第百十七話 勇者と魔王、そして大妖精
「リーシェ! てめえ!」
俺は、リーシェに突進して、カレドヴルフを叩き込んだ。
リーシェは、フェアリー・ブレードでカレドヴルフを受け止めたが、俺は体を押し込んで、リーシェとつばぜりあった。
「アルス! 慌てるな!」
リーシェが、フェアリー・ブレードでカレドヴルフを払うと、俺はカレドヴルフを引き、少し後ろに下がった。
「リーシェ! お前、言ってることとやってることが、全然、違うじゃねえかよ! 魔王として返り咲くのは百年後とか言ってなかったか?」
「ああ、言った。じゃが、封印を解かぬとは言った覚えはないぞ」
「とにかく、イルダを返せ! まだ、治療をすれば……」
俺は息を飲んだ。
リーシェに斬られたはずのイルダが、何事もなかったかのように、リーシェの隣に立っていたからだ。
その白いドレスは、カルダ姫の返り血も自らの血でも汚れてない、純白のままだった。
「これは、いったい?」
俺もそうだが、リゼル達も呆然として、誰一人として言葉を発することはなかった。
当のイルダ自身も、よく分からないという顔で立ち尽くしていた。
「今まで二回、フェアリー・ブレードが出てきたところを見たが、それで分かったことがある」
リーシェは、イルダに近づくと、その肩を抱いた。
「フェアリー・ブレードは、その保管庫たる者が傷つけられた時、必ず、その者を治癒するということじゃ」
確かに、一回目は、吸血鬼にされていたイルダの体を元どおりにした。二回目は、イルダの体自体には何も異常はなかったが、エリアンの返り血で血まみれだったドレスを真っ白に戻した。つまり、何もない正常な状態に戻している。
それに、よく考えれば分かることだった。
皇帝は、イルダとカルダ姫に「刺し違えよ」と言い含めていた。しかし、その言葉どおり、刺し違えると、イルダも死んでしまい、フェアリー・ブレードをその手にするカリオン直系の者がいなくなる。皇帝も知っていたんだ。フェアリー・ブレードをその体に宿している間は、イルダは死なないと!
「わらわがイルダをフェアリー・ブレードで斬ったとしても、フェアリー・ブレードは、すぐにイルダの体を元どおりにしてしまうと踏んだ訳じゃ」
「それに懸けたってことか?」
「いや、せめて、わらわ一人だけでも生き残ろうと思っての」
「何だと!」
俺が、怒りの表情をリーシェに向けたが、リーシェは知らんぷりだった。
「わらわ達が、ここで全員死んでも、ベルフェゴールは残るのじゃぞ。そして、わらわ亡き後、魔王として君臨するはずじゃ。どう転んでも、人族の支配は終わってしまうじゃろう」
リーシェがフェアリー・ブレードでイルダを斬って復活しなければ、結局は、ベルフェゴールが俺達を皆殺しにするはずだ。そして、リーシェ亡き後、恐れる者がいなくなったベルフェゴールは、その望みどおり、自らの帝国をこの大陸に築くだろう。
そのベルフェゴールを倒せるのは、リーシェしかいない。
リーシェの行動は、起死回生を狙った、一か八かの賭けだったということだ。
「そういえば、ベルフェゴール達は?」
「この結界の外におる」
「この暗闇のことか?」
「そうじゃ。おそらく、フェアリー・ブレード自身が張っておる結界じゃな。誰もが手にできる状態で出てくる際には、このように結界を張って、誰それとフェアリー・ブレードを手にすることができないようにしておるのじゃろう。じゃが、それも、そろそろ消えるはずじゃ」
「リーシェ……さん?」
今まで、呆然とリーシェを見ていたイルダが、肩を組んでいるリーシェを呼んだ。
「お姉様は? お姉様はこのまま……」
最後は涙で声が消された。
イルダは、また、しゃがんで、地面に横たわるカルダ姫の上半身を抱えた。その腹部には血の跡が消えずに残っていた。
「カルダ姫は、フェアリー・ブレードを取り出すための鍵だったのじゃろう? アルスよ」
「ああ、そうだ。そして、カルダ姫は、それを自覚していた。さっき、自分からイルダが持ったナイフにぶつかっていったのも、その覚悟の現れなんだ」
「そ、そんな……。なぜ、そんなことが、フェアリー・ブレードの取り出し方に……」
イルダにとって、残酷な方法だが、それは誰かが決めたということではなく、最初からそうだったのだろう。
フェアリー・ブレードは、その保管庫となっている者の体に外因的な異常があると元に戻してくれるようだが、その者の寿命まで延ばすことはできないはずだ。だから、アルタス皇室では、フェアリー・ブレードを次の代の者の体に移し替える際には、鍵にされていた者の命が失われてきたのだ。そして、それが五百年間、ずっと続けられてきたのだ。
何となく、周りの暗闇が明るくなってきている気がした。
「そろそろ、フェアリー・ブレードの結界が解けるの」
リーシェは、周りを見渡しながら言った。
「結界の外では、ベルフェゴールが待ち構えておるはずじゃ。アルス! そなたがこのフェアリー・ブレードでベルフェゴールを討て!」
「俺が?」
「そうじゃ。この、フェアリー・ブレードは、勇者カリオンとその子孫にしか持てぬ魔剣にして聖なる剣。わらわも、こうやって持っているだけで、手がジンジンとしびれてしまっておる」
リーシェは、フェアリー・ブレードの刀身を下向きにして、その柄を姉姫様の亡骸を抱きかかえているイルダに差し出した。
「本来の持ち主は、イルダ、そなたじゃ。しかし、そなたは剣を振るえまい?」
「……はい」
「では、そなたから、アルスに命じるのじゃ。持つべき者からの命令でないと、このフェアリー・ブレードは、その力を出し惜しみするだろうしの」
カルダ姫の死を未だに受け入れられないようなイルダだったが、差し出されたフェアリー・ブレードから発せられる淡い光を見つめて、自らの使命を思い出したかのようで、姉姫の遺骸を丁寧に地面に横にすると、立ち上がり、リーシェからフェアリー・ブレードを受け取った。
もともと、七色に輝いているフェアリー・ブレードが、いっそう輝きを増した。また、イルダの体が、再び、淡い光に包まれた。
イルダがフェアリー・ブレードを持つべき者なのは間違いない。
「アルス殿」
光るフェアリー・ブレードを持ち、淡い光を体にまとうイルダは、女神にしか見えなかった。俺は、自然とイルダの前にひざまずいた。
イルダは、フェアリー・ブレードの刀身を俺の肩に置いた。
「勇者カリオンから連綿と続くアルタス帝国を守ってください」
イルダがそう俺に告げると、フェアリー・ブレードの光が和らいだ。そして、立ち上がった俺に、イルダがフェアリー・ブレードを差し出した。
俺は、フェアリー・ブレードを受け取った。
新しい剣は、自分の手に馴染むまで少しだけ時間が掛かる。しかし、このフェアリー・ブレードは、最初からしっくりと俺の手に馴染んでいた。まるで昔から使っていたように。
「思い出した!」
リーシェが素っ頓狂な声を上げた。
「カリオンじゃ! フェアリー・ブレードを持ったアルスは、カリオンにそっくりじゃ!」
リーシェは、五百年前に戦ったカリオンの顔を忘れたと言っていたが、それが、俺にそっくりだと?
しかし、それをじっくりと考える時間はなかった。
暗闇に亀裂が入ると、ガラスが割れたような音とともに、暗闇が消え去った。
俺達の周りには、ベルフェゴールと黒騎士達がいた。
「ま、魔王様! そ、そんな馬鹿な! いつの間に元に戻ったのだ?」
再びの魔王様の姿に、ベルフェゴールは、明らかに動揺していた。
「ベルフェゴールよ。このアルスが持っている剣に見覚えはないか?」
封印されてしまった時とは打って変わって、いつもの冷笑を浮かべたリーシェが、俺の隣に立ち、フェアリー・ブレードを示した。
「そ、それは、フェアリー・ブレード? ま、まさか」
「フェアリー・ブレードにより封印されていたわらわは、そのフェアリー・ブレードにより封印を解くことができた。さっきのように、子どもの姿に戻されることは、もう、ないぞ」
「また、はったりか?」
「試してみるか? もっとも、そなたの相手をするのは、わらわではない。十二魔将筆頭を務めた、そなたくらいの力を持つ悪魔であれば、わらわがその体をバラバラにしても、復活しないとは限らないからの。フェアリー・ブレードの力で、永遠に封じ込めなければならぬじゃろうが、わらわは、フェアリー・ブレードを握ることはできぬ。じゃから、勇者カリオンの生まれ変わりである、このアルスが、そなたを倒そうぞ」
リーシェはそう言うと、俺の耳元に顔を近づけた。
「アルス。ベルフェゴールは、強力な魔力を持った悪魔じゃ。単に剣で斬るだけではとどめは刺せぬ。あやつの心臓にフェアリー・ブレードを突き刺して、灰になってしまうまで、フェアリー・ブレードの光を注ぎ込むのじゃ」
リーシェは、小さな声でそう告げると、すぐに俺から離れた。
俺は、フェアリー・ブレードを構えたまま、数歩、前に出て、ベルフェゴールを睨んだ。
「ベルフェゴール! この街は返してもらうぞ! お前ら魔族に、この大陸を支配されてたまるか! この大陸はアルタス帝国が治めるべき場所だ!」
俺は、黒騎士どもに突進をした。
体中から力がみなぎってくるのが分かった。自分の動きが、自分でいちいち考えるまでもないほど速いのが分かった。すべては、フェアリー・ブレードが俺に与えてくれている不思議な力によるものだろう。
フェアリー・ブレードは、剣としても素晴らしい剣だった。俺の右腕と一体となっているように、自由自在に振り回すことができた。
錬金術師マタハの手による超硬剣カレドヴルフも素晴らしい剣だが、所詮は人が作った物だ。しかし、大妖精の体の一部だというこのフェアリー・ブレードは、それを手にしているだけで、自分の体の限界がなくなっているような錯覚を覚えた。自分が思い描くように体が動き、そして、何でも斬れた。黒騎士どもの鎧甲冑も紙でできているのかと思えてしまうほど、あっさりと斬れてしまうのだ。
五人の黒騎士をあっけなく斬り倒すと、俺はベルフェゴールと対峙した。
「さあ! 掛かってきやがれ!」
「こしゃくな!」
ベルフェゴールが腰の大剣を抜くと、俺に打ち掛かってきた。
その剣の速さからいうと、普通の剣で受け止めると簡単に折れてしまい、カレドヴルフでもかなりの衝撃が手に残っただろうが、フェアリー・ブレードでは、まったく、そんなこともなく、むしろ、ベルフェゴールの方が何らかの衝撃を受けていた。
「こ、これは?」
「思い出したか、ベルフェゴールよ? その剣を相手にした時の感覚を」
遠くから、リーシェが言った。
リーシェの言葉に唸り声を上げたベルフェゴールは、後ろに飛び下がり、その場で、大剣を振り下ろした。リーシェがよく使っている「風切剣」だと直感した俺には、見えないはずの風の剣が迫って来ているのが見えた。
見えるものであれば、剣で防げないものはない。俺は、複数の風の剣をフェアリー・ブレードで叩き落とした。
その後も、ベルフェゴールの攻撃は休みなく続いた。剣による攻撃は無理だと早々に悟ったようで、魔法による攻撃に切り替えて、休む隙なく、俺に攻撃を仕掛けてきた。
しかし、俺は、魔法など使えないにもかかわらず、まるで手品の種明かしをされているように、その魔法が「見えた」。火の玉、氷のナイフなどの弾道があらかじめ見えてしまうのだ。だから、それを避けたり、弾くことは、動かないカカシに剣を当てることと同じように容易いことだった。
ベルフェゴールは焦っていた。兜で覆われた表情は分からないが、体が小刻みに揺れていて、苛ついているのは明らかだ。
突然、ベルフェゴールが消えた。
転移魔法だ!
しかし、俺の後ろに現れたことも同時に分かった。背中に目がある訳ではないが、なぜか分かった。そして、分かった時には、既に体が反応していた。背後から振り下ろされたベルフェゴールの大剣を、俺は、瞬間的な速さで振り向き、フェアリー・ブレードで受け止めた。
「無駄だ!」
今の俺は無敵だ!
ハッタリや根拠のない強がりではない。フェアリー・ブレードがそうしてくれているのだ。
すぐに転移をして、合間を取ったベルフェゴールが、また、すぐに消えた。
現れたのは、イルダの背後だった。すぐ側にはリーシェもいるが、イルダを傷つければ、何かしら、事態の打開が図られると考えたのだろう。
しかし、俺は、まったく焦らなかった。
実際、イルダの後頭部に振り下ろされたベルフェゴールの大剣は、イルダの体を淡く覆っている光で止められて、その体には届かなかった。
「じゃから、無駄じゃ。ベルフェゴールよ。今のイルダは、フェアリー・ブレードにより守護されておるのじゃ」
イルダの隣に立っているリーシェが、首だけを回して、ベルフェゴールに言った。
「わらわも今になって、やっと分かったぞ。フェアリー・ブレードは、その名のとおり、大妖精から作られたものじゃ。そして、その大妖精は、わらわの母親じゃ。つまり、フェアリー・ブレードとわらわは、同じ者から『生まれた』のじゃ。じゃから、わらわと同等以上の力を持っていても不思議ではない。そんな魔剣に、そなたなどが敵う訳がなかろう?」
リーシェが言い終わらないうちに、ベルフェゴールは、また、転移をして消えたが、空間の一点を目指して、リーシェがどこからか取り出した鎖を投げつけると、その鎖の先端が足首に巻き付いた姿で、消えたはずのベルフェゴールが、再び、現れた。
リーシェが、輪投げの要領で、その鎖をぶんぶんと振り回すと、ベルフェゴールは、まるで横向きの風車のように空中で回転して、最後は、そのまま地面に叩きつけられた。
「転移して逃げるつもりか? そうはさせんぞ。そなたの死に場所はここじゃ!」
目を回したのか、フラフラしながら立ち上がったベルフェゴールを目掛けて、俺はフェアリー・ブレードを突き立てながら、突進をした。
「ベルフェゴール! 先に地獄に行ってろ!」
俺は、ベルフェゴールが振り回した剣を器用に避けながら、その懐に飛び込むと、フェアリー・ブレードを、その左胸に突き刺した。
「ぎゃあああ!」
断末魔を上げ、もがき苦しむベルフェゴールに、俺は抱きつくようにして、フェアリー・ブレードを更に深く、ベルフェゴールの胸に押し込んだ。フェアリー・ブレードが妖しい光を発し、その光の粒が切り口からベルフェゴールの体に入っていっているのが見えた。
ベルフェゴールの体が次第に細くなっていくと、黒い鎧ごと、ベルフェゴールの体がボロボロと崩れていった。
最後、フェアリー・ブレードから閃光が放たれると、そこには、ベルフェゴールの姿はなく、黒い灰だけが地面に溜まっていた。
途端に、いつの間にか上空を覆っていた黒い雲に切れ目ができて、そこから太陽の光が差し込んできた。この街を支配していたベルフェゴールの魔力が完全に消えたからだろう。
フェアリー・ブレードを持ったまま、俺は、イルダとリーシェに近づいた。
「リーシェ!」
俺は、フェアリー・ブレードを構えたまま、リーシェに問い掛けた。
「何じゃ?」
「お前は、本当に、魔王に返り咲こうとは思っていないのか?」
「今はの。玉座に一人でふんぞり返っておるより、アルスと馬鹿を言っている方が楽しいわ」
それは、リーシェの本音に違いないだろう。
俺は、リーシェの隣に立っているイルダに体を向けると、頭を下げた。
「イルダ。今まで黙っていて、すまなかった。実は、俺達と一緒にいたリーシェが、ここにいる魔王リーシェなんだ」
「魔王? リーシェは魔王ではありませんよ」
「えっ?」
カルダ姫を失ったショックで、気が触れてしまったかと思ったが、イルダの表情は、穏やかなままであった。
「フェアリー・ブレードが出て来た時、今までフェアリー・ブレードに関わってきた者の記憶が私の頭の中になだれ込んできました。勇者カリオンもいました。魔王もいました。そして、大妖精も」
リーシェも、イルダが何を話そうとしているのか、訝しむような顔で聞き入っていた。
「大妖精は、私に言いました」
イルダが俺に向けて腕を伸ばすと、俺が握っていたフェアリー・ブレードは、まるで誰かにむしり取られたように、俺の手から離れ、飛んで行き、イルダの手に収まった。
「これは大妖精の体の一部だそうです。そして、私の体の一部でもあると」
イルダは、ゆっくりとその視線をリーシェに向けた。
「リーシェ」
「何じゃ?」
「あなたは、もう魔王ではありません」
「ならば、わらわは何じゃ?」
「あなたは、私から生まれたのです。フェアリー・ブレードと同じ、私の体の一部です。そして」
イルダがフェアリー・ブレードをリーシェに突きつけた。既に晴れ渡った空に輝く太陽の光を反射して、フェアリー・ブレードがキラリと光った。
「私の大好きなリーシェです」
イルダの目から大粒の涙がひとつ、こぼれ落ちた。




