第二十話 追い詰められた女盗賊
結局、カルダ姫一行も今晩は俺達が泊まっていた宿屋に泊まることになり、一緒に夕食も取った。
先に食べ終えた俺は、寂しげなバドウィルの表情の上に、心配そうなイルダの表情の記憶を素早く上書きしてから、一人、宿屋を出て、大聖堂前の広場に向かった。
大聖堂の近くだけではなく、街のいたる所に篝火が焚かれ、街全体が、昼間のように明るかった。また、騎士団も総出しているようで、何騎もの騎士が街の中を走り回っていた。当然、街から外に出る城門にも騎士が張り付いているだろう。
また、槍や剣を担いだ同業者らしき男どもが大聖堂に向かって歩いていた。
これだけの厳戒態勢が敷かれていたら、とてもじゃないが、エマの犯行予告は実行不可能だと思われた。仮に「炎の数珠」を盗んだとしても、この街から出ることはできないだろう。
広場に着き、大聖堂の玄関前に立っていた係の騎士に名前を告げると、その場で、警戒活動への参加報酬として二ギルダーが現金で支給された。そして、騎士団の指揮下に入る訳でもなく、各々好きな場所で警戒していれば良いと言われた。
さすが、教会は太っ腹だ。
二ギルダーもあれば、二日は豪遊できる。金を受け取って、人目の無い所でこっそりと酒を飲んでいても分からないだろうに、ホイホイと前払いしちまうんだからな。
もっとも頼まれた仕事はどんなに困難な依頼でも最後まできっちりと済ませると言うのがポリシーである俺は、ズルをするつもりはなかった。
と言うことで、明日になるまでの時間、好きな場所を警戒しているだけで良いという依頼内容に則って、俺は街の中をブラブラと歩き出した。
そして考えた。
俺がエマだとすれば、どうするか?
炎の数珠を盗むことは、そんなに難しくはないだろう。
問題は、そこから、どうやって、この厳戒態勢の街から脱出するかだ。
頭に浮かんだ逃走経路を自分でたどってみる。
途中、どう言うルートを通るかなど分かるはずもないが、詰まるところ、城壁を越えなければ外には出られない。しかし、この街に五箇所ある城門には騎士団が張り付いていて、強行突破は、まず不可能だ。
城門を通らずに城壁を越えるには、上と下のルートがある。下とは、穴を掘るということだが、そもそも人が通れるほどの穴が開いていることに気づかないほど、騎士団もぼんくらじゃねえだろ。
残るルートは上だ。しかし、城壁を登って越えていたら時間が掛かる。
それ以外の方法とすれば……。
俺は、街のはずれまで行き、城壁に沿って歩いた。
ここからでも大聖堂がよく見える。
城壁が近いこの周辺は、中産階級の住宅街のようで、共同住宅だと思われる三階建ての石造りの建物が建ち並んでいた。
そして風向き……。変わらなければ、こちら側で良いはずだ。
俺は、とある共同住宅の屋根にいた。傾斜で足を滑らせないように注意深く座りながら、見渡してみると、ほぼ街が一望できる。
今日は新月で、空は真っ暗だが、街中で焚かれている篝火で街全体が明るく浮かび上がっていた。
俺は、時が来るのを、じっと待った。
突然、大聖堂の方から爆発音が街中に響いた。
大聖堂から黒い煙が上がっていた。怒号のような叫び声も風に乗って、聞こえてきた。
どうやら始まったようだ。
街の中心部は騒がしくなったが、俺がいる所は、まだ静かだ。
俺は、顔を大聖堂の方向に向けて、目だけを動かして左右を見渡した。
さあて、どうなるか?
俺の勘が当たれば儲けものだ。
――来やがった!
十五軒ほど先の家の屋根に人影が現れると、鳥が翼を広げたように、その影が大きくなった。
そして、助走をつけて跳び上がると、風に乗って、空高く舞い上がった。
風向きからの計算どおりだ。大きな鳥のような影は俺の方に飛んで来た。
俺は、十分に近づくまで待ってから立ち上がると、懐からナイフを取り出し、狙いをつけて影の翼部分に投げつけた。
何かが破れた音がすると、空飛ぶ人影は姿勢を崩し、すぐに高度を下げて、城壁を超えることができずに、その内側に落ちて行った。
俺もすぐに屋根から飛び降りて、その人影が落ちていった場所に向けて走った。この辺りは篝火もなく、警備している者もいなかった。
そこは、城壁を修復する場合に備えて空き地になっている場所で、俺が駆けつけた時には、人影は翼を脱ぎ捨てて、走って逃げようとしていた。
「おっと! そこまでだ!」
俺に目の前に立たれて、人影は足を止めた。
顔が見えなくても体の線で分かる。女だ。
俺が影に近づいて行くと、薄暗い中でも、その容姿が見えてきた。
紛れもない。昨日の夜、酒場で会ったサラという女だ。
「エマか?」
「あんたは……。どうしてここに?」
俺の問いに否定しなかったということは、エマと言うことだ。
「どうやって壁を越えるかって考えると、空からと言うことしか考えつかなかった。そして、風向きからすれば、こっちへ飛んで来るんだろうと考えたのさ」
「アルス、あんたは教会の人間なのか?」
「いや、お前を捕らえるようにとの依頼を受けただけだ。大人しく俺に捕まってもらおうか?」
「断る!」
「普通、そう言うだろうな。だが、こっちだって仕事だ」
エマが腰に帯びていた湾曲したナイフを抜いて、俺に斬り掛かってきた。
俺は、剣を抜くまでもなく、その手を掴むと、エマを俺の方に引き寄せた。
そして、もう一方の手でエマの背中を押さえ込んで、きつく抱きしめるようにして、エマの動きを封じた。
エマの顔が俺の目の前にあった。
ごく近くで見ると、思いの外、綺麗で、俺は思わず見とれてしまった。
「近くで見ると、やっぱり、美人だな」
「離せ!」
「そうはいかねえな。お前には三十ギルダーって言う賞金が掛かっているんだ。そもそも、人の物を盗むのはいけないことだと、子供の頃に習わなかったのか?」
「アタイだって、真面目に働いている奴から盗んだりしないさ! でもね、ここの教会は住民達からいろんな物を盗んでいるんだ! アタイはそれを少しでも取り戻したいだけなのさ!」
「どう言う意味だ?」
「教会は、この街の住民達に高い税金を掛けて得た資金で、とんでもない物を作っていて、住民達を二重に苦しめているんだ!」
「とんでもない物とは何だ?」
「それは」
遠くから大勢の人が走って来ている音が聞こえてきて、エマは言葉を飲み込んだ。
蹄の音も混じっている。
聖教会騎士団がこちらに向かって来ているようだ。
おそらく、何かの影がこの辺りに落ちたという目撃情報が寄せられたのだろう。
俺は、エマをこのまま追っ手に引き渡すと、何だか後悔しそうな気がしてきた。
かと言って、ここは城壁にどん詰まりの場所だ。馬に乗っている追っ手から逃れるのは至難の業だ。
「いつまで、その女を抱きかかえておるのじゃ?」
――台詞は可愛くないが、とりあえず良いところに来やがる!
大人リーシェが、少しふてくされているような顔をして、俺を睨んでいた。
「リーシェ! 俺とこいつを一緒に飛ばすことはできるか?」
「その女も一緒にか?」
「ああ、教会に渡してしまうのはもったいねえからな」
「わらわと言う者がありながら、その女にも色目を使うとは、とんでもない浮気者じゃな!」
――ちょっと待て!
追っ手が差し迫っているこの状況で突っ込むのも何だが、お前と貞操の契りを結んだ憶えはねえし!
蹄の音はすぐそこまで迫っていた。
「リーシェ! 話は後だ! 見つかるといろいろとやばい!」
「仕方がないのう」
リーシェは、相変わらずエマを抱えて捕まえている俺の背中から俺を抱きしめた。
次の瞬間には、同じように城壁の近くであったが、ずっと暗く静かな所にいた。
「ここは?」
「街の反対側じゃ」
追っ手のほとんどは、今まで俺達がいた場所に引きつけられているだろう。ここはしばらく安全ということだ。
「お前をすぐには教会には引き渡さないから大人しくしてな」
エマが無言で頷いたのを確認した俺は、エマを抱きかかえていた力を抜いて、エマを解き放した。
自分までもが転移魔法で飛んだことが信じられないようで、呆然としていたエマは逃亡を図ろうとはせず、へなへなと座り込んでしまった。
「ところで、お前は、いつまで俺の背中にくっついているんだ?」
リーシェは、まだ俺の背中に張り付いたままだった。
「良いではないか、もう少し」
「背中に当たってるんだが」
「他の女の前だからと言って紳士ぶりおって」
「う、うるさいよ!」
図星を突かれると逆ギレで誤魔化すしかねえだろ!
ニヤニヤとしながら、俺の背中から離れたリーシェは、エマの前に立った。
「昨日、酒場にいた女じゃな」
「ああ、お前の見立てどおり、女盗賊のエマだったよ」
「あ、あんた達はいったい?」
エマは、座り込んだまま、俺達に訊いた。
「昨日、名乗ったとおりだ」
「でも、リーシェお姉様は、転移魔法を使えるんですか?」
エマがぽわぽわとした顔でリーシェを見つめていた。
転移魔法は、皇室お抱え魔法士であったリゼルでさえも使えない、かなり上級の魔法で、それを使える魔法士は少なかった。
エマが不思議に思ったことも当然だろう。
リーシェは、俺を押し退けて、リーシェの前に仁王立ちした。
「そうじゃ! 何となれば、わらわは魔王様じゃからな」
――正直者すぎる。
「魔族なんですか?」
さすがのエマも恐れおののいた表情をした。
そりゃそうだ。
魔族は人族を襲うもの、人族と魔族は共存できない存在というのが一般的な認識で、俺もリーシェと出会うまでは、そう思っていた。
「魔族と言うてもいろいろとおっての。わらわは気に入った者には手を出さぬ。そなたも安心するがよい」
ニコニコと笑いながら話すリーシェは、魔族に対する俺の認識を打ち破ってしまった。
そもそも、魔族は、人族に対しては、支配するか、殺すかの対応しかしない。しかし、リーシェは「普通につき合う」ことができる。「人付き合い」という言葉があるが、「人」と言う言葉が付いているとおり、それができるのが人族と亜人族だ。リーシェは魔族なのにそれができる。そんな魔族はリーシェ以外に俺は知らない。リーシェは魔族の突然変異なのかもしれない。だからこそ、こいつはその昔、この大陸の支配者になれたと考えることもできる。
魔王と聞いて、少しびびっていたエマの顔は、安堵を通り越して歓喜で緩んでいた。
「アタイも気に入っていただいているなんて嬉しいです!」
――こいつの順応能力も半端ないな。
「でも、リーシェお姉様とこの変態男って、どんな関係なんですか?」
「よくぞ訊いたの! わらわは、このアルスの嫁じゃ!」
ちょっと待ったあ! いつ、お前と永遠の誓いを結んだんだよ?
いや、その前にエマの発言にも突っ込みたいところだが、とりあえず時間もないので、俺はリーシェを放っておいて、エマの前にしゃがんだ。
「それより、お前は『炎の数珠』を盗んだのか?」
「いや、盗んでいない」
「失敗したのか?」
「違う。アタイの狙いは最初から別の物だったんだ」
「じゃあ、何を盗んだんだ?」
「これだ」
エマは、背中に背負った袋の中から、小さな瓶を取り出した。
「これは?」
「この街の教会が住民に与えている苦しみの元だ」
「それは……」
リーシェが珍しく驚いた顔をして、エマの手に乗せられた小瓶を見つめていた。




