第十八話 美女のお気に入りは魔王様
黒髪の美女は、俺には見向きもせずに、俺がどこにしようか悩んでいた三軒のうちの一軒に入って行った。
俺が行く店も決まった。
俺は、その店の扉を引いて、中に入った。
蝋燭の明かりで照らされた店内はそれほど広くはなく、立ち飲み専用で、カウンターの他には、背の高い小さなテーブルが三つあるだけだった。
店には六人の客がいた。
男の三人連れとカップルがそれぞれのテーブルで飲んでいた。
さっきの黒髪の美女は、カウンターに一人、もたれ掛かっていた。
入って行った時も一人だったということは、連れはいないと言うことだ。
俺は、すかさず、その美女の隣に立った。
「女が一人でグラスを傾ける姿も乙なものだな」
俺の方に振り向いた女性の黒い瞳には、くっきりと俺が映っていた。
「そんな乙なものを邪魔しに来たのかい?」
「それが男の習性さ。何を飲んでいるんだ?」
「天の滴よ」
「酒の名か?」
「ええ、ここの名物よ」
俺は、カウンターの中にいた店主らしき男に、同じ物を注文した。
店主は、無言で頷くと、カウンターの奥に置いている瓶から柄杓でコップに透明な液体を注ぎ、俺の前に差し出した。
水のようにサラサラとしていたが、甘い匂いがしていた。一口、口に含むと、かなり弱い酒だということが分かった。俺個人的には、甘い水を飲んでいるようで物足りなかった。
「御神酒のようなものか?」
「何でも、教会で保存食として瓶に入れられていた木の実が長い間に発酵して、知らず知らずの間に瓶の下に溜まっていたものなんだって。いわば、神様からのプレゼントと言うことらしいわよ」
「詳しいんだな。この街の人かい?」
「いいえ、巡礼で来ているよ。あんたもそうなの?」
胸鎧を着けて剣を帯びている姿から、住民ではないとバレバレだ。
「ああ。アルスと言う。よろしくな」
「私はサラよ」
「連れは?」
「さあね」
――おいおい! こりゃあ、脈ありじゃねえか?
俺はグラスをサラの前に掲げた。
「二人の出会いに乾杯しようぜ」
「良いわよ」
サラは俺が持ったグラスに自分のグラスを軽く当てた。
「いつまで、この街にいるんだ?」
「明後日の朝までにはいなくなると思うわ」
「そうか。じゃあ、明日の夜にも会えるんだな?」
「残念ながら明日の夜はいろいろと忙しくてね」
「すると、サラと語らうのは、今夜しかないということか?」
その後、俺は、サラの個人的な情報――男の好みとか体のサイズとか――を聞き出そうとしたが、上手く話をはぐらかされて、結局、彼女のことは何一つ分からなかった。
何だか、俺のことにはまったく興味がないようで、微妙に避けられているような気がする。
俺は、今まで女性を相手にして感じたことのない敗北感に苛まれてきた。
――もう宿屋に帰って寝ようかな。
そんなことを心の片隅で思っていると、店の扉が「ギイィー」と小さく軋みながら開いた。
何気なく、入口を見ると、そこには大人リーシェが立っていた。
リーシェは嬉しそうに微笑むと、腰を悩ましく振りながら、俺に近づいて来た。
「アルスよ。そろそろ帰るぞ」
「何だよ? 俺を連れ戻しに来たのか?」
「そうじゃ。前にも言ったじゃろう。酒臭いのは嫌じゃと」
「いや、俺が酒臭いかどうかが気になるほど親密なことはしねえだろ?」
「そうだったかのう。でも、酒臭かったら、そんな良いことは絶対にあり得ないぞ」
そう言いつつ、リーシェは俺を挟んで反対側に立っているサラを見つめた。
リーシェをじっと見つめていたサラの視線が気になったようだ。
「アルス殿。こちらは、どなたですか?」
リーシェのことを尋ねたサラの瞳には、キラキラ光る星が輝いていた。
「えっと、リーシェだ」
俺は、一瞬、何と紹介しようかと悩んだが、どうせ通りすがりの出会いに終わるだろうと本当の名前を言った。
「リーシェ様……。素敵!」
サラは、俺を押し退けると、リーシェの隣に立った。
「アタイ、いや、私はサラと申します!」
いきなり迫って来たサラに、さすがの魔王様も少し引いていた。
「アルス、誰じゃ、こやつは?」
「さっき、この店で会ったばかりで、サラと言う名前以外はよく知らない」
「サラと言うのか?」
「はい! お姉様!」
待て待て待て! さっきまでの俺に対する態度と全然違うじゃねえかよ!
「お姉様のような素敵な方は初めて見ました。まるで人ではないくらいに美しいです」
「まあ、人ではないからの」
おい! 何、さらっとカミングアウトしてんだ!
「本当です! 天使です! 女神です!」
そっちかよ!
まあ、俺もリーシェを初めて見た時には、魔王様だなんて思えず、どちらかと言うと女神かと思ったくらいだからな。
てか、リーシェが嬉しそうなんだけど……。
誉められると、魔王様も単純に嬉しいらしい。
「そ、そうか? まあ、良く言われるがの」
「そうですよね。あっ、一杯いかがですか? 今夜は朝まで語り合いましょう!」
「わらわは、酒は飲まぬのじゃ」
「そうなんですかあ。残念です」
サラは、男に振られたように落ち込んでいたが、リーシェは、そんなサラを慰めるかのように微笑みながら話し掛けた。
「サラとやら。そなたは良い体をしておるの」
「い、嫌ですわ、お姉様。確かめてみます?」
「遠慮しておく。わらわは男の方が好きじゃ。特にこの変態がの」
――「変態」と言って、俺を指差すんじゃねえ!
「こんな男のどこが良いんですか?」
――こんな男って何だ?
「変態のところじゃ」
――だから「変態」を強調するんじゃねえ!
「サラよ」
「はい、お姉様!」
「アルスも変な奴じゃが、そなたもそれに輪を掛けて変な奴じゃな」
「そ、そんな褒めないでください。お姉様。照れてしまいます」
いや、褒めてねえだろ!
リーシェを見てから、サラのテンションがおかしい。
こいつは、どうやら男よりも女が好きらしい。
だから、この俺に対して冷淡な態度が取れたんだ。と自己弁護してみる。
「サラよ。わらわは、この酔っ払いを宿屋に連れて帰らねばならぬ」
リーシェは、俺の腕に自分の腕を絡めてきた。
「その男一人で帰せば良いではないですか?」
「こやつはの、酒と女の匂いに反応して、真っ直ぐに帰れないのじゃ」
それについては反論できねえ。
「かえすがえす残念です。では、お姉様! また、お会いすることはできますか?」
「心配するな」
リーシェは、サラにそう言うと、俺の腕を引っ張って出口に向かい、店の扉を開けると立ち止まって、サラに振り向いた。
「明日の夜、また会えるじゃろう」
リーシェは、何かを言い掛けていたサラに背を向け、店を出た。
リーシェは俺と腕を組んだまま、宿屋に向けて歩き出した。
「リーシェ」
「何じゃ?」
「お前は、どうして、いつもいつも俺が酒を飲んでいると邪魔をするんだ?」
「そなたは、明日、何がある日か分かっておるのか?」
「明日? カルダ姫と会うんだろ?」
「そうじゃ。酒臭い体で会うつもりか?」
「……カルダ姫の近くには寄らないようにするよ」
「それだけではない。その後のこともある。明日の夜のことじゃ」
「明日の夜……。そういやあ、女盗賊が大聖堂にある宝物を盗むって言っていたな」
「そうじゃ」
「しかし、そのことが、どうして俺と関係するんだ。まあ、そのエマという女盗賊には会ってはみたいと思ってはいるがな」
「さっき、会ったではないか」
「えっ?」
「さっき、酒場で話していたサラと名乗った女じゃ」
「あ、あいつがエマだと言うのか? どうして、そんなことが言えるんだ?」
「簡単じゃ。あの女の体を見れば、並外れた敏捷性と柔軟性を併せ持っていることが分かる。しかも、そんじょそこらにいるようなものではないぞ。そして、女盗賊は明日の下見をするため、既にこの街に潜入しているはずじゃろう」
「そう言った事実をつなぎ合わせると、サラと言うのは偽名で、あいつがエマだということか?」
「そうじゃろうの」
リーシェに引っ張られて、俺は街の広場までやって来た。
篝火で明るく照らされていた広場には、大勢の体格の良い男がたむろしていた。
「何だ、あいつらは?」
「あれを見てみろ」
リーシェが指差す先では、男達がぞろぞろと、ある建物の中に入っていた。
「何だ?」
「教会が明日の警備要員を募集しているようじゃ。それに、エマを捕まえると、賞金が出るらしいぞ」
「何だよ? お前は俺に働いてほしいのか?」
「そうじゃ! そなたにはそれしか取り柄はないのじゃから、馬車馬のように働け!」
「おい! 何でお前に尻を叩かれなくちゃいけねえんだよ!」
同じ叩かれるのであれば、イルダの方が……なんて言っていると、また、変態だなんて言われてしまうから言わない。
「明日、面白いことが起きるかもしれぬぞ」
「あのエマが何かしでかすってのか?」
「それもあるかもしれぬが、……この街に入って、そなたは何か変だと感じなかったか?」
「いや、特段」
「そうか。わらわはの、この街に、嘆きや恐れの感情がうごめいているのを感じるのじゃ」
「そ、それは、どんな風に感じるんだ?」
「わらわを誰じゃと思うておる? 忘れておるのかもしれぬが、悪魔の王リーシェ様じゃぞ」
「忘れる訳ねえだろ! しかし、悪魔は、そう言う感情を感じ取れるものなのか?」
「そこに、付け入って、人族と契約を結ぶのが悪魔じゃからの。ラプンティルでもそうじゃったであろう?」
嫌なことを思い出せてくれる。まあ、リーシェには悪気はないのだろうが。
「ラプンティルの時は、一人じゃったから、今のように感じることはなかったが、ここは街全体からそんな感情がわき上がっておるな」
「そうなのか? エマの犯行予告のせいなのか?」
「いや、違うの。もっと根が深い何かじゃな」
結局、俺には感じることのできない街全体のオーラのようなものらしいが、リーシェには感じ取れるらしい。
しかし、この街はフェニアの神様に近い場所だぞ。神様の御前たる街全体から嘆きや恐れがわき上がっているだと?
この街で一体何が起きているというんだ?
「アルスよ」
リーシェに呼ばれて、我に返った俺に、リーシェが再度、賞金稼ぎどもが入って行っている建物を指差した。
「そなたも受付してこい」
「お前なあ! 人使いが荒すぎるぞ!」
「この依頼を受けておると、明日、わらわに感謝することになると思うぞ」
「何でだよ?」
「明日になれば分かる」
楽しそうに笑うリーシェを見ていると、その気になってきた。
今まで、リーシェの言葉に従ってきて、何となく良い感じに回ってきているしな。
「分かったよ」
俺は、心を決めて、受付に向かった。