると、オグマを加えた俺達は、大聖堂の裏門の前にいた。
多くの巡礼者で賑わう正面とは違い、まったく人気がなかった。
荘厳な作りの鉄格子でできた門の前にいた衛兵にオグマが話し掛けると、間もなく門が開かれた。
大聖堂の裏口から中に入ると、意外と狭い廊下を通り、全員がテーブルと椅子しかない部屋に通された。
どうやらここが控えの間のようだ。
しばらく待たされると、司祭服を着た若い男が入って来た。
案の定、全員を枢機卿と会わせる訳にはいかないと言われて、当初の案どおり、俺とイルダがついて行くことになった。
オグマを先頭にイルダと俺が跡に続くと、すぐに大きな扉があった。
中に入ると、そこは豪華な装飾が施された応接室だった。
一人がけのソファの前にあった二人がけのソファにオグマとイルダが座り、俺はその後ろに立った。
俺達を案内して来た男が部屋から出ると、すぐに、先ほど祭壇で説教をしていた男が入って来て、正面のソファに座った。
「モレイクです。本日はご苦労様です」
一応、総本山から来た異端審問官に敬意は払っていたが、地位も年齢も下のオグマを小馬鹿にしているような態度だった。
「異端審問官のオグマです。こちらは私の秘書、後ろに控えているのは護衛です」
枢機卿は俺の顔は見なかったが、イルダには少しの間、見とれていた。
いくら聖職者であろうと、男である以上、正常な行動だろう。
「異端審問官が来られたということは、当教会に何らかの疑いが掛けられていると言うことでしょうが、うちにはまったくやましいことはありませんよ」
「それはこちらが判断いたします」
枢機卿と言えば、教会内部ではかなりの実力者だ。しかし、オグマは、そう言う地位にまったく動じていなかった。
枢機卿はソファにふんぞり返って、余裕綽々であった。
その枢機卿に対して、オグマは右手の人差し指を立てて示した。
「まず、告発の第一! 教会直轄領であるバレバとマグナルで課される税金の率は同じにすべきと定められています。しかし、ここマグナルでは、近隣の街と比較しても高率の税金を課しているようですが、その理由を教えていただきますか?」
「そのような事実はありません。おそらく徴税請負人が自分のピンハネ分を勝手に盛っているのでしょう。こちらも指導を強化いたします」
「徴税請負人の懐にほとんどが入っていて、教会には所定の税金しか入っていないと申されるのですね?」
「そうです」
「分かりました。この件につきましては、課税帳簿を確認させていただき、徴税請負人にも確認してみましょう」
「ええ、よろしくお願いします」
枢機卿には課税請負人の指導がなってなかったという落ち度があるはずなのに、まったく表情を変えなかった。
「次に告発の第二!」
オグマが姿勢を正して、右手の人差し指と中指を立てて示した。
「夜な夜な行う礼拝に住民達を参加させ、常習性のある不思議な薬を法外な価格で売っているということはご存じですか?」
「ほ~う、そんな告発がされているのですか? その事実は確認されているのですかな?」
「そんな事実はないとおっしゃるのですね?」
「ええ」
オグマは懐から赤い小瓶を出して、枢機卿に示した。
今まで何も何の反応も示してこなかった枢機卿の眉がびくっと反応したことを、俺は見逃さなかった。
「それは?」
声を絞り出すようにして枢機卿が訊いた。
まさか、「囚われの秘薬」まで入手されているとは思っていなかったのだろう。
「不思議な薬です。この薬を飲んだ者は、魔法で操ることができるそうです」
オグマは、俺が教えたとおりに話して、枢機卿にカマを掛けた。
「なぜ、そこまで知っている?」
枢機卿の口調が変わった。どうやらカマに引っ掛かったようだ。
「否定されないのですね?」
「……」
「なぜ、そんなことをされているのですか?」
「答える必要はない。それより、このことは総本山の幹部にも知れ渡っているのか?」
「もちろんです」
オグマの返事を聞いた枢機卿の表情までが変わった。上品そうだった小さめの口が大きく裂けて、その口角を上げた。
「やれやれ、こんなに早くばれるとは思ってなかったよ。時が満ちたと判断すべきなのだろうか?」
オグマは怯むことなく、枢機卿を睨んでいた。
何となく危険な香りを嗅いだ俺は、椅子の後ろから囁いて、イルダを立たせると、俺の後ろに立たせた。
「私の質問に答えてください! なぜ、こんな物を作り、そして住民達に与えているのか?」
オグマが口調を強め、身を乗り出して、枢機卿に問い詰めた。
「儂の従順なしもべになってもらうためさ」
「しもべだと?」
「そうだ。ここはもう既に教会領ではない。この街は我が王国で、この街の住民は我が王国の民なのだよ」
「あなたは、一体、何を考えているのだ?」
「この王国を手始めに、儂はこの大陸全部を支配する」
「世迷い言を! 気でも触れられたか?」
正気の沙汰とは思えぬ枢機卿の言葉に、オグマが吐き捨てるように言った。
「世迷い言などではない! 儂は、この大陸を支配する正当な権利を持っているのだからな」
「あんたは、アルタス帝国皇室の血でも受け継いでいるのか?」
イルダが動揺しているのが分かった俺がイルダに代わって訊いた。
枢機卿は目だけを動かして、俺を見ると、ふんっと鼻で笑った。
「アルタス帝国は、魔王が作り上げた帝国を簒奪した泥棒にすぎない。今の帝国は、その泥棒が弱っている間にくすねたコソ泥以下だ」
「……」
「しかし、儂は違う。儂は、五百年前にこの大陸を支配していた魔王直属である十二魔将の筆頭! 魔王亡き後、魔王を継ぐ正当な後継者だ!」
――リーシェの後継者だと?
そう言えば、リーシェの配下の魔族に、「囚われの秘薬」の処方を知っている奴がいると言っていた。
すると、こいつは魔族なのか?
俺の疑問はすぐに解決した。
枢機卿が椅子から立ち上がり、服を脱ぎ為てるような動きを見せると、黒い染みのようなオーラに体を覆われた。すぐに黒いオーラが消えると、そこには、司祭服を着たままであったが、狼と猿の合いの子のような毛むくじゃらな顔をして、頭に小さな二つの角を持つ怪物が立っていた。
魔族を至近距離で見たのは初めてなのか、オグマは椅子に座ったまま固まっていた。
「神の元に行くが良い!」
枢機卿がオグマに手のひらを突き出すと、手のひらに無数の光の玉が現れた。次の瞬間、小さな光の玉は、一斉にオグマに襲い掛かった。
一つの帯のように見えた光の玉が通り過ぎた後には、上半身のないオグマの肉体が椅子に座っていた。
イルダの体が揺らいだのを見て、俺は咄嗟にイルダの体を支えた。
イルダは失神していた。オグマのあんな死に方を見て、ショックを受けないはずがなかった。
枢機卿は、ゆっくりと体を俺の方に向けた。
「その女は、今まで嗅いだことのない良い匂いがするのう。近くで愛でてやろう」
枢機卿はゆっくりと近づいて来た。
「さあ、その女を渡してもらおうか?」
「嫌だね」
でかい口を叩いてみたものの、意識の無いイルダを支えながら、あの光の玉の攻撃をかわせる自信はない。
「では、我が兵士に引き剥がしてもらおうかの」
枢機卿の格好をした魔族が何やら呟くと、部屋に二箇所あるドアから聖教会騎士団の揃いの外套と鎧を着た騎士が八人、部屋に入って来た。
怪物と化した枢機卿を見て驚かないのは、この兵士達が囚われの秘薬で操られているからだろう。
俺は、左腕でイルダを支えながら、右手で剣を抜いたが、こいつらに一斉に掛かって来られると対処できない。
どうする? 自分が助かりたいのなら、イルダを捨てるという選択肢しかない。
――そんなことできるか!
変態や女たらしの称号なら甘んじて受け入れよう。しかし、卑怯者の烙印だけは絶対に押されたくはない!
せめて、イルダは助けたい。一介の賞金稼ぎの俺と違い、イルダを必要としている者がこの大陸には大勢いるはずだ。
……いや、そんな理屈なんかじゃない!
単純にイルダを守りたい! それだけだ!
騎士達がじりじりと俺達に迫って来る。
為す術無く後ずさりしていると、背中が部屋の壁にぶつかった。
これ以上、後ろに下がることはできない。
このまま、あの魔族に汚されるのであれば、ともに自害をしたいと、イルダなら言うはずだ。
俺は何とか最後にイルダと話をしたかった。
俺がイルダの体を揺さぶろうとした時!
突然、目の前に眩しい光が放たれた。
その光が矢のように部屋中に広がると、射貫かれた騎士達が全員倒れた。
そして、紫色の長い髪の見覚えのある後ろ姿。
「久しぶりじゃのう、モレイク!」
まったく、いつも良いところに出て来やがる!




