第二十一話 囚われの秘薬
俺とリーシェは、街を彷徨いている聖教会騎士団と出会わないように気をつけながら、エマが二週間前から潜伏していたという家に行った。
そこは、石造りの共同住宅の二階にある一室で、部屋の中には、テーブルと二脚の椅子があるだけだった。
エマは、テーブルの上に、大聖堂から盗んだという小瓶を置くと、椅子に座った。
俺は、エマから勧められたもう一つの椅子にリーシェを座らせると、エマの側に立った。
「とりあえず、それは何だ?」
俺がテーブルの上の瓶を指差して、リーシェとエマのどちらにともなく訊いた。
「アタイは、名前は知らないが」
エマが言葉を切って、何かを知っていそうなリーシェの顔を見つめた。
「これは、『囚われの秘薬』じゃな」
エマの期待に応えるように、リーシェが答えた。
「何なんだ、それは?」
俺は、リーシェの顔を見ながら訊いたが、リーシェは、正面に座ってるエマを見つめていた。
「まずは、エマに話してもらおうかの。なぜ、これを盗んだのか?」
エマもリーシェと見つめ合いながら話し出した。
「アタイは、盗みをする時には、最低でも一週間前から獲物の近くに滞在して、十分に下見をしてから、綿密な計画を立てることにしているんだ。今回の相手は教会だから、慎重を期して、この街には二週間前から滞在していた」
大胆な計画も綿密な下準備がないと駄目ということだな。ずぼらな性格な俺には無理だ。
「だけど、この街で暮らしている二週間のうちに、この街が変だと言うことに気がついたんだ」
俺は、「この街には嘆きや恐れがうごめいている」というリーシェの言葉を思い出した。
ドヤ顔のリーシェと目が合ったが、それを無視して、エマに先を促した。
「どういう風に変なんだ?」
「明らかにおかしいのは、毎夜遅くに礼拝をしていることだ」
「真夜中にか?」
「そうだ。街中の店は十一の刻になると全部閉まる。それ以外に遊ぶような所も無いこの街では巡礼者達も当然、その時間になると宿にこもる。だから、この街の夜は人通りがまったく途絶える。でも、日が変わって二の刻になると、住民達の多くが家から出て、大聖堂の礼拝に出ているんだ」
「そりゃあ、確かに変だな」
真夜中に礼拝をする教会なんて聞いたことがない。それだけで怪しい。
「アタイは何回か、その礼拝に忍び込んでみた。礼拝では参拝者一人一人が祭壇に上がり、司祭から、この瓶に入った液体を少しだけ唇に塗られるんだ。聖水だと言われてたね。その後、その者達は家に帰るんだけど、まるで催眠術にでも掛かっているかのように、目の光が消えて生ける屍のようにしか見えないんだ」
「……」
「礼拝が終わった後、大聖堂の出口にこの瓶が並べられる。教会の人間が礼拝者に売るんだよ。何と一瓶十ギルダーだ。でも住民達はそれを争うようにして買うんだ」
十ギルダーと言えば、四人家族が一か月生活できるだけの金だ。この瓶はそれだけの価値があるのだろうか?
「とにかく、この瓶に入っている液体の正体を知りたいと思ったアタイは、お供えのように祭壇に置かれていたこの瓶を盗って、調べてみたいと思ったのさ。だから、炎の数珠を盗むと言っておいて、注意をそちらに向けさせてたのだ」
俺は、小さな瓶をマジマジと見つめた。そして、俺はリーシェの顔を見た。
「それで、何なんだ、『囚われの秘薬』とは?」
「魔力を封じて作られる魔薬じゃ」
魔薬とは、魔法を効きやすくするための薬で、悪魔が好んで使っているものだ。
「これを飲むと、どんな効果があるんだ?」
「あのラプンティルの人形使いのように、この薬を飲んだ人間を自由に操ることができるというものじゃな。しかし、一方で、麻薬のように常習性があって、一度飲むと飲まなくてはいられなくなる。高い金を払ってでも欲しいと思うじゃろうの」
「すると、そんな魔薬を売っている教会には、魔族がいるということになるのか?」
「その可能性が高いの」
――おいおい! 神様のお膝元に魔族かよ!
「魔薬の処方には専用の処方箋が必要じゃ。『囚われの秘薬』の処方箋を持っている者を、わらわは、一人知っている」
「誰だ?」
「わらわの配下だった悪魔じゃ。もっとも一番下っ端じゃったがの」
そいつだとすると、そいつも五百年生きているということになる。
魔族の寿命は、そいつが持つ魔法の強さに比例するらしい。リーシェの千年には及ばないとしても、かなり強力な魔法を持っている奴だということだ。
しかし、街の住民を人形のように操る必要が、なぜ教会にあるんだ?
いや、魔族がいる時点で、この街の教会は実質的に教会ではなくなっているのかもしれない。
「アルスよ。ここの教会について、わらわも調べたくなったぞ」
「俺もそう思うが、調べたところで金にはならないぞ」
「そなたは、金でしか動かぬのか?」
何だよ、その軽蔑しているような目は!
「俺は賞金稼ぎなんだよ! エマのように義憤に駆られて宝物を盗らずに魔薬を盗ってくるほど人間ができていないんだ!」
「小さい男じゃな」
「何とでも言え!」
「じゃあ、アタイが金を出すよ。アルスにアタイが依頼をする。この瓶の秘密を暴いてくれってさ」
言い争っていた俺とリーシェの間にエマが割って入ったが、リーシェがエマに笑顔を見せた。
「エマよ。その必要はない。アルスは、わらわの命令には服従せざるを得ないのじゃからの」
「俺はお前のしもべになった憶えはないぞ!」
「アルスよ」
「何だよ?」
「あの自称魔王様を倒したのは誰だったかのう? よく憶えておらぬのじゃ」
「……」
「確か、わらわだった気がするが、わらわは報酬を受け取っておらぬ」
「……」
「のう、アルスよ。わらわの願いをきいてくれるじゃろ?」
「分かったよ! やりゃあ良いんだろ、やりゃあ!」
「と言うことじゃ。良かったの、エマ」
エマは思わず席を立って、座ったままのリーシェに抱きついた。
「リーシェお姉様! もう素敵です! こんな変態男はリーシェお姉様のしもべとして働けるだけでも感謝するべきです!」
リーシェは、ドヤ顔で俺を見た後、エマに視線を戻した。
「エマよ。わらわは普段は姿を見せることができぬが、この変態男に言い含めておくので、嫌じゃろうが、この男の言うことにも従ってたもれ」
「不本意ですけど、お姉様がそうおっしゃるのでしたら」
「とりあえず、明日、もう一度、教会に行ってみるが良い」
「はい! 分かりました、お姉様!」
次の日の朝。
俺達は、カルダ姫一行と一緒に朝食のテーブルを囲んでいた。
「昨夜、女盗賊は『炎の数珠』を盗むのに失敗したそうですね」
バドウィルが俺の顔を見ながら言った。
「俺が防いだ訳じゃないぞ」
「いえいえ、護衛をしていたアルス殿に恐れを抱いたのでしょう」
「じゃあ、そういうことにしておけよ」
気のない返事をして、バドウィルの笑顔から視線を外した。
「その女盗賊は、まだ、この街に潜伏しているのであろう?」
カルダ姫がバドウィルに訊いた。
「城門が破られたという情報はありませんから、そうだと思います」
「それは物騒じゃ。イルダ、早々にこの街から出ようぞ」
「そうですね。それはそうと、お姉様。これからも別々に旅をされるのでしょうか?」
イルダが少し寂しげな顔をして訊いた。
「フェアリー・ブレードが、私かイルダか、どちらかの体にあるというのも仮説にすぎぬ。まだ、あちこちの街で情報を集める必要があろう。そのためには、別々の方が良いのではないか?」
「……」
「それに、やはり、二人が揃っているのは危険じゃ。そのマタハの説によったとしても、二人が一緒に捕らえられる危険は避けた方が良いということじゃろう?」
「……そうですね」
「また、何日かしたら、こうやって会おうぞ」
「はい。ちゃんと会えるように、連絡を取り合って、お姉様とはそんなに離れないように旅をいたします」
「そうじゃな」
「イルダ」
イルダとカルダ姫との話が一段落するのを待ってから、俺はイルダに声を掛けた。
「実は、昨日の依頼の残務整理があるんだ。この街を発つのは、もう少し待ってくれないか?」
「残務整理とは何ですか?」
だから、バドウィル! お前はいちいち突っ込んで来るな!
「教会も昨日は混乱していて、報酬をまだ受け取っていないんだ」
すぐに判る嘘だが、俺が一人だけもらいそびれたと言い訳もできる。
「そうなのですか?」
「イルダ。そなたはゆっくりとしてから発つと良い。私達は朝食が終われば発つ」
「では、イルダ。息災でな」
「はい。お姉様もどうかごお元気で」
カルダ姫とひしと抱き合ったイルダの目には涙が光っていた。
「リゼル。イルダしゃまをよろしきゅたのみましゅよ」
「はい。ファル姉さんもご無事で」
相変わらずカミカミだ。そして、「姉さん」という言葉にすごく違和感を感じる。
「アルス殿。今度は、ぜひご一緒しましょうぞ!」
だから、何を一緒にしようってんだよ、バドウィル?
宿屋の玄関でカルダ姫一行を見送ると、俺達は、また宿屋の食堂に集まった。
「どうされたんですか、アルス殿? 教会に行かれるとばかり思っておりましたけど」
「実は、昨日、教会とは別に依頼を受けた。これから、その依頼を遂行したいので、しばらくこの街に滞在したい」
「この街の依頼仲介人からですか?」
「いや、本人から直接だ。その依頼人は既にここに来ている」
俺のその台詞を合図にして、天井から黒い影が落ちて来た。
リゼルとダンガのおっさんが素早く席を立って、イルダを守るようにその側に立った。さすがは皇女様の護衛役だ。
ナーシャは何が起こったんだという顔で座ったままだった。子供リーシェは相変わらずの無反応だ。
「悪い悪い! 別にみんなを驚かせるつもりはなかったんだ」
俺は、みんなをなだめすかせるように愛想笑いを浮かべながら、突然現れた人物の隣に立った。
「紹介しよう。こちらが今回の依頼主のエマだ」
エマは軽く会釈をした。
「なぜ、天井から?」
イルダも恐れるというより不思議な顔をしていた。
「他に隠れる所がなかったのだ」
真面目な顔で言ったエマを俺が紹介した。
「このエマは、昨日の夜、大聖堂に忍び込んだ張本人だ」
「な、何ぃ~!」
ダンガのおっさんが槍を構えて、一歩、前に出た。
「そんな盗賊の依頼を受けるとは、どういうことだ、アルス?」
「声、でけえよ!」
イルダに無言で睨まれて、後ろに下がったダンガのおっさんの代わりに、イルダが一歩、前に出た。
「アルス殿。何かご事情があるのでしょうか? 話して、いただけますね?」
イルダに隠し事なんかできないし、イルダならちゃんと話を聞いてくれるという俺の判断は正しかった。
エマが、昨日の夜、俺に話してくれたことを、イルダ達にも話した。
「ここの教会が、そんなことを?」
イルダも信じられないという表情をしていた。
「まあ、そうだよな。俺もまだ自分の目で見たり、自分の耳で聞いていないから信じきれていない。だから、これからその真偽を確かめに行く」
「エマ殿が言われることが本当だとして、エマ殿の依頼の内容はどのようなものなのでしょう?」
「その動かぬ証拠を掴んで、総本山に告発することを考えている」
エマの言葉には並々ならぬ決意が現れていた。
「俺は、このエマの態度に感動したんだ。だって、エマには一銭も得にはならないことを身銭を切って依頼するんだぜ」
「いや、報酬の元は、私が富豪から盗んだ金だ」
――せっかく俺が感動的な話にしてやったのに台無しにしやがるんじゃねえよ!
「あ、相手は教会だ。とてつもなく大きな相手だが、そいつに一泡吹かせることができりゃあ、めっちゃ面白くないか?」
「動機が歪んでおるのお」
ダンガのおっさんに指摘され、イルダをその気にさせる作戦は不発に終わったと思った。
しかし、イルダは真剣な顔をして俺を見つめていた。
「アルス殿」
俺を呼んだイルダの目にはメラメラと炎が燃えているように見えた。
「エマ殿からのその依頼、私が引き取ります」
「えっ?」
「我が祖を祭るフェニア教会がそのような悪行をしているとしたら、私は許すことができません!」
フェニア教会は、アルタス帝国の始祖カリオンを崇拝の対象としている。カリオンの血を受け継ぐイルダが憤慨するのは当然だ。
さっきまでの姉に甘える妹としての顔は、もうどこかに置いてきたようだ。
まったく、惚れ惚れするぜ!
「分かった。俺は、依頼主が誰であろうと、この依頼を受けるつもりだからな」
イルダは力強く俺に頷くと、エマの方に向いた。
「エマ殿。よろしいですか?」
「もちろんだけど、どうして、あなたが?」
イルダが元皇女様だなんて知らないエマが不思議に思うのは当然だ。
「イルダもエマと同じように、世の中の理不尽な出来事が許せない性格なんだよ」
俺の言い訳にイルダも納得してくれたようで、笑顔で俺を見た。




