第十三話 青い鎧の騎士
「お前、俺の心まで読めるのか?」
「いくら、わらわでもそんな芸当はできぬわ。自分でぶつぶつ呟いておったぞ」
――いかん。酒のせいで心の呟きが口にも出ていたようだ。
大人リーシェは、俺に腕を絡ませ、体を密着させてきた。
「お、おい!」
「こうしている方が目立つまい?」
確かにそうだ。リーシェのような美女が一人で夜の街を歩いている方が怪しい。
「つまらぬ女に捕まらぬように、さっさと宿屋に帰るかの」
リーシェは俺と腕を組んだまま歩き出した。
――俺を邪魔しに来たのか? ひょっとして、この魔王様、嫉妬してんのか?
「俺がこんな所にいるのは嫌か?」
リーシェの冷たい眼差しが俺に向けられた。
「ふんっ! わらわはの、酒が嫌いなのじゃ!」
「はあ?」
「酒の匂いを嗅ぐだけで反吐が出るのじゃ! そなたがこれ以上、酒を飲むとキスもできぬではないか!」
――どんだけお子ちゃまなんだ?
「それって、俺とキスをしたいということか?」
リーシェは立ち止まって、俺の顔を見つめた。
「そなたは、わらわとキスをしたくないのかえ?」
「させてくれるのであれば遠慮なく!」
思わず舌なめずりをした自分が情けない。
「……ぷっ! ふふふふふ」
「な、何だよ?」
「顔が嫌らしいから、今日はお預けじゃ」
――このシチュエーションで、嫌らしくない顔なんてできる訳ねえだろ!
リーシェは、俺の腕を引いて、また歩き出した。
「それはそうと、マタハに会って正解じゃったの」
「そうだな。お前もマタハの説を信じるのか?」
「わらわがフェアリー・ブレードを奪えないようにするにはどうすれば良いか、と言うことから考えると、十分、信憑性があるじゃろう?」
くそっ! 俺と同じことを考えてやがる。
「アルスよ。わらわがどうしてイルダの前に姿を見せたか、分かるか?」
「どう言う意味だ?」
「だから、カルダではなく、イルダと一緒に旅をしている訳じゃ」
「……お前、まさか」
「ふふふふ、わらわは最初から二人の皇女のどちらかの体の中にフェアリー・ブレードが隠されているのでないかと考えておった。マタハは、わらわの考えが正しいことを教えてくれたわ」
「自分の考えを確かめるために、マタハに会いに行けと言ったのか?」
「そうじゃ。そして、カルダとイルダのどちらかと言えば、イルダの体にあるような気がしてならぬのじゃ」
「なぜ?」
「こればかりは、わらわの勘としか言いようがないの。実際に、フェアリー・ブレードを見ておるわらわの勘じゃ」
「だから、これ見よがしに俺達の前に倒れていたのか?」
「封印が解けるのは夜が多いから、前夜からイルダの進路を予測して、あの場所にいたのじゃ。子供の姿になったわらわは、あの時、お腹が減って倒れてしまったようじゃが」
腹が減って倒れていた魔王様というのも、考えてみれば、格差萌えだぜ。
――ぎゃああー!
突然、街中に響き渡るほどの大きな悲鳴が聞こえた。先ほど、サハルと別れた広場の方向だと分かった。
「何だ?」
一気に酔いが醒めた俺は、悲鳴がした方に走った。
角を曲がると、広場の一角に倒れている二つの影と、その前に立っている一つの影が見えた。立っていた影が、俺の方に体ごと振り向いた。
そいつは、青い鎧を全身に纏っている騎士の姿で、その手に握っている剣からは血が滴り落ちていた。
「何をしてやがる?」
俺も剣を抜いて、青い鎧の騎士に近づいた。
近づくと、倒れているのが、先ほど俺とサハルに声を掛けて来た憲兵二人だということが分かった。
「貴様! 何者だ?」
顔全体を覆う兜をかぶり、声も出さなかったが、その長身は男だと思われた。
しかし、青い鎧の騎士は、俺の問いには答えず、いきなり剣を打ちこんで来た。
俺は、自分の剣で何とか受け止めたが、体が揺れてしまった。
くそ! 少し飲み過ぎてる!
だが、それを差し引いても、この青い鎧の騎士から発せられている殺気は、こいつがただ者ではないことを教えてくれていた。
さっき振り回した剣さばきも無駄が無く、少しでも油断をすると、首と胴体が今生の別れをしていたことは間違いない。
こいつは強い! とてつもなく強い! そして危険だ!
俺は、剣を構えて、青い鎧の騎士の周りをゆっくりと移動していったが、隙を見つけることができず、剣を打ちこむことができなかった。
突然、空から何かが降ってきた。
それは大量の氷の粒で、青い鎧の騎士の上だけに降ってきていた。
あっという間に、青い鎧の騎士は氷の柱の中に閉じ込められてしまった。
今まで一緒にいたことを忘れていたリーシェが、いつの間にか、俺のすぐ後ろに立っていた。
「これは、お前が?」
「そうじゃ。それにしても、情けないのう、アルス。酒に飲まれてしもうたか?」
「め、面目ねえ」
俺が頭を掻いていると、ピキピキと何かにひびが入る音がした。
青い鎧の騎士を閉じ込めている氷に大きなひびが入っていた。そして、すぐに粉々に崩れ落ちてしまった。
青い鎧の騎士は、何事も無かったように、また剣を構えて俺達に迫って来た。
「ほ~う、おもしろいのう」
リーシェは、本当に楽しそうに微笑んだ。
「わらわの氷柱牢を破るとは、そなた、魔族か?」
リーシェは背中の剣を抜いた。鍔と鞘を繋いでいた鎖が簡単にちぎれたのが見えた。
「アルス。こやつの相手はわらわがする。手出しをするでない」
「大丈夫か?」
「ふんっ! わらわも酔っ払いに心配されるほど落ちぶれてはおらぬぞ」
リーシェは、つかつかと前に進み出て、青い鎧の騎士の前に立った。
「さあ、来るがよい」
リーシェは、首を少し傾げて、相手を見下すような視線を投げつけた。
それに挑発されたのか、青い鎧の騎士は目にも止まらぬ速さで剣を打ち込んだ。
しかし、リーシェもやすやすとその剣を受け止め、その後、二人は何回か打ち合った。まるで剣舞を舞っているように優雅で無駄の無い動きであった。
しかし、さすが魔王様だ。
剣の腕前も名人級だ。リーシェが振り下ろした剣が青い鎧の騎士の左肩を強打した。
しかし、青い鎧には、傷一つ付かなかった。
リーシェは、一旦、後ろに下がり、間合いを取った。
「わらわの剣をもってしても切れぬとはの」
「リーシェ! その鎧は錬金術で耐久力を極限にまで高めたものだ!」
「なるほどのう。人族の頭の良さには、時々、脱帽するわい」
錬金術は魔法ではなく科学だ。過去から積み重ねられた様々な研究の集約の結果なのだ。
「されど、それで、わらわを止めることなどできぬ」
紫色のリーシェの瞳が赤く輝きだした。どうやら、自称魔王様退治の時には見せなかった本気モードに入ったようだ。
「甲羅に閉じ籠もった亀よ! 掛かって来るがよい!」
青い鎧の騎士は剣を大きく振りかぶりながら、リーシェに突進した。
しかし、青い鎧の騎士が振り下ろした剣の先には、リーシェはいなかった。
リーシェは、月の明かりで石畳に映し出されていた自分の影に沈んで行ったかと思うと、青い鎧の騎士の後ろに伸びていた騎士の影から浮かび上がってきた。
そして、思い切り両手で、水平に剣を振るい、青い兜を強打した。
青い鎧の騎士の首が宙を舞い、ガランガランと金属音をさせながら、石畳の上に転がった。
しかし、転がったのは兜だけだった。その中身が無かった。
胴体もそうで、鎧の中は空っぽだった。
中の人がいないのに、鎧だけで動いていたのか?
リーシェは、高く跳躍して、俺の側に立った。
「亀のように引っ込める頭も手足も無かったようじゃの」
リーシェは特段驚いていないようだ。
遠くから大勢の人が駆けて来ている音がした。また、街のあちらこちらで笛の音が鳴り響いた。
青い鎧の騎士は、すぐに反応して、自分の兜を拾うと、俺達に背中を向けた。
「待て!」
と俺が言って、青い鎧の騎士が待ってくれるわけもなく、三階まである建物の屋根に軽々と飛び上がると、そのまま屋根から屋根に飛び移りながら姿を消してしまった。
「アルス! ここで姿を見られると、後が面倒じゃ。わらわに掴まっておれ」
そう言うと、リーシェは、いきなり、俺に抱きつき、キスをした。
気がつくと、俺達は、少し離れた路地にいた。
「こ、これは?」
「魔法で飛んだ」
「俺も一緒に飛ぶには、キスをしなければいけなかったのか?」
「そなたの顔にしたいと書いておったでの」
――書いていたかもしれない。
「それにしても、そなた。そのわずかな隙にも舌を入れようとしたのう。本当にスケベじゃな」
「してねえよ! てめえは俺に変態の上にスケベの烙印まで押す気かあ?」
「ふふふふ」
ちくしょう! こんなに萌える魔王様は人族にとって確かに危険だ!
「それより、何なんだ、あいつは?」
「おそらくじゃが、魔族じゃろうの」
「姿の見えない魔族なんているのか?」
「魔族は、あの亀ではない。亀を操っている奴じゃ」
「どう言う意味だ?」
「人形使いじゃろう」
「人形使い?」
「命の無い物を自分の意のままに操る魔法じゃ。あの青い鎧を人形として操っておったのじゃろう」
「すると、あの青い鎧の騎士を操っていた魔族は、どこかに隠れていたってことか?」
「そうじゃの。それはそうと、あの青い鎧はマタハが作ったものなのか?」
「ああ、そのようだな。しかし、お前の剣は、その鎧をぶった切ることができるんだな」
「鎧を斬ったのではないわ。あやつの兜と鎧を繋いでおるリベットを破壊しただけじゃ」
なるほど。兜をかぶった時に鎧と固定するリベットまで、いちいち錬金術で鍛えた部品を使っている訳はないしな。
リーシェが急にモジモジと体をくねらせだした。
「どうした?」
「……アルス。すまぬが封印する力がまた戻ってきておる。わらわは先にベッドに戻るぞ」
そう言うと、リーシェは消えた。
――やれやれ。
こう言う時、魔法は便利だと、つくづく思うぜ。
俺は、宿屋への道を歩き出そうとしたが、気になって、先ほどの広場に戻ってみた。
建物の角に隠れて、そっと広場を見てみると、五人の憲兵が現場検証しているようだった。
二体の遺体はまだ横たわったままだった。
偉そうな憲兵だと言っても、家に帰れば、夫であり、父であるはずだ。
俺は、青い鎧の騎士への怒りをどこにもぶつけることができずに、ここにいることが辛くなった。
酔いと疲労感で重い足を引きずるようにしながら、俺は宿屋に戻った。
俺が宿屋に帰った時には、うっすらと空が明るくなりかけていた。
宿屋の玄関から入ると、ロビーの椅子にイルダとナーシャが座っていた。
どうやら、俺を待っていてくれたようで、イルダは、俺の顔を見て、ほっとした表情を見せた。
「アルス! 夕べはお楽しみだったようだね?」
ナーシャがニタニタしながら言った。
まあ、そんな嫌味を言うためだけに、早起きして俺を待っていた訳ではないだろう。何だかんだ言って、ナーシャとも二か月近い付き合いだからな。
「ナーシャ! イルダに誤解されるような言い方をするな!」
「アルス殿、おかえりなさいませ」
ちょっと声が怖い。
「はっきり言うが、今まで、女の所にいたわけじゃねえからな! ちょっとゴタゴタがあって……」
「修羅場だったのか?」
「修羅場は修羅場だが、魔族に襲われたんだ」
「魔族に? 街の中に魔族がいたのですか?」
「そうなんだ。しかし、俺もしこたま飲んでいたから、まともに戦うことができなくて、何とか逃げて来たってことよ」
うん。嘘ではない。さすがに、リーシェと一緒だったなんて言える訳がない。
そこにちょうど、枕を抱いた少年姿のリーシェが目を擦りながら、ロビーに入って来た。
「リーシェ! 目が覚めちゃったの?」
慌てて、リーシェの側に駆け寄ったイルダの問いに、こくりと頷いたリーシェはどこからどう見ても美少女にしか見えない。
しかし、俺は大人リーシェの方が好きだ!
と声を大にして宣言して、少年が好きだという誤解を解きたいのだが……。