第十七話 警戒の街
俺達は、見渡す限りの田園風景の中をのんびりと北に向かっていた。
小鳥が歌いながら大空を舞っているのどかな日差しの中、ポクポクという「名馬」フェアードの蹄の音だけが響いていた。
先頭を歩いていた俺は、ダンガのおっさんが手綱を引いているフェアードの近くまで戻り、馬上のイルダを仰ぎ見た。
イルダの前に座っている子供リーシェが、この陽気に負けて居眠りをしていて、落馬しないように、イルダがリーシェをしっかりと抱きしめていた。
「イルダ、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
「リーシェ! そこを代われ!」と叫びたくなるのを大人げないと飲み込んで、イルダの心配をしたが、イルダは笑顔で返事をした。
「イルダ様、リーシェを預かりましょうか?」
リゼルも心配をしてイルダに言ったが、イルダは首を横に振った。
イルダにとってリーシェは、年の離れた弟というポジションに収まっていて、イルダは元皇女様なのに、まめまめしくリーシェの世話を焼いていた。
しかし、子供リーシェの無邪気な寝顔を見ていると、こいつがこの大陸で最強の魔王様だなんて思えないし、嬉しそうなイルダの笑顔を見ると、そのことを話すこともできなかった。
俺達は、ラプンティルの街から北に五日ほど歩いた所にあるマグナルという街に向かっていた。その街で、俺達は、イルダの姉であるカルダ姫の一行と落ち合う約束をしていた。
マグナルは、フェニア教会直轄領の街だ。
フェニア教とは、旧アルタス帝国初代皇帝カリオンを、天空の神から派遣され、悪魔の王を倒した救世主として崇めることを教義とする宗教で、当然のごとく、旧アルタス帝国の保護を受けていた。そのため、この大陸でもっとも信者が多く、教会は、その辺の貴族などより財力も影響力も大きな勢力であった。
フェニア教会の総本山があるバレバという街は「祭都」と呼ばれ、首都に負けず劣らない大都市であるが、今、向かっているマグナルには大陸でも屈指の大聖堂があり、祭都バレバに次ぐ賑わいを見せている宗教都市だ。
遠くに、そのマグナルの城壁が見えてきた。
俺達が歩く道の両脇に広がる畑では、多くの農民が葉物の野菜を収穫していたが、その畑の所々に、全身鎧の上に揃いの外套を着た騎士が槍を持って立ち、辺りを注意深く見渡していた。
外套には、縦棒の上が二股になった「Y」という模様が大きく染め抜かれていた。フェニア教のシンボルマークだ。
「アルス。あの騎士達は何者なの?」
俺の頭の上を飛んでいたナーシャが俺に尋ねた。
「あいつらはフェニア教会直属の聖教会騎士団だ。せっかくの収穫物を収奪されないように見張ってるんだろ」
城壁の外に広がる農地は、城壁の中に住む住民とともに兵士達の胃袋を満たすための食料を生産してくれる。兵士が空腹だと十分な戦闘能力を発揮できないばかりか、反乱の恐れだってある。食料の確保は領主達の最重要事項であり、教会領であっても、それは同じことだ。
フェニア教会の私設兵であり、教会領である街を他勢力からの侵略から守る防衛軍であるとともに街の治安を守る憲兵でもある聖教会騎士団だって、今のご時世、自分達の食料は自分達で守らなければならないということだ。
「街の方から馬に乗った集団が来ているよ!」
ナーシャが目の上に手をかざして前方を見ていた。
その騎馬集団の姿は、すぐに俺の視線にも入ってきた。
小走り程度にやって来ている十騎ほどの連中は、農地に立っている連中と同じように鎧の上にお揃いの外套を纏っていた。
騎馬集団は、俺達の前まで来ると、通せんぼをするように横に広がり馬を止めた。
「止まれ! マグナルに行くつもりか?」
横一列に広がった隊列の真ん中にいた騎士が兜の前面を上げて馬上から尋ねた。
ラプンティルの憲兵もそうだったが、権力を持っている連中というのは、それを笠に着て、偉ぶって話さないといられないようだ。
しかし、逃避行中の元皇女様も一緒だし、ここで変に反抗して注目されることは避けたかった。
「そうだ」
俺が一歩、前に出て答えた。
「どう言う一行だ?」
「首都から逃れてきたのさ。馬上のお嬢様方が先の戦争で生き別れになった商人の父親を探して旅をしているところだ。俺はその雇われ用心棒だ」
騎士団の隊長らしき男はジロジロと、馬上のイルダとリーシェを見ていたが、特に怪しいところはないと判断したようだ。
何だかんだ言って、子供リーシェの存在は警備の目を曇らせてくれる。
逃亡中の元皇女様が子連れのはずはないという先入観もあるだろう。
「よし! 通れ!」
そう言うと、騎士団は小走りに去って行った。
「しかし、警戒が厳重じゃのう」
ダンガのおっさんの言うことも確かだ。城門でのチェックだけではなく、街の外まで警備行動しているのだからな。
「まさか、カルダ様とイルダ様がこの街で落ち合うことがばれているのではないだろうか?」
リゼルが顔を曇らせて言った。
「俺が隊長なら二人を街に入れて、会っている時に一網打尽にするな。それに、か弱き皇女様二人を捕らえようとするのに、あれだけの本気を出すこともねえだろ?」
「それもそうだな」
「きっと、街に入ってほしくない奴が他にいて、そいつに街に入られないように警備を強化してるんだろうよ」
「誰なんでしょう?」
イルダが馬上から俺に訊いてきた。
「さあな。街に入ったら、ちょっと情報収集してみるか。明日、カルダ姫と会うのだから、危険はできるだけ排除しておかないとな」
マグナルの城門でも番兵にジロジロと見られたが、特に問題にされることなく、俺達は通過を許された。
城門を入るとすぐに、街の中心にある丘の上に荘厳な大聖堂が見えた。街のどこからでも眺めることができそうだ。
あの大聖堂への巡礼者が大陸中からこの街に来ており、街は多くの人で賑わっていた。
しかし、そんな華やかな雰囲気を、馬に乗り街を駆け抜ける聖教会騎士団の連中が台無しにしていた。
こいつはマジで厳戒態勢だ。
俺は、宿屋にチェックインすると、カウンターの中にいる宿屋の主人に訊いた。
「えらく騎士が見張ってるな。今日は何かあるのか?」
「えっ、それは……」
宿屋の主人は言いづらそうに、困った顔をした。
「口止めでもされているのか?」
「……」
俺は、懐から銀貨を一枚出し、宿屋の主人の目の前に差し出した。
「忘れていたけど、今、思い出したんじゃねえか?」
金の力を利用するなんて、ゲスっぽいやり方はあまり好きではないが、手持ち資金的には十分余裕もあるから、利用しないという手はない。
途端にゲス顔になった宿屋の主人に銀貨を渡すと、宿屋の主人はカウンターにもたれ掛かるようにして、体を乗り出してきた。
「まあ、大きな声じゃ言えねえが」
宿屋の主人は、俺達しかいないロビーをキョロキョロと見渡した後、俺に顔を近づけた。
「エマって盗賊を探してるのさ」
その名前には、俺も記憶があった。
「俺もお会いしたことはないが、狙った獲物は必ず手にするという噂の女盗賊か?」
「そうよ。大聖堂の中にある『炎の数珠』を狙っているらしいんだ」
「炎の数珠?」
「明日の昼間にでも大聖堂の祭壇を見てみな。ルビーでできた大きな数珠が飾られているからよ」
「へえ~、でも、女盗賊がそいつを狙っていると言うのはどうして分かったんだ?」
「本人が予告文を教会に送り付けたのさ」
「予告文を? そいつは豪毅だな」
「明日の夜に盗みに来るそうだぜ」
エマは、貴族や富豪に予告文を送り付けた上で、その狙った獲物を必ず奪い、その盗んだ宝物などを現金に変えて、スラム街の貧民にばらまいている義賊として名を馳せていた。
盗まれる側の貴族や商人からは討伐依頼が出されていたが、大陸のあちこちに神出鬼没で、しかも予告をしたとおりに警備網をくぐり抜けて、まんまと実行をする鮮やかな手口で、庶民達からは人気があった。
俺も一度はお会いしたいと思っていた有名人だ。美人だという噂もあったしな。
チェックインが終わった俺達は、部屋に荷物を置いてから、ロビーに集合した。
明日には、姉のカルダ姫と会えるとあって、イルダのいつもより嬉しそうな笑顔が正直な気持ちを現していた。
「じゃあ、前祝いと言うことで、今晩は、久しぶりにパア~とやるか?」
イルダだけではなく、ナーシャもダンガのおっさんもリゼルも嬉しそうな顔をした。
子供リーシェも少しだけ口角が上がった気がした。
大陸中から巡礼者が押し寄せて来ているこの街には巡礼者相手の店が多くあった。門前町だけに、さすがにいかがわしい店は無かったが、巡礼者の胃袋を満たす店は充実していた。
様々な食べ物屋が軒を連ねる通りを俺達は歩いていた。
店の前には大勢の客引きがいて、自分の店の自慢料理について熱弁を振るっていた。
中には、しつこいくらいに食い下がってくる奴もいて、少し鬱陶しいくらいだった。
「えらく、みんな張り切っているな」
俺は、辟易した顔をしてダンガのおっさんを見た。
「そうだのう。儂もこの街は初めて来たが、商売の競争が激しいのじゃろうか?」
「私は二回目だが、以前は,これほどのことはなかったと思うのだが……」
リゼルも困惑した表情をしていた。
「こりゃあ、何を食うかを決めてから歩いた方が良いかもな」
俺が立ち止まると、みんなも立ち止まった。
「何を食う?」
リーシェの手を引いているイルダに尋ねた。
「私は、アルス殿の食べたいもので結構です」
「俺も何でも良いぜ。みんなは?」
ナーシャもリゼルもダンガのおっさんも、店の多さに決めかねているようだった。
「リーシェは何か食べたいものはありますか?」
何かを訊かれて,まともに返事をしたことがないこの無口キャラが珍しく、とある店を見つめていた。
俺とイルダがリーシェの視線を追い掛けると、看板に牛の絵が描かれた肉料理専門店があった。
「リーシェも意外と肉食系なんですね」
――イルダ! それ、冗談になってねえから!
食事を終えて、俺達は肉料理専門店から出た。
一応、腹は膨れたが、みんな,物足りなさそうな顔をしていた。
「まあ、一見さん相手の店はこんなもんじゃろう」
ダンガのおっさんが言ったように、この店の料理は「こんなもん」だった。
不味くもなかったが、けっこう高めの料金設定から言うと、満足できる味ではなかった。
「使っている肉がそんなに良い肉ではなかったな。味付けで何とか誤魔化せていたようだが」
俺も感じていたことを、リゼルが呟いた。
俺もしがない賞金稼ぎで、そんなに高級な料理を食べているわけではないが、皇室付きの魔法士だったリゼルが言うのだから、俺の味覚も間違っていないはずだ。
客引きまでして集客していることからも、店同士の競争が激しいことが想像される。かと言って、料金を下げると実入りが減ってしまう。その代わりに、材料費を節約しているのだろう。
「では、帰りましょうか?」
来た時と同じようにリーシェの手を引いて、宿屋の方に歩き出したイルダの背中に、俺は声を掛けた。
「イルダ」
他のみんなも足を止め、俺の方に振り返った。
「俺はもう少し飲んでから帰る。みんなは先に帰っててくれ」
美味い飯だったら、まだ満足していたかもしれないが、久しぶりの街なんだから、もう少し胃袋に美味いものを入れたかった。もちろん酒と一緒にだ。
「アルス殿、飲まれすぎませぬように」
少し不機嫌な顔をして俺を睨んだイルダを見て、「しこたま飲んだる」という決意が少し揺らいだ。
だが、飲みには行く!
残念ながら、ここの街の店は全部、十一の刻までには閉まってしまうらしいから、短期決戦だ。
俺は、「じゃあな!」と手を振り、みんなと別れた。
同じ通りを通っていくと、男の一人客と見た客引きが、俺の服を引っ張るという強硬手段にも訴え始めた。
その手を振り払いながら進んでいくと、人通りが少ない場所にまでやって来た。
大聖堂からも宿屋街からも遠い場所からすると、巡礼者ではなく、街の住民相手に営業していると思われる店が何軒か、落ち着いた佇まいを見せていた。
こう言う店に何か美味いものがありそうな気がする。
三軒に絞った店の中から、どこに入ろうかと迷っていると、俺の目の前を一人の女性が通り過ぎて行った。
漆黒の長い髪を後ろで一つに束ね、袖無しの上着に、裾を絞ったズボン、足元にはブーツを履いて、ベルトには湾曲したナイフをぶら下げていたその女性は、身長的にはイルダ以上大人リーシェ未満というところで、白い肌に黒い瞳の美しい顔をしていた。
この広い大陸でも東側に多いとされる人族の容姿で、俺もあまり見たことがない美女に神秘的な魅力を感じた




