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フェアリー・ブレード  作者: 粟吹一夢
第九章 神話を紡ぐ者たち
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第百十三話 姉姫様の覚悟

 ザルツェールもよほど疲れたのか、それとも昨日、俺をさんざん痛めつけて、とりあえず溜飲が下がったのか、昼を過ぎても姿を見せなかった。

 俺は、一人、檻の中で寝転がりながら、いろいろと考えていた。というか、それしかできることがなかった。

 もっとも、体のあちこちにできている傷で、少し体を動かすたびに悲鳴を上げたくなるほどに痛みが全身を走って、その都度、考えを中断させられたが。

 とりあえず、ベルフェゴールからも、ザルツェールからも、エマの話は出なかった。

 無事、逃げおおせているはずで、俺がこういう状況だということは、イルダ達にはもう伝わっているはずだ。

 そして、イルダがここに来ても、何の解決もできないことは、エマが力説してくれているだろう。この状況を打破できるのは、リーシェしかいない。イルダが眠ってくれて、リーシェの封印が解けたら、リーシェは、必ず、ここに来てくれる。

 俺は、そう信じていた。



 いつの間にか、冷たい石の床に横になって眠っていた。

 天窓の外は、もうすっかりと夜だ。明かりも点いていない監獄は真っ暗だったが、俺は起き上がり、鉄格子の扉近くまで歩み寄った。

 すると、律儀に夕食が差し入れられていた。朝と同じようなパンが一つとスープ。もうスープは冷え切っていて、また、中身は野菜のようだが、何を混ぜられているのか分からないので、今いち食欲がわかなかった。

 アルタス帝国軍では、三日の絶食行軍訓練もやったくらいだ。少なくとも三日食わなくても、俺の体がもつことは立証済みだ。

 監獄の扉が開いた。

 看守役の魔族の兵士が入って来て、入り口近くにある蝋燭立ての蝋燭に火を灯すと、監獄内がほのかに明るくなった。

 揺らめく炎で照らされた入り口からザルツェールが入って来た。

 どこか満足げな微笑みをたたえたまま、ザルツェールは、俺が入れられている檻の前までやって来た。

「何だよ? これから、また、お仕置きか? もう寝る時間じゃねえのか?」

「私の方は、君にはほとんど用はなくなったよ」

「何?」

「新しいお隣さんだ。仲良くしてくれたまえ」

 ザルツェールが監獄の入り口を見た。それに併せて、魔族の兵士が一人の女性を抱えて、入って来た。女性は気絶をしているようで、力なく抱きかかえられていた。

 女性を抱えた魔族がザルツェールの隣に立った。その女性の顔を見て、俺は息を飲んだ。

 カルダ姫だった。

「ど、どうして、カルダ姫が?」

「どうやら、君が捕らえられたと聞いて、イルダ様と別行動を取るようにしたようだね。それが裏目に出て、私の命じた捜索隊の網に引っ掛かってくれたということだよ。残念ながら、イルダ様ではなかったが、少なくとも、君よりはイルダ様を呼び寄せることができるだろう」

「ザルツェール! 貴様! 目的のためなら手段を選ばないのか? 心まで魔族になりやがったのか?」

「私が欲しいのは、イルダ様のみ。あの愛らしい体をこの手に抱きしめるためなら、何だってするさ」

 目が据わってやがる。こいつ、マジで狂っている。

「イルダは、お前に抱きしめられるくらいなら、死を選ぶだろうぜ」

「そうさせないためのカルダ様と貴様だよ」

 魔族の兵士は、カルダ姫を隣の檻の中に入れると、思いの外、優しく床に横たえた。そして、カルダ姫を残して檻から出ると、檻の扉を閉めた。

 その時の音で、カルダ姫が目覚めたようで、上半身を起こして、ここはどこかと辺りを見渡した。当然、檻の外から見下ろすザルツェールに、すぐに気づいた。

「ザルツェール! そなたがいるということは……」

 カルダ姫は、隣の檻の俺にも気づいた。

「アルス殿! やはり、ここは」

「ああ、ルシエールの宮殿の中だ」

 俺がザルツェールに代わって答えた。

「カルダ姫。ファルとバドウィルはどうした?」

「二人とも黒い鎧をまとった騎士に捕らえられた」

 さすがのファルとバドウィルも、あの黒騎士達には敵わなかったということか。いや、リーシェ以外に敵う奴はいないはずだ。

「ファルとバドウィルはどうした?」

 俺は、ザルツェールに問い質した。

「心配するな。人質は多い方が良い。まだ、生きている」

「ザルツェール! 呆れたぞ! そなたと同じ血が流れていることが耐えられぬくらいじゃ!」

 カルダ姫の怒りはもっともだ。しかし、この状況では、負け犬の遠吠えでしかない。

「何とでもおっしゃってください。私の望みはイルダ様のみ。残念ながら、あなたは私の好みではないのでしてね」

 嫌らしく笑うザルツェールに吐き気がした。後悔先に立たずというが、こいつは、もっと早く始末をしておくべきだった。

「しかし、何と言っても、あなたも皇女様ですからなあ。隣の下賤な男とは違って、体を傷つけることはしないでおきましょう。その代わり、この男の体を、また、痛めつけてやりますよ。何なら、カルダ様もやってみますか?」

「お断りじゃ! このような屈辱を与えるのなら、いっそ、ひと思いに殺すが良い!」

 最後まで皇女としてのプライドを捨てないところは、さすがだ。

「ええ、イルダ様を我が手にできれば、その時には望みを叶えて差し上げますよ。既にこの周辺の街や街道沿いに、カルダ様を捕らえた旨、そして、イルダ様にも出頭を促す旨の掲示をしています。イルダ様も遅かれ早かれ、このことを知り、このルシエールの街に来るはずです」

 俺のみならず、カルダ姫も捕らえられたと知ると、イルダは、きっと、ここに来るだろう。いくら、リゼルが止めたとしても、唯一の肉親であるカルダ姫を人質に取られていて、知らんぷりができるイルダじゃない。

 イルダは、ここに来る時に、子どもリーシェをどうするだろうか?

 子どもリーシェは、イルダにとっては可愛い弟だが、血が繋がっている訳ではない。イルダは、リーシェを巻き込みたくないとして、ここには連れてこない可能性もある。一方で、エマがイルダの近くにいるはずで、リーシェでないと、この事態は打開できないことが分かっている。子どもリーシェを連れてくるように、エマがイルダを説得できるだろうか?

 それにしても、イルダと出会ってから、イルダと離れて夜を迎えるのは、今回が初めてだ。たった二日だが、イルダに会えないことがこんなに辛いことだとは思わなかった。俺の中で、イルダの存在がこれほどまでに大きくなっていたのかと驚かされる。



 結局、ザルツェールは、俺をいたぶることもせず、監獄から出て行った。

 今のあいつには、きっと、やって来るであろう、イルダのことしか頭にないのだろう。

「カルダ姫、大丈夫か?」

 俺は、隣の檻の中で、石の床に座り込み、抱えた膝に頭をうずめているカルダ姫に声を掛けた。

 カルダ姫は、ゆっくりと頭を上げ、俺を見た。

「宮殿が落ちた時から、いつかは、このようなことになるとの覚悟はできておる。ただ、残念なのは、我が身でイルダを呼び寄せてしまうことじゃ。イルダのことじゃ。ザルツェールが言ったように、必ず、ここに来るじゃろう。あの子はそんな子じゃ」

 カルダ姫も、姉として、ちゃんとイルダのことを分かっている。そして、心配をしている。

「カルダ姫! まだ、俺達は死ぬと決まった訳じゃねえ! イルダから話を聞いているだろうが、魔王リーシェが助けてくれるはずだ!」

「魔王なのに、魔族からわらわ達を助けるのか?」

 大人リーシェに会ったことがないカルダ姫は、どうしても信じられないのだろう。

「フェアリー・ブレードさえ見つかっておれば」

 カルダ姫がぽつりと呟いた。

 俺は、少しの間、躊躇したが、俺が考えている、フェアリー・ブレードの取り出し方をカルダ姫に話すことにした。

「カルダ姫」

 立ち上がった俺は、檻の鉄格子に張り付くようにして、隣の檻のカルダ姫を呼んだ。カルダ姫は、座ったまま、俺の顔を見た。

「何じゃ?」

「あんたのベルトにも、イルダと同じようなナイフがあったよな?」

 捕らえられた時に奪われたのだろう。今、カルダ姫のベルトにはナイフはない。

「あれは、宮殿から落ち延びる直前に、イルダとともに陛下から賜ったものじゃ。皇女として辱めを受けようとする際には、あれでお互いに刺し違えよと言われておる」

「カルダ姫。よく聞いてくれ」

 俺の声が重くなったことから、カルダ姫もこれから俺が話すことがひどく重要なことだと分かったようで、立ち上がり、鉄格子越しに、俺と向かい合った。

「何じゃ?」

「俺は、フェアリー・ブレードの取り出し方について、考えていることがある。自分では、おそらく正解だと思っている」

「まことか?」

「ああ。だが、先に言っておく。フェアリー・ブレードを取り出すには、あんたの命が必要なんだ」

「……やはりな」

 意外と冷静なカルダ姫の反応に、俺は少し驚いた。

「分かっていたのか?」

「いや、初めから分かっていた訳ではない。フェアリー・ブレードがイルダの体に隠されていたと分かった時から、ずっと考えておったのだ。なぜ、わらわも宮殿から落ち延びさせられたのかと」

「……」

「イルダが宮殿から落ち延びさせられたのは当然のことじゃ。フェアリー・ブレードを敵の手に渡すことなどできないからの。ならば、わらわはどうして落ち延びさせられたのじゃと疑問がわいた。わらわも陛下と一緒に宮殿で死ぬ覚悟であった。しかし、陛下は許されなかった」

「……」

「考えついたことは、イルダの体からフェアリー・ブレードを取り出すためには、わらわも必要なのではないかということじゃ。そして、陛下の『刺し違えよ』という言葉。これはもう、わらわの血が必要じゃということしか考えられぬではないか。違うのか、アルス殿?」

 俺もこれまで、じっくりとカルダ姫と話したことがなく、単に傲慢な姫様という印象しか持ってなかったが、あの聡明なイルダと同じ父親と母親から生まれているのだ。カルダ姫自身もしっかりと聡明な姫様だった。

「そうだ。エリアンをイルダのナイフで刺した時、フェアリー・ブレードが出て来た。エリアンは、三代前に皇室から分かれた血筋で、皇室の人間と近い血だったと言える。その血をあのナイフに吸わせたことで、フェアリー・ブレードが出て来たということから、俺もカルダ姫と同じ結論に至った」

「エリアンを刺して出て来たフェアリー・ブレードは、また、消えたそうじゃが、それは、エリアンがアルタス皇室直系の血筋ではなかったからということであろう?」

「そのとおりだ」

 つまり、エリアンの血では、一時的にしか、フェアリー・ブレードを取り出しておくことしかできなかったのだ。

「アルタス帝国直系で生き残っているのは、わらわとイルダのみ。イルダの体にはフェアリー・ブレードが隠されている。ならば、わらわの血をイルダのナイフに吸わせれば良いということじゃな?」

「そういうことだ」

 カルダ姫は、それを考えついた時から、もう覚悟はできているようで、まったく動揺していなかった。

「しかし、分からぬこともある。首都に反乱軍が迫っていた時、わらわもイルダも陛下ともども死ぬ覚悟であった。その時に、フェアリー・ブレードを取り出すこともできたはずではないか?」

 実際に、イルダがカルダ姫を刺すことができるかどうかは置いておいて、確かにその機会はあった。しかし、皇帝はそうしなかった。

「それは、俺にも分からない」

 俺は言葉を濁したが、皇帝は最後の最後になっても、魔王の復活が怖かったのだと思う。

 代々、皇室の人間の体にフェアリー・ブレードを隠してきたのは、ひとえに魔王リーシェの手にフェアリー・ブレードを渡さないためだ。魔王がそれで完全復活を遂げると、それまで五百年間守られてきた人族の支配は終わる。

 あの時、首都を包囲していたのは、人族の勢力で、そのままアルタス帝国が滅んでも、次もまた、人族の帝国になることは間違いなかった。

 混乱している宮殿に、封印されているはずの魔王が忍び込んでいる可能性だってあった。そんな中でフェアリー・ブレードを取り出すことが怖かったのだろう。

 一方で、落ち延びさせた二人の姫も、そのまま逃亡先で生き延びることができるかもしれない。女系にはなるが、そこでカリオンの直系の血筋を残すこともできるかもしれない。その微かな希望も、世界が魔族のものになってしまえば叶うことはないだろう。

 それに、宮殿を落ち延びたイルダとカルダ姫が刺し違えて死ぬという機会に恵まれるとも限らない。それぞれが旅先で、のたれ死にすることだって十分考えられることだ。皇帝は、それでも仕方がないと考えていたのだろう。それでフェアリー・ブレードが永遠に取り出せなくなれば、魔王は二度と復活できないのだから。

 少し目を伏せて、考え事をしているように見えたカルダ姫が、ふいに顔を上げて、俺を見た。

「アルス殿。そなたは、イルダのことをどう思っておるのじゃ?」

 思いも寄らない問いに、俺は少しむせてしまった。

「ど、どうって?」

「イルダは可愛いじゃろう?」

「そ、それは、そ、そうだな」

「わらわがいなくなれば、イルダには、もう肉親と呼べる者が誰もいなくなる。しかし、イルダを見ていると、そなたには心を許しているように見える。リゼルやダンガよりもじゃ」

「そ、そうだろうか?」

「きっと、そうじゃ。だから、これからもイルダの側にいてやってほしい」

「死ぬことを前提で話すな」との慰めは使えない。フェアリー・ブレードを取り出すために、俺自身がカルダ姫に死ねと言っているようなものだからだ。

「分かった。無事にここから逃げ出すことができれば、ずっと、イルダの側にいる」

「頼むぞ」

「……カルダ姫」

「何じゃ?」

「すごく、嫌らしい質問だが良いか?」

「言ってみよ」

「あんたは、イルダに嫉妬したりしなかったのか?」

「ふははは、本当に嫌らしい質問じゃな」

 カルダ姫は、ひとしきり笑うと、優しい顔で俺を見た。

「嫉妬したに決まっておろう。イルダは末っ子で、父上や母上、兄上のみんなから愛された。しかも愛らしい容姿とそれに反比例するかのような頭の良さ。わらわにないところを全部持って生まれてきたのじゃ」

 その言葉とは裏腹に、カルダ姫の表情は穏やかなままだった。

「今回も、イルダのために、わらわはその命を差し出さなくてはならぬ運命を背負わされていたのじゃからな。世の中、不公平じゃのう、アルス殿よ?」

 俺は何も言えずにカルダ姫を見つめた。

 そのカルダ姫の表情が更に優しくなった。

「じゃがの、わらわも『お姉様、お姉様』と無邪気に寄ってくるイルダが可愛くての。皇室の中でたった二人の姉と妹じゃ。その可愛い妹のために死ねるのなら、わらわも本望じゃ」

 俺ももっと早く、カルダ姫とこうやってじっくりと話していたら、カルダ姫の印象も変わっていただろう。

「あんたも素敵な姫様だぜ」

「アルス殿、そうやって、いつも女性を口説いているようじゃな」

「なっ! ……ま、まあ、否定しない。でも、今のは、俺の本心だ」

「そうか。もう少し早く言ってもらいたかったの」

 薄暗い監獄の中で少し恥じらって見えたカルダ姫の笑顔は、イルダに負けないくらい魅力的だった。


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