第十二話 旧友と夜の蝶
錬金術師マタハの家を出た俺達は、しばらく無言のまま街を歩いた。
フェアリー・ブレードは、カルダ姫かイルダのどちらかの体の中に隠されているというマタハの説は十分に説得力があった。
自分の体にフェアリー・ブレードが隠されているかもしれないと言われて、イルダも少なからずショックを受けているようで、沈んだ顔つきをしていた。
「探し求めていたフェアリー・ブレードが自分達の手元にあるかもしれないってことだぜ! もしろ喜ぶべきことじゃねえのか?」
「……そうですね。アルス殿の言われるとおりですね」
何かを吹っ切ったように、イルダは俺にいつもの笑顔を見せてくれた。
「これまでどこにあるかすら分からなかったフェアリー・ブレードの在処の有力な情報が得られただけでも大きな進歩ですね」
「ああ、そうさ! マタハの情報が正しいとすると、後は、どうすればフェアリー・ブレードを取り出すことができるかだ? それについて、何か思い当たることはないのか?」
「……分かりません。お姉様と連絡を絶やさぬようにとの言伝くらいでしたから」
「カルダ姫との連絡を絶やさぬようにか……。フェアリー・ブレードを取り出すには、二人が揃っている必要があるのかもしれないな」
「お姉さまとは、宮殿にいる時も、宮殿から落ち延びてからも、しばらく一緒におりましたけど、何も変わったことはありませんでした」
「二人が一緒にいるだけではなく、他に何らかの条件があるんだろうか?」
「……何も思いつきません」
「まあ、今すぐに思い出そうとしなくても良いさ。イルダが言ったとおり、今日は大きな進歩があったんだ。今日のところは、これで良しとしようぜ」
「そうですね。人間、欲張ると理性的に行動できなくなると言いますものね」
「そうやって、すぱっと気持ちの切り替えができるところもイルダの良いところだ。惚れ直したぜ」
「ア、アルス殿」
「どさくさに紛れて何を言っているのだ!」
リゼルが俺とイルダの間に立って、俺を睨んだ。
「リゼルも良い女じゃねえか」
「な、何を言っておる?」
リゼルの褐色の顔が赤く染まった。
「マタハも虜にするその爆乳美腰はな」
「き、貴様!」
「待て、待て、待て! 褒め言葉だって!」
俺に向けて魔法を発動しそうな勢いだったリゼルを止めると、俺は、みんなを見渡した。
「それより、これからどうする? 俺の知り合いの鍛冶屋の所に行ってみるか? マタハの所よりは有意義な話は聞けないと思うが?」
「せっかくですからお邪魔いたしましょう。それに、アルス殿もご友人にお会いしたいのではないのですか?」
「まあ、男にはそれほど未練はないが、せっかく、この街に来て、会わずに帰るのも悪いからな。じゃあ、これから寄ってみるぜ」
鍛冶屋サハルの店は、マタハの家と街の中心部を挟んで反対側にあった。
店の奥に工房があって、そこで自らが作った剣やいろんな刃物を売っているようだ。
店の中に入ると、剣や槍といった武具の他に、鋤、鍬といった農具、鋸のような工具まで、その見本が所狭しと壁に掛けられていた。
店の主人は、手持ちぶさたで、店の奥にあるカウンターに立っていた。
「久しぶりだな、サハル!」
「アルスじゃねえか! 本当に久しぶりだな!」
「元気にしてるか?」
「見てのとおりよ。暇を持て余してて、少し体がなまっているけどな」
サハルは、年齢も身長も俺と同じくらいで、体格も良いから戦士もできるだろうに、本人は争いごとが嫌いだそうで、ずっと若い時から親方に弟子入りをして鍛冶屋を目指してきた変わり者だ。
褐色の肌に短く刈った黒い髪をしており、口髭と顎髭も短く綺麗に整えていて、俺なんかよりはずっと清潔感溢れる良い男だ。
俺に続いて、イルダ達が店に入って来た。
「連れか?」
サハルが不思議そうな顔をした。
前回、サハルに会ったのは三年ほど前で、まだ近衛兵にもなっていなくて、一匹狼の賞金稼ぎをしていた頃だ。
「ああ。俺に連れがいるのは不自然か?」
「そうだな」
特に、イルダのような美少女が連れであることは、俺自身が運命の悪戯としか思えないほど不思議なことであった。
俺は、連れのみんなを紹介した。
イルダは、戦争で親を亡くした大商人の娘だと紹介した。イルダ自身が使っている偽の経歴だ。
「あんなお嬢様とどこで知り合ったんだよ?」
サハルは俺の肩を抱きながら、俺の耳元で囁くように訊いた。
「まあ、俺の元には、美しき女性が集ってくる運命になっているんだろうな」
「あり得ねえだろ!」
俺は、ひとしきりサハルと冗談を言い合うと、今度は、サハルをイルダ達に紹介した。
「俺が今使っている、この剣もサハルに作ってもらったものだ。ちゃらんぽらんだけど、鍛冶の腕だけは、俺が知っている中では最高の奴だ」
「そんなに褒めても何も出ねえぞ。立ち話も何だ。適当に座ってくれ」
店の中に四人掛けの小さなテーブルがあり、リーシェを含む女性陣四人を座らせた。
俺は、カウンターにもたれ掛かりながら、サハルに訊いた。
「親御さんは元気か?」
「い、いや、両親とも一年前に死んだ」
「そ、そうか? それは悪いことを訊いちまったな」
「気にするな」
少し沈んだ表情を見せたサハルだったが、すぐに笑顔に戻った。
「実は、サハルに訊きたいことがあるんだ」
「何だ?」
「フェアリー・ブレードという剣を知っているか?」
「伝説の魔剣だろ?」
「ああ、それが、今、どこにあるかって聞いたことがあるか?」
「どこにあるかが分かっていたら、もう、既に伝説じゃなくなってるだろ」
「それもそうだな。……すまない。変なこと訊いたな」
「まあ、お前は、前から変だったからな」
イルダやみんながこっそりと笑っているのが分かった。
「それと、全然、話は違うんだが、さっき、たまたま錬金術師のマタハという爺さんに会ったんだが知っているか?」
「ああ、お前と似たり寄ったりの変人だっただろ?」
「そいつは否定できねえな。しかし、俺と同じように信頼できる奴か?」
「さあな。マタハともそれほどつき合いもないから分からないな」
「錬金術で鍛えた青い鎧を盗まれたと言っていたが、知っているか?」
「ああ、ちょっと前まで、けっこう騒いでいたからな。鎧が一人で歩いて行ったって言うんだから、お前以上の変人かもしれねえな」
「だから、俺と比べなくて良いから!」
サハルにフェアリー・ブレードのことをこれ以上訊いても無駄だと俺は思ったが、イルダにはまだ別に訊きたいことがあったようだ。
「アルス殿。せっかくですから、リーシェの剣のことを訊いていただいてもよろしいですか?」
俺にとっては、もうリーシェの正体は明らかになっているのだが、俺以外の者には、記憶喪失の美少女のような美少年ということしか分かっていない。リーシェが持っている剣が、リーシェがどこの誰かを特定できる証拠の品と考えていてもやむを得ないことだ。
「そ、そうだな。リーシェ、お前の剣を俺に貸してくれ」
リーシェが、また、腕をプルプルと震わせながら、自分の剣を俺に渡した。俺は、それをそのままサハルに渡した。
「その剣は鍔と鞘が鎖で繋がっているんだ。こんな剣を見たことあるか?」
「どれどれ。……なるほど」
「何か分かったのか?」
「顧客の魔法士がこれと同じような剣を持っていた。その剣自体に魔力があるようだが、それを勝手に使われないように、この剣のように抜けないようにしていると言っていた」
「なるほど。魔力を持つ剣を使う時だけ、その鎖を切る魔法を使う訳だな」
「そう言うことだ」
「では、リーシェの持っている剣は魔剣なのじゃろうか?」
ダンガのおっさんが、サハルの手元にあるリーシェの剣を見つめながら言った。
魔王様の剣だ。魔剣でない方がおかしい。
大人の姿になったリーシェは、すんなりとこの剣を抜いた。
おそらくだが、この剣もフェアリー・ブレードの魔力により封印をさせられており、リーシェが覚醒した時に、この魔剣の封印も解けているのだろう。
ふと気づくと、リーシェの無表情な瞳が俺を見つめていた。
「この剣が魔剣ならリーシェは魔族ってことになるが、もしそうなら、今頃、みんな、リーシェに殺されてるぜ」
「それもそうだな」
ダンガのおっさんのみならず、みんなが俺の言葉を真に受けてくれた。
まあ、子供リーシェの風貌や態度からは、リーシェが魔族、しかも魔王様だなんて誰も思わないよな。
リーシェは、じっと俺を見ていた視線を外すと、隣に座っているイルダの腕を取り、甘えるように体をすり寄せた。
どうやら、俺の弁解にご満足していただけたようだ。
サハルの店を出た俺達は、ラプンティルの街でも高級な宿屋にチェックインした。
――まったく、リーシェ様々だ!
夜になると、サハルと差しで飲みに行く約束をしていた俺は、みんなを宿屋に残して、街に出た。
もう辺りは暗くなっていたが、都会だけに、多くの店先に蝋燭や植物油で灯るランプが吊り下げられており、通りの左右にそんな店が建ち並ぶ繁華街は、その灯りとその下にいる女達に集まる男どもで溢れていた。
サハルに指定された店に入ると、そこは女性店員が酒の相手をしてくれる、そこそこ高級な店だった。
サハルの名前を告げると、奥まった席に案内された。
向かい合って置かれたベンチ型の椅子の両端に柱があり、四つの柱を囲むように垂らされた絹の幕で個室のように仕切られていた。
その幕を押し広げながら、中に入ると、既にサハルが一杯引っ掛けていた。
「おせえぞ」
もう良い気分になっているようだ。
「悪い。思ったより歩くのに時間が掛かってしまった」
「あのお嬢さんの側から離れたくなかったんじゃないのか?」
「ああ、それはあるな」
馬鹿笑いするサハルの正面に座ると、早速、女性店員が俺とサハルの隣にそれぞれ座った。
「何にします?」
色っぽい声でオーダーを取られると、イルダのことをすぐに心の片隅に一時避難させた俺は、目の前にいる女性店員のことしか見えなくなった。
たらふく飲んで食べて話して、女性店員に少し悪戯もしてから、サハルと二人で肩を組みながら、ご機嫌で店を出た。
「いやあ、やっぱりアルスと飲むと面白いぜ!」
「こっちもだ! 三年ぶりに会ったが、お互いに全然、変わってなかったな」
「ああ! しかし、お前は女連れだったじゃねえか! 幼女を含めて四人も!」
「幼女は趣味じゃねえから! しかし、あの金髪の美少女には、もうメロメロだ」
「確かに、良い女だなあ。ったく! どこで知り合ったんだよ?」
「秘密だ。しかし、お前も、腕の良い鍛冶屋だって、この街じゃ評判なんじゃないのか?」
「女は鍛冶屋なんか興味はねえのさ。俺が丹精込めて鍛え上げた剣を振るって悪者を倒す戦士様には、どうやったって敵わねえよ」
「そんなミーハーな女なんか相手をする必要はねえよ。その歳で店を持っているという堅実なところを見てくれる女を探すんだな」
「もう、何年も待っているが、誰も来ないぞ」
「アピールが足りないんじゃないか?」
「どうすりゃ良いんだよ?」
「よし! 次の店で詳しく教えてやる!」
「よっしゃ! 行くか!」
街の中心部にある大きな広場を歩きながら、サハルと良い気分で話していると、後ろから傲慢そうな声で呼び止められた。
「おい! そこの二人! 止まれ!」
振り返ると、二人の憲兵がいた。
憲兵とは、領主様が自分の支配する街の治安を維持するために雇った兵士のことだ。
だいたい、どこの街でも領主様直属ということで態度がでかいのがこいつらだ。
「お前は、……鍛冶屋のサハルだな。連れは誰だ?」
憲兵が旅の者である俺を知らないのは仕方が無い。
「俺の友達のアルスという賞金稼ぎだ。俺に会いにわざわざ来てくれたんだよ」
サハルも気分を害しているようで、見るからに不機嫌になっていた。
「どこに泊まっている?」
宿屋にはイルダがいる。ここの憲兵隊の所にイルダの指名手配書が回って来ていないとは限らない。憲兵隊に宿屋へ行かれることがないようにしたかった。
「何だよ? 俺は、そんなに怪しいのか?」
「サハルの友人と言うだけでな」
「何? どう言う意味だ?」
「本人に訊いてみな」
当のサハルは、顔を真っ赤にして憲兵達を睨んでいた。
「最近、毎夜、憲兵隊を襲う奴が出没しているんだ。そんな夜中に、サハルがどこに行っているのかと思ってな」
「だから、友達と飲んでいただけだと言ってるだろうが!」
サハルが怒鳴ったが、憲兵達は冷ややかな表情であった。
「じゃあ、真っ直ぐ、家に帰れ!」
「貴様が帰ったら、俺達ももう襲われないはずだからな」
「言われなくとも帰るさ! 行こうぜ、アルス!」
サハルが大股でその場から去ろうとしたので、俺も跡を追った。
「お前、憲兵隊と喧嘩でもしてるのか?」
「嫌いなだけだ!」
俺に問いにサハルは不機嫌そうに答えた。
人の良いサハルがここまで嫌うくらいだから、ここの憲兵達は、かなり横柄で傲岸不遜な奴らなんだろう。
「ったく! しらけちまったぜ!」
「ちょうどいい加減だ。お開きにするか?」
俺が少し前を歩くサハルに言うと、サハルは足を止めた。
「そうだな。宿屋まで送ろうか?」
「いや、俺的には、まだ宵のうちだ。フラフラと寄り道しながら帰るぜ」
「そうか。朝帰りなんかしていると、あの金髪の美少女が悲しむぞ」
「どうせなら悲しまれるようになりたいぜ」
「ははははは、宿屋へは、その道を行けば帰れるはずだ」
サハルは、広場から放射状に伸びている道の一つを指差した。
「分かった」
「じゃあな」
二人の憲兵が遠くで見てる前で別れを告げると、俺とサハルは別の道路に分かれた。
道路の両側は石造りの邸宅が続いていたが、どの家も灯りは消えていた。
宿屋にいる俺の連れも、みんな、もう寝ているだろう。
夜空を照らしていた月が雲に隠れて辺りが暗くなったが、俺の歩いて行く方向に異様に明るい一角があった。
その光に誘き寄せられる虫のようにフラフラと近づいて行くと、先ほどまでの寂しい通りから一変して、通りの両側に、露出の多い女達が大勢立っていて、その間を男どもがにやけた顔でゆっくりと歩いていた。
娼婦街のようだ。憲兵達の姿は見当たらない。どうせ、見て見ぬふりをしているのだろう。何と言っても、娼婦達の元締めである女衒は、金を握っている。領主様だって頼りにしているはずで、いわば、持ちつ持たれつの関係ということだ。
しかし、……俺、すんなりと通り抜けることができるだろうか?
いや、はなからそんなつもりはなかった。
色んな肌の爆乳美腰の女達が体をくねらせながら、俺に誘惑の視線を送りつけてきていた。
自然と足が遅くなる。
リーシェのお陰で懐も暖かい。
これまで、ずっと野宿だったんだ。ここいらで旅の垢を落とすのも一興だ。
俺は、ゆっくりと歩きながら、好みの女を捜した。
――俺の好み?
爆乳美腰であれば、特段のこだわりは無い。大人リーシェのような美女なら最高だ。
「そなたは、そんなに、わらわが好みかえ?」
「どわぁああ!」
いきなり近づいて来て俺の腕を取ったのは、魔王様だった。
「何を驚いておる? このスケベが!」