エピローグ
ルシエールの街は、魔族の支配から解放された。
一応、無傷で残っていたルシエールの宮殿が、俺達の新しい住み家となった。そして、わずかに残った住民達が、新生アルタス帝国の臣民となった。
軍備を整えるには、金が掛かる。そのために、城門は常に開かれていた。とにかく、街の復興が喫緊の課題だ。街に多くの人を入れて、街を元の姿に戻す必要がある。
もちろん、警戒は怠っていない。街の四方に斥候を飛ばし、この街に攻め入ろうという動きがあれば、直ちに対応できるようにしている。
まともな軍隊など、まだ持ち合わせていないが、心配は無用だ。なぜなら、こちらには百万の軍勢にも匹敵する魔王様がいるのだから。
いや、言い直そう。
元魔王様だ。
俺は、開けっ放しの入り口から玉座の間に入った。
しかし、玉座には誰も座っておらず、書類を持ったリゼル一人がいて、部屋を見渡していた。
リゼルは、この宮殿の新しい主であるイルダにふさわしい玉座の間にしようと、この部屋の点検をしているのだろう。
「イルダはどこだ?」
俺がリゼルに訊くと、リゼルは首を横に振った。
「この部屋の模様替えをしたいので、イルダ様の意見も訊きたいと思って、私も探しているのだが、……きっと、カルダ様の墓前ではないだろうか」
おそらく、そうだろう。イルダが姿を見せない時、いつも、そこにいる。
「そっちに行ってみる」
「アルス、イルダ様がいれば、玉座の間に戻ってほしいと伝えてくれないか?」
「分かった」
玉座の間を出ると、その入り口に槍を持って立っていた警備兵が、たどたどしい動きで敬礼をした。
この警備兵達は、職を失った住民達だ。
今のこの街には、他に就ける職業はなかったからだが、街が復興してきて、住民達が自立できるようになってくれば、警備兵も精鋭を揃えることができるだろう。
また、先の大戦以来、逃避行を続けているアルタス帝国恩顧の軍人達も、皇女イルダが領地を持ったと知ると駆け付けて来てくれるはずだ。それまで、今の体勢で、この街を守らなければならない。
俺は、宮殿の中庭に降りていった。
そこは、魔族に支配されていた時には、長い間、手入れもされず、殺風景な所だったが、カルダ姫が埋葬されて、その墓標の周りを花でいっぱいにしたいというイルダの願いで、今は色とりどりの花が咲き乱れる綺麗な庭園になっていた。
中庭の中央にあるカルダ姫の墓標の前に、イルダが座っていた。
この街の新たな支配者となったイルダは、従者達が皇女としてふさわしいドレスの着用を勧めていたが、住民達の境遇を考えると、そんな贅沢はできないと、以前から来ているドレスをそのまま着ていた。
イルダは、花が咲き乱れる墓前の地面に直に座り、その膝には、子どもリーシェが膝枕をしてもらっていた。旅をしている時には何度も見た光景だ。
イルダは、ときどき、リーシェを子どもの姿に戻らせて、可愛がっているのだ。カルダ姫がいなくなってしまった今、血は繋がっていないが、子どもリーシェは、イルダの唯一の肉親と同じと言って良い。
いや、むしろ、血は繋がっていると言えるのではないだろうか。
イルダは、リーシェの母親である大妖精の生まれ変わりに違いないのだから。
子どもリーシェの寝顔を穏やかな顔で見つめているイルダに、俺も声を掛けることがはばかられ、少し離れた場所から、しばらく、二人を見ていた。
そのうち、イルダが俺の視線に気づいたようで、顔を上げたイルダと目が合った。
俺は、大股でイルダの近くまで歩いて行った。
「アルス殿。何か?」
「リゼルが玉座の間で呼んでいる。それと、俺も少し用事がある」
「至急の案件ですか?」
「いや、俺の方は後で良いぜ」
俺は、イルダの隣に座った。
カルダ姫の墓標には、何本かの百合の花が供えられていた。
カルダ姫は、イルダのために自ら命を絶った。そのショックで、しばらくは生ける屍のようになっていたイルダだったが、イルダの心は、少しずつではあるが、平穏に戻ってきている。
「アルス殿」
「うん?」
「もっと、近くに来てくれませんか?」
イルダの膝には子どもリーシェが頭を乗せていて、見る限り、本当に居眠りをしているようだ。動けないイルダの近くに、俺は座り直した。
「もっと近くに」
俺が、体が触れあうほど近くに座ると、イルダがもたれ掛かってきた。
「アルス殿。アルス殿は、ずっと、私の側にいてください。お姉様みたいにいなくならないでください」
「分かった。約束しよう」
「絶対ですよ」
「ああ」
イルダを見ると、イルダも俺を見つめていた。次第に、二人の顔の位置が近くなっている気がする。
「人の目の前で、何をいちゃついておるのじゃ」
慌てて、元の位置に顔を戻して下を見ると、イルダの膝の上で、子どもリーシェがしっかりと目を開けていた。
「いちゃついていた訳じゃねえよ。イルダとの心の繋がりを再認識していたところだ」
「何が心の繋がりじゃ? 相変わらず、口から出任せが上手いのう」
子どもリーシェも上半身を起こして、俺とイルダに向かい合うようにして座った。
「イルダとの繋がりは、わらわの方が上じゃ。何と言っても、わらわとイルダは『親子』じゃからな」
イルダがリーシェの母親である大妖精の生まれ変わりで、俺は勇者カリオンの生まれ変わりだというのが、今のところ、みんなが納得している説ではあるが、本当にそうなのかどうかは、誰にも分からない。
そもそも、大妖精の子どもであるカリオンの子孫が、どうして人族なのか?
カリオンとリーシェの父親は誰なのか?
アルタス皇室とフェニア教会に伝わる神話では、カリオンの父親は「神」だとされているが、そもそも「神」とは何だ?
大妖精と同じ妖精族の小妖精は「森の精霊」から精を受けて子どもを授かるようだから、我々、人族が想像できない存在には違いないだろう。
いずれにしても、そのことが判明しないと、俺とイルダとリーシェの関係に、何か影響があるとも思えない。一緒に旅をして培われた、お互いの信頼関係は、そんなこととは関係なく、これからも崩れることはないだろう。
「アルス!」
ナーシャが顔色を変えて飛んできた。
「どうした?」
「エマさんから連絡があって、帝国軍が攻めて来ているって! その数一万!」
「やはり、来たか」
「どうしましょう? こっちには、まだ、軍と呼べるほど兵士は集まっていませんが?」
「心配することはない」
子どもリーシェが冷笑を浮かべながら立ち上がった。
「こっちには魔王様がいるのじゃぞ。イルダは玉座で居眠りなどしておれ」
子どもリーシェは、一瞬で大人リーシェに変わった。
「だから、お前は、もう、魔王じゃねえだろ?」
「今の帝国にとっては、魔王と同じじゃろ?」
「なるほど。そういうことであればな」
俺のツッコミにも冷静に返したリーシェの側に、今度は、コロンが転移してきた。
「魔王さまぁ~、早くしてくださいよぉ~。一万もの軍勢を、おいら一人で相手なんてできないすよぉ~」
「何、泣き言を言っておるのじゃ。それでも魔王リーシェの子分か?」
「が、頑張りやす」
コロンの頭を撫でたリーシェは、俺とイルダに、いつものふてぶてしい笑みを見せた。
「わらわの安息をかき乱す連中には、魔王の力、嫌というほど見せつけてやろうぞ」
リーシェとコロンが転移をして消えると、俺とイルダだけが残った。
「さて、俺も行ってくる」
「アルス殿」
立ち上がった俺が、歩を止めて振り返ると、イルダが体ごと俺にぶつかってきた。そして、背伸びしたイルダの唇が俺の唇に重なった。
すぐに体を離したイルダは、少しはにかんだ顔で俺を見つめた。
「アルス殿、大好きです! だから、死ぬことは許しません!」
「心配するな。さっきの約束は絶対に守る。そして、イルダと一緒に、新しいアルタス帝国を作る! だろ?」
「はい」
イルダが右手をまっすぐ前に伸ばした。
光の粒がイルダの右手を舞うように輝くと、そこにはフェアリー・ブレードが握られていた。イルダは、自分の体から自由にフェアリー・ブレードを取り出せるようになっていた。
イルダは、フェアリー・ブレードを俺に差し出した。
「勇者よ。我が帝国を守り給え」
その時、俺は凄まじい既視感に襲われた!
目の前には大妖精がいた。
「カリオンよ。リーシェを守りなさい」
カリオンは、最初から、リーシェを討つつもりなどなかったんだ。それが母の願いだったのだから!
目の前にいるのが、イルダの姿に戻った。
俺は、厳かにフェアリー・ブレードを受け取った。
魔王すら封じ込める無敵の魔剣にして、アルタス帝国の承継者の証たる聖剣フェアリー・ブレード!
五百年前には魔王の支配を打ち破り、人族に平和と安寧の日々をもたらしたフェアリー・ブレードは、五百年後の今、カリオンの末裔たるイルダが、この大陸に、再び、平和と安寧をもたらすために、その姿を現したのだ!
俺は、刀身を真っ直ぐ上に向けたフェアリー・ブレードを、胸の前で構える敬礼をした。
「皇女イルダの心のままに!」
(完)




